12/06/22 16:21:55.13
>>75
「八原という高級参謀など偽装して本土に逃げ帰ろうとした」
と書かれていますが、これは彼の名誉の為に代弁いたします。
当然牛島中将、長勇らと共に自決しようとしていたところ、
牛島閣下に呼ばれ「八原お前は自決はあいならん。
この沖縄戦での戦訓を、大本営に持ち帰り本土決戦に役立てよ」
との命令があったので、泣く泣くそういう流れになったのです。
この方は誠に優秀な方で、戦後何度も軍からの誘いがあったにも関わらず
「もう二度と人に死んで来いという命令は出したくない」といって固辞な
さった立派なかたです。瀬島、源田、辻、竹下(宮城事件)などとは
全く違います。戦後ひっそりと只の一市井人として生涯を終えました。
葬式も軍隊時代の方がわずかばかり参加する決して派手なものでは
なかったと聞いています。
神という参謀(鹿児島県出身)はいましたが、彼は津軽海峡で殉職
(私から言わせると自決。なぜなら海兵開学以来の水泳の達人で、
機が着水した時も何処にも負傷は無く一旦浮き上がると空を眺め、
そのまま沈んで言ったとのことです。恐らく草鹿と違い大和特攻作戦の
責任をとるのにいい機会だと感じとったのかもしれません。
亡くなったのは彼一人です)した筈ですが。
彼が投降したというのは初めて聞きました。