12/10/07 19:29:55.50
荒木浅吉少佐の「伊号艦長潜航記」の中、ミッドウェーに関して、こんな記載がある。
光人社NF文庫版p201
>ここで戦況を概観するに、源田実参謀は攻撃優先の考えから、
>インド洋作戦いらい、索敵を軽視して、失敗している
>このたびも、連合艦隊の指示した二段索敵を行わず <=★★★
同じくp211
>当時の連合艦隊の内情にもっとも詳しい渡辺安二参謀が、後代に残したいとして
>正木生虎氏に語ったことに触れたい
(途中略)
p212
>先の作戦における索敵の失敗だけでも充分に検討していたら、
>南雲艦隊はあんなラフな索敵をやらなかった、と思う。この戦訓を活かしきれなかったのは、
>連合艦隊司令部の責任であった、と率直に語られた。
>こうしてMI作戦ははじめられた。
>このとき、南雲艦隊は図演では行われた二段索敵を、なぜか行わなかった。 <=★★★
この証言に関連する記述は、淵田・奥宮の「機動部隊」にも見える。
学研M文庫版 p32
>南雲長官も草鹿参謀長も、飛行索敵法には特に力を入れて訓練した。
>航空参謀の内藤中佐がまた極めてすぐれた数学的な頭脳の持ち主で、
>緻密な索敵法を立案した
>(1行略)
>ミッドウェーの生々しい戦訓がものをいって、
>それまでおっくうがられていた二段、三段の索敵も、 <=★★★
>その必要性がよく了解された
5/1-4の図演では、二段索敵で行われた、という証言。
どういう経過で、図演では二段索敵実施となり、MI本番では一段索敵に省略されたのか?
一段索敵が標準だとすれば、図演で二段索敵を実施したことと辻褄が合わない ???