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ドイツⅢ号戦車
ドイツ国防軍が戦車戦術を考慮した主力戦車とすべく製造した中戦車で、
支援戦車であるⅣ号戦車とともに運用する構想で1934年に開発命令が、
クルップ、ヘンシェル、ダイムラー・ベンツ、 ヴェクマン、アルケットに通達、
これらの要求の元、当時の欧州における輸送の限界を考慮して試作車を製造、
5社の比較検討と各種試験の結果、 ダイムラー・ベンツの車台、
ヘンシェルの砲塔と42口径5cm Kw.K.38と7.92mm機銃、
エンジンのマイバッハHL 120 TRM4ストロークV型12気筒ガソリン300馬力と、
トーションバー式サスペンションを装備して量産することが決定。
1935年末からダイムラー・ベンツ、ヘンシェル、ヴェクマン、アルケットの4社で、
A型として1936年12月までに計230両を製造。制式番号はAusf A Sd.Kfz.141。
1937年1月からの生産分は主砲をより強力な5cm Kw.K.39 L/60に換装して、
基本装甲厚は30mm、車体前面装甲厚は50mmまで強化したB型に生産は移行、
1939年10月までに540両を製造、制式番号もAusf B Sd.Kfz.141/1となった。
1939年のポーランド侵攻で、本車の防御能力が戦況が要求する水準に、
達ってしいないことが問題化、1939年10月からB型をベースに徒渉能力を高め、
エンジンルーム左右の吸気口、後部オーバーハング下の排気口に、
それぞれ水密ハッチが付き、エンジンマフラーは防水弁付きの新型が高い位置に設けられた。
突き出たエンジンマフラーのぶん、B型とは車体全長が異なるC型の生産に移行したが、
対フランス戦後に能力不足は確実となったことで、1940年8月までに292両を生産して、
Ⅳ号戦車に主力戦車の座を譲り、Ⅲ号戦車の製造は終了した。