幕末(19世紀後半)の軍事全般4at ARMY
幕末(19世紀後半)の軍事全般4 - 暇つぶし2ch792:名無し三等兵
12/08/07 14:22:56.38
ライフル銃、後装銃を早期から導入させる

外国人教官に軍事教練をしてもらう、つまり退役軍人を大枚はたいて雇い入れる

購入した兵器や、軍事教練で得た知識を実戦でどう使うかを考慮する。その時の作戦会議でも外国人を加え諸外国の事情も聞く
_________________________________________________________________________

結局グラバーその他の外国人がこの際にガッポガッポガッポ儲かったわけねw
でも日本人が賢くて案外早く戦争を終結させたからグラバー商会も数年後に破産した

793:名無し三等兵
12/08/07 14:27:25.32
それ以上に諸般が借金踏み倒しやがった

794:名無し三等兵
12/08/07 14:40:27.50
>>790
いやいやグレネードランチャーとか普通に使ってるし、
エンフィールドだって即改良してスナイドルに出来る。
ていうか、ミニエーですら第二次長州征伐では大活躍したんだよ。
ヤーゲル銃なんか白虎隊のショタの色気ムンムンだし、ゲーベルも銃剣が付けられる。

795:名無し三等兵
12/08/07 15:03:05.08
>>792
外国人武官による教練は慶応の改革で幕府陸軍がやってた罠
後装銃の使用は諸説あるが、おそらく使ってたんじゃないかなナポレオン三世からの寄贈品
無かったとしても薩長と同程度の装備だが
つまり幕府陸軍は鳥羽伏見の時点で当時の日本としては最先端の教育を受けて最先端の装備を持っていた
この最精鋭部隊が6,000~7,000ぐらい鳥羽伏見に参戦してたが、これだけで薩長の軍約5,000を上回るわけで
既になんで負けたのか不思議なレベル

796:名無し三等兵
12/08/07 15:09:44.47
用兵と戦術の差としか

797:名無し三等兵
12/08/07 15:13:28.21
コンパクトでない財貨である米を税収の単位としそれを流通させて利益を得る仕組みの幕府としては
戦闘の火災により大阪の米を失うことは許されなかった

米でなく金で納めさせる方式に変えたのは当然だったな

798:名無し三等兵
12/08/07 15:26:19.82
>>795
鳥羽伏見に参加した幕府の純洋式部隊は、6,000~7,000もいなかったのでは?
第11と第12連隊は、どちらも1個大隊編制だった筈だし。


799:名無し三等兵
12/08/07 16:06:44.84
鳥羽伏見の戦いが始まったのが夕方だから薩長に不意をつかれ
そのまま体制を立て直す時間もなく終了してしまったんでは

800:名無し三等兵
12/08/07 16:09:36.63
その翌日は結構持ちこたえたんだが、

そこで錦の御旗を出して諸藩が流れたのがなあw

801:名無し三等兵
12/08/07 16:59:47.15
>>794
>ゲーベルも銃剣が付けられる。
それくらいしか長所ないんかい!

802:名無し三等兵
12/08/07 17:28:44.42
ガトリングって無敵の兵器みたいなイメージあるけど
ディスカバリーの再現みたけど一機だけじゃ全然使えねーな。
頭数そろえて陣地を構築した上で十字砲火とかできなきゃ小銃小隊の人数を増やした
ほうが機動的にマシなレベル

803:名無し三等兵
12/08/07 17:35:20.34
鳥羽伏見の幕府方の配置がいまいちよくわからぬ。

1月3日の軍配書と称して、以下の戦闘序列はよく見る。(幕府直轄以外は省略)
・鳥羽(竹中重固):第5連隊主力(1個大隊)、伝習第1大隊主力
・伏見(城和泉守):第12連隊主力(1個大隊)、第7連隊の1個大隊、伝習第1大隊一部、新撰組
・二条城:第1連隊、見廻組
・伏見大仏=欣浄寺:第4連隊
・黒谷=大文字山の西:第11連隊
・大阪城:1個大隊
URLリンク(www.geocities.jp)

でも、これって竹中が伏見でなく鳥羽にいたり、見廻組が二条城にいたり、
実戦経過からするとなんか変だよね?
途中で迎撃を受けず、この場所まで移動した後に包囲攻撃するっていう紙上プラン?

>>795
外国人教官の教練を受けた伝習隊は、鳥羽伏見には1個大隊しか出てないはず。
ほかは江戸に残ってる。

804:名無し三等兵
12/08/07 18:38:15.33
>>799
鳥羽伏見での幕府軍の損害といっても280程度だしね
負傷者や落伍者を別としても1000には届かないはず
鳥羽伏見は確かに幕府軍の敗北ではあるけど、決定的敗北とは言いがたいと思う

805:名無し三等兵
12/08/07 19:06:33.75
>>804
それって士分以外の損害も含んでるのかな?

806:名無し三等兵
12/08/07 19:39:38.27
>>804
政治的に見たら決定的敗北だと思う。
朝敵認定されたし…

807:名無し三等兵
12/08/07 19:48:56.57
>>805
そこがよく分からん
野口武彦「鳥羽伏見の戦い」によると、戦場となった鳥羽街道のいくつかの場所では
幕兵の死体が一面に広がってた、という報告が取り上げられてるが、
4日程の戦闘で全部の損害が280にしてはそんな状況にはならないような気がしたり

>>806
慶喜の大坂敗走後はまさにその通り
ただ、慶喜が大坂城で踏みとどまる決心をしていたとしても、
控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあったろうな、という意味で
もちろん歴史にifを持ち込むのは不毛なんだけども・・・

808:名無し三等兵
12/08/07 20:15:37.59
>>807
>控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあった

頭数だけでは戦力にならなかったのだ。

809:名無し三等兵
12/08/07 20:21:17.31
まぁ幕府側に本気で薩長と全面戦争する姿勢が明らかに足りなかったからねぇ・・・
本気になったら・・・というのは想定してみたいけれどもまさにif話なわけで

810:名無し三等兵
12/08/07 20:33:05.86
戦費がないから

811:名無し三等兵
12/08/07 20:34:12.71
戦費なんて、それこそ勝てさえすればどうとでもなることじゃね

812:名無し三等兵
12/08/07 20:51:26.84
>>803
伏見街道から侵入して、京都の中を抜けて包囲網を敷こうって虫の良い作戦?

