幕末(19世紀後半)の軍事全般4at ARMY
幕末(19世紀後半)の軍事全般4 - 暇つぶし2ch580:名無し三等兵
12/07/06 22:19:17.53
>>579
サンクス!髷とピッケルハウベに期待したんだがなぁ。
プロシア政府から派遣された将校とかがどーいう人か気になる

581:名無し三等兵
12/07/06 23:17:41.49
>580
鹿島出版会のお雇い外国人14巻『地方文化』の「和歌山藩におけるドイツ人」によると
カール・ケッペンCarl・Koeppen(oeはウムラウトなお同書ではカッペンと表記)が
主席教官だが政府からの公式の派遣ではなく、当時和歌山藩と取引していた
プロシア人武器商人が商品の後装銃の教官として売り込んだ退役軍人だったそうだ。
ただ、かなり有能な人物だったらしくて二年ほどの間にちゃんとしたドイツ式の
軍事教練、操銃法、火薬製法や兵器組立てを指導して成果をあげている。
また、西洋式軍隊には草鞋履きではなくてちゃんとした兵装が必要として
革職人を呼び寄せて軍靴、背嚢、弾薬盆や馬具を自給させて
最後には6人ほどの砲兵、騎兵、工兵や軍医教官をドイツから呼び寄せたが
明治政府が藩兵の廃止を決定していて、横浜に着いたとたんにキャンセル料払って解雇になって
ケッペン自身も帰国してしまった。
のちにプロイセン公使を乗せた軍艦ヘルタ号の乗員が和歌山を訪れた時
四個大隊の完璧な統率の兵舎ではベッドに寝て食事は牛肉を食べ頭髪が軍隊式に刈り込んだ
「純プロイセン式」紀州兵に驚いている。


582:名無し三等兵
12/07/07 00:09:05.64
>四個大隊の完璧な統率の兵舎ではベッドに寝て食事は牛肉を食べ頭髪が軍隊式に刈り込んだ
>「純プロイセン式」紀州兵に驚いている。

写真残ってねえかな…。スパイク帽被っててもおかしくないよな、この記述見てると

583:名無し三等兵
12/07/07 07:42:47.41
>>580
教官のケッペンは元将校では無く、元下士官だった筈。
まだ戦略を教えるレベルでは無かったから下士官で充分、と言うか適任だったのだろうね。
腕を振り膝を上げて走る習慣さえ無かった人間に身体作りから教えるのだから、正にドリルサージャントの出番かと。


>>582


584:名無し三等兵
12/07/07 08:03:35.91
途中で送信してしまった・・・

>>582
写真は何点か残ってますよ。
一番有名なのはケッペンを囲んで4名程で撮った写真。
武装はしていないけど、洋装の軍服を着ています。
春に山川から出版された「レンズが撮らえた幕末維新の志士たち」にも載っていた気が(立ち読みでうろ覚え)・・・
この写真集は「志士」と有るけれども、下級兵士の写真も載っていて、最初の1/4程は「幕末維新軍装写真集」状態w
写真自体に初出の物は無く他書でも見掛けるけど、キャプションで写っている銃の特定を試みたりと類書とは違うアプローチが有って面白いですよ。
未だ買って無いけどorz

585:名無し三等兵
12/07/07 10:36:14.97
紀州藩のプロイセン式調練って、明治に入ってからだから
短期間でしょ。確か家老が進めたんじゃないかな。
あと明治に入ってからドライゼ銃って藩レベルで輸入出来たの?

陸軍が最初フランス式だったのは、よく言われるのは当時の
陸軍大国だったからで、普仏戦争でプロイセンが勝ったら
急きょプロイセン式になった。あと幕府が伝習隊などで
フランスの軍事援助を受けてたから というのはどうなんだろう?

586:名無し三等兵
12/07/07 12:15:41.00
西南戦争では銃が足りなくて紀州の部隊にはドライゼ銃使わせてたってのは聞いたことあるな

587:名無し三等兵
12/07/09 09:05:42.02
>>577
陸軍においては英<仏、独だったからでは?
当時の世界最高の軍に範をとったらこうなったというだけかと

588:名無し三等兵
12/07/09 18:16:22.88
>>585
銃の輸入は藩兵時代までは出来ていたよ。

明治政府によるフランス式軍制は、フランス軍事顧問団の教練を受けた旧幕軍将校の影響が有ったと思う。
西南諸藩が「我が藩のイギリス式銃陣云々」と言ったところで、書物からの知識だから…
幕軍の一部はイギリス第20歩兵連隊の教練を受けていたけど。

589:名無し三等兵
12/07/09 23:50:49.15
明治初期の兵式論争では主に仏式と英式のどちらにするかが論争のポイントだったようだ
仏式が取り入れられた理由は軍事史学で読んだ竹本知行さんらの研究では

(1)仏式が徴兵制であること
(2)当時の運用マニュアル(訳本)では仏式のが訓練きつい
   (自然、屈強な素材が求められて武士階級専有ではなくなる)
(3)当時多くの藩が取り入れてたのがフランス式で馴染みがある
   (蘭式も多かったが中身は仏式とほぼ同じ)
(4)幕府の遺産(軍事顧問など)があったから
(5)当時のフランス式は先込め式の運用マニュアルで、英式は元込めの運用マニュアル
   英式のが優れていたけど、元込め銃に切り替えるにはコストの問題があった

時の兵部大輔の大村益次郎が主に(1)、(2)を理由に仏式を推進
暗殺された後も藩の多くが(3)、(5)を理由に仏式に望んだというのが論文の趣旨かな

プロイセン式はクラウゼヴィッツらが仏式(というかナポレオン)の研究して発展させたと聞いたから
仏式→プロイセン式の移行はある意味自然な感じかも

590:名無し三等兵
12/07/10 13:59:34.91
西南戦争時、官軍の主力銃はスナイドル銃だったが
ボクサーカートリッジは全部輸入だったのかな?
それとも国産もあったの?

591:名無し三等兵
12/07/10 21:32:03.94
大阪で作ってたけど弾丸の消費に生産が追いつかなくてその分を輸入、
のち生産設備を強化して供給の流れだったかと

592:名無し三等兵
12/07/11 03:10:47.53
輸入だと船便だし、当時のカートリッジだと、どうしても湿気るからね。
可能なら国内で作った方が良い。

593:名無し三等兵
12/07/12 07:48:11.01
西南戦争の発端となった政府による武器弾薬庫の徴発がスナイドルの弾薬製造設備のことだと、ウィキペディアには
載ってるね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)西南戦争#.E8.B5.A4.E9.BE.8D.E4.B8.B8.E3.81.A8.E5.BC.BE.E8.96.AC.E6.8E.A0.E5.A5.AA.E4.BA.8B.E4.BB.B6

594:名無し三等兵
12/07/12 20:18:14.14
幕末最強の藩はやっぱり佐賀藩?

595:名無し三等兵
12/07/12 23:03:12.53
>>594
投入された主戦場が秋田戦線ですからね、相手は佐幕最強庄内藩でしたし

596:名無し三等兵
12/07/13 00:57:29.12
佐賀藩って装備は最強レベルだと素直におもうけど、戊辰戦争での地味さと佐賀の乱のあっけなさもあって
なんか強いってイメージが湧かない

597:名無し三等兵
12/07/13 02:12:12.78
装備ばかり語られがちだけど高島秋帆の歩兵運用研究から30年間
自分達で翻訳やらなんやら試行錯誤してた頃の話が聞きたい

598:名無し三等兵
12/07/13 15:47:07.60
佐賀藩の軍制は初め蘭式で後で英式か

599:名無し三等兵
12/07/14 22:17:42.09 KdEd/5Zd
秋帆先生の西洋流を最初に導入したのは佐賀藩だぬ

600:名無し三等兵
12/07/15 02:53:32.63
600

601:名無し三等兵
12/07/15 15:39:56.29
全 国 諸 藩 の 鉄 砲 戦 力
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)
小銃総数順1幕府2山口3鹿児島4和歌山5金沢
後装銃数順1幕府2山口3和歌山4佐賀5鹿児島

602:名無し三等兵
12/07/15 22:53:05.51
>>601
なんで幕府負けたの? って言いたくなるな
トップがダメだからか
ダメというか、戦う気がないというか

603:名無し三等兵
12/07/15 23:23:01.21
トップの徳川慶喜からして「たとえ朝敵と呼ばれようと勝つ」という気概や覚悟がないんだもの

604:名無し三等兵
12/07/15 23:23:04.78
先制を許したこと、
部隊指揮官を片っ端から狙撃されたこと、
突撃を強行したこと。

605:名無し三等兵
12/07/15 23:30:19.49
それ間違いだらけなのに誰も修正論文出してくれないんだよな

606:名無し三等兵
12/07/16 00:05:59.24
>>605
君が書き込めばいいと思うよ。

607:名無し三等兵
12/07/16 00:11:25.90
幕府側は慢性的な財政赤字を抱えており、体制維持が困難な状況にあった。
加えて水戸藩など、一部が幕府側でありながら、倒幕に動く利敵行為があった。
トップに強権を発動させてまで、やり抜こうとする気概がなかった。

関ヶ原の合戦や、大坂の陣に見られるように、負ける側は戦う前から負けているもんだ。

608:名無し三等兵
12/07/16 00:52:22.49
司馬遼太郎の本によるとおよそ読書階級(士族以上)で尊王思想のない者はいなかったということらしいけど
「朝敵」と呼ばれるのは死ぬより怖かったんだろうか?
水戸藩なんかはそんな感じだが

609:名無し三等兵
12/07/16 01:18:43.70
徳川慶喜は水戸藩出身で尊王論者だから朝敵になった時点で戦意喪失したのはしょうがない

610:名無し三等兵
12/07/16 09:52:20.70
>>601は前装か後装であるか、しか書いていないのか

長州は前装でも、ミニエー式で殻がライフリングに食い込ませるように変形させるタイプだな
幕府の前装銃の大半が火縄銃+フリント式ばっかりだったら射程を考えて装備にならない

611:名無し三等兵
12/07/16 11:14:58.89
火縄式はありだと思うがフリントロックはどうだろう?
ゲベール銃と言われるのは、殆ど雷管式滑腔銃みたいだし


612:名無し三等兵
12/07/16 13:03:28.31
意識というか仮想敵の違いで変わるだろ
列強に対抗しようと思ってる西南諸藩は火縄銃では話にならないとして売却したし
国内戦ならとりあえず火縄銃でもそう問題ないとしてた所もある

613:名無し三等兵
12/07/16 14:11:30.97
弾込めが素早いのが後装式
だが射程も重要で、そのためのライフル銃である

弾込めだけ早くても、レボルバーの銃筒だけ1mにしたものを幕末のどっかの藩に持って来られても
ふざけんなと追い返されただろうw

614:名無し三等兵
12/07/16 15:32:39.85
>>610
とはいえ幕府歩兵隊や奥詰銃兵隊はミニエーが標準装備だから
主力に関して言えばそう見劣りするもんじゃないんだよなぁ
やっぱ士気や戦術の問題か・・・

615:名無し三等兵
12/07/16 19:00:24.90
ホント陸軍も海軍も宝の持ち腐れだったな

616:名無し三等兵
12/07/16 20:59:30.57
幕藩体制といっても所詮封建制。
親藩や譜代が寝返っちゃえばどうしようもない。
日本人の付和雷同気質にも問題あると思う。

617:名無し三等兵
12/07/16 21:04:44.68
幕府側で会津をけしかけて手の汚れる仕事やらしてた松平春嶽が新政府側ででかい顔してんだもの

618:名無し三等兵
12/07/16 22:49:43.84
>>616
第二次長州攻めの敗北が響いてますね
赤備え井伊家もあれで見限りましたから

619:名無し三等兵
12/07/17 22:37:11.22
大政奉還で政治的な大勝利と思ったら鳥羽伏見で軍事的に全部ひっくり返されたからな

620:名無し三等兵
12/07/18 08:19:52.99
身もふたもない話だが、玉を取られた時点でつんでいたともいえる。

621:名無し三等兵
12/07/19 02:49:35.93
幕府が銃の射程その他について諸藩に説明した上で戦わせていたら?

