[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3at ARMY
[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3 - 暇つぶし2ch260:名無し三等兵
11/07/02 19:41:50.10
>>257
戦闘技術の歴史3近世編によると、
1647年に登場し、
1670年代頃にまず燧石式マスケット部隊や竜騎兵など精鋭部隊を中心に普及し、
1980年代には、銃兵の標準装備となった
1700年代中盤になると、ソケット式銃剣と燧石式マスケットの完全普及で、パイクはほぼ消滅した
との事

261:名無し三等兵
11/07/03 11:48:05.27
>>260
>>1980年代には、銃兵の標準装備となった
時間かかりすぎんだろwww
と分かっていて突っ込みw


262:名無し三等兵
11/07/11 20:57:24.90
無茶な想定なのは承知だが、もし秀吉が存命中に都を大坂に移転して、大坂を大陸式の城壁や堀もある城塞都市にして、
大坂城も宮殿もその中に取り込む構造にしていたらどうだったろう?
ついでに、秀吉死去の前後に秀頼を関白にできていたら・・・・??
家康と言えど、大陸式の城塞都市を抜いたと思ったらさらに中に大坂城が控えているわけで、
これでは大坂攻略は不可能だったのではと思うのだが。

263:名無し三等兵
11/07/12 13:12:24.90
>>262
住民の食料が持ちません^^

264:名無し三等兵
11/07/12 15:03:00.12
豊臣家の財力を持ってすれば数年分の食糧備蓄などたやすいし、街壁内にも農地を作るから、どうということはない。

265:名無し三等兵
11/07/12 19:26:08.58
当時の大坂ってどのぐらいの広さなの?

266:名無し三等兵
11/07/12 19:51:10.39
史実の大坂城の城域と大坂市街を合わせても今の大阪市より小さい。大阪市外周部は田畑だった。
ただし豊臣時代の大坂城の三の丸は今は市街になってるから実際には城域は今より広い。

ついでだから故事に倣って、大坂城北東部に世界有数の大規模な銃砲類・弾薬工場も設けて、
上記の田畑も取り込んだ大街壁を建造して、陸路・水路の出入り口など要衝に設けた櫓に銃座と砲台を設けておけばもっといい。
できれば遷都による仮称大坂京は大坂城南方に配置したほうがいいかも。

267:名無し三等兵
11/07/12 20:36:27.86
>>264
流通抑えられたらおしまい

268:名無し三等兵
11/07/12 21:34:48.64
城壁の方が大砲で抜き易いから、早く落ちるかも

269:名無し三等兵
11/07/13 14:11:54.25
しかしまぁ大坂城を難攻不落にしても、冬の陣や小田原城の二の舞になるだけの様な
援軍が期待できない篭城なんてやってらんない訳で
内訌待ちっつーのも……

270:名無し三等兵
11/07/13 15:54:19.51
幕府の戦費が先に枯渇すればいいんだけどね・・・・・。
それとも、大坂が浪人はおろか外人部隊まで雇って執拗な襲撃を繰り返して幕府軍に
城への力攻めを強要したり、大形投石機で燃料入の壷を投げ込む放火船を用意して、
貨物船にでも変装して江戸を焼き討つとか。
秀頼が関白の権限で朝命を乱発して、幕府に組する者の官位を剥奪するとか。
細川などの名門にはかなり心理効果ありそうだと思う。

271:名無し三等兵
11/07/15 21:06:59.47
あとは、秀頼が「余こそが正統なる政権である」として、逆らう幕府側大名、それも大身の者を誰か少なくとも1人、討伐してしまう必要があると思う。
成敗する場所は大坂城市攻撃に来たところで逆に撃砕するのでもいいし、藤堂や池田といった近場の大名を攻め潰すのでもいい。

272:名無し三等兵
11/07/19 11:15:23.63
他にも、関ヶ原後の賞罰は本来無効であるとして、石田、小西、大谷、安国寺の一族を当主に据えて各家を再興並びに、
八丈島から宇喜多一族を救出して再興するのもいいと思う。
政治宣伝としても筋を通す意味でも効果絶大だと思う。
明石全登は大喜びして宇喜多秀家の与力武将に志願するだろうな。

273:名無し三等兵
11/08/10 08:55:08.75
たとえば戦国自衛隊のように戦国時代にタイムスリップして
軍事顧問として現代の知識を活用するとしたら

いち早く鉄砲を導入させる
硝石工場をつくる
迷彩カラーの導入
野戦は塹壕をつくる
戦国前期は星形要塞で火線を
戦国後期は城を廃止させて地下壕にする

くらいを想像しました。俺程度じゃあ軍事顧問は無理だわ。

274:名無し三等兵
11/08/10 09:50:20.15
>>273
いち早く鉄砲を導入させる → 必要な人材・資材をどう集める
硝石工場をつくる → 同上、というか不可能
迷彩カラーの導入 → 同士討ちや戦果確認ができない
野戦は塹壕をつくる → 時間があればやっている
戦国前期は星形要塞で火線を → カネがかかりすぎる
戦国後期は城を廃止させて地下壕にする → 連絡できず各個撃破

275:名無し三等兵
11/08/10 13:36:08.99
銃剣を流行らせてみたい

276:名無し三等兵
11/08/10 13:55:16.83
日本の火縄銃は銃身が短いので、刀と大して変わらない

277:名無し三等兵
11/08/10 16:52:07.05
しかしマタギはフクロナガサって銃剣を使ってたんだよな。

278:名無し三等兵
11/08/11 06:39:43.68
>>273 現代の物差しで考えちゃ駄目でしょ。

279:名無し三等兵
11/08/11 12:09:04.76
可燃素材製の薬莢って出来ないのかなぁ。
和紙か何か加工して、早合と違ってそのまま先込めできる奴。

280:名無し三等兵
11/08/13 14:00:54.04
18世紀海軍の前装砲ではそういうの使ってたよな。
しかし小銃ではなぜか話を聞かない。

思うに、大砲では発射後に専門の人員が砲腔内をスポンジ付き棒で水洗いして、
そのとき一緒に中でくすぶる残り火を消してしまうのに対し、個人で扱う小銃ではそこまでやっている余裕がないため、
万一残り火があった場合にそのまま暴発、射手の手を吹き飛ばす、という事故をおそれたのでは?

すべて憶測。
発射後の銃腔内に残り火がある可能性がどのくらいなのかなんて知らん。




281:名無し三等兵
11/08/13 14:45:32.93
>>273
俺ならインチキ西洋知識を広めまくる。
ライスはフォークの裏にのせるってのは嘘なんだってな。
ずっと騙されている。

282:名無し三等兵
11/08/13 14:50:34.56
単純に火が弱いから紙でコートしちゃったら芯の火薬に瞬間的に着火できないだけじゃね?
点火薬の量なんて微々たるもんだし
大砲なら点火薬の量も増やせるしだいいち松明の火を思いっきり押し付けられるだろ

283:名無し三等兵
11/08/13 21:41:11.51 d5FCewGs
>>273
迷彩服はライフリングで戦列歩兵が面白いように倒れ、
やむを得ず散兵戦術を採用したあとでないかぎり導入できんぞ
戦果確認の問題もあるし、目立ってなんぼというもののふの気持ちを打ち砕かねばならない


284:名無し三等兵
11/08/13 22:12:32.77
>>282
後装銃出始めの時代には紙薬莢がある。
雷管外付けのやつね。
だからその説はダウトだと思う。

285:名無し三等兵
11/08/14 10:30:58.59
>>275
当時の槍は短いものでも4mぐらいあったそうだから
せいぜい160センチ位の火縄銃に銃剣つけても意味がないと思う
そんな短い銃で突き合いしなきゃいけない状況になったらそれこそ普通の打刀の方が使いやすいと思うし

286:名無し三等兵
11/08/14 20:12:38.61
単に、紙薬莢にしたらカスの掃除が大変だからとか

287:名無し三等兵
11/08/16 09:40:19.61 8tho+DmM
ライフルを流行らせる
手作業方式の奴

288:名無し三等兵
11/08/16 10:54:43.55
一見役立ちそうだけど重大な欠陥がある戦術を利用し、
最初は合戦でそれを利用して勝利し、
その戦術を相手が真似したら欠陥をついて倒す
みたいなことができれば痛快なんだが。

289:名無し三等兵
11/08/16 11:31:15.91
なんか時間旅行なスレになってるが、過去に飛ばされたらシャワーとウォシュレットの開発に人生を費やす
エアコンも欲しいがさすがに無理だ

290:名無し三等兵
11/08/17 14:52:50.64 rbTIblzn
ペニシリンと餡ドーナツ作る

291:名無し三等兵
11/08/17 15:23:10.71
銃剣が有効になるのは、戦列歩兵とピストル騎兵の発達で、騎士や騎兵突撃が廃れ、防衛用の長槍が要らなくなってから。
平行してマスケットの重要性が増し、火力増大の為に槍はますます小銃に移行し、カートリッジもいずれは導入されるだろう。
しかしこれは大量の火薬を消費することになる、硝石の輸入と硝塩の生産を、増大かつ安定させないと成り立たない。

やはり時代背景ってもんがないと。

ただし、そもそも大規模で専門的な騎兵隊を編成しなかった戦国日本の場合、この条件はかなり緩和される。
例えば条件の良い武将、知行地に国友村を持っていた石田三成は、関ヶ原の戦いで、配下の半数に鉄砲を持たせていた。
互いかここまで射撃戦に偏重していれば、銃剣に頼ってでも槍を廃して小銃を増やし、紙カートリッジを導入する意義も出る。

292:名無し三等兵
11/08/17 18:43:52.96
>>290
イニ先生乙

293:名無し三等兵
11/08/17 23:06:09.94
ただ戦国時代の日本が鉄砲保有数世界一ってのはノエル・ベリンの妄言だよね

294:名無し三等兵
11/08/18 01:01:47.24
このときの明軍の装備、編成についてくわしい情報ないだろうか。

具体的にどういう近接武器、投射火器もってたの?
ゴミ銃、紙鎧についてはわかるんだけど。

石木矢持ってたとか。

295:名無し三等兵
11/08/18 04:40:26.28
>>289
俺なら鏡の製造技術を利用して
ソーラシステムをつくってソロモンじゃなかった適当な城に照射してみる

296:名無し三等兵
11/08/18 10:04:14.76
どれだけ勇猛な武将でも初ウォシュレット体験ではうひゃとか情けない反応するんだろうな

297:名無し三等兵
11/08/18 12:07:09.79
37 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:06:05 0
後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。


298:名無し三等兵
11/08/18 12:08:17.22
38 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:06:41 0
騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

39 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:07:39 0
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。

299:名無し三等兵
11/08/18 13:19:28.29
三眼銃とか十眼銃なんてゴミを、生真面目に配備はしてたけど、あの国は素直にマスケットを大量配備なんかしてたっけ?
一種の大鉄砲と言うか散弾銃、神機を装備した神機営って部隊があって「史上初の正規砲兵隊だ!」と主張してたのは知ってるが……

まぁ明国でもオランダから大砲を導入していたし、古臭い初期の大砲なら、規格統一して大量せいさんしていたから、必ずしも馬鹿にしたもんじゃ無いんだけど。
でもやはり明が重視していたのは大砲であって、小火器は余り重視されず、従来の雑多な珍兵器を含め、色々混雑してたってのが本当だろ。
そもそも投射兵器なら、鉄砲だろうが旧来の弩だろうが、或いは弓だろうが厳密に区別しなかったろうし。

300:名無し三等兵
11/08/18 21:06:41.90 ybgeBuRS
『東アジアの兵器革命 』では、
秀吉の朝鮮征伐で火縄銃に明軍びびる

小火器を配備し対女真・モンゴル防備

捕虜からなる降倭部隊も活躍してた

とあった

301:名無し三等兵
11/08/19 08:00:21.00
>>295
逆に城に配備して水攻めされた時に水を蒸発させられないか?