813:名無し三等兵
12/08/07 20:52:00.57
>>810
戦費は新政府こそ無い。

814:名無し三等兵
12/08/07 20:53:51.87
>>812
包囲というのは作戦(戦術)としては有効だが、被包囲側(薩摩長州)が黙ってされるがままという
旧幕府側の想定がおかしかった。

815:名無し三等兵
12/08/07 21:03:04.95
>>798
いまちょうど、永倉新八の新撰組顛末記を読んでたんだが、
それによるとフランス伝習隊は300くらいしかいなかったらしい。
分散配置されてたか、純粋な洋式部隊は実は少なかったとか?

まぁ一個人が見た戦場だから全体の配置はわからないんだとおもうけど。

816:名無し三等兵
12/08/07 21:05:27.98
>>799
これも永倉新八の著作によるんだが、
新撰組が見聞きした範囲では、こちらの橋に数百、
あちらに数百みたいな感じで少人数が幅広く展開してたみたい。

それもたとえば佐々木只三郎が300の兵を率いてきたから
こちらは大丈夫だろうみたいなノリで部隊移動させちゃったりね。
それも洋式部隊や、銃が少ない部隊、銃が多い部隊もごちゃまぜ状態。

おそらく薄く広く分散したところにまとまった薩長軍が突貫してきて
総崩れになったんじゃないかねぇ。

817:名無し三等兵
12/08/07 21:06:03.93 xP4Brolx
戦術として、鳥羽伏見や淀あたりで勝利を収める可能性はあったにせよ
あの時点で薩長と本気で衝突なんかしたら、「新政府内に有力な地位を確保する」という、戦略目標がかえって遠のくわな
勝てても、勝っちゃいかん戦いだったんだよ

818:名無し三等兵
12/08/07 21:14:09.02
>>811
そしていつの間にか北海道がフランスに租借されているんですね

819:名無し三等兵
12/08/07 21:18:06.95
西郷はわざと一か所道をあけて幕府軍が退却しやすいようにしたようだけどな。

820:名無し三等兵
12/08/07 21:20:49.52
TBSの歌謡曲!で久しぶりに小室哲也を見た

821:名無し三等兵
12/08/07 21:45:05.63
>>798
野口武彦の鳥羽伏見の戦いでの兵力推計がそれなりに辻褄合ってると思うんだが、
それによると江戸で留守番してるのが1,650、鳥羽伏見の軍配表に載ってる部隊が6,000ぐらい
~7,000としたのは俺のかなり適当な記憶力のせいなので俺のせいじゃなかったらいいな。

>>797
江戸時代は複式簿記が未発達(萌芽はあった)だったので、商業活動から効率的に税金を取り立てるのが難しかったという
誰かの論文か会計サイトか何かで読んだことがあるのを思い出した。
効率的ではなくても、田沼意次のような手法で金納させることは不可能ではなかったけど。
だから明治期の抜本的な税制改革とそれを元に国家財政を編む時は、井上馨と一緒に一方ならぬ苦労をしたってのにそれをアイツ(大隈)らはryとか何とか渋沢栄一が言ってた。

822:名無し三等兵
12/08/07 22:47:55.96
>>817
幕府軍が戦闘に勝利していれば土佐・越前・尾張は
薩長主導の朝廷軍から兵を退いた可能性はかなり高かった
鳥羽伏見戦闘初日は戦闘状態になったことでむしろ新政府内では薩長側が追い詰められてた

823:名無し三等兵
12/08/07 22:53:58.06
>>817
その戦略目標自体は旧幕府軍の大坂進発で既に破れかけてる訳で。
だから春嶽の意を受けた中根雪江は、何とか旧幕府軍を止めようと大坂に走ってた。
鳥羽伏見でぶつかった後は、戦闘に勝利して薩摩を京から追い落とすしか選択肢はないっしょ。
進発しないなら、大坂から圧力掛けつつ春嶽と容堂を援護して新政府内での枢要な地位を確保って政略は当然ながら大アリ。

>>807
なんぼ大坂の後詰が残ってるっつっても、そもそも鳥羽伏見へ慶喜が育て上げた最良の部隊を送り出してる訳で。
薩摩を討て討てと威勢よく幕府陸軍の精鋭を連れてっといて何であっという間に大坂まで敗走してんの?そんな有様で決戦したら勝てるって言えんの?って慶喜がキレたとしても仕方ないと思う。
あと戦死よりもおそらく装備の喪失の方が痛いと思われ。
特に橋本の戦いの後は、新政府軍が旧幕府軍の遺棄装備分捕り祭り開催してるし。それでも決戦できない程ではないし、西郷隆盛も大坂攻めする気満々だったみたいだけど。
暫く頑張れば紀州藩軍も来るしね。ただ大村益次郎と長州藩軍の本隊も東上中で、鳥羽伏見の頃には既に備中備後辺りで活動してたから……大坂決戦を見てみたくなかったと言えば嘘になるなぁw

824:名無し三等兵
12/08/07 23:42:08.17
>>801全く同じパターンだwww

825:名無し三等兵
12/08/08 01:08:50.85
天下の徳川家がたった1万5千の兵を破られたぐらいでと思っちゃうけどね

826:名無し三等兵
12/08/08 03:01:33.79
鳥羽伏見の戦いは無防備に突っ込んで敗走のきっかけをつくった大目付が一番敗戦責任があるわな

827:名無し三等兵
12/08/08 03:09:38.87
三倍する敵を戦術と錬度の高さで粉砕し決定的勝利ってどっかの漫画みたいな展開だ

828:名無し三等兵
12/08/08 10:20:58.21
>>826
そういう個人的な問題より旧幕府が京都を包囲するという構想に対して
新政府が反撃するという敵の行動可能性を無視しているのが大きいかと。

829:名無し三等兵
12/08/08 11:01:00.33
>>828
単に「路上を移動していただけ」みたいなもんだからね。
先兵も立てずに・・・堂々とした行軍の積もりだったのかな?


