軍事板書籍・書評スレ42at ARMY
軍事板書籍・書評スレ42 - 暇つぶし2ch949:名無し三等兵
11/12/25 00:53:51.72
最近読んだ本
『九七重爆隊空戦記―サリーの防御はゼロだった』 久保 義明著
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陸軍予科士官学校(54期)から航空士官学校に入り、開戦が近い1941年6月に97式重爆のパイロットとして飛行第14戦隊付きとなった著者の戦記。
著者が所属する第14戦隊は台湾に駐屯していたが、開戦後フィリピン、マレー、ビルマを転戦し、続いてラバウルそばのココポに派遣されてソロモン・ニューギニア方面の航空消耗戦に巻き込まれる。
著者は部隊がソロモンから転進した後少ししてから転任し、浜松と福井県の三国で航空士官学校の教官として終戦までを過ごした。

割と長期間を教官として過ごした経験からか、教官時代自体の描写はそれほど多くないものの、搭乗員の育成や教育に関するコメントが端々に見られ興味深い。
一方戦闘描写ではソロモン・ニューギニア戦の困難さが際立つ。
敵への爆撃のみならず輸送などの任務も行い、敵の爆撃を避けて必死に機体の隠匿に勤めて少ない機会を狙って損害覚悟で出撃する任務が続く。
圧倒的な数の敵を相手にしてこちらは補充が続かず、部隊の稼働機は43年3月の派遣から11月の転進までで4分の1程度に急落してしまっている。
また著者の世代はちょうどもっとも若い士官層であり、航空士官学校を重爆で卒業した同期90名余りのうち、1945年初頭の時点で生き残っていたのはわずか十数名という状態だった。
著者がニューギニアで輸送した軍司令官の参謀が回想で「戦況から見て、彼も勤めを果たして立派に散華していったことだろう」と言っていたという笑えないエピソードもある。

基本的には同じ部隊や戦場にいた兵士から指揮官までの回想録を時には引用しつつ、真面目な記述が続く戦記だが、ペナンでのお休みやP-39との空戦といったちょっとほのぼのする話も少し混じっている。
掲載されている写真では、爆撃中に上空から著者が撮影した2枚が興味深い。1枚には被弾し高度を下げる僚機の重爆が写っている。

著者は日本陸軍の爆撃機が戦闘機などと比べて注目・評価されていないことを嘆き、特に大戦後半に活躍できなかったのは搭乗員が原因ではなく、制空権や性能、補給や作戦計画といった要因が主因だったのだと主張する。
著者の真面目さと陸軍重爆隊の苦境が伝わってくるようなこの戦記を読む限り、その主張は頷けるものである。


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