302:名無し三等兵
11/08/19 09:27:05.31
>>301
そんなに出力があるなら敵に直接当てればよいのでは?

303:名無し三等兵
11/08/19 17:51:12.19
ギリシャかキプロスで、実際に軍隊を動員して実験したらしいが、青銅を磨き上げた盾くらいの鏡だと、木造軍船へ着火するのに三十分かかったそうだ。
人数は分からないが、十人や二十人程度ではなかった。

304:名無し三等兵
11/08/19 20:32:31.32
>>295
「第6門(ゲート)消えました、敵の新兵器です」って言わせたいだけちゃうか?

ガンダムといえば

ドズル「パプア艦でたった一機のビグザムだけだと?」
ジオン士官A「は、現在はこれしか出せぬ、と」
ドズル「ええい、兄上は何を考えているのだ?今あるリック・ドムでは数が足りんのだ。
     新鋭モビルスーツの一機をよこすくらいならドムの十機もまわさんのか?」

とあるけどビグザム一機でリックドム十機どころかムサイ10隻以上の役に立ってたよな。
あれでムサイ3隻のコストですむのだからガンダムの世界は酷やで。

305:名無し三等兵
11/08/20 09:55:07.38
ガンダム来なければティアンム艦隊全滅してたしな。
真田の突撃で徳川本陣どころか徳川軍主力が全滅するようなもんか。

306:名無し三等兵
11/08/21 02:06:25.94
怪しい伝説で学生500人ほどかき集めてやってたな…ゲストでオバマが出てきてw
真夏、晴天下という環境で現代の鏡を使っても布の発火にまでは至らなかった。

307:名無し三等兵
11/08/21 04:34:36.06
たしかグーリンレーザーの超強力なものですらなんとか黒色のゴミ袋に穴をあける程度だっけ?
熱線じゃなくてただの光で相手を倒すのは難しそう。
しかも相手がミラー状のものを持っていたら亜空間磁力メッキのように反射返しされそうだしなあ。

308:名無し三等兵
11/08/22 09:39:23.03
レーザー照射して空気中にイオンの通り道を作って電流を流すとピンポイントで電撃を目標に食らわせることができるとかどっかで読んだけど
実用化されてないということは多分無理なんだろうな

309:名無し三等兵
11/08/22 10:39:02.74
本願寺無量光仏

その由来は戦国時代本願寺顕如が石山合戦に於いて、織田信長の鉄砲部隊に丸ハゲ頭を大量に並べて対抗した故事に由来する。
そしてその威力は織田信長を大いに苦しめた。なお余談ではあるが、織田領内に丸ハゲ頭禁止令が発令され南蛮宣教師が丸ハゲ頭を隠匿するために
頭頂部以外にカツラをつけたという記録は宗教家の間ではあまりに有名である。

民明書房刊『戦国武将の神秘』より

310:名無し三等兵
11/08/24 12:35:45.24
>>309
確かそれの精密射撃で信長は足を撃ちぬかれる怪我をしたんだっけ。

311:名無し三等兵
11/08/28 01:50:38.60
当時の日本の技術水準で銃の改良って可能?

312:名無し三等兵
11/08/28 18:11:49.47
程度による。

例えばホイール・ロックやフリント・ロックは作れたろうが、両者は乾燥したヨーロッパでも不発率が一割にのぼる。
イギリス軍も、インドではマッチ・ロックに立ち戻ったほどで、多湿な日本では長所がスポイルされるだろうね。
加えて硝石を輸入に頼り、貿易も実質的に外国頼りの日本では、大量の火薬消費に耐えられない。
よって火力密度を増やす方に進化するには、戦術の変化や貿易など、様々な要因が変わらないと難しい。

一方でライフルリングや後裝銃は、日本の戦術にもマッチしているし、大いに役立つことだろう。
実際に幕末では、後裝式ライフルを導入した官軍が、前裝式ライフルや時にはマスケットの幕軍を一方的に倒していた。
因みに当時も火薬やカートリッジは輸入頼りだったから、長い船旅のせいで、金属薬莢すら不発が多かったそうだ。
それでもライフル(射程が長い)と後裝式(伏せたまま装填可能)な官軍は、射程が短く、立ったまま装填する幕軍を圧倒した。
これはそのまま散兵と戦列歩兵の差になってくるが、散兵戦が有効となるには、技術や戦術から、背後の政治経済の変化も必要になってくる。
無理やり徴発されたやる気のない雑兵なら、散兵などやらせればすぐに逃げだすだろ?

技術の進歩には必然性というものがあり、進歩した結果として役に立つことを証明するにも、それにシチュエーションがなくてはならない訳だ。

313:名無し三等兵
11/08/28 18:20:10.25
失礼。
ラストは「それにシチュエーション」ではなく、「それに見合ったシチュエーション」と書くつもりだった。

付け加えるなら、工作技術が未熟なら、どんな発明も、実質的にならないことも覚えておいて欲しい。
例えば反動を利用した機関銃の概念は、既にフリント・ロックの時代から提唱されていたが、実際に製造するのは不可能だった。
ナポレオンの時代になっても、輪胴弾奏すら実用化出来なかったくらいだ。

314:名無し三等兵
11/08/28 18:27:38.06
鉄砲足軽は常備兵に近いから散兵でも可能と思われる

315:名無し三等兵
11/08/28 18:39:59.58
>戦列歩兵の差になってくるが、散兵戦が有効となるには、技術や戦術から、背後の政治経済の変化も必要になってくる。

たしかに赤備えのように戦場で目立つ部隊=名誉
という考え方だと隠れたりする散兵は人気なさそう。

316:名無し三等兵
11/08/28 19:38:11.42
敵を倒しても手柄にならなければ意味が無いからね。
しかし日本でも戦国時代後半の備は、かなりの密度で下士官たる足軽小頭がいて、配下の統率と評価を下している。

実際に江戸時代になってから、戦国時代の足軽の心得について掛かれた覚えて書き『雑兵物語』には
「首は取らずに打ち捨てておけ、手柄は俺が証明してやる」
と足軽小頭が部下に命じる場面がある。

恐らくこの辺の指揮統制と、戦果の評価基準を整理すれば、散兵戦術はかなり成功したと思う。

317:名無し三等兵
11/08/28 19:40:19.17
元々、鉄砲足軽は多数撃ちだと戦果確認が困難だから
逆に撃ち手が限定される狙撃は好まれるかもしれない

318:名無し三等兵
11/08/28 20:27:47.38
どっかの陸軍の戦闘機も一撃離脱重視よりも格闘戦重視のほうが好まれたし
やっぱ同じ戦うなら目立ちたいよなw

319:名無し三等兵
11/08/29 12:47:26.44
そこで狙撃兵が目立つ奴(将校など)を撃ち殺してくんだよな。


320:名無し三等兵
11/08/29 21:18:27.48
というか散兵戦術って、実質傭兵の奇兵隊とセットみたいなところなくね?

321:名無し三等兵
11/08/29 21:53:12.55
傭兵?
前近代的な知行や徴収に代わり、給金を払っていただけだろ。
幕府側も同じことをしたし。

322:名無し三等兵
11/09/01 15:05:07.17
奇兵隊って、大村の軍制改革んときに、他の諸隊と一緒に藩正規軍の体制に
組み込まれてた筈だが。
あと、狙撃は兎も角、散兵戦術は幕府歩兵隊も使ってたって野口が言ってた。

323:名無し三等兵
11/09/02 10:38:16.26
戦国時代には活躍できた赤備えが
幕末にはあまり活躍できなかったのはなぜ?

324:名無し三等兵
11/09/02 11:30:38.84
できると思うほうがどうかしてる

325:名無し三等兵
11/09/02 21:58:23.58
>>323
薩長が異常に強いから負けただけで
官軍側で参戦した戊辰戦争では彦根藩は普通に活躍している。

326:名無し三等兵
11/09/02 22:37:36.94 O86whJxA
いや幕末の関ヶ原の鳥羽伏見は本当に紙一重の勝利
それほど戦力の差はなかった
これに負けておれば明治維新もなかった

327:名無し三等兵
11/09/06 19:33:10.01
徳川慶喜が大坂城に篭城して徹底抗戦していたら大坂で攻防しているうちに幕府に従う大名たちの軍勢が来て、
官軍撃砕もありえたのでは?
少なくとも大坂の陣の豊臣秀頼よりは有利な状況だったと思う。

328:名無し三等兵
11/09/06 20:34:56.04
しかし相手は錦の御旗だからなあ

329:名無し三等兵
11/09/07 21:29:29.68
豊臣秀頼の場合は速攻で京を制圧して無理にでも錦の御旗を手に入れるべきだったけどな。

330:名無し三等兵
11/09/07 21:35:01.75
紫宸殿にて
秀頼「余に錦旗を授けるか、今ここに皇統を絶やすか、即断されよ!」
って天皇に啖呵をきるほどのクソ度胸を出していれば秀頼が勝っていたろうな。

331:名無し三等兵
11/09/07 21:41:01.51
伏見城があるから無理

332:名無し三等兵
11/09/08 07:31:14.78
秀頼は骨の髄までマザコンだから無理

333:名無し三等兵
11/09/08 20:22:13.82
秀吉が死の少し前にすべての側室を家臣に下げ渡していたら・・・・

334:名無し三等兵
11/09/08 21:40:35.49
>>333
伊達は側室もらったけど家康についたぞ

335:名無し三等兵
11/09/08 22:52:23.89
秀次にやらせとけば良かったんだよ、晩年に下手な欲目を出すからああなる。

336:名無し三等兵
11/09/09 08:41:45.80 mMVDnHmM
>>335
秀吉か秀次を殺しておかないと、秀吉の死後必ず秀頼を殺すじゃん
戦国の世を生き抜き天下人となった秀吉はそんな事も分からんアホじゃないよ
ただ家康も殺しておかなかったのは自業自得だな

337:名無し三等兵
11/09/09 09:12:40.87
>>308
推測に過ぎないけれど通過空間を焼く尽くす出力のレーザーがまだ撃てないからじゃないかと。


338:名無し三等兵
11/09/09 09:15:58.07
>>336
家康は関東・東北を抑える忠臣(少なくともこの頃は)だし、下手に殺そうとしたら牙を剥かれる可能性あるだろ
その場合、上杉も豊臣から離反する
伊達は言わずもがなだな
家康を敵に回せば、最悪で東西大合戦になるだろう
そうなると、秀次事件で豊臣への忠誠が全国で薄れていた時期だ
どう転ぶか分からん

家康は「殺せない」だろうよ

339:名無し三等兵
11/09/09 09:42:58.12
錦旗ですけど
安徳天皇を擁していた平家は源氏を朝敵にしたのかなあ?