830:名無し三等兵
12/08/08 11:12:40.83
>>829
旧幕府側は圧倒的戦力を見せ付ければ抵抗はしないという判断だったのでしょう。
一方新政府は包囲されれば終わりという後が無い状態でしたし、それを確実に認識していたと思われます。

831:名無し三等兵
12/08/08 11:18:05.83
関が原の後に毛利が大阪城に立てこもって勝利する可能性と
鳥羽伏見の後に慶喜が大阪城に立てこもって勝利する可能性
どちらが高いだろ。

832:名無し三等兵
12/08/08 11:40:58.69
>>827
10倍以上の敵が四方から迫ってくるのを撃退、
なんて展開を漫画でやったらチートすぎありえないと叩かれるだろうな

833:名無し三等兵
12/08/08 13:18:12.26
>>831
1月4日の夜に大阪城に着き、城を見て廻った軍事顧問団のメッスロー中尉は、
「なぜ、ここを捨てて江戸へ逃げて行くのか」
「ここへ私の教えて置いた一大隊を私に預ければ、どんな者が来ても驚かない」
と、言ったと。
『陸軍創設史』より
歩兵、しかも徒歩猟兵の見立てだから、どの程度適切な指摘なのかは不明だけど・・・

>>832
つ第一次イタリア戦役、ガルダ湖畔の戦い
流石に10倍では無いけどw

834:名無し三等兵
12/08/08 15:36:56.71
>>803
軍配書の通りに京都包囲までしても、その後総攻撃するかは別問題だったんじゃないかな
幕府軍が圧力をかけつつ、慶喜が上京し、佐幕派参議達と連携しつつ、
辞官納地問題や江戸での浪士による襲撃事件や薩摩屋敷焼き討ち事件の処理を
自身が交渉で決着つけようとしたんじゃなかろうかと思えてくる

835:名無し三等兵
12/08/08 16:38:39.59
>>834
京都包囲が完成したら旧幕府の勝利は戦闘しないでも間違いないだろうし、
新政府もそう判断していたようだしね。

836:名無し三等兵
12/08/08 16:48:42.46
軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか

>>825
号して10万だか15万だかの大軍で攻め込んだら、4路で0勝3敗1分け食らって完敗した事例が直近に
慶応の軍制改革で兵を精選した慶喜の方向性は正しいと思う

>>831
大坂で戦うにしても篭城は無理だろう。
淀藩や津藩みたいな裏切りが城内で発生したら\(^o^)/
あと、援軍に来る旧幕府軍より篭城してる幕府陸軍の方が数も多いし間違いなく強い罠
庄内や長岡も強兵だが、長岡は藩が小さいから数が少ないし庄内はこの頃まだ近代化してないんだよな

837:名無し三等兵
12/08/08 17:04:14.01
>>836
>軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか

包囲計画自体が泥縄なので一線部隊はいろいろと遅延が生じたのでは?



838:名無し三等兵
12/08/08 17:49:33.46
>>836
庄内藩の軍事改革は第2次征長戦での幕府軍の敗戦を見て従来の長沼流軍学を棄て、藩士藩卒一様に「総鉄砲」を命じ藩軍を銃砲隊に統一
民兵隊の創設、新徴組や一部旧幕府歩兵の召抱えを行う
藤沢周平の海坂藩もモデルは庄内藩で映画でも色々近代化路線に苦労する様子が描写されてましたね

839:名無し三等兵
12/08/08 17:53:02.38
>>837
その軍配書自体が「致命的なまでに拙劣な軍配書」とまで言われてるから・・・


840:名無し三等兵
12/08/08 18:50:26.27
いまいち京都の地理を理解してないんだが、
事前移動しようにも二条城へ部隊移動なんてできるの?
二条城って京都の市街地だよね?

841:名無し三等兵
12/08/08 19:13:19.43
>>838
品川五番台場に配置されていた庄内藩兵は、安政三年には洋式銃隊化されていたけれど、藩地では長沼流と洋式が半々だったらしいね。
台場の兵は筒袖裁着の半洋式軍装、新徴組は慶応三年の時点でも羽織り袴の和装にマスケット銃。

慶応四年に、藩士、藩卒、農民、町人を身分別に58個小隊、合計約4200名の洋式銃隊に。
その他、若干の砲隊が。
やる気満々だ。

842:名無し三等兵
12/08/08 20:25:04.86 6oqIxm8u
>>840
市街地ったって、市街化されてるのはせいぜい4キロ四方くらいで
あとは街道筋以外は葱畑だべ

843:名無し三等兵
12/08/08 21:34:31.34
>>840
2列縦隊なら行ける。
ただ敵の攻撃には弱いがw

844:名無し三等兵
12/08/08 23:08:15.28
>>839原因はこれか!

845:名無し三等兵
12/08/08 23:13:40.09
>>844
いや、大軍を見せ付ければ攻撃はしてこないだろうという慢心。

846:名無し三等兵
12/08/08 23:20:09.02
大軍って言っても15000人でしょ言うほど大きな兵力差はないよ

847:名無し三等兵
12/08/08 23:26:04.34
旧幕府はそう思ってたみたいだ。

848:名無し三等兵
12/08/09 06:22:05.14
>>845
それが軍配書にも反映されているのかもね

849:名無し三等兵
12/08/09 09:10:53.53
士気と指揮の差じゃね?

850:名無し三等兵
12/08/09 10:10:31.50
指揮についてはなぜ第二次長州征伐の失敗から学ばなかったのか……

851:名無し三等兵
12/08/09 11:28:47.37 ERvUA5Ct
>>845
応仁の乱みたいに、禁裏含めた市中を戦場にしちゃマズいってのは双方が暗黙に了解してたようだし
ガン飛ばし合って、「表にでろや!」って体制じゃないのか?

