12/09/25 23:56:54.81
>>206
台湾沖航空戦(1944年10月12日 - 10月16日))で戦闘機は飛んで行ったきり、
それが最後だったそうです。
我軍の飛行場の利用は飛行機自体がなかったので活用できなかったそうです。
ご存知のようにアメリカ軍はすぐさま航空基地を確保して利用していきますね。
結果論ながら、沖縄の住民・軍属等の労力を使って基地を整備したことは徒労に終わりました。
そもそも、開戦当初から沖縄は南方資源の輸送路の分岐点であるくらいの認識でしたから
日露戦争の旅順要塞の如くベトンで固めて固めて要塞化しておくべきだったのでしょうが。
戦略思想が甘く米軍とは違ったのでしょう。