ゲベールや火縄銃でミニエやスナイドルに突っ込む連中はいなかった筈だが、
「ミニエを多く備えただけの外様藩を先頭に優遇その後戦功で俸禄を与えるなどとはけしからん」みたいな議論で紛糾していたかなあと

結局藩の格みたいなもんで軍を編成することになる
そして射程の短い銃装備の藩がやっつけられたり寝返ったり

622:名無し三等兵
12/07/19 05:34:23.39
理屈は理解できても訓練がないとどうにもならないんじゃないかねえ

623:名無し三等兵
12/07/19 08:53:52.00
621は、いつの話をしてるんだ?幕府は第二次長州征伐の時
薩摩藩が長州藩に援助したエンフィールド銃で痛い目を見て
1861年からオランダ製のミニエー銃と仏式教練を導入してる。
スナイドル銃は倒幕軍でも本当に少数で、9割以上はミニエー銃
あとスナイドル銃など後装銃の弱みは、薬莢(薬包)と銃がセットなこと
ぶっちゃけ口径が合えば火縄銃の弾でもエンフィールド銃は撃てるが
スナイドル銃やドライゼ銃は、それ専用の弾を用意しないと使えない。

624:名無し三等兵
12/07/19 10:02:18.31
>>623
>621は、いつの話をしてるんだ?幕府は第二次長州征伐の時
>薩摩藩が長州藩に援助したエンフィールド銃で痛い目を見て
>1861年からオランダ製のミニエー銃と仏式教練を導入してる。

お前こそ前後関係がおかしくないか?
第二次征長は何年何だ

625:名無し三等兵
12/07/19 11:06:01.48
申し訳ないです(汗)第二次長州征伐は1866年でした。
そこで痛い目を見た幕府が伝習隊を立ち上げでした。

626:名無し三等兵
12/07/19 15:29:21.30
近世総合スレ復活のお知らせ

近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代5
スレリンク(army板)

627:名無し三等兵
12/07/19 15:43:22.39
>>626
地理的時間的範囲が広過ぎないか?
近世っていつ始まるの?ルネッサンスから?

628:名無し三等兵
12/07/19 16:35:21.50
>>627
>概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
>国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
>だいたい西暦1400年~1850年ぐらいまで

ここの19世紀後半軍事全般スレと古代・中世総合スレの間を埋めるスレみたい

629:名無し三等兵
12/07/20 03:08:28.00
URLリンク(www7a.biglobe.ne.jp)
幕府軍が負けたのはどうも装備がどうこういう問題ではないような

630:名無し三等兵
12/07/20 03:25:21.30
野口武彦の中公新書だと幕府軍は素人の集まりでどうしようもないw

631:名無し三等兵
12/07/20 04:57:34.70
>>630
まあ役人気質だったって言うよね

でも疑問ちゃあ疑問なんだけど、じゃあ薩摩や長州だって時代的には平治な頃だった訳だよな
毎日が戦国時代並の生き様だった訳でも無いだろ
人間としての兵士ではどう質が違ったんだろうね?

632:名無し三等兵
12/07/20 06:23:21.62
>>629
幕府「自分らが行けば逃げるだろう」

新撰組ら「あいつら本気で撃ってきた!我々も反撃を!」だが鳥羽伏見までは新撰組は刀槍メイン

「じゃあ幕府が最新式銃を」でもそれまでに散開していた薩長に2方向から撃たれまくってボロクソ
幕府軍お前らは洋式訓練と称して行進しか練習しとらんのかwww

初日に被害が大きかったから幕府「明日から本気出す」

2日目確かに一進一退くらいになったぞ?

薩長「錦の御旗をもつのは我々じゃ!」

諸藩連合のうち幾つか「じゃあ幕府見捨てた」

その後も戦術レベルで裏掻かれまくったと

長州が第二次長州征伐でミニエの長射程で幕府軍を圧倒したから
幕府も対抗して同様のライフル+装填容易なのは用意していた

だが、その頃には薩長とも、上官にそれら長射程ライフルを生かした戦術をどう行うかを教育していたが
幕府の士官クラスはそれをどう有効に使うかさっぱり分かっていなかったと

クリミア戦争でも、ライフル銃を使った戦争をどうやって良いか分からず混乱する現場、という描写があったような

633:名無し三等兵
12/07/20 13:07:45.79
>>631
『いやなお客は鍋島薩摩いつも夜泊まり七つ立』

参勤交代で島津家や鍋島家は金払いが悪くて町人に揶揄されてたけど
当の本人達は大まじめに大名行列は軍事演習という原理主義を貫いていただけの話だったりするわけで
なんのかんの言って300年間で培われたものの差が出たという結論も否定できんよ

634:名無し三等兵
12/07/20 14:37:21.61
>>631
薩摩や長州の中堅幹部は実戦経験があるし指揮官として育っている。

635:名無し三等兵
12/07/20 14:39:11.19
>>632
>クリミア戦争でも、ライフル銃を使った戦争をどうやって良いか分からず混乱する現場

アメリカ南北戦争でもライフル導入当初は突撃して大損害というのがあったね。

636:名無し三等兵
12/07/20 15:42:26.05
このスレじゃ今更だが、幕府が負けたのって確実に装備の差じゃないよな?
直接的には近代国家のように自由自在に操れる軍隊(幕府歩兵?)の絶対数が足りない上で
中世ヨーロッパでいうと傭兵的のように主人を簡単に変える軍閥(大名)の私兵を当てにしすぎたことが原因かな?
更にいえば軍制改革を徹底させずに、官僚制の弊害を最悪な形で露呈したことかな?

637:名無し三等兵
12/07/20 17:37:52.23
旗本八万騎なんて言っててもほんとに何の役にも立ってないしなあ

638:名無し三等兵
12/07/20 17:53:57.07
>>637
役に立ってないどころかなにかと足を引っ張る存在ですね
イェ二チェリにしろ満洲八旗にしろ形骸化してただ声だけ大きい無駄飯くらいに
堕ちてますからね

639:名無し三等兵
12/07/20 17:55:55.26
実戦経験もなく偉そうにしてれば邪魔になるのも当然だな

640:名無し三等兵
12/07/20 18:12:17.99
>>637
>旗本・御家人
維新後も、政府の官吏として大量に再雇用されているところを考えると、書類仕事にゃ滅法強かったみたいだけれどねぇ

641:名無し三等兵
12/07/20 18:47:08.41
>>640
まあそりゃあ戦争しなけりゃするのは書類仕事だよな…
文武をバランスよくやらせるのは難しいよなあ。
と言ってどっちかだけの専門集団を養うのは必要性が無ければ金がかかる

642:名無し三等兵
12/07/20 19:03:51.43
>>640
事務仕事なら使える奴もそれなりの数いた、ってことだろ
ただし旗本御家人の大半は無役の内職職人wだったわけで
貧乏だから学問修練できないし、学も芸もがないから官途はなくて貧乏で、の負のスパイラルw


643:名無し三等兵
12/07/20 20:12:50.66
旗本御家人の貧窮化は江戸開府早々30年の家光の頃くらいから既に起きてるようだね。


644:名無し三等兵
12/07/20 20:16:32.96
そりゃあ人数に比較して役職が少ないから。

645:名無し三等兵
12/07/20 20:53:37.13
>>642
静岡の兵学校で再教育しようとしたら雅楽頭を<がらくかしら>と読んだ奴がいた
とかありましたね

646:名無し三等兵
12/07/20 21:19:52.52
>>645
ニホンゴムツカシイですねー

当時の武士の教育水準的に、間違えてるけど一応読めてるだけ評価すべきかとw
うたのかみなんて音でも訓でも読めネ~よw
よくある官名兼人名だけどな~w


647:名無し三等兵
12/07/20 23:50:54.47 XrMi4rfL
酒井家という例があるので、武士で雅楽頭を読めないのはやはり恥ずかしいんじゃなかろうか
むっちゃ武張ってたとか強力無双を誇ってたとかでもなければ。

648:名無し三等兵
12/07/21 13:16:05.26
>>647
天皇階下と堂々と書いた桐野利秋の無双さにはかないませんがな

649:名無し三等兵
12/07/21 14:50:53.55
今じゃ「陛」という字はその使い方しかされないが、
元はと言えば「陛」も「階」も「段々」のことで大した違いはない。

650:名無し三等兵
12/07/21 20:19:33.64
>>648
桐野は通説ほどバカじゃなかったって説も浮上してるけどな
まあ当時の武士の手紙なんて宛て字どころか誤字脱字のオンパレードだったわけで
日本語自体未確定だったとも言えるし
まあそれにしてもちょっと、ってところではあるがw

651:名無し三等兵
12/07/21 20:29:57.62
西郷さんが「~でごわす」って言うイメージはあれ鹿児島弁じゃないんだよ
あれでも本人は標準語を話しているつもりなんだよ

652:名無し三等兵
12/07/21 20:59:37.34
>>650
(ママ)だらけだよな、原文だと。
そういうのが統一された、煩く言われる様になるのは戦後の文部省によってじゃないのか?

653:名無し三等兵
12/07/21 21:10:26.78
>>652
旧軍はめちゃくちゃうるさいっすよ

654:名無し三等兵
12/07/21 21:17:00.51
>>653
そら役所だし

655:名無し三等兵
12/07/21 22:32:59.75
>>653
軍人勅諭を一箇所読み間違えて自決した将校とかいたそうですね

656:名無し三等兵
12/07/21 23:06:24.59
>>655
陸軍は完全に諳んじてることが将校の義務だったからな
とちったならともかく、読み間違えたら立場上まずいかもしれない
よっぽど重要な席でもない限り、死ぬまでのことではないと思うが…

657:名無し三等兵
12/07/21 23:27:03.45
>>656
後宮淳大将の子息の後宮二郎少尉で昭和11年11月に拳銃で自決したそうです
原因は前日の二年兵除隊式での読み間違いとも維新運動に関わった先輩の逮捕への
抗議とも言われてますね

658:名無し三等兵
12/07/22 17:19:09.35
さすがに読み間違いで自決は考えにくいと思うが

659:名無し三等兵
12/07/22 18:52:09.56
>>650
文書なんて読めて意味が通じればいいんだよ!!(自分が昔かいた意味不明な手書きメモを見返しつつ)

660:名無し三等兵
12/07/23 00:31:24.95
江戸時代の読書階級だと四書五経は基礎教養、最低漢文が読めないと肩身が狭かったらしいからなあ


661:名無し三等兵
12/07/23 00:38:48.73
筆談で中国の商人と交渉する役人とか時代劇でまま出て来るしな
中国語、ハングル、蘭語、ロシア語とか結構出来る奴多かったのかもな

662:名無し三等兵
12/07/23 01:14:31.21
>>660
てゆ~か寺子屋の初等過程がまず論語の素読だったりする
当然わけわかめでも、なんかわかった気分になるまで繰り返し読まされるというスパルタだったとかw
公文書が怪しい日本語漢文だから、ある程度漢文読めなきゃ社会的には話しにならんのだけどね
知識人や高級武士なら、四書五経に主要史書、ついでに近思録ぐらいは読んでないとって状況だろうね


663:名無し三等兵
12/07/23 11:18:49.44
暗記型の詰め込み教育は江戸期からの伝統ですなw
意味はさっぱりわからんけど、とりあえず暗唱しとけって覚え方だから
学問としてはあまり役に立たないという・・・


664:名無し三等兵
12/07/23 11:41:46.32
そういえば映画とかで論語の素読シーンで
子のたまわく、って言ってた作品がいくつかあったけど、今はいわくって言うよね。
いつごろからこうなったんだろう。

665:名無し三等兵
12/07/23 12:19:08.39
子のたうちまわく

666:名無し三等兵
12/07/23 12:29:46.08
そのせいで中国史は詳しいけれど、自国日本の歴史はよく知らないという・・・。
江戸後期に出て広く読まれた通史、頼山陽の日本外史も関ヶ原の戦いまでで終わってるし。
幕末当時は「鎖国は神代の昔に取り決められ続いていた祖法である」と、ほとんどの日本人が信じていたらしいのだが
これが「鎖国=徳川家が始めた」という知識が広範に知れ渡っていたら攘夷運動もずいぶん形が違っていただろうな。


667:名無し三等兵
12/07/23 13:09:33.77
>>664
し、のたまわくが戦前は多かったそうですが、江戸時代の論語古訓正文という本では
イワクとルビがふってあるらしく、実際両方使っていたんじゃないですかね?
>>666
水戸藩の大日本史も一部は江戸期にも刊行されてるみたいですが幕末期はどれくらい影響
を与えてますかね?

668:名無し三等兵
12/07/23 18:49:14.07
>>666
攘夷の心情ってのは生活環境の激変への防衛反応みたいなもんだから、その辺の正確な情報があってもなにも変わらんよ
正貨の大量流出と対応の貨幣改鋳で物価が激変し、測ったように疫病も大流行し、だから

孝明帝がまあアレだったのは別問題だしw
てか帝の知的水準があれすぎるのは(ry

669:名無し三等兵
12/07/27 19:47:07.93 dT2jLNV3
>>666

>これが「鎖国=徳川家が始めた」という知識が広範に知れ渡っていたら攘夷運動もずいぶん形が違っていただろうな。

対外交易の国家による統制って意味なら
中央集権体制が機能してるかぎり、どの時代でも行われてたんじゃないかい?