852:名無し三等兵
12/08/09 11:58:51.33
>>851
先生、蛤御門の変
ついでにその追撃戦で残党炙り出すために放火して市中は大火に

853:名無し三等兵
12/08/09 12:01:02.78
幕府軍が戦闘なしに京都へ入れるであろうと判断していたのは明らかに慢心だけども、
王政復古クーデターのときは同じこと薩長軍もやってたしなぁ
あの時慶喜が断固阻止に動かなかった時点で、鳥羽伏見序盤の情勢への伏線は出来てたと言える

854:名無し三等兵
12/08/09 14:40:39.42 ERvUA5Ct
>>852
いや、だから市中での戦闘はマズいって話になったんだろ
あんな程度の小競り合いで大騒ぎになっちゃったんだから

855:名無し三等兵
12/08/09 15:01:59.95
日本の木と紙の家では、近代以降の大火力戦では瞬時に全焼してしまう

只でさえ江戸の大火に悩まされてきた幕府にとって、火事を出すというのは庶民に対する幕府の信頼を
失ってしまうことであり、幕府の存亡にも関わっていた

856:名無し三等兵
12/08/09 15:21:46.73
>>849
司令官クラスの指揮に問題があるような気がする。
個々の戦闘では兵力が1000人を越えてるのに死傷率が全体の5%くらい
で部隊が崩壊していたり、逆に30%位の死傷率を出しても部隊が維持されて
いたり…。

857:名無し三等兵
12/08/09 15:56:58.18 ERvUA5Ct
>>856
問題って以前に
そもそも、指揮も指導もしてないからな

858:名無し三等兵
12/08/09 16:07:02.23
>>854
軍配書通りに洛中包囲した場合でも、討薩表で薩摩が退去しなければ実力行使するしか無い訳で
いくら限りなく慢心しまくってたとはいえ、その程度の覚悟はしてたのでは

859:名無し三等兵
12/08/09 17:10:36.44 ERvUA5Ct
>>858
許容出来る損失と期待できる成果を列挙し
それに基づく
明確な企図と目標、判断基準に基づく行動指針の明示

これが軍指揮官が表すべき「覚悟」だわな

860:名無し三等兵
12/08/09 20:08:52.02
兵を動かした以上交戦の可能性をまったく考えなかったわけはあるまい一応包囲の動きを見せてるしな

861:名無し三等兵
12/08/09 20:33:06.22
>>855
一方、薩摩や長州は積極的に火をつけて回ったという非道

862:名無し三等兵
12/08/09 21:04:26.45
禁門において戦闘後も執拗に無関係の家屋を焼いたのは会津や新撰組だけだよ
慶喜は戦闘中の放火だからやむを得ないけど

863:名無し三等兵
12/08/09 21:21:38.59
>>861
禁門の変や鳥羽伏見で街を焼いたのは幕府軍なのだが

864:名無し三等兵
12/08/09 21:53:06.91
幕府と薩長どちらに非があるどちらに正当性があるとかマジどうでもいい
勝てば官軍負ければ賊軍

865:名無し三等兵
12/08/09 22:33:26.20
官軍なのに負けた第二次長州征討

866:名無し三等兵
12/08/10 01:01:33.47
幕府ヲタは都合が悪くなるとすぐどっちもどっちと言い出すな

867:名無し三等兵
12/08/10 04:48:37.58
>>866
うざいから日本史板に帰れ

868:名無し三等兵
12/08/10 07:00:56.31
軍事的に優位だったのに親藩まで次々寝返ってあっさり崩壊したのは正当性がないからでしょうに

869:名無し三等兵
12/08/10 07:51:16.92
松平春嶽とか幕府側で大きな顔してた人らがいつの間にか新政府側に乗り換えてたら長いものに巻かれてた人らは不安になるさ

870:名無し三等兵
12/08/10 09:49:45.20
武門の棟梁と言っても所詮元々公家の護衛だからな
しかも徳川の家柄はアレだし

871:名無し三等兵
12/08/10 10:09:34.91
春嶽なんかは幕府ででかい顔っつっても、元々諸侯会議派寄りだから
慶喜首班の新政府なら支持に動くのはむしろ当然じゃね
鳥羽伏見・大坂城退去の後だと、あの紀州藩ですら新政府に抵抗できなかったしどうにもならん

ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに、戦の前から早々に朝廷寄りになってるから
経緯を知らなかった頃は驚いたけどw

872:名無し三等兵
12/08/10 10:52:42.81
>>871>ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに

って親父さんが攘夷派弾圧の人だから、どんな考えを持っていたか?
とwikiる

URLリンク(ja.wikipedia.org)
井伊 直憲(いい なおのり、嘉永元年4月20日(1848年5月22日) - 明治37年(1904年)1月9日)は、江戸時代末期の大名で、近江国彦根藩第16代(最後)の藩主。明治維新後に華族(伯爵)となった。

安政の大獄で有名な大老・井伊直弼の次男。

安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、幕閣の政治的配慮により取り潰しを免れ、万延元年(安政から改元)4月28日に13歳(数え年)で家督を相続した
文久2年(1862年)11月20日、松平春嶽らによる幕政改革(文久の改革)において、父・直弼の専横・圧政を糾弾され、20万石へ減封された。
譜代筆頭でありながら幕府との関係は険悪化する。

[そういえば井伊家は徳川時代は勇猛な戦いで知られていたね]

元治元年(1864年)4月18日、左近衛権中将に転任。掃部頭如元。池田屋事件や禁門の変での功により同年8月22日、旧領のうち3万石を回復する。

慶応2年(1866年)、第二次長州征討では高田藩兵とともに彦根藩兵が芸州口の先鋒となったが、大村益次郎の訓練を受けた長州藩諸隊の散兵戦術に
旧式の装備・戦法で臨んだため、大敗を喫する。以後、藩内では谷鉄臣や大東義徹ら勤王派が台頭し、徳川慶喜に近い岡本半介の影響力が低下する。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争では前哨戦となる鳥羽・伏見の戦いで、谷鉄臣らの藩兵が最初から新政府軍に属して東寺や大津を固めた。
その後、東山道鎮撫総督に属し、近藤勇の捕縛に加わったが、小山の戦闘で大鳥圭介らの旧幕府軍に撃破される。