340:名無し三等兵
11/09/09 09:45:36.96
>>336
豊臣「家」のためなら、秀次でなく秀頼を殺すべきでしたな

341:名無し三等兵
11/09/09 10:30:20.66
>>339 って言うか、平家を討てと言ってるのが、後白河法皇だから

342:名無し三等兵
11/09/09 13:34:43.48
>>340
秀次と秀頼が並び立つ事になると、極めて厄介だからねぇ。
実子を立てるか、先任の関白を立てるかで揉めるのが目に見えている。
実子がなかなか生まれず、あちこちから養子を取りまくって、後継者争いの火種を
こしらえた秀吉と、子だくさんでもその大部分は養子に出すか分家を立てさせて、
徳川本家には秀忠しか残さなかった家康は、実に対称的だよな。

343:名無し三等兵
11/09/09 14:01:17.40
織田家は本能寺が無ければうまく継承できたのかな

344:名無し三等兵
11/09/09 14:06:22.86
って言うか、建前上信長は、本能寺の変の時は隠居じゃないの?
実権は、一応信忠に譲ってある。織田家にとっての誤算は、信長と信忠が同時に死んだこと

345:名無し三等兵
11/09/09 14:19:48.96
まあ将軍職を秀忠にゆずった家康みたいなもんじゃないの
実権は死ぬまで家康だったからな
信忠はまあマシな奴だったが、信雄と信孝がね
これがもう二人ともボンクラではどないにもならんかった

346:名無し三等兵
11/09/09 14:31:24.76
しかしそいつらぼんくらじゃなかったら、信長→信忠がすんなり決まらなくて痛し痒しになりそうだ

347:名無し三等兵
11/09/09 14:36:21.62
逆に考えれば、実績でもって実力が水準以上と示し、家督も相続した信忠と、未熟な信雄や信考なら、お家争いも起きないだろ?

348:名無し三等兵
11/09/09 14:51:03.07
では毛利三兄弟はどうなる
あんなのは例外中の例外と言ってしまえばそれまでだが

349:名無し三等兵
11/09/09 15:20:37.97 N47XJr1+
名字が違うでしょ
他家に養子に行ったから

350:名無し三等兵
11/09/09 15:32:15.14
織田家の信雄と信孝も養子に行ってる。信雄が北畠、信孝が神戸

351:名無し三等兵
11/09/10 06:28:54.81
>>344
信忠が生きていればもっとマシにはなっただろうが、信忠もあの時点では一軍団長兼清洲一国の大名でしかないからな
織田家の家督っても、実権はその程度だ
信長が生きて、もっと権力移譲を進めていないとやはり離反が頻発するだろう

352:名無し三等兵
11/09/10 08:12:17.51
その「一軍団長兼清洲一国の大名」の子の幼児を連れてきて皆を黙らせたんだが

353:名無し三等兵
11/09/10 08:38:13.03
その幼児は実権を握れたの?


354:名無し三等兵
11/09/10 10:27:59.20
大抵、優秀な息子が現れると、親父に殺されるか
親父を押しのけるかのどちらか

355:名無し三等兵
11/09/10 23:59:15.05
それにしてもなんで有楽斎は信忠と一緒に逃げなかったんだろうな
建前とは言え最高の権力者なんだから、その命助けたら明智を討った後大大名の地位だってあり得ただろうに

356:名無し三等兵
11/09/11 01:13:38.01
ある意味で本能寺の変最大の謎だよな。

357:名無し三等兵
11/09/11 07:35:00.91
>>354
>大抵、優秀な息子が現れると、親父に殺されるか
>親父を押しのけるかのどちらか
家康に信玄か
優秀な息子に代替わりできていた後北条氏は奇跡のような存在だなw

358:名無し三等兵
11/09/11 07:46:14.73
>>355
武田残党狩りに辣腕を振るった信忠だから
今度は全く逆の事を自分がされると考えたら
当然諦めも早くなる

359:名無し三等兵
11/09/15 09:10:15.91
いきなり中国の話題に行って申し訳ないが、
明の軍隊は火力重視の軍隊と言われるが、鳥銃が使われ無かったのは何故?
日本より火縄銃が入って来たのは早いのに

360:名無し三等兵
11/09/15 21:13:00.68
銃を導入したら火力UPなのか?
既存の兵装に比べてどれくらいUPするんだ?

361:名無し三等兵
11/09/16 07:48:03.07
それまでが槍弓の冷兵器だけなら『火』力はゼロだから、一丁でも銃導入すれば上昇幅は無限大だわなw

362:名無し三等兵
11/09/16 09:12:18.47
砲はあるべ

363:名無し三等兵
11/09/16 21:33:43.30
>>360
北斗の拳スレで
最大火力の拳法はどれだ?と聞かれて南斗列車砲と返されたような衝撃を受けた

364:名無し三等兵
11/09/16 21:36:56.44
腐った豚の核ボタンは拳法と認められないのか

365:名無し三等兵
11/09/16 21:59:46.09
単眼銃や三眼銃に比べると、鳥銃の方が射程、命中率が上なのに
駆逐出来なかったのは?

366:名無し三等兵
11/09/19 00:39:53.53
朝鮮出兵の時、どうして牛馬の去勢法を入手できなかったのか?

367:名無し三等兵
11/09/19 08:14:06.75
暴れ馬程よいという認識があったから

368:名無し三等兵
11/09/19 08:37:51.96
いわゆる騎馬民族説について「日本では家畜の去勢が行われていないから、あり得ない」と
反論している研究者がいるな

369:名無し三等兵
11/09/20 15:07:20.73
大規模で恒常的な騎馬隊はなかったけど、少数・臨時編成なら使われてたし、例外的ながら太田道灌が騎兵を編成してたよ。
文献にも騎馬戦がしっかり書かれているのに、何をもって否定してるのやら……

370:名無し三等兵
11/09/21 22:02:28.27 EwJJgbKp
自分でも恒常的な騎馬隊はなかったとわかってるじゃん

371:名無し三等兵
11/09/21 22:23:27.76
騎馬隊以前に恒常的な軍隊自体が織豊期になるまで殆どなかっただろ

372:名無し三等兵
11/09/21 22:29:16.97
雑兵が農作業のために故郷に帰ってしまったので戦争できませんとか、珍しくないからなあ

373:名無し三等兵
11/09/22 12:31:01.62
江戸時代になって都市人口(非農業等の人口)が増えたけど
全員が定住できたわけではなく飢饉や不景気のたびに野垂れ死が発生しているからな。
当時ですら中間搾取であるが商工や武士が食っていける人数枠なんてあまり多くなかったんだろうね。
戦国時代は兵員需要が高かったとはいえやはり専業で兵員を食わす余裕はないだろう。

374:名無し三等兵
11/09/22 12:37:36.37
兵農分離してた織田とかはどうなの

江戸時代は関所設けまくって流通網がアレになってるし、仮想敵がいないせいで余り常備軍保有「能力」を見る時代には適してない気がする

375:名無し三等兵
11/09/22 13:59:23.85
金があれば常備軍がいいに決まってる
でも、近代以前なんて、軍隊の主力なんてコロコロ変わる
一時は常備軍がーなんてブイブイ言わせてた国も100年後くらいには半農兵が強かったみたいな

376:名無し三等兵
11/09/22 14:08:55.15
>>375
必要動員数が膨らむほど半農が有利になって
専門化とGDPに占める軍事費の割合が減るほど常備軍が有利になるイメージがある

377:名無し三等兵
11/09/24 11:12:41.39
常備軍なんて当時は殆どなかったろ? 中国やトルコの帝国ぐらいだよ。

378:名無し三等兵
11/09/24 12:16:53.79
              __ __
              ,ィミ川彡三ヾ三\
              {三{※}三}三ll三 }
            _ヽ彡川ミノ三レ勿/__
          ,ィミ川彡三ィミ川彡三ヾ三\
         {三{※}三{三{※}三}三ll 三}
       __ヽ彡川ミノヽ彡川ミノ三レ勿/__
      ,ィミ川彡ヾィミ川彡ヾ,ィミ川彡三ヾ三\        っ
     {三{※}三{/ ,二二、\{※}三}三ll三}   ∧ ∧  っ
       ヽ彡川ミノ/ /\ | /ヘ ヽll.ミノ三レ勿/    (´・ω・`)  
    I二二二二二| |―‐((_))―| |二二二二二二I二○==○  大八車に火薬詰めて敵中にばらまいてみる
           ヘヽ/ | \,/ /         〈_ノ=レ'
  ( (        \二二二/          (_vノ (_y)


379:名無し三等兵
11/09/24 12:57:03.65
最近の玄米って美味いな
あれ昔に持ってたら白米へのあこがれみたいなの吹っ飛びそうだ

380:名無し三等兵
11/09/24 16:20:02.42
>>377
ローマ帝国最盛期には常備軍がいた

381:名無し三等兵
11/09/24 17:25:10.75
“当時”としっかり書いてあるじゃん。
なに時代でも良いなら、現代日本だって常備軍があるわな……

382:名無し三等兵
11/09/24 20:08:13.54
>>379
白米信仰が無ければ、脚気を減らす事が出来たな

383:名無し三等兵
11/09/24 21:40:27.33
その後の輜重・兵站部門は日本の得意分野じゃなくなるだろ。?379が現実になってなくて良かった。
日本軍の長期遠征は米と梅干さえあればおk。


384:名無し三等兵
11/09/25 08:33:06.48
>>378
特攻隊だな

385:名無し三等兵
11/09/25 12:48:45.91
牛も連れていってジンギスk(ry

386:名無し三等兵
11/09/25 13:13:26.22
あれはラバを使うべきだった
もしくはターキンを捕えて家畜化しておくべきだったのだ

387:名無し三等兵
11/09/29 20:25:01.73
やるのが遅すぎた。昭和17年のうちにガンジスデルタに直接上陸すべきだった。

388:名無し三等兵
11/09/30 13:47:40.43
今日日本語版が発売したからTWS2絡みの話でも

大筒の中には崩烙弾を撃てる物もあったらしいが、実際にTWS2の大筒兵みたいな真似が出来たのだろうか?