670:名無し三等兵
12/07/27 20:37:27.91
軍師教育機関として知られる足利学校は、明治初年まで存続してたそうだね

671:名無し三等兵
12/07/29 07:56:11.87
関連スレ
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
スレリンク(army板:1番)

672:名無し三等兵
12/07/29 08:18:43.27
べつに頭がおかしい人たちのスレとは関連してねーし

673:名無し三等兵
12/07/30 12:18:34.20
youtubeによく上げられてる古式銃砲の再現も鎧兜に火縄銃、と戦国時代の砲術の復興版でおもろくない。
やっぱりズボンに陣笠と前装式ライフルと銃剣による密集陣形とナポレオン戦争ばりの統制の取れた
幕府歩兵隊を再現してくれないとw


674:名無し三等兵
12/07/30 12:40:50.03
やっても一般受けしないからやらないんじゃない?
ちぐはぐだしさ、負けた側だしさ、活躍期間も短いし。

675:名無し三等兵
12/07/30 12:53:46.21
欧米だとそれは楽しそうに色んな軍隊の再現やってるのにねー。
武器なんかもしっかり手入れされてるし、当時の弾薬もマニア向けに生産してるし

676:名無し三等兵
12/07/30 13:59:19.71
そう、負けた南部でも軍装揃えたり鉄砲撃ったり、
青銅砲の空砲を撃ったりもしてるよね。
何々戦の記念日とかいって年に何度もそういうお祭りが出来るらしいね。

677:名無し三等兵
12/07/30 16:44:37.39
フロックコートにちょんまげというイカレたスタイルこそ
幕末という混沌とした時代を象徴するに相応しい

678:名無し三等兵
12/07/30 18:21:38.96
そして腰帯に大小の日本刀をぶち込んでるのがまたいいよね。

679:名無し三等兵
12/07/31 01:43:22.98
会津若松の記念館を見た限り、刀も意外に小型化してたけどね……どちらかと言えば、長脇差しくらいに。
流石に鉄砲に弾薬にと抱えて走る中で、メッタに使わない刀まで立派な物を運んではいられなかったんだろ。

680:名無し三等兵
12/07/31 01:54:58.56
地元の藩の再現はやってもよそからの援軍の再現までする気にはなれんだろ
新撰組とかはなぜか人気あるが

681:名無し三等兵
12/07/31 03:18:47.18
>>676
旧南軍の方がそういうのが好きそう。
ワーテルローも、今ではフランスの方が愛着を持ってそうだし。

682:名無し三等兵
12/07/31 07:41:13.32
>>679
支給品の歩兵刀は長脇差し位の長さだったね。
仏式砲兵の伝習では、真っ先に刀を外せと言われたと。

683:名無し三等兵
12/07/31 08:10:11.66
ただ結局西南戦争で薩摩の切り込み対策に
刀メインの警視部隊を動員せざるを得なかったという……。
かなり接近されると当時の銃砲だと厳しかろう。

今でもそこまで接近されると銃剣での戦いになったりするようだけども。

684:名無し三等兵
12/07/31 08:54:05.83
思えば刀をなまじ捨てられなかったことが旧軍の夜襲白兵戦法に繋がったんだな

685:名無し三等兵
12/07/31 12:22:21.81
砲撃や空爆で相手の兵站線をたたいて弱らせ、さらに
火力をぶつけて相手の突撃を破砕する戦法の米軍とは相性最悪だったね。

あと日露戦争でも刀と柔術が活躍してしまったので、
それが成功体験になって太平洋戦争でもやってしまった。
ついでにいうと大陸でも中国兵相手には刀はそこそこ意味があった。
もっとも刀持ってると指揮官と思われてモーゼルで狙撃されたりしていたようだけどね。


686:名無し三等兵
12/07/31 12:38:18.33
みんなビンボが悪いんや。

687:名無し三等兵
12/07/31 14:18:36.07
>>683
当初、薩摩の切り込み隊には狙撃隊(スナイパーでは無く、マークスマンやシャープシューターの方)で対応して効果も有ったけど、
損害を補充する時に当初のレベルの兵士を必要数確保出来ず、結局は抜刀隊を編成したと。


688:名無し三等兵
12/07/31 14:32:29.86
農民兵というか兵たちが抜刀隊にビビリまくったのでしょうがない面があった
どうやっても最後は白兵戦だからなぁ(兵力が持てば)

689:名無し三等兵
12/07/31 15:48:35.42
>>687
その三者は米軍の狙撃兵の練度によるクラス分けだって他で読んだけど、
違うの?

690:名無し三等兵
12/07/31 16:25:07.90
日本軍の頑迷さの象徴と言われる白兵戦と刀剣装備だけど世界的にもそう異質なものではない。
第一次大戦までは日本軍と同様サーベルは騎兵の正式装備だったし、白兵戦重視も実は日露戦争のロシア軍の
白兵戦猛攻に範をとったもので、日本刀信仰由来の思考ではない。そもそもボルトアクションライフルに銃剣は必須だし。
それに日中戦争以降で純兵器的な意味で刀剣を使ってたのは騎兵科しかない。後は士官の玩具だった。
>>685が指摘してる日中戦争の刀剣の使用例だけど、これはパニックになった敗残兵の追跡とか中国式城郭の門の下(狭い)
とか使用場所が結構限定されている。

691:名無し三等兵
12/07/31 16:54:14.39
玩具って。随分重い玩具だな。
下士官がゴボウ剣を無くすとエライことだったらしいが、士官が軍刀をなくしたら‥‥。

692:名無し三等兵
12/07/31 18:13:12.99
ピストル・スコップ・軍刀・銃剣
さあ近接戦で強いのはどれだ

693:名無し三等兵
12/07/31 18:23:18.48
手りゅう弾

694:名無し三等兵
12/07/31 18:33:19.88
円匙最強

695:名無し三等兵
12/07/31 18:58:08.25
ピッケルハウベで頭突き

696:名無し三等兵
12/07/31 19:25:12.55
>>691
士官の軍刀って、「天皇陛下からお預かりしたもの」
じゃなくて私物(階級や個人の趣味に合わせて自前のカネで買ってきた)でしょう。
だから無くしても大したことにはならんですよ。

697:名無し三等兵
12/07/31 19:37:10.52
>>689
ネット検索によると
スナイパーは「遠距離狙撃を行う」「専用の狙撃銃を使う」
マークスマンは「中距離射撃を行う」「通常小銃の中で精度が良い物を使う」
らしいですよ。

URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
URLリンク(dic.pixiv.net)

698:名無し三等兵
12/07/31 19:54:08.46
>>689
現代アメリカ軍の事は判らないけど、このスレ前後の時代だと、

マークスマンは、中隊内の射撃成績の良い者から選抜。
一斉射撃とは別に目標を指示され(或は各自の判断で)精密射撃を行いました。
狙撃兵とは違い単独行動は基本的には無しで、スコープ発明後も特に支給されず。
WW2のアメリカ軍では分隊内で1名を指名していて、末期には可能なら狙撃銃を支給する様にと(日独の重機対策らしいです)。

シャープシューターは、腕の良い射手位の意味で、自称他称どちらも有り。
個人を指すだけでは無く、南北戦争中のベルダンズシャープシューターズ(射撃の腕前による入隊基準有り)の様に部隊に付けられたり、
イエガー、ボルテジュール、ティラユールの英訳として使われる事も。
イギリス軍のライフ連隊(旅団)も、この括りに入れられる様です。

英語だけど米英で意味が微妙に違ったり、時代によっても変化していて…
誤解を与える様な例えをして、すみませんでした。

699:名無し三等兵
12/07/31 19:59:58.39
シャープス銃を使う人のことと思ったw

700:名無し三等兵
12/07/31 20:44:16.69
>>699
いやいや鋭いw
南北戦争中、この手の選抜射手には元込め式ライフルが優先的に支給される事が多く、
先のベルダンズシャープシューターズには当初シャープスライフルが支給されていました。
後にはスペンサーカービンも支給されたらしいですが…精密射撃に向くのかな?

701:名無し三等兵
12/07/31 21:04:11.97
永田鉄山は船に乗ってるときに軍刀をボチャンしたらしいけどあの通り出世した

702:名無し三等兵
12/07/31 21:51:29.39
>>701
どこの誤爆だ?
軍刀は私物だから敵に奪われたりでもしない限りどう扱ってもお咎めはなしだろ
まあそんな士道不覚悟だから勤務中に斬殺とか無様晒すんだろうが

703:名無し三等兵
12/08/01 00:54:41.10
>>691読めよ

704:名無し三等兵
12/08/01 01:39:03.39
軍刀といえば、幕府歩兵隊だかの本で幕府に徴用された町人が銃剣を支給された途端に
腰に差して町を練り歩き、武士に取り立てられたと称して強請りなどの事件を方々で起こしたという事件が
印象に残った。

705:名無し三等兵
12/08/01 02:43:43.11
>>702の真剣白刃取りに期待

706:名無し三等兵
12/08/01 06:04:36.91
>>701
おかげであらしが治まったそうだからな

707:名無し三等兵
12/08/01 07:29:16.06
>>690
もちろんその通り。
あとは敵に突撃する際に軍刀を振りかざして部下と一緒に突入するとかね。
銃剣突撃をするなら士官は軍刀を使う。
中国兵はそれだけでパニックになって逃げまどうからそこを背後から切りつけたりとかね。

しかしまぁ米軍に対しては練度の問題からか、
しゃにむに正面から長い距離を走って突撃しようとした例が結構あって、
それで突撃を破砕されてしまった例はあるね。

708:名無し三等兵
12/08/01 08:03:10.42
戦いの間合いを知らないと気合も空回りだ

709:名無し三等兵
12/08/01 08:16:16.32
>>690
最後は白兵戦だろうけど、サーベルより銃剣の方が有利だったのかな?
ソケット式銃剣が実用化された17世紀末から第一次大戦の頃まで、前線で尉官クラスはサーベル以外に着剣したマスケット銃を持つ事も多かったから気になる。
擲弾兵中隊では将校用の正規の武器として支給される事も。
多くの者はは弾薬盒が無しだったり、着けても小型の物だったりするから、白兵戦用だと思うけど。


710:名無し三等兵
12/08/01 08:29:44.30
銃剣はリーチが長い

711:名無し三等兵
12/08/01 09:07:40.58
旧軍のサーベルは実用として使えないこともないけど普通は指揮用に使う。
白兵戦は勿論、銃剣のほうがリーチも長く強い。刀とスコップならスコップのほうが強い。
繰り返しになるけど、刀を純粋な意味で兵器として使ってたのは騎兵科。
騎兵科は将校だけでなく末端の兵卒まで帯刀を許可されていた。理由は騎兵突撃の際のメインウェポンだったため。
右手に刀、左手に拳銃の日本軍将校の姿は絵になるけど、ライフルを公式で持たせなかったのは痛かったな~

712:名無し三等兵
12/08/01 09:27:21.51
まぁライフルにしておくべきだったなとは思うね。
米軍のように将校や下士官がライフルだったり、あるいは
支援火器を持ってるほうが意味はあったなとは思う。

713:名無し三等兵
12/08/01 09:57:47.63
その場合短い騎銃かな?

714:名無し三等兵
12/08/01 15:00:45.20
2chだとスコップ最強ってものすごく振り回されるけど
そんなにスコップ最強って証言あるか?
旧軍だと山本七平がスコップは最高だ、角度とか
って言ってたのぐらいしか覚えがない

715:名無し三等兵
12/08/01 15:29:01.16
>>710澤はドリブルがうまい

716:名無し三等兵
12/08/01 16:06:52.36
別に銃火器に比べて最強ってわけじゃないけど刀やサーベルよりは確実に強い。
第一次大戦のドイツの突撃隊が「武器」としてスコップを携帯してたという実績もある

717:名無し三等兵
12/08/01 16:10:31.13
というより近接先頭が多かった塹壕戦で歩兵が塹壕構築用にほとんど持っていたスコップが使いやすかったという話

718:名無し三等兵
12/08/01 17:01:55.42
レマルクの「西部戦線異状なし」でも
銃剣は往々抜けなくなってモタモタしているうちに自分が別の銃剣を食らったりするが、
スコップはそういうことがないって書いているよ。
あれ、特に刃をつけるとかしてないのかな、手斧として燃料を得るのに使わせる目的で。

719:名無し三等兵
12/08/01 17:08:25.70
>>714
そりゃあピストルやら切り詰めた散弾銃があればいうことないだろうけど普通の歩兵は持ってないからねえ

720:名無し三等兵
12/08/01 18:07:17.45
>>710
>>711
リーチの長さが決定的なんですね。
時代によっては、将校の証である長柄武器を手放してまで銃剣+マスケットを装備した位だから、余程使い勝手が良かったのでしょうね。

>>707
薩軍の抜刀隊は可能な限り地形を利用して接敵したというのに・・・
田原坂では道の両側の林を利用したと。

721:名無し三等兵
12/08/01 18:50:14.90
>>718>あれ、特に刃をつけるとかしてないのかな

硬いところばかりを突いていたら先が鈍くなってくるんだろうが、

適度にめり込む土や砂や砂利を突き続けたスコップは、先端がむしろ研がれてくる

722:名無し三等兵
12/08/01 19:45:47.84
今週の土日に、浜松町で『ブラックホール』が開催されるから、そこでアヴァロンの試合を見てみ。
がむしゃらな白兵戦では、リーチが短くとも、回転の早い小剣の方が、意外に強いのが分かるから。

723:名無し三等兵
12/08/01 20:49:49.76
ところで幕末の銃剣ってリング式?それとも銃口につけるソケット式?