明治2年(1869年)6月、戊辰戦功により賞典禄2万石を付与された。谷や大東、西村捨三ら下級武士出身者主導の藩政改革を承認し、
人材登用を推進する。同年7月8日、彦根藩知事となる。

明治4年(1871年)、アメリカおよびイギリスに遊学する。同年7月14日、廃藩により知事を免ぜられる。

明治17年(1884年)7月7日、華族令により、伯爵に列せられた。

873:名無し三等兵
12/08/10 11:50:29.48
野口武彦さんは「幕府歩兵隊」にしろ「鳥羽伏見の戦い」にしろ、シャスポー銃の実戦使用へのこだわりが凄いね。
流石に「先込銃は銃剣を付けたまま装弾できないが、」は、如何かと思う。
ナポレオン時代のボルテジュールの存在を無視したかの様な記述も。
私も願望としては実戦使用していて欲しいけど・・・


874:名無し三等兵
12/08/10 20:27:08.59 7LcWFJ9h
>>863
鳥羽伏見は京都じゃねぇ

875:名無し三等兵
12/08/11 01:45:40.61
2ちゃんやネットの書込み見て歴史に詳しくなったと思ってる奴の知識なんてそんなもんだ。
自分でソースを辿るって思考も行動力もないけど、本人は学校が教えない正史を俺は知ってると悦に浸ってる。

876:名無し三等兵
12/08/11 02:14:41.05
前に徳川美術館いったらたまたま鳥羽伏見の書状があって(慶喜あてだったのかなぁ)
大津摂津事件だか何だか書いてあって驚いた

877:名無し三等兵
12/08/11 02:44:24.60
細かい事言うようだが、「悦に入る」な

878:名無し三等兵
12/08/11 20:35:21.98 RzlZk9dM
>>840
遅くなってスマンが
地誌情報

URLリンク(shugakuin.blogzine.jp)

ここの画像と、Googleマップあたりを比較すれば、道路幅員や距離感覚、植生、地物は概ね把握できるぞ

879:名無し三等兵
12/08/11 22:19:59.78
>>878
GJ!

なるほど、せっかく大軍なのだから、
桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね
軍配書からして不適当という指摘が納得できたわ

880:名無し三等兵
12/08/12 18:22:41.73 WzE5IzU6
>>879

>桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね

どっち側の話しよ?

881:名無し三等兵
12/08/22 18:21:36.86
たまたま火縄銃を手にする機会があったが無駄にデカくて重量があるな
しかもバランスが悪くて実際の重量より重く感じる。
これで連発もできないんじゃ俺は槍隊に入りたいと思ったわ。

882:名無し三等兵
12/08/22 18:36:32.23
>>881
火縄銃なら危険になってきたとき、銃を捨てて身軽になって逃げられるが、
槍隊は指揮官が真っ先に逃げてくれないと逃亡は難しいんじゃないか?

883:名無し三等兵
12/08/22 18:50:52.54
>>881
槍だと幕末じゃなくて戦国期か
あの時代の槍は全長5m以上もあるような物干し竿だぞ
端っこ持ってよろめかずに立っているだけで大変
しかも陣形乱さずに指揮官の指揮で一糸乱れず集団運動
逃げたら味方に殺される
なりたいもんじゃあないな

884:名無し三等兵
12/08/22 18:54:12.17
戊辰戦争でも会津の槍隊が薩長歩兵に打撃与えたりしてなかったっけ

885:名無し三等兵
12/08/22 19:10:37.82
今度の大河ドラマは会津が舞台だったな

886:名無し三等兵
12/08/22 19:15:24.16
>>884
だいたい鉄砲で撃破されたみたいだけどな

887:名無し三等兵
12/08/22 19:54:09.27
近接戦闘ならとにかく距離がある限り槍は飛び道具に勝てない
それこそファランクスと弓の時代からずっと

888:名無し三等兵
12/08/22 21:13:59.15
槍を持って逃げるときには槍の千段巻のあたりを掴んで引きずっていくそうだ。
確かにその方が引っかからないし一番楽そうだな。

889:名無し三等兵
12/08/23 09:15:05.40
d

890:名無し三等兵
12/08/23 09:31:18.93
入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?
なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
それとも時勢柄黙認してたのか?

891:名無し三等兵
12/08/23 11:54:52.26
>>884
ブッコミ自体は初日の伏見とかからやってるが、正面からの突撃は全部失敗だっけ。
同じく伏見で新撰組の一部が、構成層的に白兵戦には弱いと評判の長州藩部隊に突撃しに行ってるが
散兵戦術のお手本みたいな機動に翻弄されて成果なく後退。

槍隊が一番成果を発揮したといえば富之森陣地の攻防戦だと思うが、
陣地に篭もる幕府歩兵隊が新政府軍を退き付けてるとこに伏兵してた会津大垣の
槍隊が奇襲かける戦術だったらしい。これは大成功して新政府軍は撤退。
ただ翌日再度薩摩藩部隊が押し出して来たときは、当然伏兵警戒してたんで同じ戦術は失敗。
仕方ないんで槍隊が数名ずつに別れて浸透・奇襲って戦術を採用するが、相手が猿叫修羅の国の薩摩兵だけあってこれも上手く行かず。
前日の戦闘も含め槍隊の死傷者が続出して最終的に陣地放棄することに。
ただ薩摩側も、砲兵隊に直接ブッこまれたときはちょっと危なかったんで、これ以後砲兵隊には護衛兵付けたらしい。

他に槍隊の活躍といえばほぼ同時期の千両松の戦いか。
これも歩兵隊などの後衛を追撃してきた新政府軍に対する伏兵からの奇襲。
初回はこっちでも成功して、長州藩の中隊長を討ち取る戦果を挙げてる。
ただあいつら伏兵してんよってのがバレてからは、かなり一方的に狩られたらしい。
伏兵は基本的に少人数だし装備が刀槍だから仕方ないね。新撰組も相当死傷者出たらしい。

これ以後は淀・橋本だから見せ場はないっけ?
しかし戦術的に仕方ないんだろうが、損耗率は凄そうね。見廻組も壊滅したし。

892:名無し三等兵
12/08/23 12:30:58.28 sA5pDkgx
>>890
>入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?