出来たとしたら、オスマンと戦っても勝てそうなレベルだったのだが……
実際どうなんだ?

389:名無し三等兵
11/09/30 22:08:23.79
TWS2とか略語で表記すんな

390:名無し三等兵
11/10/01 13:57:31.48
火縄銃って、どの位の人数で、どの位の日数をかけて作られていたんでしょうか?
種子島に伝来してから一年後には数十丁の火縄銃が製作された、なんて記述も見掛けたんですが、そんなホイホイ量産出来るんですかね?

391:名無し三等兵
11/10/01 22:17:01.17
 まず職人の人数だけれど、銃身の鍛造は刀を鍛える時と同じように、むこう鎚と合わせて二人がかりだったはずだけどね。
次にかんたんな銃庄に付けて発砲し、その散布界に合わせて大まかな照準を付けてたら、カラクリ(機関部)師に引き渡す。
ここで銃庄も取り付けて完成するとして、一丁づつに合わせたハンドメイドだったから、そこそこに時間が掛かったはず。

 さて現代日本の刀工は、月に刀を二本しか作ってはいけない決まりになってるが、本当はもっと打てるらしい。
銃身が手間の掛かる工作だったとしても、刀身のように焼き入れするでもなし、月に二本は打てたのではないか?

 よって職人は最低でも三人、日数は一丁当たり十五日程度と類推する、ただし試射については考慮してない。


 とまぁ大ざっぱに書いてみだが、砲術家ってのは、高品質かつ一定の火薬や鉛を用意・管理したり、銃と火薬や鉛の量・
質について相性を把握したりと、現代のマッチメイクの射手に近い働きを要求されたから、試射も本気で研究しだすと際限
がない。
 そして歴史に登場する武将や砲術家の何人かは、そうした研究と製造を一手に手掛けるコーディネーターだったりもする。
そうなると『何人』の答えが『国友村』でもおかしくないし、手工業生産なら製造日数も飛躍的に早まるだろうね。

392:名無し三等兵
11/10/01 23:32:57.05
>>391
おおいに参考になりました。
刀は月に二本まで、そう言う視点からの推察は私の発想にはありませんでした。


393:名無し三等兵
11/10/03 00:24:07.29
よし、戦国時代に工程分解、大量生産の概念を持ち込む

394:名無し三等兵
11/10/03 03:07:11.52
規格の概念もな

395:名無し三等兵
11/10/03 05:10:58.28
当時の輸出品、打刀やら扇やらは工程分解による分業で量産されてたような

396:名無し三等兵
11/10/03 11:23:11.45
『当時』とは応仁の乱から安土桃山にかけてかな?
戦国初期はともかく、後期にはそうだろうね、上に挙げてる国友村とか。
でなきゃ一丁二両半で輸出できないよ。

397:名無し三等兵
11/10/03 15:32:44.93
国友村の鉄砲なんて江戸期に入ってからじゃないの

398:名無し三等兵
11/10/03 22:46:34.34
たしか阿波だったか
鉄砲の口径が統一されていたのは

399:名無し三等兵
11/10/04 05:12:13.07
>>397
江戸時代に入ったら、もう鉄砲を量産する必要はないじゃんw

400:名無し三等兵
11/10/04 05:21:21.20
>>399
へ???

401:名無し三等兵
11/10/04 12:08:51.13
>399
まじ!?

402:名無し三等兵
11/10/04 20:54:00.12
江戸時代って世界的に見ても変な時代だよな

封建制なくせに200年間、普通に平和とか……
キリスト教の狂信者が反乱起こしたり、一揆がたまに起こったくらいじゃね?

403:名無し三等兵
11/10/04 21:16:02.54
我慢は美徳とか武士は食わねど高楊枝とか、
今までと違う価値観を植えつけたからかも

404:名無し三等兵
11/10/05 00:58:08.84
>>402
封建制というより、ドイツの領封制みたいな感じ。

405:名無し三等兵
11/10/05 09:55:02.52
みんなそこそこ食える程度に貧乏だからな、
食えなくて反乱、権勢が高まって簒奪というのが無い。

406:名無し三等兵
11/10/05 11:05:51.06
支配者の武士まで質素倹約なんだもん
大名も参勤交代で赤字だらけだし

江戸に行っても旗本は貧乏だし
将軍の元に集まる金も大奥に吸い取られるし
大奥も人間が増え過ぎてそれぞれに掛かる経費を節約させられるし

封建的共産主義?って表現は存在しないみたいだがw

407:名無し三等兵
11/10/05 12:42:50.56
実質的に農村を支配していた庄屋や
経済を支配していた商家は裕福だったじゃないか

408:名無し三等兵
11/10/05 20:26:32.40
本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に

409:名無し三等兵
11/10/05 21:00:30.68
搾取する側が貧しくて搾取される側が比較的裕福な社会は、古今東西通して見ても江戸期しかないんじゃないかな。
江戸での庶民の防犯対策は突っ張り棒をして戸締りするだけって、どんだけ治安良かったんだよw


410:名無し三等兵
11/10/05 22:01:10.02
現代日本も相当あれだけど、江戸時代の人って上から下まで調教されすぎだろ

411:名無し三等兵
11/10/05 22:04:05.20
俺んちは江戸時代の代官屋敷の斜め前ぐらいなんだが
その代官屋敷の隣は、庄屋で周りも問屋を営んでいた商家がズラリと立ち並んでいたそうだ。
で、今もそんな子孫が多く住んでいて塀もぐるりとあるデカイ家だらけ。

たまにスゲー癒着があったんだろうなと思いを馳せる時があるわw

412:名無し三等兵
11/10/05 23:44:35.63
>>410
大坂の陣で見せしめの20万人大虐殺があったから当然

413:名無し三等兵
11/10/06 16:56:21.93
生物兵器とはいかなくても
適当な病原菌をばらまくと
いくら籠城してもイチコロだよな

なんかいい病原菌はないものか?

414:名無し三等兵
11/10/06 18:26:12.25
商人、町人から税を取るシステムを作れなかったのが江戸時代の限界だった

415:名無し三等兵
11/10/06 18:30:37.36
江戸末期には、幕府の役人でヨーロッパの事情を知る者なら
日本も将来は四民平等にして議会制度にすべきと考えるものは
幾らでも出ていただろう

無駄な泡沫武士の給与を無くしてしまい、巨大化した大奥システムも崩壊させられる
質素倹約といってもある程度の土地が残ったイギリス貴族みたいな形でなら
上級武士で華族化させてもらい貴族院でも入れればとりあえず安泰で、江戸時代と変わらないしw

結局首切られたのは下っ端武士だけだった訳だ

416:名無し三等兵
11/10/06 19:12:01.34
>>414
田沼意次がそれを考えていたらしいが?

417:名無し三等兵
11/10/06 20:24:19.17
武蔵野共和国とかどっかにあったな

維新後のモデルケースが既に存在していたとも言える

418:名無し三等兵
11/10/06 20:55:02.00
>>413


419:名無し三等兵
11/10/06 20:56:39.91
>>413
中世欧州では死体を砲弾にして撃ち込んだりしたらしいが、日本ではそこまではやってないかな?

420:名無し三等兵
11/10/07 08:13:40.56
雑兵物語には「敵地の井戸には糞が入れられてるから飲むな」とかあったな

421:名無し三等兵
11/10/07 09:06:17.78
>>420
あったね
死んだ馬を放り込む戦術って日本じゃなかったっけか?

422:名無し三等兵
11/10/10 12:31:24.68
どうやって放り込むの?

423:名無し三等兵
11/10/10 14:34:33.71
重力を利用して投げ込めばOK
馬が大きすぎるなら解体すればOK

424:名無し三等兵
11/10/10 19:35:23.91
包囲攻撃とかならトレビシュットで投げるとか、
撤退時なら戦傷で死んだ馬から適度に腐ったのを見計らって水源にぶっこむとか。

425:名無し三等兵
11/10/10 20:37:57.70 nl5CWb5S
>>421
モンティパイソンの映画で攻囲戦のシーンだったか
牛に始まり犬猫ニワトリなんでも投げてたな
ラストでは糞がふってくる

426:名無し三等兵
11/10/11 17:23:56.80
戦国以前の日本にはカタパルトやバリスタがあったし、山城は攻囲側より低い位置にあったんだ?

427:名無し三等兵
11/10/11 18:36:36.43
ルトガー・ハウアー主演のグレート・ウォリアーズで、ペストにかかった犬をばらしてトレバシェットで城内に投擲してた
で、偶然1欠片が飲水井戸に落ちてと

428:名無し三等兵
11/10/11 18:50:09.00
ペストを毒と勘違いしてる描写だけど、視聴者に分かり易く伝える為には、仕方ない演出なんだろうな……

429:名無し三等兵
11/10/11 21:35:15.11
型張と

サトイモの茎を束ねて弾力を与えて引っ張って打ち込む

430:名無し三等兵
11/10/12 14:59:11.75
だいたい日本の合戦で、馬の死体なぞ投げ込んでどうすんだ?

431:名無し三等兵
11/10/12 15:08:32.52
病原菌でも悪臭でもぶち撒きゃええがな

432:名無し三等兵
11/10/12 19:10:32.46
>>430
マフィアの抗争のいやがらせ

433:名無し三等兵
11/10/12 21:14:29.51
やるとしたら嫌がらせだろうな……
日本の戦国時代に伝染病と言ったら、天然痘かマラリヤくらいだし、馬の死体など投げ込んでも意味はない。
投げ込む道具もないし。

434:名無し三等兵
11/10/13 01:19:34.73
>>433
>日本の戦国時代に伝染病と言ったら、天然痘かマラリヤくらいだし

伝染病はそれだけじゃないしw
馬の死骸による影響の話とはかけ離れてるしw

435:名無し三等兵
11/10/13 03:53:26.05
腐敗毒は紀元前から使われてきた猛毒
経口摂取された腐敗タンパクって腎機能阻害し、現在でも治療は対処療法しかない

でもまぁ雑兵物語なら(前後から)死ぬレベルじゃなくて食中毒あたりを念頭にしてるのかも

436:名無し三等兵
11/10/13 16:34:00.74
>>435
前線で集団食中毒なんて発生したら戦闘どころじゃないからな、十分脅威

437:名無し三等兵
11/10/13 17:08:25.09
歴史的事実と言うよりファンタジーだな

438:名無し三等兵
11/10/13 18:59:01.18 CeEQlgiV
>>425
ラストはでっかい木馬だろ

439:名無し三等兵
11/10/13 19:06:19.58 KD7Mpyxx
>>438
いや映画のラストでまたあるよ
あと木馬じゃなくてウサギかなんかの木馬じゃなかったっけ

440:名無し三等兵
11/10/13 20:20:52.52 8wtjLhNA
戦国末頃の日本には鉄砲だけで百万丁近くがあり、当時としては世界最大の“銃器大国”だった。
ってどこかで読んだ記憶があるけど、この話は本当なんかね?

