13/12/16 15:54:06.33 Y/Af9NJO
>>502
>掃討戦の戦況が書いてあれば、話は別です。 『高麗史』『高麗史節要』に該当する記事があるのなら
掃討戦は主として台風で壊滅した江南軍が受けたのだから高麗史に記述が無くて当然ですが、その
高麗史も戦況の記述があるのは鹿島の戦いだけで、存在が確実な海戦も記述が無いのですから、あて
にできません。
>『高麗史』金方慶伝を見るに、東路軍は早々に撤退したのではないかと思います
江南軍の惨状を述べた後に「遂に軍を還す」とあるからと言って、状況が連続しているとは限りません。
「遂に」は最終的帰結を述べているだけかも知れないし、上記のように字数が少ないのですから。
>四散した東路軍も含む
元軍は一応軍律のある軍隊なのですから、台風ぐらいで「四散」はあり得ないでしょう。東路軍は台風の
被害が軽微だったのであり、かつ総司令官がいるほうの支隊なのですからなおさらです。
ところで季長が戦ったのは御厨と絵詞にありますが、御厨は江南軍主力が壊滅した鷹島からも、張禧の
艦隊がいた平戸からも離れてその中間にあります。これらの艦隊から御厨へ、この次期に派遣することは
考えにくいから、季長の相手はもともと御厨地域に停泊していた艦隊でしょう。それが東路軍か江南軍か。
まあどちらの可能性もありますね。東路軍の船が高麗製で頑丈だったことで可能性が高くなるだけです。