それ、江戸などの市街地への流入規制って話だろ
逆に言えば、市外ではフリーだったって話じゃん


>なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
>幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
>それとも時勢柄黙認してたのか?

各藩ってのは、支配される属国ではなく、高度な自治権を与えられた行政単位であって
有事には藩から拠出された兵力も、幕府隷下に組み込まれて運用される
将軍家直轄の旗本直参が国軍なら、州兵に該当する勢力なんだから
軍備近代化を進める幕府は、各藩の近代化も黙認どころか奨励指導せねばならんのよ


893:名無し三等兵
12/08/23 15:15:31.06
>>890
幕府が規制した軍備は、大船(江戸への侵攻防止)と城(各国の防衛力削減)だけっしょ
そもそも、江戸時代通じて諸藩の国許には火縄銃とかの武装があった訳で
更に幕末になると、その大船建造の禁も緩和され、諸侯が洋船を購入することも解禁される
要するに日本防衛のためにオラに力を貸して!ってことな訳で、但し洋式銃は除くとか片手落ちだ罠

ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある
自由購入と言っても、当然ながら運上所は通さないといけないし、更に長崎屋から買えという通達もあったらしい(同上)
他には、長州藩の両公伝史料に安政6年に1000丁のドンドル式ゲベール銃を購入した記述があるらしい、その年末には更に追加購入するために
非正規ルートの商人に見積頼んだ(が、高かったので話はお流れ)これの交渉しに行った家臣の報告書が残ってる
んでこれが幕府にバレて外国奉行の溝口直清にゴルァされたあと、改めて正規ルートでの購入を運上所に申請した(両公伝史料)
因みに当時の長州藩は公的にも内的にもまだ反幕府ではない

天保の改革に成功した藩は大体軍制改革も同時期に行っているので、少なくともそれらの藩はこの時期の洋式銃に手を出してると見て間違いないと思われ
あとは高島流砲術を取り入れた藩とか

894:名無し三等兵
12/08/23 18:42:24.14
> ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
> 維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある

これ意外とかなり重要な転換点じゃね?
おそらく薩摩が調子に乗って軍事力を強化し始めたのもこの法令が絡んでるのでは?

895:名無し三等兵
12/08/24 11:50:04.09
佐賀は1848年に火縄銃全廃→燐石ゲベール標準装備化したけど
これ幕府は黙認してたって事なの?

896:名無し三等兵
12/08/24 12:01:21.05
薩摩も1849年の演習でゲベール6個大隊を持ってるね

897:名無し三等兵
12/08/24 12:30:53.02 RaI7Rsn6
一部雄藩がすでに所有してたので
追認のためもあって洋式銃解禁
そのかわり、幕府に許可とるように、というお触れ・

898:名無し三等兵
12/08/24 13:16:57.25
軍備の刷新で先行してる幕府と雄藩はどこも最終的に海軍拡充へ行き着いてる

899:名無し三等兵
12/08/24 13:20:16.70
っていうか、結構まえから火打石式銃は日本に入ってきてるよ。
更新出来ないのは、諸藩の財政が参勤交代などで破綻してて
金がなかったり、火縄式より命中率が悪いと嫌われたり
したからじゃない?洋式装備に目を向ける流れとして
フェートン号事件や北方領土でのロシアとの国境紛争
→アヘン戦争での清の敗退
じゃないかなと思う


900:名無し三等兵
12/08/24 17:48:46.21
>>895-896
幕府を通しての洋式銃販売は許可したが、諸藩と諸外国の直接貿易は許可してないで。
大規模な密貿易は竹島事件みたいなリスクがあるし、調所広郷が密貿易の件で取調べられ自殺したのは1848年になる。

ぶっちゃけた話、佐賀と薩摩ならフリントロック式ゲベール銃を自分らで作ったか改造した可能性のが高いんじゃね?
フリントロック機構自体はかなり以前に入って来てて、平賀源内が応用してライター作ってた。
それに加えて1830年代後半には両藩とも高島流砲術を習得させるため藩士を送ってる。
当時の銃器の名称なんて定義が緩々だから余り当てにはできないし。
ま、傍証しかないんだがw

901:名無し三等兵
12/08/24 18:31:12.81
>>900
この辺によれば御用商人を通じて購入したとある。それから自家生産にシフトしたようだが。
長崎港警備の実質的な責任者であり、フェートン号事件のていたらくのあとだったこともあって、
佐賀藩が洋式武器を購入することについて現地は肯定的だったとのこと。

URLリンク(www.fsinet.or.jp)

薩摩については知らない。琉球経由で密貿易じゃね?


902:名無し三等兵
12/08/24 18:56:31.04
フェートン号ってこの時期からまた半世紀前のナポレオン戦争の頃の話だろ
当事者がほぼ居ないのに肯定的とかそういう雰囲気で決まるものなのか

903:名無し三等兵
12/08/24 18:57:48.62
フリントロック自体は信長に献上された記録もあるそうで
火縄銃が揃う頃には存在は知られてたんだよな

904:名無し三等兵
12/08/24 19:08:36.46
幕府は別に中央政府ではないので外様も一から十までお伺いをたてる事はしません

905:名無し三等兵
12/08/24 20:38:12.56
江戸時代の日本は中央集権国家じゃなくて
藩は独立国家みたいなものだった。

906:名無し三等兵
12/08/24 20:57:16.90
列強は小銃にあわせて歩兵操典を作成してるし、歩兵操典を輸入したらもれなく同様の小銃まで装備せざるを得ない
という事だと思う