441:名無し三等兵
11/10/13 20:41:01.53
お前の感違いだろ? 数値データが全く違うし。

442:名無し三等兵
11/10/13 21:03:39.86 KD7Mpyxx
銃を捨てた日本人とかそういう題名な気がする

443:名無し三等兵
11/10/13 21:52:01.79
>>440
20人に1丁とかの世界になるけど
赤ちゃん含めて

444:名無し三等兵
11/10/13 22:00:33.32
乳幼児死亡率の高い当時に、赤子の数なんか掌握してたのかね?


445:名無し三等兵
11/10/13 22:11:42.67
>>443
刀はそれ以上の割合でありそうだな。


446:名無し三等兵
11/10/14 14:11:19.27
銃だけあっても火薬の生産が…

447:名無し三等兵
11/10/14 15:05:17.42
硝石ならウンコから作れるだろ
別に大陸からしか取れない訳じゃないよ

448:名無し三等兵
11/10/14 15:29:59.87
主にNだから糞よりは尿が大事かな
すっごい時間と手間かかるけどねー

449:名無し三等兵
11/10/14 21:40:03.37
「作れる」と「足りる」は全然違うんです、ハイ

450:名無し三等兵
11/10/14 23:47:41.15
実際には硝石はもちろん、鉛も輸入していたよ。

451:名無し三等兵
11/10/15 04:27:53.35
江戸時代だと、農村でも害獣駆除(脅し筒)とか民間でも使われてた(種子島自体は多量にあった)
でも”戦争”をしない限り硝石なんてたくさんいらないわけで、中期になると長崎交易品の中に硝石はなくなる
ので江戸時代には国内生産で十分まかなえていた、と思われる
まぁ日本各地に鉄砲火薬調合所御免状(だいたい焔硝屋を名乗ってる)が残ってるよ

452:名無し三等兵
11/10/15 07:41:35.24
>>451
その頃にはもう主要な火薬需要は花火じゃね?
火薬の備蓄も各藩ある程度維持してるが

幕末はどうなってるんだろうね?
武器は大量輸入されるが火薬はあんまり聞かないんだが
メタルカートリッジは完全輸入だろうが完全に移行してはいないしな

453:名無し三等兵
11/10/15 08:24:55.00
>>452
幕末は大騒ぎで増産してる、でも数年かかるから間に合ったような間に合わんかったような……
(じつは日本の塩硝生産は基本蚕糞利用で、西洋のような人尿利用は19世紀になってから技術輸入あったらしい)
pdfだけど、加賀藩の火薬生産のまとめがあった……これによると平時でも五箇山だけで1.5㌧とか生産されてたよ
URLリンク(dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp)

454:名無し三等兵
11/10/15 10:49:21.01
蚕糞はpH調整の役割が大きいと思ってたんだが

455:名無し三等兵
11/10/16 05:24:55.06
日本の場合、気候的な問題で土硝法が可能な地域は少ないのだが、平和な江戸時代に入った時点で、必要な分は国内で賄えた。
それと輸入が可能な国でも、土硝法はそれなりに使われており、革命期のフランスでは、硝石採掘人はあらゆる家に入り、土を掘り起こす権利を有してた。
警察長官になる前のフーシェは、この硝石採掘人に化けて、議員たちの屋敷を訪問し、ロベスピエール打倒の根回しをしていた。

幕末になると、メタル・カートリッジの銃も輸入されてるようになったが、長期の船旅で湿気て、再装填しなくばならないことも多かった。
坂本竜馬の持っていたS&WのM1も、湿気て不発だったとか、使い物にならなかったと言う話が残っている。
それでもこの頃は、南北戦争直後の兵器が大量に余っていた為、各国の武器商人が競って日本に輸入を持ちかけていた。
また国内の各藩も、従来の種子島などでは戦争にならないのを認識しており、可能な限りだが武器の更新を進めようとしていた。
硝石も購入しようとしたかもしれないが、可能ならより新しい兵器を導入しようと考えたのは間違いない。
あの新撰組も、洋式兵装の実験部隊とされたし、北海道の戦闘では、ヨーロッパ武官も賞賛する程の習得を見せている。

それでも新型兵器は非常に高価で、充分な更新が進んだとは言えない段階で、明治維新に突入した。

456:名無し三等兵
11/10/16 13:51:21.60
ちょっと話題それるけど
相手が壊走を始めて追撃戦を展開する際、機動力を重視して少数で編成して追撃する事になると思います。
しかしその場合、残った殿軍に対処すると足止めされて戦果を逃してしまいます。
機動力を保持しつつ殿軍を対処もしくは突破する方法はあるのでしょうか?

457:名無し三等兵
11/10/16 14:00:15.88
>>456
抽象的すぎ。時代、地勢、使用する兵器等々によって異なるかと。

458:名無し三等兵
11/10/16 15:07:34.90
複数の隊を出すなり分進させる以外にないだろ

459:名無し三等兵
11/10/17 07:54:47.96
三国志演義のように退路に伏兵を・・・
ってそんな戦力を決着後の段階まで温存しておくぐらいなら
壊走前に背後をつかせたほうが良いけどな

460:名無し三等兵
11/10/18 19:17:23.25
>>456は近世なら>>458の解で正解だろ。

461:名無し三等兵
11/10/23 20:22:07.44
近世じゃなくても掃討戦なら隊は分けて動かすのが普通じゃないのか

462:名無し三等兵
11/10/28 14:16:04.58
近代の士官・下士官・兵の構造っていつ頃から出てきたの?

463:名無し三等兵
11/10/28 21:47:45.08
>>462
近代も何も、古代からあるだろ

464:名無し三等兵
11/10/28 23:17:33.70
>>462
近代市民軍の成立からだからまあフランス大革命からだな


465:sage
11/10/29 00:08:12.11 QPJ6Blim
百人隊やら百人隊長とかもあるしなぁ。
社会体制がしっかり出来ている、組織的になっていると、自然になっているかも。

466:名無し三等兵
11/10/29 00:27:40.66
つーか集団を動かすなら自然にピラミッド構造になるだろ

467:名無し三等兵
11/10/29 12:18:29.55
ピラミッドが美しいか汚いかだな

468:名無し三等兵
11/10/29 12:57:44.90
陸戦での単横陣って実はあんまり強くない気がしてきた・・・
白兵戦主体ならテルシオの改良版が一番強い気がしてきたわ
白兵戦主体だと、敵が正面に戦力を集中させようが、それで別に
瞬間的に攻撃力を増大出来る訳じゃないし
中短期的には耐えられるんだよなー

その後は両翼、後方の槍兵を散開して半包囲するなり、騎兵で敵の
背後から突撃するなりした方が・・・
敵の騎兵にケツ掘られるのを恐れてこっちの騎兵を損耗させるよりマシだ

469:名無し三等兵
11/10/29 14:48:38.97
現在の軍事と歴史に詳しい人間が当時の合戦で敗戦側に開戦前に助言できるとして、
大坂の陣や関ヶ原のや山崎の合戦長篠の合戦の敗戦を覆すことは可能でしょうか?

470:名無し三等兵
11/10/29 14:51:19.37
そもそも、大阪の陣や関が原、山崎長篠を起こさないよう努めるんじゃない?

471:名無し三等兵
11/10/29 15:28:34.06
>>469
関ヶ原はまだしも大坂の陣は無理じゃない?

472:名無し三等兵
11/10/29 15:46:57.98
>>469
戦う前から詰んでる戦いばっかりだからなぁ……
戦術論でどうにかなるレベルじゃないよ

473:名無し三等兵
11/10/29 16:29:01.35
関ヶ原は小早川の扱いしだいでなんとかなるんじゃね


474:名無し三等兵
11/10/29 16:52:10.87
>>473
小早川以外にも徳川方に内応してる連中は多かったからなぁ
小早川自身、元々三成にも毛利にも余り良い印象は無いだろうし、西軍になったのは巻き込まれただけだし
当時の豊臣家には恨みもある

西軍に引き込むのは難しいぞ。かといって不参加にしてしまうのも難しい
西軍に強引に巻き込んだ挙げ句、帰ってくれと言えるほど小早川は軽い家格でも兵力でもなかった
朝鮮役での活躍を見るに、普通に強いし、老獪さなど備えようも無い年齢でもある
必ずや、どんな形であれ関ヶ原には介入して来る武将だろう
そして、それは西軍の一員としてではないだろうよ

小早川を西軍に引き込むには最低、小早川家が豊臣の分家として正式に独立する事・上方に2ヶ国以上の所領の贈与・三成の処分……こんな条件が必要になるんじゃないかね

しかし、小早川のためにそこまで大盤振る舞い出来ないだろ、西軍は

475:名無し三等兵
11/10/29 17:01:35.46
>>469
長篠とか設楽ヶ原行かず引き返せって助言になるんじゃないか

476:名無し三等兵
11/10/29 17:41:12.19
相手の内情もその後の戦略、布陣も分かってるから
ありえないぐらい超有利(特に関ヶ原は)になるでしょ

477:名無し三等兵
11/10/29 17:44:01.82
布陣だけなら、昔から言われてる通り西軍有利だからな
寝返り前提じゃないと包囲網の真ん中に家康も突っ込んでいかないだろ

478:名無し三等兵
11/10/29 17:50:26.72
昔から思っているが、裏切り前提で真ん中に突っ込むのもどうかと思うわ

479:名無し三等兵
11/10/29 18:01:08.22
>>478
あのへんの家康の判断は疑問だよな
内応に自分の運命かけるとかちょっとありえないだろ
家康って、いろいろ工作はやるけど家臣に恵まれてることあってそういうの好んでなかった感もあるしな
まあ西軍が先に布陣して有利な高所確保してたってのはあるけれどなあ
未曾有の規模の軍勢の衝突で、麾下の武将も心服してたわけじゃあないから、勢いで進んじゃった部分があるにしてもなあ
それに、秀忠待ってやれよってw

480:名無し三等兵
11/10/29 19:30:48.86
>>479
というか、秀忠が東海道・家康が中山道の侵攻路を辿っていたら
どうなってたのか?という議題に興味あるね。

481:名無し三等兵
11/10/29 19:54:40.55
戦さ下手で知られる秀忠VS三成のたたかいか
補佐に島左近が付いてる分三成有利か?