724:名無し三等兵
12/08/01 20:52:28.48
>>723
銃も銃剣も手当たり次第に買ってるんで、ほとんどありとあらゆる形式のが

725:名無し三等兵
12/08/01 21:22:11.13
国内で銃剣を作ろうとした鍛冶屋っていなかったのかな

726:名無し三等兵
12/08/01 22:18:41.81
>>711
ライフルを公式で持たせなかったってどこの国の話だ?
九九式で統合されるまで、歩兵銃と並行して騎銃が制式化されてるだろうが
日本軍の騎兵なんて基本騎乗歩兵な竜騎兵が主流だろうに

727:名無し三等兵
12/08/01 22:21:05.70
>>726
騎兵に持たせなかったという話では無く、将校に持たせなかったという話でしょ

728:アヴァロンのスコップ
12/08/02 00:58:13.19
三八式歩兵銃は長くて重いが、騎銃は軽くて命中率もさほど変わらぬと、司馬氏も三八式歩兵銃は絶賛してたな。
実は結構な数が作られ、外地の警察や輜重の護身用にと、大活躍してたりするのがこれ。
ドイツの98kみたいに、全て騎銃にしても良かったんじゃないかとの意見もあった。
ただし重さについては、実は諸外国の小銃と大差なかったりする……三八式歩兵銃。

それと、サーベルと銃剣を腰に下げるのは邪魔だと、銃剣一体型の四四式騎銃も作られましたな。
銃剣を伸ばすと、弾道がそちらにズレて命中率が下がるそうだが、それって着剣すればどの銃も一緒では?

729:名無し三等兵
12/08/02 01:06:13.25
まあだいぶスレタイから離れてるからほどほどにな

730:名無し三等兵
12/08/02 02:06:36.28
しゃぐまとか、赤い陣羽織って目立たね?
あと怖い。

731:名無し三等兵
12/08/02 04:46:41.49
>>726
刀「も」武器として使ってたよって意味じゃね?

732:名無し三等兵
12/08/02 04:47:28.08
>>730
まだ当時はカモフラージュして狙われにくくするという概念がなくて、
どちらかというと指揮官も目立たねばみたいなとこあったからね。

733:名無し三等兵
12/08/02 04:50:21.23
第一次世界大戦でこんな軍服着せてるフランスさんの悪口はやめろ!
URLリンク(store.shopping.yahoo.co.jp)

734:名無し三等兵
12/08/02 11:19:06.32
>>718
下手に先の尖ったスコップ持ち歩いていると、捕虜になったとき、「コイツ、スコップで残虐プレイしたな!!」と、敵の
報復受ける恐れがあったため(それだけ、スコップは恐ろしい武器だったんだろうナァ)、あえて鈍らせる兵士が多かっ
たとか聞くな。

735:名無し三等兵
12/08/02 15:35:00.59
>>733
心なしかやるせない顔してますねw

736:名無し三等兵
12/08/02 16:38:44.99
この兵種ってナポレオン戦争の頃はでかい白い帽子を被ってた連中だろ?

737:名無し三等兵
12/08/02 16:48:59.81
ちなみに1914→1915で急激に進化している
URLリンク(www.landships.freeservers.com)

738:名無し三等兵
12/08/02 18:00:03.83
>>736
騎馬猟兵で白いカルパック(背の低い毛皮帽)はラッパ手や軍楽隊で、一般の将兵はシャコー(筒形軍帽)だったかと。

>>737
その気になってもホリゾンブルー・・・
外人部隊や植民地兵はカーキにしたのに、本国兵は青にこだわりたかったんだね。

739:名無し三等兵
12/08/02 18:30:30.14
長州軍は第二次長州征伐のときに派手な敵の指揮官を狙撃しまくって「指揮官目立つべからず」ってのを流行させた張本人なのに
なぜ自分たちは指揮官に目立つ格好をするのか?

740:名無し三等兵
12/08/02 20:20:09.33
>>739
指揮旗や指揮刀の振り方で指揮を取っていたから、指揮官を見失なわない様にする為では?
後、横隊とか隊形を組む時に指揮の位置は決まっていたから、目立つ方が兵が自分の定位置を見つけ安いし。
同じ理由で鼓手やラッパ手も目立つ服装だったよ。
(当時の欧米での一般論なので、長州がそうだったのかは判らないけど、少なくとも幕府軍は一般兵とは違う配色の服を支給していた)



741:名無し三等兵
12/08/03 07:20:00.36
>>715
これってよく見るけど何が面白いの?

742:名無し三等兵
12/08/03 08:44:50.98
面白いかどうかは問題ではない
澤に対するリスペクトだ

743:名無し三等兵
12/08/03 09:48:13.03
近代日本陸軍は長州征伐時の巧妙な持久ゲリラ戦による勝利から始まったといっても過言ではないのに
なぜああなった…

744:名無し三等兵
12/08/03 10:04:29.88
>>743
始まっていません。

745:名無し三等兵
12/08/03 10:35:23.90
>>743
フランスやプロイセンから形だけ学んだから。

746:名無し三等兵
12/08/03 15:31:34.88
>>743
大村益次郎が死ぬのが早すぎた

747:名無し三等兵
12/08/03 20:44:36.22
長州征伐の記録が戦史に反映されてればよかったのにね。
官軍(=薩長兵)の戦いといえば錦の御旗掲げて大行進するイメージしか形成できなかったのが
失敗だったのかも知れない

748:名無し三等兵
12/08/03 21:30:24.02
浸透戦術とかはゲリラ戦に近いとこがあるが

749:名無し三等兵
12/08/03 21:45:13.89
いやぜんぜん違うだろ

750:名無し三等兵
12/08/03 21:45:56.74
やる気のない徴兵制度になったところで無理だったんだろう

つか奇兵隊解体したしな
なんだかんだで武士以外信用してなかったのか

751:名無し三等兵
12/08/03 23:09:00.87
>>749
少人数で警備の手薄な地点を急襲というのは同じでしょ

752:名無し三等兵
12/08/04 00:15:40.79
浸透戦術は突破の一形態であってゲリラ戦とは違うでしょう

753:名無し三等兵
12/08/04 01:14:30.10
>>751
お前全然なにもわかってないのね

754:名無し三等兵
12/08/04 08:34:54.17
>>673
毎年、東京都板橋区高島平で行われる祭りでは
西洋流火 術鉄砲隊保存会による銃隊演武が見れるよ。号令すらもすべてオランダ語で演舞している。

755:名無し三等兵
12/08/04 10:22:05.73
>>751
手薄なところを急襲した後の行動がぜんぜん違う。
なぜなら、目的が違うから。
ゲリラは手薄なところをチクっと刺して逃げる。またチクっと刺して逃げる。あくまで嫌がらせ。
浸透戦術は手薄なところをチクッと刺して、刺したことによる混乱を利用してさらに浸透してチクっと刺して、最終的には敵の司令部を潰して敗北させる。


756:名無し三等兵
12/08/04 10:23:42.39
>西洋流火術鉄砲隊保存会
なにそれ入会したい

757:名無し三等兵
12/08/04 10:40:10.35
>>754
>東京都板橋区高島平
欧州の兵術を取り入れての日本で初めての銃兵・砲兵・騎兵の総合演習が行われたことを記念して
『高島平』という名前を付けたぐらいの場所だからな


758:名無し三等兵
12/08/04 10:46:05.37
>>743
+          +  。
 *  、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,    
  _-'"         `;ミ、     
 _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ   
 >ミ/         'γ、` ミ 
 了| "~`、  "~"`   {,',; ;} 多勢や包囲を受けている状況だけで我々に勝機ないとは言えません!
 "7 `⌒`   ⌒   }ミ:. { 兵を散開させて山森に兵を伏せ、侍大将を狙撃したり後方をかく乱するなどして
  '|   /       レリ* 幕府側諸侯の足並みが崩れるのを気長に待ちましょう!
+  i  (       }ィ'   
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 |∪< ∵∵   3 ∵> 
  \       ⌒ ノ
    \_____/





759:名無し三等兵
12/08/04 10:50:58.03
>>743
>>757の高島秋帆が幕府に軍の近代化を訴える「天保上書」という意見書を提出し
1841年(天保12年)、徳川幕府許可のもとで武州徳丸ヶ原(現東京都板橋区高島平)で行った公開軍事演習が始まりです。

760:名無し三等兵
12/08/04 10:57:40.61
正規軍同士の戦いは、使用する歩兵操典(どこの国のものを翻訳したのかなど)によって戦い方は違う。
味方が劣勢であれば軽歩兵や民兵を中心にした散兵・ゲリラ戦を用いる場合もある。
ライフル銃が主流になった以降の歩兵操典を翻訳して活用すれば、正規軍同士も戦列歩兵ではなく散兵戦が基本になる。
>>758みたいな単純な話ではないわな

761:名無し三等兵
12/08/04 15:17:12.19
フランス軍事顧問団が幕府歩兵に伝習したのは、軽歩兵と徒歩猟兵の操典だったね。

762:名無し三等兵
12/08/04 20:59:08.98
>>755
似た要素があると言っただけで同じものだなんて言ってないんだが

763:名無し三等兵
12/08/04 22:23:36.70
>>725
幕府歩兵用に真鍮でこさえたという話は<幕府歩兵隊>に出てたような
背嚢なんかも製作してたそうで徳川慶喜もまいらんどせる持ってたそうですね

764:名無し三等兵
12/08/04 22:28:43.60
>>763
あれは元史料の読み間違えと思われる。
幕府歩兵隊に支給されたのは、拵えが真鍮の脇差で、銃剣とは別。

765:名無し三等兵
12/08/04 22:29:04.07
>>765何で鋼で作らなかったのかな

766:名無し三等兵
12/08/04 23:57:44.37
>>765
刀身は普通に鋼だよ。
短期間に格安で数を揃えるため、面倒な柄巻きとかを省略して、金属の打ち出しで作るの。
帝国陸軍の軍刀も、下士官用のものは柄が金属製。

767:名無し三等兵
12/08/05 08:18:56.25
火花を出しちゃいけない所の道具は真鍮でつくったりするな

768:名無し三等兵
12/08/05 09:03:43.99
>>761
幕府歩兵隊にはフランスからシャスポー銃を提供されていたからな


769:名無し三等兵
12/08/05 09:27:24.94
>>767
それを言ったら銃のバンドは・・・

770:名無し三等兵
12/08/05 22:06:31.65
>>754
銃刀法の関係で演武で使うのは火縄銃で、ゲベールやミニエー
じゃないのが残念だなあ

771:名無し三等兵
12/08/06 08:50:10.22
コルト ゲーベルメント

772:名無し三等兵
12/08/06 10:46:03.94 i8ZT3cZK
来年の大河ドラマ「八重野櫻」は幕末銃器てんこもりだそうで楽しみ。
すでに茨城のワープステーションには撮影用の鶴ヶ城攻防戦の陣地が
構築されているそうな

773:名無し三等兵
12/08/06 13:00:11.41
坂の上の雲のときみたいに、ちゃんと軍事史学会の軍事考証を入れてほしいな

774:名無し三等兵
12/08/06 14:29:04.96
幕府側の一隊が丸い球を詰めているところで
新政府軍のライフル弾が

発射されてからライフル回転して来るところまでマニアックにスローで写してから

幕府側の一隊に襲い掛かりかなりの数が打ち倒され生き残りが「畜生隣の藩のようにミニエを準備しないのが悪いんじゃ!」
とかのシーンが

775:名無し三等兵
12/08/06 17:24:50.30
鶴ヶ城からやんのかー
板垣や伊地知は出てくるのかね。なぜか長州藩が主力になってなきゃいいがw

776:名無し三等兵
12/08/06 19:31:19.57 p4Nm+33w
>>774
ミニエ持って押し寄せてくる幕府軍を
スペンサーで狩りまくったのがヤエちゃんなわけだが・・

777:名無し三等兵
12/08/06 19:34:01.70 p4Nm+33w
× 幕府軍
○ 政府軍

778:名無し三等兵
12/08/06 19:58:26.99
しかし、幕末の戦いは恐ろしいほど佐幕側があっさりやられまくりだからなぁ
鳥羽伏見とか東北戦争とか、空から見たらどんな風に両軍が動いてたんだろうな
佐幕側は前線の部隊が薩長軍に打ち崩されたのを見て、まともに戦わずして撤退した部隊が多そうな気がする

779:名無し三等兵
12/08/06 20:12:11.81
もう大政奉還しちゃったから幕府軍ですらないし従う道理もなかったような

780:名無し三等兵
12/08/06 20:28:34.52
北越では善戦しているのにね。


781:名無し三等兵
12/08/06 20:28:41.12 p4Nm+33w
>>779
法律論に限定するなら
行政権や立法権を返還しても、武家の棟梁たる征夷大将軍って地位は生きてるんだろ?

