12/02/24 21:20:38.04
>>642
それが死ぬ2年位前の話。
国会図書館がやったオーラルヒストリー録音の発表原稿として1964年4月に作ったもの。
それのコピーを、翌年の7月のビルマ従軍者の大会や2年後の本人の葬式で配った。
そもそも牟田口が自己弁護をするきっかけになるイギリス軍中佐からの手紙をもらったのが、
死ぬ4年前になってからで、牟田口が動きだしたのはそこから。
70代半ばで病気で死にかけで失意のどん底の爺さんが、
かつての敵方から過分なおほめをいただいて、舞い上がっちゃったわけだな。
たまたま戦記ブームも重なって、
NHKのインパール番組絡みで取材を受けたり(1965年夏)、
『丸』に対談記事が載ったりしたわけ(1964年末)。
国会図書館の件はたまたま1963年に盧溝橋の件でインタビュー録音を求められたとき、
ついでにインパール作戦も聞いてくれないかとムッチーから頼んで、1965年に実現したもの。
死に際に雪辱を求める私欲と、このままだと自分の死で「真相」が闇に消えるという使命感で、
必死になってやったことなんだろうなと思うよ。