482:名無し三等兵
11/10/29 20:01:20.89
秀忠の側にいたのは本田正信だしな。
忠勝や井伊がいたにせよ、どうだろうな
つうか秀忠じゃあの泥試合を御せれた気はせんな

483:名無し三等兵
11/10/29 20:02:48.73
と言うか、秀忠に三成憎しで味方に付いている豊臣の武断派連中を統率できるとは…
何とか東海道を抜けても戦いを急かされて大垣、赤坂辺りで撃破されそう

484:名無し三等兵
11/10/29 20:53:26.08
三方が原や大坂の陣の体たらくを見ると、
家康も真田父子に翻弄されて関ヶ原には間違いなく遅れるだろうな。
秀忠ほどの遅参ではないにしても。

485:名無し三等兵
11/10/29 21:01:23.47
家康なら真田を放置できたかって言うと疑問だよな
挟撃される危険考えたら中途半端な拘置兵力おいて進撃はしがたい
地の利のある所で、遊撃戦は十八番の真田だし

秀忠が先に予定戦場についちゃったら悲惨だろうなw
統御不能のまま各個撃破されるだけだわw

しかし真田って事あるごとに徳川家を苦しめるが、なんであんなに牙むいたんだ?
武田滅亡後は、旧武田家臣団吸収した形の徳川のほうが心理的にも縁故の存在も頼り易かったように思うんだが
豊臣とか、武田滅亡のときに恨みのある相手がわんさといただろうに

486:名無し三等兵
11/10/29 21:10:01.75
世の中が泰平になっちゃうのが嫌がったんじゃね?
西方が勝てばもうちょい戦乱続いて、
真田が雄飛できるから。っつうのは穿ちすぎか。

487:名無し三等兵
11/10/29 21:19:23.94

根本的な議題を出そう!

もし、秀吉と家康の寿命が尽きるのが逆だったら?
つまり、1598年に家康が死に、1616年に秀吉が死んでいたらということで。

その後に、江戸の陣なるものが起きたのかな?

488:名無し三等兵
11/10/29 21:30:00.70
秀頼への権力委譲もスムーズだったろうし、
徳川家も豊臣の重臣として案外平和が続いたんじゃないか?
海外出兵の後始末がどうなってたかわからんけど。

98に家康死んで秀吉存命じゃあ、
秀忠と家臣団に戦どころか受けることができたとも思えない

489:名無し三等兵
11/10/29 21:32:58.61
秀吉が80歳か

最後は脳軟化症だからなあ
どうやって生きるんだと

490:名無し三等兵
11/10/29 21:37:13.00
>>488-489
それ以前にそこまで秀吉が存命なら、
朝鮮征伐がどうなっていたか気になってしまう。

確か、秀吉の実姉の日秀は寛永期まで存命しているから、
豊臣家一族は決して短命の一族じゃなく、
適切に当時のレベルでも健康に気遣っておれば、
秀吉も1616年まで存命なのも別に無理な話ではない。

491:名無し三等兵
11/10/29 21:43:10.95
どういう状態で秀頼が存命かって話ではあるよな
朝鮮出兵を耄碌が全てとはいわんけど、
秀吉が健在なら状況がなにか変わったのかとか

492:名無し三等兵
11/10/29 21:43:37.67
実際に現在の天皇家に流れているのは、
徳川家の血ではなく豊臣家の血なんだよな。

493:名無し三等兵
11/10/29 21:43:57.88
>>491
まちがえた、すまん。秀吉が存命。だ

494:名無し三等兵
11/10/29 21:52:35.51
>>488
>>490

慶長の時の戦況から考えると、
朝鮮征伐は朝鮮南部は明側(朝鮮側)は日本側に割譲しないといけないだろ。
そして、日本側には形式的に秀吉を日本国王とし、勘合貿易を復活させるという
ことで明側は日本を朝貢国として扱うことによって中華圏での盟主としての
対面を保つということで終戦協定は妥結せざるをえないだろう。
文永の時の小西行長と沈惟敬の偽計による和睦が失敗に終わったという事を
考えるとね。
(単に秀吉を日本国王とするとだけでは秀吉が怒って当然。
明側としては勘合貿易の復活くらいは認可しておくべきだった。)

495:名無し三等兵
11/10/29 21:55:03.74

朝鮮出兵もそうだし、他にも京大阪の普請事業を負わされてた諸大名の疲弊っぷりが気になるな。
実際東軍に付いた大名多かったのもその辺の理由があるし。
秀吉の寿命云々じゃなくて、もしかしたら豊臣政権自体が長期政権を築けなかったかもとも思う。

496:名無し三等兵
11/10/29 21:59:05.52
長期政権のイメージないねえ。
秀吉が生きてるあいだは大丈夫でも、
死んだら(家康いなくても)結局は戦乱逆戻りだったかも。

497:名無し三等兵
11/10/29 22:07:13.17
>>495-496
どうだろ?
石田三成あたりがそれを見越して、豊臣秀吉に建言して
まず250万石の徳川家をやはり潰しにかかるだろう。
やはり「江戸の陣」なるものが起きるとw
ただ、豊臣秀吉の場合は攻城戦は徳川家康よりは
上手いので普通に政略によらずとも武略で
江戸城を落としていただろう。
(当時の江戸城ではさほど堅固ではないし)

498:名無し三等兵
11/10/29 22:11:30.43
>>495
しかし、255万石を貰っておきながら、
江戸幕府開闢の時から(さらに言えば江戸入府の時から)
既に資金的に疲弊して、
江戸時代を通じて慢性的に幕末まで
財政状況が火の車で在り続けた徳川はどうなるw

499:名無し三等兵
11/10/29 22:23:48.08
徳川ってそんな状況だったのw
しらなかった。

500:名無し三等兵
11/10/29 23:48:08.25
>>497
そりゃそうでしょう。小牧・長久手の頃とは豊臣家の勢力が違いますからね。
ただ倒したところで豊臣政権の主体は農政ではなく商業経済政策でしょうから。
商業主体だと政権腐敗が早い気がしまして・・・。


501:名無し三等兵
11/10/30 00:56:48.05
>>500
何号か前の歴史群像に、秀次粛清の真因は政権内部の腐敗というか商業資本との癒着じゃなかろうか?みたいな記事があったな

502:名無し三等兵
11/10/30 01:57:03.01
あんまり長引くとヌルハチさんが出てきてカオス

503:名無し三等兵
11/10/30 02:08:07.52
>>502
実は赤マフラーをした明智光秀。

504:名無し三等兵
11/10/30 02:43:48.62
>>497
実は俺もそれを妄想したことがある
大普請前の江戸城を豊臣方が小田原のごとくひねり潰すと想像する。

505:名無し三等兵
11/10/30 07:52:49.45
そんな状況で籠城を選択するか?

506:名無し三等兵
11/10/30 08:47:31.08
てえか江戸って防衛できる地勢じゃないだろ
小田原だって似たようなもんだが
日本中を敵にした状態じゃあ箱根は防衛拠点には突出しすぎるから、多摩川あたりで迎撃決戦かね?
伊達上杉佐竹の出方次第で北からも来るし、まあどうしようもないわ…

507:名無し三等兵
11/10/30 08:56:18.86
秀忠のことなら、秀吉に嫌疑をかけられた時点で
さっさと江戸城開城して、5万石くらいのお情けの領地をもらって
自身の身柄と重臣の身柄の安堵を保証しようとするだろうな。

508:名無し三等兵
11/10/30 09:49:51.95
秀次・徳川連合で関ヶ原

509:名無し三等兵
11/10/30 12:43:26.45
そもそも収量が安定しない米を基軸に経済を回そうというのが無茶な話だった

510:名無し三等兵
11/10/30 13:19:19.35
>>506
その点意外と大坂の方が恵まれているよな。
山脈に囲まれているし。

511:名無し三等兵
11/10/30 14:04:07.69
>>510
それにしても日本の大都市ってことごとく防御不能ではあるよな
京都も、盆地で守りやすいようでいて攻められると毎回あっさり陥ちてるし
まあ都市機能と防御両立させるってのがまず無理題ではあるけれど
防御優先で鎌倉みたいな僻地に逼塞するのも近代に入っちゃえば取り得ないしなあ
結局要衝を整備してしっかり固めるしかないんだが、そんなの無闇に人と金を食うしなっていう


512:名無し三等兵
11/10/30 14:11:04.19
>>1

驕る白人の時代だね。
まっ先に奴隷貿易が頭にうかびます。
キリシタンが
50万人の日本娘を奴隷に売却 -
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

513:名無し三等兵
11/10/30 14:18:00.07
>>512
それウソ
1600年の日本の人口は1227万人ぐらいだったのに
どうやって若い娘50万人も出せるわけ?

514:名無し三等兵
11/10/30 14:23:11.27
>>511
基本的に篭城(都市規模での篭城であっても)という策は
援軍が来るまでの繋ぎの策なんだから、
その前提を意識して無いとあっさり陥落する。
大坂冬の陣がその典型だよ。
宇治川防衛策か、伏見城の対処に失敗したら、
山崎のラインで防衛するといったように、
ただ防御するのではなく縦深防御に徹して攻め手に出血を強いるしかない。

515:名無し三等兵
11/10/30 14:27:32.56
>>512
歪曲もいいとこだな。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

516:名無し三等兵
11/10/30 15:08:25.71
結局は戦闘で決着を付ける前に「内政で力を蓄えつつ、外交で勝てる状況を作るべし」って当たり前の結果に落ち着くんだな。

517:名無し三等兵
11/10/30 15:24:23.02
>>498
>>500-501

その反面、豊臣家は大坂の陣の終了後つまり滅亡した時点で、
約50万両ほどの資産を保有していたという。
非常にテラワロスwww

518:名無し三等兵
11/10/30 15:37:22.55
>>517

島原の乱での幕府側の総戦費は動員兵力12万で戦費約40万両
だとすると、大坂方はあと1回は大坂の陣は優に起こせるくらいの量だな。
大坂の陣の時のドサクサなどで、徳川方に接収されてない
資産もあるだろうからさらにあったのではないかと推測できるかも。

519:名無し三等兵
11/10/30 16:05:15.16
>>517
秀吉がいかに金儲けの天才だったかを証左してるようなもん
何しろ信長在世の時から桁外れの金を持ってたらしいからな
死ぬまでケチだった家康とはわけが違うのよ

520:名無し三等兵
11/10/30 16:12:07.49
>>519
いや各地の主要鉱山押さえて採掘物ガメ込んだだけだろw


521:名無し三等兵
11/10/30 16:23:27.29
>>520
秀吉の出自が豪農である程度の銀の蓄財があったと言われているので、
単なる農家ではなく家自体商才のある家柄なんだろう。
秀吉自身泥鰌売りとかして商売をしての経験もある。
家康のように元から土豪の家の出自とは違うのだから
商才という面では家康は秀吉に大きく水を空けられているだろう。
だから家康としては吝嗇という方法でしか蓄財する手段が無い。

問題は家康の死亡時の遺産の総額が諸説あってはっきりしないことだな。
伏見城などにあった秀吉の遺産など根こそぎ家康はくすねているから
全貌はつかみにくい。

522:名無し三等兵
11/10/30 16:40:01.62
根拠ゼロで秀吉の方が商売上手と言われてもw

523:名無し三等兵
11/10/30 16:41:03.36
根拠あるのに秀吉の方が商売上手ではないと言われてもw

524:名無し三等兵
11/10/30 16:42:17.97
流通用通貨の一点だけでも家康の方が経済に明るい

525:名無し三等兵
11/10/30 16:44:12.01
家康というか徳川家が常時金欠なのはなんで?