正規軍の高位指揮官がクーデターおこして、臨時政府を率いていた
で、国王に行政権を返還して新政府樹立を求めた
タイあたりじゃ、よくある話だよな

国王なり、新政府の首相なりが、将軍を解任しない限り
軍の統帥権は将軍に帰するんじゃないかい?

782:名無し三等兵
12/08/06 20:53:23.11
いやその場合でも征夷大将軍の持っている軍の指揮権は国王などの最高権力者からの委任だから
反乱を起こした時点で無効でしょ
それに王政復古の時点で正式に将軍職も失ってるし

783:名無し三等兵
12/08/06 21:02:43.14
結局は玉を押さえている勢力に正当性では敵わないと。

784:名無し三等兵
12/08/06 21:04:15.32
正当性が怪しいのは鳥羽伏見の時点じゃ薩長方だって同じだろう

785:名無し三等兵
12/08/06 21:10:19.75 p4Nm+33w
>>782
鳥羽伏見戦争の11日前に、徳川家に当面の行政権を預ける旨の告諭を出してるじゃん

786:名無し三等兵
12/08/06 21:21:50.78
>>785
それは正式な地位じゃないしあくまでも天皇が上ってのは変わらないから
朝敵認定された時点で失効でしょ

787:名無し三等兵
12/08/06 21:32:14.65 p4Nm+33w
>>786
天皇が上ってのは幕藩体制でもおなじだったわけで
公的な朝敵認定(徳川討伐の勅令発布)がなされたのはいつ?
すくなくとも鳥羽伏見の段階では、薩長が勝手に錦旗を掲げてただけだよね
倒幕側内部からですら、薩長の私闘に錦旗を掲げるなって声がでてるくらいなんだから

788:名無し三等兵
12/08/06 23:35:32.33
慶喜追討令が出たのは鳥羽伏見の戦いの4日後だけど
鳥羽伏見の戦いの翌日に嘉彰親王が征討大将軍に任命されて新政府軍が正式に官軍になる錦旗を掲げたのもこの日

789:名無し三等兵
12/08/07 03:26:00.26
>>783
朝廷の支持や正当性だけで戦局が左右されるなら、
第2次長州征伐で長州は徹底抗戦できないだろうし、
一度討ち入り宣言して天皇に承認得た慶喜も撤回なんて出来ないだろう

790:名無し三等兵
12/08/07 08:48:15.58
>>741
前装式の扱い辛さは異常

791:名無し三等兵
12/08/07 11:45:18.05
>>780
北越ってか、長岡藩+桑名脱藩組と河井継之介だな
そういえば日光の大鳥も善戦してた

>>787
小松宮に錦旗と節刀を下賜して征討大将軍に任じたのは(名目的に)朝廷だから、さすがにその理論は無理だっぺ
あくまで薩摩と徳川家の私闘で押し通せるなら、佐幕派の容堂公は参戦する必要なんてなかったし
緒戦での敗退が拙かったね

792:名無し三等兵
12/08/07 14:22:56.38
ライフル銃、後装銃を早期から導入させる

外国人教官に軍事教練をしてもらう、つまり退役軍人を大枚はたいて雇い入れる

購入した兵器や、軍事教練で得た知識を実戦でどう使うかを考慮する。その時の作戦会議でも外国人を加え諸外国の事情も聞く
_________________________________________________________________________

結局グラバーその他の外国人がこの際にガッポガッポガッポ儲かったわけねw
でも日本人が賢くて案外早く戦争を終結させたからグラバー商会も数年後に破産した

793:名無し三等兵
12/08/07 14:27:25.32
それ以上に諸般が借金踏み倒しやがった

794:名無し三等兵
12/08/07 14:40:27.50
>>790
いやいやグレネードランチャーとか普通に使ってるし、
エンフィールドだって即改良してスナイドルに出来る。
ていうか、ミニエーですら第二次長州征伐では大活躍したんだよ。
ヤーゲル銃なんか白虎隊のショタの色気ムンムンだし、ゲーベルも銃剣が付けられる。

795:名無し三等兵
12/08/07 15:03:05.08
>>792
外国人武官による教練は慶応の改革で幕府陸軍がやってた罠
後装銃の使用は諸説あるが、おそらく使ってたんじゃないかなナポレオン三世からの寄贈品
無かったとしても薩長と同程度の装備だが
つまり幕府陸軍は鳥羽伏見の時点で当時の日本としては最先端の教育を受けて最先端の装備を持っていた
この最精鋭部隊が6,000~7,000ぐらい鳥羽伏見に参戦してたが、これだけで薩長の軍約5,000を上回るわけで
既になんで負けたのか不思議なレベル

796:名無し三等兵
12/08/07 15:09:44.47
用兵と戦術の差としか

797:名無し三等兵
12/08/07 15:13:28.21
コンパクトでない財貨である米を税収の単位としそれを流通させて利益を得る仕組みの幕府としては
戦闘の火災により大阪の米を失うことは許されなかった

米でなく金で納めさせる方式に変えたのは当然だったな

798:名無し三等兵
12/08/07 15:26:19.82
>>795
鳥羽伏見に参加した幕府の純洋式部隊は、6,000~7,000もいなかったのでは?
第11と第12連隊は、どちらも1個大隊編制だった筈だし。


799:名無し三等兵
12/08/07 16:06:44.84
鳥羽伏見の戦いが始まったのが夕方だから薩長に不意をつかれ
そのまま体制を立て直す時間もなく終了してしまったんでは

800:名無し三等兵
12/08/07 16:09:36.63
その翌日は結構持ちこたえたんだが、

そこで錦の御旗を出して諸藩が流れたのがなあw

801:名無し三等兵
12/08/07 16:59:47.15
>>794
>ゲーベルも銃剣が付けられる。
それくらいしか長所ないんかい!

802:名無し三等兵
12/08/07 17:28:44.42
ガトリングって無敵の兵器みたいなイメージあるけど
ディスカバリーの再現みたけど一機だけじゃ全然使えねーな。
頭数そろえて陣地を構築した上で十字砲火とかできなきゃ小銃小隊の人数を増やした
ほうが機動的にマシなレベル

803:名無し三等兵
12/08/07 17:35:20.34
鳥羽伏見の幕府方の配置がいまいちよくわからぬ。

1月3日の軍配書と称して、以下の戦闘序列はよく見る。(幕府直轄以外は省略)
・鳥羽(竹中重固):第5連隊主力(1個大隊)、伝習第1大隊主力
・伏見(城和泉守):第12連隊主力(1個大隊)、第7連隊の1個大隊、伝習第1大隊一部、新撰組
・二条城:第1連隊、見廻組
・伏見大仏=欣浄寺:第4連隊
・黒谷=大文字山の西:第11連隊
・大阪城:1個大隊
URLリンク(www.geocities.jp)

でも、これって竹中が伏見でなく鳥羽にいたり、見廻組が二条城にいたり、
実戦経過からするとなんか変だよね?
途中で迎撃を受けず、この場所まで移動した後に包囲攻撃するっていう紙上プラン?

>>795
外国人教官の教練を受けた伝習隊は、鳥羽伏見には1個大隊しか出てないはず。
ほかは江戸に残ってる。

804:名無し三等兵
12/08/07 18:38:15.33
>>799
鳥羽伏見での幕府軍の損害といっても280程度だしね
負傷者や落伍者を別としても1000には届かないはず
鳥羽伏見は確かに幕府軍の敗北ではあるけど、決定的敗北とは言いがたいと思う

805:名無し三等兵
12/08/07 19:06:33.75
>>804
それって士分以外の損害も含んでるのかな?

806:名無し三等兵
12/08/07 19:39:38.27
>>804
政治的に見たら決定的敗北だと思う。
朝敵認定されたし…

807:名無し三等兵
12/08/07 19:48:56.57
>>805
そこがよく分からん
野口武彦「鳥羽伏見の戦い」によると、戦場となった鳥羽街道のいくつかの場所では
幕兵の死体が一面に広がってた、という報告が取り上げられてるが、
4日程の戦闘で全部の損害が280にしてはそんな状況にはならないような気がしたり

>>806
慶喜の大坂敗走後はまさにその通り
ただ、慶喜が大坂城で踏みとどまる決心をしていたとしても、
控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあったろうな、という意味で
もちろん歴史にifを持ち込むのは不毛なんだけども・・・

808:名無し三等兵
12/08/07 20:15:37.59
>>807
>控置されていた奥詰銃隊等を加えて未だ十二分に薩長軍を叩ける戦力はあった

頭数だけでは戦力にならなかったのだ。

809:名無し三等兵
12/08/07 20:21:17.31
まぁ幕府側に本気で薩長と全面戦争する姿勢が明らかに足りなかったからねぇ・・・
本気になったら・・・というのは想定してみたいけれどもまさにif話なわけで

810:名無し三等兵
12/08/07 20:33:05.86
戦費がないから

811:名無し三等兵
12/08/07 20:34:12.71
戦費なんて、それこそ勝てさえすればどうとでもなることじゃね

812:名無し三等兵
12/08/07 20:51:26.84
>>803
伏見街道から侵入して、京都の中を抜けて包囲網を敷こうって虫の良い作戦?

813:名無し三等兵
12/08/07 20:52:00.57
>>810
戦費は新政府こそ無い。

814:名無し三等兵
12/08/07 20:53:51.87
>>812
包囲というのは作戦(戦術)としては有効だが、被包囲側(薩摩長州)が黙ってされるがままという
旧幕府側の想定がおかしかった。

815:名無し三等兵
12/08/07 21:03:04.95
>>798
いまちょうど、永倉新八の新撰組顛末記を読んでたんだが、
それによるとフランス伝習隊は300くらいしかいなかったらしい。
分散配置されてたか、純粋な洋式部隊は実は少なかったとか?

まぁ一個人が見た戦場だから全体の配置はわからないんだとおもうけど。

816:名無し三等兵
12/08/07 21:05:27.98
>>799
これも永倉新八の著作によるんだが、
新撰組が見聞きした範囲では、こちらの橋に数百、
あちらに数百みたいな感じで少人数が幅広く展開してたみたい。

それもたとえば佐々木只三郎が300の兵を率いてきたから
こちらは大丈夫だろうみたいなノリで部隊移動させちゃったりね。
それも洋式部隊や、銃が少ない部隊、銃が多い部隊もごちゃまぜ状態。

おそらく薄く広く分散したところにまとまった薩長軍が突貫してきて
総崩れになったんじゃないかねぇ。

817:名無し三等兵
12/08/07 21:06:03.93 xP4Brolx
戦術として、鳥羽伏見や淀あたりで勝利を収める可能性はあったにせよ
あの時点で薩長と本気で衝突なんかしたら、「新政府内に有力な地位を確保する」という、戦略目標がかえって遠のくわな
勝てても、勝っちゃいかん戦いだったんだよ

818:名無し三等兵
12/08/07 21:14:09.02
>>811
そしていつの間にか北海道がフランスに租借されているんですね

819:名無し三等兵
12/08/07 21:18:06.95
西郷はわざと一か所道をあけて幕府軍が退却しやすいようにしたようだけどな。

820:名無し三等兵
12/08/07 21:20:49.52
TBSの歌謡曲!で久しぶりに小室哲也を見た

821:名無し三等兵
12/08/07 21:45:05.63
>>798
野口武彦の鳥羽伏見の戦いでの兵力推計がそれなりに辻褄合ってると思うんだが、
それによると江戸で留守番してるのが1,650、鳥羽伏見の軍配表に載ってる部隊が6,000ぐらい
~7,000としたのは俺のかなり適当な記憶力のせいなので俺のせいじゃなかったらいいな。

>>797
江戸時代は複式簿記が未発達(萌芽はあった)だったので、商業活動から効率的に税金を取り立てるのが難しかったという
誰かの論文か会計サイトか何かで読んだことがあるのを思い出した。
効率的ではなくても、田沼意次のような手法で金納させることは不可能ではなかったけど。
だから明治期の抜本的な税制改革とそれを元に国家財政を編む時は、井上馨と一緒に一方ならぬ苦労をしたってのにそれをアイツ(大隈)らはryとか何とか渋沢栄一が言ってた。

822:名無し三等兵
12/08/07 22:47:55.96
>>817
幕府軍が戦闘に勝利していれば土佐・越前・尾張は
薩長主導の朝廷軍から兵を退いた可能性はかなり高かった
鳥羽伏見戦闘初日は戦闘状態になったことでむしろ新政府内では薩長側が追い詰められてた

