13/11/04 18:01:41.72
>>573
南京攻略戦の時だが、南京城外の城壁伝いに逃げてゆく中国人、そこには
婦女子・子供・幼児・老人たちのほかに、青年男子も多数混じっていた。
彼の隊は城壁沿いに機関銃座を配置して、落ち延びてくる敵兵を待ち受けていた。
そして、驚くことなかれ、そういう状況で「撃て」と、わが軍の機関銃手たちに
命じた。戦さなので、成年男子だけならともかく、婦女子等まで撃つことになる。
それで、射撃をどの兵もためらっていると、俄かに軍刀を抜きはなち、「こうするんだ」と言って、
わが軍の兵士を切り殺した。それに驚いた他の機関銃手たちは一斉に引き金をひいて、
城壁に死体の山を築いた。
この話は、長勇自身が、徳川さんと仲が良かったので、自宅を訪問した時話した内容で、
びっくりした徳川さんは「長、この話だけは絶対に他言するな」ときつく釘を刺したという。
なぜこれがわかったかというと、徳川さんは日記をつけていて、以上の話を記しておいたからだ。
本当は、これがなければ、長は「横紙破り」的な欠点もあるが、連隊長か中隊長かの時、自分の話を
浪花節でやり、部下たちから拍手喝采をあびるなど、面白いところもあり、はずしたいところだ。
辻や牟田口に比べればはるかにましかもしれない。
自決の時も「もっとも閣下は極楽、私は地獄ですな」の意味はこういうわけだと小生は思っている。
たしかに、花谷・冨永など、陸軍も悪人にはことかかないな。