526:名無し三等兵
11/10/30 16:49:54.38
>>525
あまり年貢取らず、インフラ整備に大金を投じたから

527:名無し三等兵
11/10/30 17:10:34.98
秤量貨幣がかなり浸透していた時代に
いきなり計数貨幣を投入している時点で、
経済に明るいとは到底思えんw

江戸後期になっても依然として秤量での貨幣使用は
残っている。

528:名無し三等兵
11/10/30 17:41:37.69
>>527
銀貨は秤量通貨として丁銀や豆板銀を鋳造していますが
金貨は計数貨幣ですけどね

529:名無し三等兵
11/10/30 17:48:52.97
>>528
お前は江戸時代の経済を何も分かっていないw

530:名無し三等兵
11/10/30 17:55:55.30
>>527の言っていることが正しいってことだな。
金貨に計数貨幣を持ち込んでも幕末まで、
実際にさほど定着せず金貨は退蔵するか
事実上両替して銀貨をあつかっていたからな。
特に大坂商人は。

531:名無し三等兵
11/10/30 17:58:32.34
経済=大坂という認識もアレだけどね

532:名無し三等兵
11/10/30 18:03:55.04
江戸の開発にはどれくらい費用突っ込んだんだ


533:名無し三等兵
11/10/30 18:29:03.65
>>531はおそらく文盲www

534:名無し三等兵
11/10/30 18:49:37.66
秀吉は具体的にどう金儲けしたんだか

535:名無し三等兵
11/10/30 18:50:51.22
その答えは君の心の中にある

536:名無し三等兵
11/10/30 19:01:49.76
裕福な大名を襲って蓄えたんだよ

537:名無し三等兵
11/10/30 19:29:27.47
だいたい、徳川も全国の金山銀山を直轄にしてるだろうが

538:名無し三等兵
11/10/30 20:01:47.64
>>534
それがよく分からんらしい
高松城の水攻めの際、城周辺に二重の陣城を築いたが
現在の金に直すと数百億円になるらしい
もちろんそんな金を信長が出すわけがなく、秀吉が捻出した金である事は間違いないが
秀吉ほどの男だからどうやって金を儲けたのか、人にペラペラしゃべるはずがなく(しゃべった時点で誰かが必ず真似をする)
まして記録になど残すはずがないからな
光秀も信長に仕える前までは京都に豪邸があったらしいから
信長はどうやら金のある人間も抜擢したようだ

539:名無し三等兵
11/10/30 20:56:12.17
家来の食費を少しずつケチって貯めたんだよ

540:名無し三等兵
11/10/30 21:06:15.89
>>538
>>521

541:名無し三等兵
11/10/30 21:11:24.27
ペテンで高利貸しから金巻き上げてただけなんじゃねーの?
一皮剥けば借金まみれだったり

542:名無し三等兵
11/10/30 21:14:45.80
>>540
妥当な真面目な考察だとそうなるんだろうけどさ。


っで、今年の大河ドラマの「お江」は酷い。
大坂の陣の冬の陣で最後まで徹底抗戦を主張したのは
史実では秀頼なのに、真っ先に和睦を主張したのは秀頼で
淀殿をはじめ他のものは全員徹底抗戦を主張している
構図にこの大河ドラマはしていた。

543:名無し三等兵
11/10/30 21:19:36.38
>>540
具体的にどの様な商売か方法で家康よりも稼いだの?

544:名無し三等兵
11/10/30 21:22:54.00
そんな旨みのある商売が史料に残ってるぐらいなら家康もやったつうに

545:名無し三等兵
11/10/30 21:32:29.81
>>543
>>521

546:名無し三等兵
11/10/30 21:33:12.26
>>543みたいな奴は何でも資料が残っていると考えているのだろうなw

547:名無し三等兵
11/10/30 21:39:57.52
>>542
見るなら「黄金の日日」見ろ。あれは経済ネタたくさん入ってるぞ。

548:名無し三等兵
11/10/30 21:45:21.43
ただ、秀吉の場合は商人を重臣扱いにしているほどだからな。
小西行長も商人出身だし。
儒学精神が希薄でさほど秀吉には意識してなかったのだろう。
家康は武士の豪族出身だから多少の儒学の教養は幼少よりあっただろうし、
今川の人質時代なら特にちゃんとした儒学の教育は受けているだろう。
推測の域を出んがな。

549:名無し三等兵
11/10/30 21:48:24.41
秀吉自身が勝家の援軍拒否した際の信長のご機嫌伺いに莫大な賄賂贈ってることからも
天下取ってからの各方面からの賄賂だけでやばいがする。



550:名無し三等兵
11/10/30 21:50:39.67
以前テレビで建築家秀吉ってのがやってたが
要するに秀吉は今でいう土建屋の社長のような人間で
戦に必要な資材と労力を全部自分の所で引き受けるから
戦の度に城や陣城を築くので、戦をすればするほどボロ儲けできる仕組みになってたと
まああくまでも推考だけどな

551:名無し三等兵
11/10/30 22:30:37.92
>>544
史料に残らん方法で大稼ぎできると考えるのかw
>>548
茶屋四郎次郎、後藤庄三郎、角倉了以、湯浅作兵衛、長谷川左兵衛

552:名無し三等兵
11/10/30 23:58:32.17
>>550
どんなゼネコンだよとw
事業主も秀吉だろうに
あちこちで経費抜いたり割増経費取ったりしても結局それは全部秀吉に帰ってくるのにな
織田家だと各武将ほぼ独立採算みたいなもんだし
まあ全部外注するよりゃマシだろうけどなあ

>>551
家康は別に商業軽視な武将じゃないよね
オランダ人が漂着すれば迎え入れて顧問にするぐらいだし
せっせと朱印船貿易もやれば街道や国内流通網の整備も始めてる
ただおもいっきりケチだったせいでなんか誤解されてるがw

553:名無し三等兵
11/10/31 07:52:40.06
>>551
重臣じゃないなw
所詮は商人扱いで商業軽視を象徴しているw
まあ、何でも史料が残っていると史学研究者は非常に楽だろうねw

554:名無し三等兵
11/10/31 09:08:11.32
>>553
小西行長は秀吉の重臣なんかではない
それに長谷川は武士でもあるよ

そもそも商人扱いが商業軽視とは言っている意味が不明



555:名無し三等兵
11/10/31 17:32:21.57
長谷川は武士=商業重視というのが意味不明。

常識的に考えて、商人扱いが商業軽視だろ。

556:名無し三等兵
11/10/31 19:35:34.92
>>555
長谷川が武士なのは海外貿易の関係で外交官としての立場もあったから

557:名無し三等兵
11/10/31 20:37:01.02
>>538
高松城攻め以外にも、光秀との戦いの前に姫路城にあった莫大な金銀を全部
兵士に分配したらしい
他の信長配下の武将、例えば柴田なんかこういう逸話なんか聞いた事がない
信長在世時ですらこれほどの金銀があったのだから、秀吉の錬金術は相当なもんだ

558:名無し三等兵
11/10/31 20:42:53.11
秀吉の金に纏わる話は半分以上が逸話の類で
確実な史料では当たり前の事しか確認できていない

559:名無し三等兵
11/10/31 21:02:03.98
>>556
そんな程度なら貿易と関係のある大名なら
誰でもしている。
外交を担う僧侶・寺院など所領を与えたりな

560:名無し三等兵
11/10/31 21:20:51.02
後藤庄三郎は秀吉によって家康に送り込まれている
ほどだから、家康に商業重視の姿勢があったとは到底考えられない。

561:名無し三等兵
11/10/31 21:41:59.28
>>560
初耳なんだが>秀吉によって家康に送り込まれている

562:名無し三等兵
11/10/31 22:00:32.13
>>561
「後藤庄三郎 秀吉」でググれ。
小説では司馬遼太郎の「城塞」を読め。

563:名無し三等兵
11/10/31 22:11:02.58
>>562
史料に基づいた記述は無し
大日本史料を読む限りでは江戸に来ることを求めたのはあくまで家康、
秀吉が関与していたとしても、それは下国を許可したという意味だろう

564:名無し三等兵
11/10/31 22:14:50.39
>>562
小説ソースに語られても…

565:名無し三等兵
11/10/31 22:17:31.51
>>564
小説ソースじゃないだろ
小説以外にも出ているだろ。
>>563みたいな池沼はスルーだがw

566:名無し三等兵
11/10/31 22:19:57.82
後藤庄三郎 秀吉でぐぐるとたちどころに出てきますなw

567:名無し三等兵
11/10/31 22:23:19.42
「江戸に来ることを求めたのはあくまで家康」なら
桐紋を使わせなかっただろうにw
不自然極まりないw

568:名無し三等兵
11/10/31 22:42:50.54
それにしても、妄想ばっかりの司馬の小説をソースにするアホが現実にいるもんだな

569:名無し三等兵
11/10/31 22:56:35.93
>>567
桐紋=豊臣家なんて勘違いも良いところ

570:名無し三等兵
11/10/31 23:08:47.20
何のための桐紋なんだよw司馬の小説をソースだなんて勘違いも良いところ

571:名無し三等兵
11/10/31 23:09:15.87
それにしても、妄想ばっかりの大日本史料をソースにする低脳が現実にいるもんだな

572:名無し三等兵
11/10/31 23:20:57.54
桐紋=豊臣家だと誰も言っていないのに、何故かいきなり持ち出す>>569w

573:名無し三等兵
11/10/31 23:49:24.74
>>572
じゃあ、桐紋使わせない理由は何

574:名無し三等兵
11/11/01 14:12:38.31
まあ一番の錬金術師は信長なんですけどね

575:名無し三等兵
11/11/01 14:31:07.16
>>574
第六天魔王様だからな
錬金術とか朝飯前であろう

576:名無し三等兵
11/11/01 17:31:51.45
>>573
徳川家だから

577:名無し三等兵
11/11/01 17:56:04.09
>>576
菊紋よりは特別ではないが、公共性を持つ意味で桐紋が選ばれた
刻印されているのも民間に近い五三桐だし

578:名無し三等兵
11/11/01 18:45:38.81
>>577
だから「江戸に来ることを求めたのはあくまで家康」というのは不自然だ。
そこまで家康がするなら葵紋にしていないと不自然だ。

579:名無し三等兵
11/11/01 18:59:56.38
>>578
いや、だからなんで
ちなみに甲州金も五三桐が刻印されているんだが

580:名無し三等兵
11/11/01 19:32:32.01
>>578が理路整然としている。
「江戸に来ることを求めたのはあくまで家康」というのは意味が不明。

581:名無し三等兵
11/11/02 19:24:56.33
火縄銃

582:名無し三等兵
11/11/04 15:00:06.05
話変わるけどさ、騎馬が自軍の後輩に回り込んで来るのってどう対処したら良いのよ
いや、そりゃ敵の倍の戦力揃えたらどうにでもなるんだけどさ
機動力に差があるから、歩兵じゃ追い付けないし、結局騎馬対騎馬の消耗戦になっちゃうんだけど

弓騎馬は敵の弓騎馬より射程長い弓兵を数並べて撃たせればなんとかなるんだけどさ
騎馬なんて槍壁に突っ込ませれば溶けるってのに、結局騎馬同士の消耗戦になるが困る
何か解決策無い?