823:名無し三等兵
12/08/07 22:53:58.06
>>817
その戦略目標自体は旧幕府軍の大坂進発で既に破れかけてる訳で。
だから春嶽の意を受けた中根雪江は、何とか旧幕府軍を止めようと大坂に走ってた。
鳥羽伏見でぶつかった後は、戦闘に勝利して薩摩を京から追い落とすしか選択肢はないっしょ。
進発しないなら、大坂から圧力掛けつつ春嶽と容堂を援護して新政府内での枢要な地位を確保って政略は当然ながら大アリ。

>>807
なんぼ大坂の後詰が残ってるっつっても、そもそも鳥羽伏見へ慶喜が育て上げた最良の部隊を送り出してる訳で。
薩摩を討て討てと威勢よく幕府陸軍の精鋭を連れてっといて何であっという間に大坂まで敗走してんの?そんな有様で決戦したら勝てるって言えんの?って慶喜がキレたとしても仕方ないと思う。
あと戦死よりもおそらく装備の喪失の方が痛いと思われ。
特に橋本の戦いの後は、新政府軍が旧幕府軍の遺棄装備分捕り祭り開催してるし。それでも決戦できない程ではないし、西郷隆盛も大坂攻めする気満々だったみたいだけど。
暫く頑張れば紀州藩軍も来るしね。ただ大村益次郎と長州藩軍の本隊も東上中で、鳥羽伏見の頃には既に備中備後辺りで活動してたから……大坂決戦を見てみたくなかったと言えば嘘になるなぁw

824:名無し三等兵
12/08/07 23:42:08.17
>>801全く同じパターンだwww

825:名無し三等兵
12/08/08 01:08:50.85
天下の徳川家がたった1万5千の兵を破られたぐらいでと思っちゃうけどね

826:名無し三等兵
12/08/08 03:01:33.79
鳥羽伏見の戦いは無防備に突っ込んで敗走のきっかけをつくった大目付が一番敗戦責任があるわな

827:名無し三等兵
12/08/08 03:09:38.87
三倍する敵を戦術と錬度の高さで粉砕し決定的勝利ってどっかの漫画みたいな展開だ

828:名無し三等兵
12/08/08 10:20:58.21
>>826
そういう個人的な問題より旧幕府が京都を包囲するという構想に対して
新政府が反撃するという敵の行動可能性を無視しているのが大きいかと。

829:名無し三等兵
12/08/08 11:01:00.33
>>828
単に「路上を移動していただけ」みたいなもんだからね。
先兵も立てずに・・・堂々とした行軍の積もりだったのかな?


830:名無し三等兵
12/08/08 11:12:40.83
>>829
旧幕府側は圧倒的戦力を見せ付ければ抵抗はしないという判断だったのでしょう。
一方新政府は包囲されれば終わりという後が無い状態でしたし、それを確実に認識していたと思われます。

831:名無し三等兵
12/08/08 11:18:05.83
関が原の後に毛利が大阪城に立てこもって勝利する可能性と
鳥羽伏見の後に慶喜が大阪城に立てこもって勝利する可能性
どちらが高いだろ。

832:名無し三等兵
12/08/08 11:40:58.69
>>827
10倍以上の敵が四方から迫ってくるのを撃退、
なんて展開を漫画でやったらチートすぎありえないと叩かれるだろうな

833:名無し三等兵
12/08/08 13:18:12.26
>>831
1月4日の夜に大阪城に着き、城を見て廻った軍事顧問団のメッスロー中尉は、
「なぜ、ここを捨てて江戸へ逃げて行くのか」
「ここへ私の教えて置いた一大隊を私に預ければ、どんな者が来ても驚かない」
と、言ったと。
『陸軍創設史』より
歩兵、しかも徒歩猟兵の見立てだから、どの程度適切な指摘なのかは不明だけど・・・

>>832
つ第一次イタリア戦役、ガルダ湖畔の戦い
流石に10倍では無いけどw

834:名無し三等兵
12/08/08 15:36:56.71
>>803
軍配書の通りに京都包囲までしても、その後総攻撃するかは別問題だったんじゃないかな
幕府軍が圧力をかけつつ、慶喜が上京し、佐幕派参議達と連携しつつ、
辞官納地問題や江戸での浪士による襲撃事件や薩摩屋敷焼き討ち事件の処理を
自身が交渉で決着つけようとしたんじゃなかろうかと思えてくる

835:名無し三等兵
12/08/08 16:38:39.59
>>834
京都包囲が完成したら旧幕府の勝利は戦闘しないでも間違いないだろうし、
新政府もそう判断していたようだしね。

836:名無し三等兵
12/08/08 16:48:42.46
軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか

>>825
号して10万だか15万だかの大軍で攻め込んだら、4路で0勝3敗1分け食らって完敗した事例が直近に
慶応の軍制改革で兵を精選した慶喜の方向性は正しいと思う

>>831
大坂で戦うにしても篭城は無理だろう。
淀藩や津藩みたいな裏切りが城内で発生したら\(^o^)/
あと、援軍に来る旧幕府軍より篭城してる幕府陸軍の方が数も多いし間違いなく強い罠
庄内や長岡も強兵だが、長岡は藩が小さいから数が少ないし庄内はこの頃まだ近代化してないんだよな

837:名無し三等兵
12/08/08 17:04:14.01
>>836
>軍配書では二条城組とか先発する予定なのに、何で本隊と一緒に進発してんだろうか

包囲計画自体が泥縄なので一線部隊はいろいろと遅延が生じたのでは?



838:名無し三等兵
12/08/08 17:49:33.46
>>836
庄内藩の軍事改革は第2次征長戦での幕府軍の敗戦を見て従来の長沼流軍学を棄て、藩士藩卒一様に「総鉄砲」を命じ藩軍を銃砲隊に統一
民兵隊の創設、新徴組や一部旧幕府歩兵の召抱えを行う
藤沢周平の海坂藩もモデルは庄内藩で映画でも色々近代化路線に苦労する様子が描写されてましたね

839:名無し三等兵
12/08/08 17:53:02.38
>>837
その軍配書自体が「致命的なまでに拙劣な軍配書」とまで言われてるから・・・


840:名無し三等兵
12/08/08 18:50:26.27
いまいち京都の地理を理解してないんだが、
事前移動しようにも二条城へ部隊移動なんてできるの?
二条城って京都の市街地だよね?

841:名無し三等兵
12/08/08 19:13:19.43
>>838
品川五番台場に配置されていた庄内藩兵は、安政三年には洋式銃隊化されていたけれど、藩地では長沼流と洋式が半々だったらしいね。
台場の兵は筒袖裁着の半洋式軍装、新徴組は慶応三年の時点でも羽織り袴の和装にマスケット銃。

慶応四年に、藩士、藩卒、農民、町人を身分別に58個小隊、合計約4200名の洋式銃隊に。
その他、若干の砲隊が。
やる気満々だ。

842:名無し三等兵
12/08/08 20:25:04.86 6oqIxm8u
>>840
市街地ったって、市街化されてるのはせいぜい4キロ四方くらいで
あとは街道筋以外は葱畑だべ

843:名無し三等兵
12/08/08 21:34:31.34
>>840
2列縦隊なら行ける。
ただ敵の攻撃には弱いがw

844:名無し三等兵
12/08/08 23:08:15.28
>>839原因はこれか!

845:名無し三等兵
12/08/08 23:13:40.09
>>844
いや、大軍を見せ付ければ攻撃はしてこないだろうという慢心。

846:名無し三等兵
12/08/08 23:20:09.02
大軍って言っても15000人でしょ言うほど大きな兵力差はないよ

847:名無し三等兵
12/08/08 23:26:04.34
旧幕府はそう思ってたみたいだ。

848:名無し三等兵
12/08/09 06:22:05.14
>>845
それが軍配書にも反映されているのかもね

849:名無し三等兵
12/08/09 09:10:53.53
士気と指揮の差じゃね?

850:名無し三等兵
12/08/09 10:10:31.50
指揮についてはなぜ第二次長州征伐の失敗から学ばなかったのか……

851:名無し三等兵
12/08/09 11:28:47.37 ERvUA5Ct
>>845
応仁の乱みたいに、禁裏含めた市中を戦場にしちゃマズいってのは双方が暗黙に了解してたようだし
ガン飛ばし合って、「表にでろや!」って体制じゃないのか?

852:名無し三等兵
12/08/09 11:58:51.33
>>851
先生、蛤御門の変
ついでにその追撃戦で残党炙り出すために放火して市中は大火に

853:名無し三等兵
12/08/09 12:01:02.78
幕府軍が戦闘なしに京都へ入れるであろうと判断していたのは明らかに慢心だけども、
王政復古クーデターのときは同じこと薩長軍もやってたしなぁ
あの時慶喜が断固阻止に動かなかった時点で、鳥羽伏見序盤の情勢への伏線は出来てたと言える

854:名無し三等兵
12/08/09 14:40:39.42 ERvUA5Ct
>>852
いや、だから市中での戦闘はマズいって話になったんだろ
あんな程度の小競り合いで大騒ぎになっちゃったんだから

855:名無し三等兵
12/08/09 15:01:59.95
日本の木と紙の家では、近代以降の大火力戦では瞬時に全焼してしまう

只でさえ江戸の大火に悩まされてきた幕府にとって、火事を出すというのは庶民に対する幕府の信頼を
失ってしまうことであり、幕府の存亡にも関わっていた

856:名無し三等兵
12/08/09 15:21:46.73
>>849
司令官クラスの指揮に問題があるような気がする。
個々の戦闘では兵力が1000人を越えてるのに死傷率が全体の5%くらい
で部隊が崩壊していたり、逆に30%位の死傷率を出しても部隊が維持されて
いたり…。

857:名無し三等兵
12/08/09 15:56:58.18 ERvUA5Ct
>>856
問題って以前に
そもそも、指揮も指導もしてないからな

858:名無し三等兵
12/08/09 16:07:02.23
>>854
軍配書通りに洛中包囲した場合でも、討薩表で薩摩が退去しなければ実力行使するしか無い訳で
いくら限りなく慢心しまくってたとはいえ、その程度の覚悟はしてたのでは

859:名無し三等兵
12/08/09 17:10:36.44 ERvUA5Ct
>>858
許容出来る損失と期待できる成果を列挙し
それに基づく
明確な企図と目標、判断基準に基づく行動指針の明示

これが軍指揮官が表すべき「覚悟」だわな

860:名無し三等兵
12/08/09 20:08:52.02
兵を動かした以上交戦の可能性をまったく考えなかったわけはあるまい一応包囲の動きを見せてるしな

861:名無し三等兵
12/08/09 20:33:06.22
>>855
一方、薩摩や長州は積極的に火をつけて回ったという非道

862:名無し三等兵
12/08/09 21:04:26.45
禁門において戦闘後も執拗に無関係の家屋を焼いたのは会津や新撰組だけだよ
慶喜は戦闘中の放火だからやむを得ないけど

863:名無し三等兵
12/08/09 21:21:38.59
>>861
禁門の変や鳥羽伏見で街を焼いたのは幕府軍なのだが

864:名無し三等兵
12/08/09 21:53:06.91
幕府と薩長どちらに非があるどちらに正当性があるとかマジどうでもいい
勝てば官軍負ければ賊軍

865:名無し三等兵
12/08/09 22:33:26.20
官軍なのに負けた第二次長州征討

866:名無し三等兵
12/08/10 01:01:33.47
幕府ヲタは都合が悪くなるとすぐどっちもどっちと言い出すな

867:名無し三等兵
12/08/10 04:48:37.58
>>866
うざいから日本史板に帰れ

868:名無し三等兵
12/08/10 07:00:56.31
軍事的に優位だったのに親藩まで次々寝返ってあっさり崩壊したのは正当性がないからでしょうに

869:名無し三等兵
12/08/10 07:51:16.92
松平春嶽とか幕府側で大きな顔してた人らがいつの間にか新政府側に乗り換えてたら長いものに巻かれてた人らは不安になるさ

870:名無し三等兵
12/08/10 09:49:45.20
武門の棟梁と言っても所詮元々公家の護衛だからな
しかも徳川の家柄はアレだし

871:名無し三等兵
12/08/10 10:09:34.91
春嶽なんかは幕府ででかい顔っつっても、元々諸侯会議派寄りだから
慶喜首班の新政府なら支持に動くのはむしろ当然じゃね
鳥羽伏見・大坂城退去の後だと、あの紀州藩ですら新政府に抵抗できなかったしどうにもならん

ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに、戦の前から早々に朝廷寄りになってるから
経緯を知らなかった頃は驚いたけどw

872:名無し三等兵
12/08/10 10:52:42.81
>>871>ひこにゃんなんかは特に親長州でもなかったのに

って親父さんが攘夷派弾圧の人だから、どんな考えを持っていたか?
とwikiる

URLリンク(ja.wikipedia.org)
井伊 直憲(いい なおのり、嘉永元年4月20日(1848年5月22日) - 明治37年(1904年)1月9日)は、江戸時代末期の大名で、近江国彦根藩第16代(最後)の藩主。明治維新後に華族(伯爵)となった。