907:名無し三等兵
12/08/24 23:05:33.15
火縄銃だと火縄が邪魔で戦列組み辛い
火種がないと撃てないし
火縄銃は大規模戦になればなるほど運用し難い物になっていった

908:名無し三等兵
12/08/24 23:24:24.04
フリントロックだって火花散らしてるんだから危なさでは大差無いような気もする
どっちかというと火縄銃は再装填時に事故る危険がありそう

909:名無し三等兵
12/08/25 08:52:04.23
不発のときの再装填は火縄が消えていれば暴発しないマッチロックのほうが事故りにくい

910:名無し三等兵
12/08/25 10:02:34.59
URLリンク(www.youtube.com)

911:名無し三等兵
12/08/25 10:19:53.86
発火が撃鉄によって一瞬で済むんだから
不発発生のリスク自体はフリントロックの方が断然低いでしょ

912:名無し三等兵
12/08/25 10:54:14.64
火縄銃は戦闘に備えてるときは常に火縄を点けたまま待機しておかないといけないので
火縄の消費量がバカにならなかったし、またうっかり消えないよう気をつけていないといけなかったそうな
その点、火打石なら発火するとき以外はあんま管理に気を使わなくていいので楽だね

913:名無し三等兵
12/08/25 11:22:03.64
線香銃ってのは無いのか

914:名無し三等兵
12/08/25 14:00:41.07
火縄といってもイベントとか十数センチの棒状の物を使ってるのもあるね、ある意味線香銃だ

915:名無し三等兵
12/08/25 14:13:43.20
>>913
線香は折れそうだ

916:名無し三等兵
12/08/25 15:25:35.27
>>901
この辺かな?
>長崎の武雄鍋島家の御用商人田中伝左衛門にオランダ軍艦見物中に見つけた燧石銃を五〇〇挺注文し同時に使用方法教練の為の
>オランダの軍人の招聘を依頼した。この時期の茂義からすれば武雄領独自で西洋銃陣の輸入を試みたのは万一漏洩した場合に藩に
>影響を及ばさない配慮とまだまだ強い佐賀藩保守層の干渉を避けるためであろう。

このあとこの密輸の件が、高島秋帆を下獄させた鳥居耀三の探索で幕府に露見しないかヒヤヒヤしてるな。よくやったもんだw

>>912
フリントロックも、火打石を火皿の蓋にぶつける構造なんで変形とかのチェックとメンテが大変だったらしい。
まぁ戦闘中も火縄の管理しなきゃいけないのに比べればマシなんてもんじゃないがw

917:名無し三等兵
12/08/25 15:28:54.10
薩摩だけ海外から技術取り入れまくりでずるい

918:名無し三等兵
12/08/25 18:37:14.74
>>913むしろ昭和時代には
線香を差し込んで引き金を引くとそれがぽきんと折れて
発射される線香ピストルというオモチャが存在した

919:名無し三等兵
12/08/25 22:43:27.01
>>916
大変だよな、角度とか
不発率スゲー高そうだがどうだったんだろう

920:名無し三等兵
12/08/26 13:33:41.61
しゃっばだっばどぅー!

921:名無し三等兵
12/08/26 15:37:44.34
>912
必ずしもそうではない。
フリントロックの火花は、千数百度にも及ぶ鉄片だったが、マッチロック(火縄銃)にも生火を長時間押し当てる利点がある。
湿度の高い地方では、マッチロックの方が有利な局面もあった訳だ。

ただしマッチロックやパッカーションロックなら、油布や油紙で要部を包める長所がある。
(銃口にはコルクや木栓を詰めた)
マッチロックではそうはいかない。
また燃えやすい帆や油を塗ったロープなどがある船上で、マッチロックは危険過ぎて使えないと言う事情もある。
地上であっても火の粉で暴発する可能性は高いし、戦列を密集させるのは難しかったろう。

922:名無し三等兵
12/08/26 17:27:05.93
マッチロック という単語を考えているうちに
フォスフォロックという危険極まりない着火機構を思いついたw

923:名無し三等兵
12/08/26 17:28:59.44
>>921
早盒と何か違うの?

924:名無し三等兵
12/08/26 17:35:40.55
火縄銃だと口薬というのも別に入れないといけないんだよな
更に面倒くさい

925:名無し三等兵
12/08/26 17:37:38.44
点火用の火薬が必要なのはフリントロックも同じだが

926:名無し三等兵
12/08/26 17:39:13.10
>>921
帆船時代の実際なんか知らんが
ホーンブロワーで不発対策で火縄用の人員が砲側に待機してたぞ

927:名無し三等兵
12/08/26 17:53:48.96
海賊ってしけっても大丈夫なように大量の火縄とピストル身に着けてなかったっけ

928:名無し三等兵
12/08/26 20:43:48.55
>>921
実際にはフリントロックの戦列よりも、マッチロックの戦列の方が密集していたけれど。
フリントロックの方が取り回しが容易だったので、両方を装備していた時期には、フリントロックは戦隊や大隊の両翼に配置される事が多かったと。

フランス軍(世界?)で初めてフリントロックマスケットのみで編成されたロワイヤル・フュジリエ連隊は、砲兵隊や砲兵輜重隊の護衛が任務でした。
火気厳禁ですから・・・
やがて「専門技術を持った民間人」だった当時の砲兵を差し置いて、ロワイヤル・フュジリエ連隊が完全に軍人からなる砲兵隊に。
なので、旧王政時代のフランス砲兵隊は歩兵連隊としての番号も持っていました。

929:名無し三等兵
12/08/26 21:51:16.61
そういえばカムイ伝とかで、火縄の匂いで鉄砲を察知してるのが多かったなあ。
まあ正規戦の場合だったら察知されてもそんなにたいした問題ではないけど。

930:名無し三等兵
12/08/27 07:53:08.70
>>929
北米大陸のフランス系入植者で編成されたラ・サール連隊のフリントロック化の時期が早かったのは、火繩の匂いが関係しているとの説も。
イギリス系やネイティブを相手に、奇襲や待ち伏せを多用していたので。

931:名無し三等兵
12/08/27 08:01:07.40
>>929
『七人の侍』の加東大介もお忘れ無く。

932:名無し三等兵
12/08/27 13:41:47.31
火縄ってどんな匂いがするわけ?
いっぺん嗅いでみたいな

933:名無し三等兵
12/08/27 16:15:10.50
花火に近い

934:名無し三等兵
12/08/27 18:06:58.65
近世スレで軍靴のバルツァーという漫画作品が話題になったのだけど、
こっちのスレで読んでいる人いますかね?