安政の大獄で有名な大老・井伊直弼の次男。

安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、幕閣の政治的配慮により取り潰しを免れ、万延元年(安政から改元)4月28日に13歳(数え年)で家督を相続した
文久2年(1862年)11月20日、松平春嶽らによる幕政改革(文久の改革)において、父・直弼の専横・圧政を糾弾され、20万石へ減封された。
譜代筆頭でありながら幕府との関係は険悪化する。

[そういえば井伊家は徳川時代は勇猛な戦いで知られていたね]

元治元年(1864年)4月18日、左近衛権中将に転任。掃部頭如元。池田屋事件や禁門の変での功により同年8月22日、旧領のうち3万石を回復する。

慶応2年(1866年)、第二次長州征討では高田藩兵とともに彦根藩兵が芸州口の先鋒となったが、大村益次郎の訓練を受けた長州藩諸隊の散兵戦術に
旧式の装備・戦法で臨んだため、大敗を喫する。以後、藩内では谷鉄臣や大東義徹ら勤王派が台頭し、徳川慶喜に近い岡本半介の影響力が低下する。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争では前哨戦となる鳥羽・伏見の戦いで、谷鉄臣らの藩兵が最初から新政府軍に属して東寺や大津を固めた。
その後、東山道鎮撫総督に属し、近藤勇の捕縛に加わったが、小山の戦闘で大鳥圭介らの旧幕府軍に撃破される。

明治2年(1869年)6月、戊辰戦功により賞典禄2万石を付与された。谷や大東、西村捨三ら下級武士出身者主導の藩政改革を承認し、
人材登用を推進する。同年7月8日、彦根藩知事となる。

明治4年(1871年)、アメリカおよびイギリスに遊学する。同年7月14日、廃藩により知事を免ぜられる。

明治17年(1884年)7月7日、華族令により、伯爵に列せられた。

873:名無し三等兵
12/08/10 11:50:29.48
野口武彦さんは「幕府歩兵隊」にしろ「鳥羽伏見の戦い」にしろ、シャスポー銃の実戦使用へのこだわりが凄いね。
流石に「先込銃は銃剣を付けたまま装弾できないが、」は、如何かと思う。
ナポレオン時代のボルテジュールの存在を無視したかの様な記述も。
私も願望としては実戦使用していて欲しいけど・・・


874:名無し三等兵
12/08/10 20:27:08.59 7LcWFJ9h
>>863
鳥羽伏見は京都じゃねぇ

875:名無し三等兵
12/08/11 01:45:40.61
2ちゃんやネットの書込み見て歴史に詳しくなったと思ってる奴の知識なんてそんなもんだ。
自分でソースを辿るって思考も行動力もないけど、本人は学校が教えない正史を俺は知ってると悦に浸ってる。

876:名無し三等兵
12/08/11 02:14:41.05
前に徳川美術館いったらたまたま鳥羽伏見の書状があって(慶喜あてだったのかなぁ)
大津摂津事件だか何だか書いてあって驚いた

877:名無し三等兵
12/08/11 02:44:24.60
細かい事言うようだが、「悦に入る」な

878:名無し三等兵
12/08/11 20:35:21.98 RzlZk9dM
>>840
遅くなってスマンが
地誌情報

URLリンク(shugakuin.blogzine.jp)

ここの画像と、Googleマップあたりを比較すれば、道路幅員や距離感覚、植生、地物は概ね把握できるぞ

879:名無し三等兵
12/08/11 22:19:59.78
>>878
GJ!

なるほど、せっかく大軍なのだから、
桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね
軍配書からして不適当という指摘が納得できたわ

880:名無し三等兵
12/08/12 18:22:41.73 WzE5IzU6
>>879

>桂大橋から侵入するルートとか多方面から進撃する手があった気がするね

どっち側の話しよ?

881:名無し三等兵
12/08/22 18:21:36.86
たまたま火縄銃を手にする機会があったが無駄にデカくて重量があるな
しかもバランスが悪くて実際の重量より重く感じる。
これで連発もできないんじゃ俺は槍隊に入りたいと思ったわ。

882:名無し三等兵
12/08/22 18:36:32.23
>>881
火縄銃なら危険になってきたとき、銃を捨てて身軽になって逃げられるが、
槍隊は指揮官が真っ先に逃げてくれないと逃亡は難しいんじゃないか?

883:名無し三等兵
12/08/22 18:50:52.54
>>881
槍だと幕末じゃなくて戦国期か
あの時代の槍は全長5m以上もあるような物干し竿だぞ
端っこ持ってよろめかずに立っているだけで大変
しかも陣形乱さずに指揮官の指揮で一糸乱れず集団運動
逃げたら味方に殺される
なりたいもんじゃあないな

884:名無し三等兵
12/08/22 18:54:12.17
戊辰戦争でも会津の槍隊が薩長歩兵に打撃与えたりしてなかったっけ

885:名無し三等兵
12/08/22 19:10:37.82
今度の大河ドラマは会津が舞台だったな

886:名無し三等兵
12/08/22 19:15:24.16
>>884
だいたい鉄砲で撃破されたみたいだけどな

887:名無し三等兵
12/08/22 19:54:09.27
近接戦闘ならとにかく距離がある限り槍は飛び道具に勝てない
それこそファランクスと弓の時代からずっと

888:名無し三等兵
12/08/22 21:13:59.15
槍を持って逃げるときには槍の千段巻のあたりを掴んで引きずっていくそうだ。
確かにその方が引っかからないし一番楽そうだな。

889:名無し三等兵
12/08/23 09:15:05.40
d

890:名無し三等兵
12/08/23 09:31:18.93
入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?
なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
それとも時勢柄黙認してたのか?

891:名無し三等兵
12/08/23 11:54:52.26
>>884
ブッコミ自体は初日の伏見とかからやってるが、正面からの突撃は全部失敗だっけ。
同じく伏見で新撰組の一部が、構成層的に白兵戦には弱いと評判の長州藩部隊に突撃しに行ってるが
散兵戦術のお手本みたいな機動に翻弄されて成果なく後退。

槍隊が一番成果を発揮したといえば富之森陣地の攻防戦だと思うが、
陣地に篭もる幕府歩兵隊が新政府軍を退き付けてるとこに伏兵してた会津大垣の
槍隊が奇襲かける戦術だったらしい。これは大成功して新政府軍は撤退。
ただ翌日再度薩摩藩部隊が押し出して来たときは、当然伏兵警戒してたんで同じ戦術は失敗。
仕方ないんで槍隊が数名ずつに別れて浸透・奇襲って戦術を採用するが、相手が猿叫修羅の国の薩摩兵だけあってこれも上手く行かず。
前日の戦闘も含め槍隊の死傷者が続出して最終的に陣地放棄することに。
ただ薩摩側も、砲兵隊に直接ブッこまれたときはちょっと危なかったんで、これ以後砲兵隊には護衛兵付けたらしい。

他に槍隊の活躍といえばほぼ同時期の千両松の戦いか。
これも歩兵隊などの後衛を追撃してきた新政府軍に対する伏兵からの奇襲。
初回はこっちでも成功して、長州藩の中隊長を討ち取る戦果を挙げてる。
ただあいつら伏兵してんよってのがバレてからは、かなり一方的に狩られたらしい。
伏兵は基本的に少人数だし装備が刀槍だから仕方ないね。新撰組も相当死傷者出たらしい。

これ以後は淀・橋本だから見せ場はないっけ?
しかし戦術的に仕方ないんだろうが、損耗率は凄そうね。見廻組も壊滅したし。

892:名無し三等兵
12/08/23 12:30:58.28 sA5pDkgx
>>890
>入り鉄砲に出女ってよく言うけどさ、それぐらい鉄砲の取り締まりは厳しかったんでしょ?

それ、江戸などの市街地への流入規制って話だろ
逆に言えば、市外ではフリーだったって話じゃん


>なのに何で幕末になると各藩が勝手に銃を輸入したり大量製造したりしてるのさ?
>幕府から規制が緩和されたとか、そういう通達でもあったの?
>それとも時勢柄黙認してたのか?

各藩ってのは、支配される属国ではなく、高度な自治権を与えられた行政単位であって
有事には藩から拠出された兵力も、幕府隷下に組み込まれて運用される
将軍家直轄の旗本直参が国軍なら、州兵に該当する勢力なんだから
軍備近代化を進める幕府は、各藩の近代化も黙認どころか奨励指導せねばならんのよ


893:名無し三等兵
12/08/23 15:15:31.06
>>890
幕府が規制した軍備は、大船(江戸への侵攻防止)と城(各国の防衛力削減)だけっしょ
そもそも、江戸時代通じて諸藩の国許には火縄銃とかの武装があった訳で
更に幕末になると、その大船建造の禁も緩和され、諸侯が洋船を購入することも解禁される
要するに日本防衛のためにオラに力を貸して!ってことな訳で、但し洋式銃は除くとか片手落ちだ罠

ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある
自由購入と言っても、当然ながら運上所は通さないといけないし、更に長崎屋から買えという通達もあったらしい(同上)
他には、長州藩の両公伝史料に安政6年に1000丁のドンドル式ゲベール銃を購入した記述があるらしい、その年末には更に追加購入するために
非正規ルートの商人に見積頼んだ(が、高かったので話はお流れ)これの交渉しに行った家臣の報告書が残ってる
んでこれが幕府にバレて外国奉行の溝口直清にゴルァされたあと、改めて正規ルートでの購入を運上所に申請した(両公伝史料)
因みに当時の長州藩は公的にも内的にもまだ反幕府ではない

天保の改革に成功した藩は大体軍制改革も同時期に行っているので、少なくともそれらの藩はこの時期の洋式銃に手を出してると見て間違いないと思われ
あとは高島流砲術を取り入れた藩とか

894:名無し三等兵
12/08/23 18:42:24.14
> ネットで論文とか漁ってみたけど、諸藩に洋式銃の購入が解禁されたのは安政6年で諸藩が挙ってゲベール銃(具体名は知らん)を買ったらしい
> 維新資料綱要に 安政6年6月20日(1859) //幕府、舶来武器の開港場に於る自由購入を諸侯・麾下士・陪臣に許可す。 とある

これ意外とかなり重要な転換点じゃね?
おそらく薩摩が調子に乗って軍事力を強化し始めたのもこの法令が絡んでるのでは?

895:名無し三等兵
12/08/24 11:50:04.09
佐賀は1848年に火縄銃全廃→燐石ゲベール標準装備化したけど
これ幕府は黙認してたって事なの?

896:名無し三等兵
12/08/24 12:01:21.05
薩摩も1849年の演習でゲベール6個大隊を持ってるね

897:名無し三等兵
12/08/24 12:30:53.02 RaI7Rsn6
一部雄藩がすでに所有してたので
追認のためもあって洋式銃解禁
そのかわり、幕府に許可とるように、というお触れ・

898:名無し三等兵
12/08/24 13:16:57.25
軍備の刷新で先行してる幕府と雄藩はどこも最終的に海軍拡充へ行き着いてる

899:名無し三等兵
12/08/24 13:20:16.70
っていうか、結構まえから火打石式銃は日本に入ってきてるよ。
更新出来ないのは、諸藩の財政が参勤交代などで破綻してて
金がなかったり、火縄式より命中率が悪いと嫌われたり
したからじゃない?洋式装備に目を向ける流れとして
フェートン号事件や北方領土でのロシアとの国境紛争
→アヘン戦争での清の敗退
じゃないかなと思う


900:名無し三等兵
12/08/24 17:48:46.21
>>895-896
幕府を通しての洋式銃販売は許可したが、諸藩と諸外国の直接貿易は許可してないで。
大規模な密貿易は竹島事件みたいなリスクがあるし、調所広郷が密貿易の件で取調べられ自殺したのは1848年になる。

ぶっちゃけた話、佐賀と薩摩ならフリントロック式ゲベール銃を自分らで作ったか改造した可能性のが高いんじゃね?
フリントロック機構自体はかなり以前に入って来てて、平賀源内が応用してライター作ってた。
それに加えて1830年代後半には両藩とも高島流砲術を習得させるため藩士を送ってる。
当時の銃器の名称なんて定義が緩々だから余り当てにはできないし。
ま、傍証しかないんだがw

901:名無し三等兵
12/08/24 18:31:12.81
>>900
この辺によれば御用商人を通じて購入したとある。それから自家生産にシフトしたようだが。
長崎港警備の実質的な責任者であり、フェートン号事件のていたらくのあとだったこともあって、
佐賀藩が洋式武器を購入することについて現地は肯定的だったとのこと。

URLリンク(www.fsinet.or.jp)

薩摩については知らない。琉球経由で密貿易じゃね?


902:名無し三等兵
12/08/24 18:56:31.04
フェートン号ってこの時期からまた半世紀前のナポレオン戦争の頃の話だろ
当事者がほぼ居ないのに肯定的とかそういう雰囲気で決まるものなのか

903:名無し三等兵
12/08/24 18:57:48.62
フリントロック自体は信長に献上された記録もあるそうで
火縄銃が揃う頃には存在は知られてたんだよな

904:名無し三等兵
12/08/24 19:08:36.46
幕府は別に中央政府ではないので外様も一から十までお伺いをたてる事はしません

905:名無し三等兵
12/08/24 20:38:12.56
江戸時代の日本は中央集権国家じゃなくて
藩は独立国家みたいなものだった。

906:名無し三等兵
12/08/24 20:57:16.90
列強は小銃にあわせて歩兵操典を作成してるし、歩兵操典を輸入したらもれなく同様の小銃まで装備せざるを得ない
という事だと思う

907:名無し三等兵
12/08/24 23:05:33.15
火縄銃だと火縄が邪魔で戦列組み辛い
火種がないと撃てないし
火縄銃は大規模戦になればなるほど運用し難い物になっていった

908:名無し三等兵
12/08/24 23:24:24.04
フリントロックだって火花散らしてるんだから危なさでは大差無いような気もする
どっちかというと火縄銃は再装填時に事故る危険がありそう

909:名無し三等兵
12/08/25 08:52:04.23
不発のときの再装填は火縄が消えていれば暴発しないマッチロックのほうが事故りにくい

910:名無し三等兵
12/08/25 10:02:34.59
URLリンク(www.youtube.com)

911:名無し三等兵
12/08/25 10:19:53.86
発火が撃鉄によって一瞬で済むんだから
不発発生のリスク自体はフリントロックの方が断然低いでしょ

912:名無し三等兵
12/08/25 10:54:14.64
火縄銃は戦闘に備えてるときは常に火縄を点けたまま待機しておかないといけないので
火縄の消費量がバカにならなかったし、またうっかり消えないよう気をつけていないといけなかったそうな
その点、火打石なら発火するとき以外はあんま管理に気を使わなくていいので楽だね

913:名無し三等兵
12/08/25 11:22:03.64
線香銃ってのは無いのか

914:名無し三等兵
12/08/25 14:00:41.07
火縄といってもイベントとか十数センチの棒状の物を使ってるのもあるね、ある意味線香銃だ

915:名無し三等兵
12/08/25 14:13:43.20
>>913
線香は折れそうだ

916:名無し三等兵
12/08/25 15:25:35.27
>>901
この辺かな?
>長崎の武雄鍋島家の御用商人田中伝左衛門にオランダ軍艦見物中に見つけた燧石銃を五〇〇挺注文し同時に使用方法教練の為の
>オランダの軍人の招聘を依頼した。この時期の茂義からすれば武雄領独自で西洋銃陣の輸入を試みたのは万一漏洩した場合に藩に
>影響を及ばさない配慮とまだまだ強い佐賀藩保守層の干渉を避けるためであろう。

このあとこの密輸の件が、高島秋帆を下獄させた鳥居耀三の探索で幕府に露見しないかヒヤヒヤしてるな。よくやったもんだw

>>912
フリントロックも、火打石を火皿の蓋にぶつける構造なんで変形とかのチェックとメンテが大変だったらしい。
まぁ戦闘中も火縄の管理しなきゃいけないのに比べればマシなんてもんじゃないがw

917:名無し三等兵
12/08/25 15:28:54.10
薩摩だけ海外から技術取り入れまくりでずるい

918:名無し三等兵
12/08/25 18:37:14.74
>>913むしろ昭和時代には
線香を差し込んで引き金を引くとそれがぽきんと折れて
発射される線香ピストルというオモチャが存在した

919:名無し三等兵
12/08/25 22:43:27.01
>>916
大変だよな、角度とか
不発率スゲー高そうだがどうだったんだろう

920:名無し三等兵
12/08/26 13:33:41.61
しゃっばだっばどぅー!

921:名無し三等兵
12/08/26 15:37:44.34
>912
必ずしもそうではない。
フリントロックの火花は、千数百度にも及ぶ鉄片だったが、マッチロック(火縄銃)にも生火を長時間押し当てる利点がある。
湿度の高い地方では、マッチロックの方が有利な局面もあった訳だ。

ただしマッチロックやパッカーションロックなら、油布や油紙で要部を包める長所がある。
(銃口にはコルクや木栓を詰めた)
マッチロックではそうはいかない。
また燃えやすい帆や油を塗ったロープなどがある船上で、マッチロックは危険過ぎて使えないと言う事情もある。
地上であっても火の粉で暴発する可能性は高いし、戦列を密集させるのは難しかったろう。

922:名無し三等兵
12/08/26 17:27:05.93
マッチロック という単語を考えているうちに
フォスフォロックという危険極まりない着火機構を思いついたw

923:名無し三等兵
12/08/26 17:28:59.44
>>921
早盒と何か違うの?

924:名無し三等兵
12/08/26 17:35:40.55
火縄銃だと口薬というのも別に入れないといけないんだよな
更に面倒くさい

925:名無し三等兵
12/08/26 17:37:38.44
点火用の火薬が必要なのはフリントロックも同じだが

926:名無し三等兵
12/08/26 17:39:13.10
>>921
帆船時代の実際なんか知らんが
ホーンブロワーで不発対策で火縄用の人員が砲側に待機してたぞ

927:名無し三等兵
12/08/26 17:53:48.96
海賊ってしけっても大丈夫なように大量の火縄とピストル身に着けてなかったっけ

928:名無し三等兵
12/08/26 20:43:48.55
>>921
実際にはフリントロックの戦列よりも、マッチロックの戦列の方が密集していたけれど。
フリントロックの方が取り回しが容易だったので、両方を装備していた時期には、フリントロックは戦隊や大隊の両翼に配置される事が多かったと。

フランス軍(世界?)で初めてフリントロックマスケットのみで編成されたロワイヤル・フュジリエ連隊は、砲兵隊や砲兵輜重隊の護衛が任務でした。
火気厳禁ですから・・・
やがて「専門技術を持った民間人」だった当時の砲兵を差し置いて、ロワイヤル・フュジリエ連隊が完全に軍人からなる砲兵隊に。
なので、旧王政時代のフランス砲兵隊は歩兵連隊としての番号も持っていました。

929:名無し三等兵
12/08/26 21:51:16.61
そういえばカムイ伝とかで、火縄の匂いで鉄砲を察知してるのが多かったなあ。
まあ正規戦の場合だったら察知されてもそんなにたいした問題ではないけど。

930:名無し三等兵
12/08/27 07:53:08.70
>>929
北米大陸のフランス系入植者で編成されたラ・サール連隊のフリントロック化の時期が早かったのは、火繩の匂いが関係しているとの説も。
イギリス系やネイティブを相手に、奇襲や待ち伏せを多用していたので。

931:名無し三等兵
12/08/27 08:01:07.40
>>929
『七人の侍』の加東大介もお忘れ無く。

932:名無し三等兵
12/08/27 13:41:47.31
火縄ってどんな匂いがするわけ?
いっぺん嗅いでみたいな

933:名無し三等兵
12/08/27 16:15:10.50
花火に近い

934:名無し三等兵
12/08/27 18:06:58.65
近世スレで軍靴のバルツァーという漫画作品が話題になったのだけど、
こっちのスレで読んでいる人いますかね?


935:名無し三等兵
12/08/27 19:12:40.69
面白かったよ。

936:名無し三等兵
12/08/27 19:54:23.04
やっぱり男装した騎兵の女の子だな

937:名無し三等兵
12/08/27 20:01:09.99
しかし、逆でないか?
火縄云々が近世スレで取り扱うべきで
軍靴のバルバッツアがこっちjだろうに

938:名無し三等兵
12/08/27 20:17:37.03
近世スレの方でも軍靴のバルツァーは近世スレではなく19世紀後半スレの話題だという指摘がでてるよ

939:名無し三等兵
12/08/27 21:53:41.96
以前話題になってたからレンタルして読んだけど、フィクションじゃん。
別にこのスレで論じるほどの内容とは思えん。

940:名無し三等兵
12/08/27 22:05:27.45
>軍靴のバルツァー
設定以前に軍事もの漫画自体が貴重なのに
あの時代設定の軍事もの漫画だからね

初心者にわかりやすく作っているのが良い

941:名無し三等兵
12/08/27 22:19:01.65
そういえば男装の騎兵将校は実際にロシアにいたな

942:名無し三等兵
12/08/27 22:45:38.97
>>941
これですね。

「女騎兵の手記」
 ナジェージダ・A,ドゥーロワ
 新書館 1990/12
 
ナポレオン戦争にユサールとランサーで従軍。
戦間期に結婚した事を書いていないとか色々と問題が有るみたいだけど、本人の回想だから仕方が無いかと。
日本語で読める唯一の騎兵の回想録(騎士?を除く)。
因みに、表紙は岸田恋さん

943:名無し三等兵
12/08/28 08:41:27.53 QTSIva3t
ちとスレ違いの近世スレネタになってくるけど
ワーテルローでフランス軍の制服をきた女騎兵の死体があったとか
歴史群像だったかな? 以前なにかで目にしたおぼえがある。


944:名無し三等兵
12/08/28 11:38:24.16
>>943
読んだ事は有るけど、何に出ていたか・・・
話しの元はイギリス兵の回想だろうけど。
フランス軍の連隊には酒保女が従軍していたから、それが間違えられたのかも?
女性向けにアレンジした軍服もどきを着ている者も居たから。
(多くはユサール風のレース付き)
ただし、色々な形で他の女性の従軍も多かったけど。

ワーテルローには、親衛隊徒歩擲弾兵の妻で通称「石頭のマリー」と呼ばれた女性が従軍していた。
最後の3個の方陣にも加わり、降伏勧告に発砲で答えたと。

945:名無し三等兵
12/08/28 12:49:52.92
>>944
石投げつけて<○喰らえ!>と叫んだんじゃなかったですかね?

946:名無し三等兵
12/08/28 13:12:57.53
某イタリアの女傑を思い出した

947:名無し三等兵
12/08/28 13:15:07.56
>>945
それは、カンブロンヌ将軍かミシェル将軍。
てか、石投げてないし・・・
何処の悪ガキだw

948:名無し三等兵
12/08/28 13:19:05.36
近所の大理石あるいは石灰石で作った丸い砲弾に「球撃ちすぎるとキンタマ千切れる」と書いて発射

949:名無し三等兵
12/08/28 13:59:00.36
>>946
名前は知らないけど、子供を人質にして威されたら、スカートをめくって、
「子供なんぞ何時でも生めるんだよ!」
って言った人とか?


950:名無し三等兵
12/08/28 14:02:37.97
ここから生まれたんだよ!だっけ?
いくらでも生んでやる!だっけ?
なんかいろいろごっちゃになって

951:名無し三等兵
12/08/28 14:16:45.71
>>950
台詞は何パターンか有るみたいですね。
共通しているのは、スカートを捲くり上げた事w

952:名無し三等兵
12/08/28 16:58:48.38
スフォルツァの肝っ玉母ちゃんだな

953:名無し三等兵
12/08/28 19:21:27.03
>>943
アルバート・A・ノフィ著のそのものずばり『ワーテルロー戦役』って本にそういう描写がある。
まああのころはいろいろとおおらかで、女性も馬持ってて乗れれば気分しだいで騎兵に成りすませたんじゃなかろうか。

954:名無し三等兵
12/08/28 22:15:45.74
>>953
この邦訳って何故か創価学会が出版してるんだっけ?
何なんだろう。

955:名無し三等兵
12/08/28 23:35:00.80
>>954
大作せんせいがぁゃιぃナポレオンの末裔との交友を誇ってますからそのあたりの関係じゃ
ないですかね?

956:名無し三等兵
12/08/29 01:27:14.85
>>954
出版元のコイノニア社はキリスト教関係の出版社だよ?

957:名無し三等兵
12/08/29 05:56:56.92
次スレ
[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 05
スレリンク(army板)

古代中世スレ・近世スレを参考に、スレ一覧での検索キーワードと1の本文をいじってみた。
検索キーワードになる「幕末」の言葉はスレタイに残し、
スレタイを見るだけで一目でわかるように南北戦争・普仏戦争・西南戦争・日清戦争の文字を追加してみた。

958:名無し三等兵
12/08/29 09:08:44.09
19世紀の戦争といっても日清戦争じゃだいぶ様相が違うなあ。

959:名無し三等兵
12/08/29 09:22:26.94
確かにそうだが、日清から僅か十年後の日露は最早、陸海共に別次元の戦争だよな。

960:名無し三等兵
12/08/29 12:57:51.73
南北って南北朝を先に連想するな
時代見ればわかるんだけどさ


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