935:名無し三等兵
12/08/27 19:12:40.69
面白かったよ。

936:名無し三等兵
12/08/27 19:54:23.04
やっぱり男装した騎兵の女の子だな

937:名無し三等兵
12/08/27 20:01:09.99
しかし、逆でないか?
火縄云々が近世スレで取り扱うべきで
軍靴のバルバッツアがこっちjだろうに

938:名無し三等兵
12/08/27 20:17:37.03
近世スレの方でも軍靴のバルツァーは近世スレではなく19世紀後半スレの話題だという指摘がでてるよ

939:名無し三等兵
12/08/27 21:53:41.96
以前話題になってたからレンタルして読んだけど、フィクションじゃん。
別にこのスレで論じるほどの内容とは思えん。

940:名無し三等兵
12/08/27 22:05:27.45
>軍靴のバルツァー
設定以前に軍事もの漫画自体が貴重なのに
あの時代設定の軍事もの漫画だからね

初心者にわかりやすく作っているのが良い

941:名無し三等兵
12/08/27 22:19:01.65
そういえば男装の騎兵将校は実際にロシアにいたな

942:名無し三等兵
12/08/27 22:45:38.97
>>941
これですね。

「女騎兵の手記」
 ナジェージダ・A,ドゥーロワ
 新書館 1990/12
 
ナポレオン戦争にユサールとランサーで従軍。
戦間期に結婚した事を書いていないとか色々と問題が有るみたいだけど、本人の回想だから仕方が無いかと。
日本語で読める唯一の騎兵の回想録(騎士?を除く)。
因みに、表紙は岸田恋さん

943:名無し三等兵
12/08/28 08:41:27.53 QTSIva3t
ちとスレ違いの近世スレネタになってくるけど
ワーテルローでフランス軍の制服をきた女騎兵の死体があったとか
歴史群像だったかな? 以前なにかで目にしたおぼえがある。


944:名無し三等兵
12/08/28 11:38:24.16
>>943
読んだ事は有るけど、何に出ていたか・・・
話しの元はイギリス兵の回想だろうけど。
フランス軍の連隊には酒保女が従軍していたから、それが間違えられたのかも?
女性向けにアレンジした軍服もどきを着ている者も居たから。
(多くはユサール風のレース付き)
ただし、色々な形で他の女性の従軍も多かったけど。

ワーテルローには、親衛隊徒歩擲弾兵の妻で通称「石頭のマリー」と呼ばれた女性が従軍していた。
最後の3個の方陣にも加わり、降伏勧告に発砲で答えたと。

945:名無し三等兵
12/08/28 12:49:52.92
>>944
石投げつけて<○喰らえ!>と叫んだんじゃなかったですかね?

946:名無し三等兵
12/08/28 13:12:57.53
某イタリアの女傑を思い出した

947:名無し三等兵
12/08/28 13:15:07.56
>>945
それは、カンブロンヌ将軍かミシェル将軍。
てか、石投げてないし・・・
何処の悪ガキだw

948:名無し三等兵
12/08/28 13:19:05.36
近所の大理石あるいは石灰石で作った丸い砲弾に「球撃ちすぎるとキンタマ千切れる」と書いて発射

949:名無し三等兵
12/08/28 13:59:00.36
>>946
名前は知らないけど、子供を人質にして威されたら、スカートをめくって、
「子供なんぞ何時でも生めるんだよ!」
って言った人とか?


950:名無し三等兵
12/08/28 14:02:37.97
ここから生まれたんだよ!だっけ?
いくらでも生んでやる!だっけ?
なんかいろいろごっちゃになって

951:名無し三等兵
12/08/28 14:16:45.71
>>950
台詞は何パターンか有るみたいですね。
共通しているのは、スカートを捲くり上げた事w

952:名無し三等兵
12/08/28 16:58:48.38
スフォルツァの肝っ玉母ちゃんだな

953:名無し三等兵
12/08/28 19:21:27.03
>>943
アルバート・A・ノフィ著のそのものずばり『ワーテルロー戦役』って本にそういう描写がある。
まああのころはいろいろとおおらかで、女性も馬持ってて乗れれば気分しだいで騎兵に成りすませたんじゃなかろうか。

954:名無し三等兵
12/08/28 22:15:45.74
>>953
この邦訳って何故か創価学会が出版してるんだっけ?
何なんだろう。

955:名無し三等兵
12/08/28 23:35:00.80
>>954
大作せんせいがぁゃιぃナポレオンの末裔との交友を誇ってますからそのあたりの関係じゃ
ないですかね?

956:名無し三等兵
12/08/29 01:27:14.85
>>954
出版元のコイノニア社はキリスト教関係の出版社だよ?

957:名無し三等兵
12/08/29 05:56:56.92
次スレ
[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 05
スレリンク(army板)

古代中世スレ・近世スレを参考に、スレ一覧での検索キーワードと1の本文をいじってみた。
検索キーワードになる「幕末」の言葉はスレタイに残し、
スレタイを見るだけで一目でわかるように南北戦争・普仏戦争・西南戦争・日清戦争の文字を追加してみた。

958:名無し三等兵
12/08/29 09:08:44.09
19世紀の戦争といっても日清戦争じゃだいぶ様相が違うなあ。

959:名無し三等兵
12/08/29 09:22:26.94
確かにそうだが、日清から僅か十年後の日露は最早、陸海共に別次元の戦争だよな。

960:名無し三等兵
12/08/29 12:57:51.73
南北って南北朝を先に連想するな
時代見ればわかるんだけどさ


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