(中世~近世の名将になった気持ちで回答して下さい)

583:名無し三等兵
11/11/04 16:06:43.24
>>582
日本の足軽は西洋のように密集陣でなく、一列横隊なので
奇襲でもない限りは対応できる

584:名無し三等兵
11/11/05 12:24:43.08
日本の場合、そもそも身分と関係ない、兵科としての騎馬隊や騎兵隊は殆ど存在せず、これは欧州の騎士に似ている。
『騎馬』とはおおむね100石以上の武士に与えられた資格のことで、稀に恩賞として50石程度の武士に与えられることもあった。
ただし100石とりの武士でも、必要な人員や装備を整えるのは苦しく、しばしば主家が支援したり金を貸してやることがあった。

こうした馬上を集めて騎馬隊を編成するのは、雑兵物語にも出てくるが、あくまで臨時であって恒常的なものではない。
そもそも日本の合戦において、騎兵突撃はメジャーな戦法だったとは言えない。

ゆえに対応に慣れてなければ混乱するし、件の騎馬隊に突撃された様は無様だったと、雑兵物語にも記述がある。
ただし備えには、かなりの割合で足軽小頭がいるものだし、硬直した隊列で戦うものでもない。
騎兵に突破を許すことはあっても、それだけで軍が崩壊するものではないし、柔軟に対処できた。

585:名無し三等兵
11/11/05 17:12:15.39
>>584
てゆうか祿米どりの武士なんて戦国期にはほとんどいなかったんじゃね?
織豊政権、それも太閤検地以降だろ
知行地の実効支配を認めるか、征服地でも支配権分配する形だろ
足軽クラスならまた別だろうが


586:名無し三等兵
11/11/05 18:07:54.89
ややこしい話なんだが、知行とは領地の実行支配権のことで、例え領主であっても実行支配していなければ、無知行とされてしまう。
日本の場合、村落には自治権があるし、領主であっても、西洋のように好き勝手ができた訳ではない(むろん力ずくってのはあり得た)

そして米が農産物である以上、収入が安定しないのは当然だし、太閤検地の前に、領地が額面通りの石高だったとも思えない。
しかも税収は、地元の慣例を無視して増やす訳にもいかない、そこには一定の気配りが必要とされた。

587:名無し三等兵
11/11/05 22:51:39.38
江戸時代でも基本的に村落の管理は
庄屋(名主)といった有力者に一任していたからな。
武士の数が少ないし、武士が直接管理するとかなりのコストが必要になるし。

588:名無し三等兵
11/11/05 23:05:47.70
武士と農民の関係は支配でなく契約

589:名無し三等兵
11/11/06 04:46:45.82
厳密な契約というより信頼関係じゃね?

590:名無し三等兵
11/11/06 08:58:08.42
信頼というよりは信用

もしくは慣習

591:名無し三等兵
11/11/06 18:00:23.85
初夜権は?

592:名無し三等兵
11/11/06 18:08:05.57
それってだいぶファンタジーじゃなかったか?

593:名無し三等兵
11/11/06 20:25:52.49
このスレだと信頼がのぶよりと読める

594:名無し三等兵
11/11/06 20:52:36.49
初夜権って、皆欲しいの?

595:名無し三等兵
11/11/06 21:12:13.43 FuV9aow2
初夜権よりそのぶん税金払ってください

596:名無し三等兵
11/11/07 09:43:22.17
そもそも初夜権なんて西洋の風習だし、夜這い・歌垣が当たり前の日本の村落で、結婚するまで処女なんて少数派だろ。

597:名無し三等兵
11/11/07 11:56:02.41
>西洋の風習
日本の事例を聞いたことない?

598:名無し三等兵
11/11/07 12:20:32.60
マジで知らない

599:名無し三等兵
11/11/07 23:31:16.46
つーか初夜権はただの神話だぞ

600:名無し三等兵
11/11/07 23:33:02.64
権利なのに遠慮されてしまったらなんかブスみたいでやだな

601:名無し三等兵
11/11/07 23:36:38.83
まあ、その娘を継続・開発出来るのでなければ、
処女権なんて最初は楽しくても、直ぐに飽きるわなぁ。正直、面倒くさいだろうし。


602:名無し三等兵
11/11/07 23:38:35.32
お代官様ご無体なあれー
レベルで気が向いたときに適当にやってる程度の方が楽しそうだな

603:名無し三等兵
11/11/08 01:11:36.92
テクニシャンのいやらしいちょいワル中年オヤジに任せろって話かwww

でも初めては素敵な人が良いんです><

604:名無し三等兵
11/11/08 15:00:03.92
夜這いで選び放題でね?
もちろんお断りされる可能性もあるが

>>416
珍しく貯金も出来たらしいが、定信ちゃんの反動改革と
家斉が子供だけでサッカー2チームできるぐらいパコパコしたせいでアジャパー

605:名無し三等兵
11/11/09 03:57:31.43
頼む、牛戦車と大極砲の軍事評価を知りたい。

世界最初のトイレ付き牽引装甲車だったがやくにたったのだろうか。

606:名無し三等兵
11/11/09 09:01:01.79
15世紀なら役に立ったかと

607:名無し三等兵
11/11/09 15:25:02.59
カルバリン砲 (culverin)は近世に用いられた弾丸重量18ポンドクラスの中口径前装式大砲。また、
半カルバリン砲(Demi-culverin)という9ポンドの弾丸を発射するものもある。カルバリンという名称はその砲身の長さからフランス語のヘビという言葉に由来する。
砲身は青銅で鋳造されていたが、後に鉄製の鋳造砲も製造される様になる。16世紀から17世紀に用いられ、騎乗兵や歩兵に危害を加えた。
また一方で艦載砲としても搭載され、カノン砲よりも威力は低いが長射程を有す為アルマダの海戦で活躍した。

日本においては江戸時代初期、大坂の陣に備え徳川家康がイギリスから4門購入した。

608:名無し三等兵
11/11/09 15:26:33.25
日本で大型の大砲が作れなかったのは
当時ヨーロッパでは反射炉に時代が移っていたのに、日本では反射炉を作っていなかったのが原因なのかな?

日本が反射炉を作った幕末には、ヨーロッパではライフル砲と高炉と転炉が出来てしまった

609:名無し三等兵
11/11/09 15:52:35.83 Q6z3rKMZ
その中で佐賀藩が作った反射炉は幕末最強の大砲であるアームストロング砲
になったけど、欧米列強はさらに進んだ後装ライフル砲になっていたしな。
西南戦争とかやっている時には既にあのフランスのM1897野砲がベールを
脱ごうとしていた矢先だった。
戊辰戦争で旧幕府軍 新政府軍の小銃も既に2線級の旧式銃で、モーゼル1898とか
ボルトアクション式の先駆者的小銃になっていたしな。西南戦争まであのままだった。

610:名無し三等兵
11/11/09 16:32:39.62
一言でいうと鋳造技術が未発達な為

611:名無し三等兵
11/11/09 18:04:28.62
アームストロング砲もライフル砲だったし、薩摩がイギリスを攻撃した時点では、イギリス海軍ね主力兵器だったよ?
ただこの時、尾栓に問題が起き、死亡事故も発生したので廃止された。

612:名無し三等兵
11/11/09 18:53:35.52
>>609
なんで30年以上ズラして話してるの?

613:名無し三等兵
11/11/09 19:03:38.86
>>611
イギリスはその後、他国が後装砲に転換し始めてからも、しばらくは前装砲を使ってたんだっけ。

614:名無し三等兵
11/11/09 21:13:51.82
19世紀後半の銃火器の発達速度は異常だな

615:名無し三等兵
11/11/09 21:50:48.00
>>609
君、戌辰戦争や西南戦争が何年に発生したか把握してないだろ?

616:名無し三等兵
11/11/09 22:47:27.69
>>609
某スレの土鍋を思い出させる

617:名無し三等兵
11/11/09 23:55:29.70
>>614
①ちょうど前装式から後装式、さらにカートリッジ式への転換期だったこと。
②アメリカ南北戦争で、武器の開発が加速していたこと。
③その終戦直後で、武器が余っていたこと。
そんな時期に内戦と革命が起こったせいで、日本は取り分けそう見えるんだよ。
例えば坂本龍馬が持っていたのは、S&WのモデルNo.1、カートリッジ式ではS&W社でも最初のモデルで、当時としては最新のものだ。
同じ時期に、ライフルも刻まれていない前装式パッカーション・ロックが並行輸入されているんだから、如何に加速度的進化だったかってことだね。

618:名無し三等兵
11/11/10 00:14:44.26
>>617
これが普仏戦争後の西南戦争から村田銃の制式化頃になると
後装、メタルカートリッジ、ボルトアクション、と本命の流れが見えて方向性が集束するんだけどな
19世紀中盤は銃の数だけアイディアが生まれてまあマジカオス


619:名無し三等兵
11/11/10 09:12:20.75
このスレの大坂の陣までだと
マッチロックが海外でフリントロックになった所までか

ライフル狙撃で強引押しこみ式のヤーゲル銃が出来たのは18世紀後半だっけ

620:名無し三等兵
11/11/10 09:16:32.02
最初の反射炉は中世の時代にあったと思われる。鐘を鋳込むために青銅の溶解に使用された。17世紀末に初めて金属の製錬に適用された。
Sir Clement Clerkeと彼の息子Talbotは1678年、ブリストルのエイボン川の畔にキューポラ(cupolas)または反射炉を建てた。
1687年、鉛の精錬に伴う匂いで(訴訟になり)銅に変えた。反射炉は次の十年の間に錫等の幅広い金属の精錬に用いられるようになった。
旧来の精錬方法に比べて褐炭や木炭ではなく石炭を燃料として使用できるという優位性があった。

1690年代に入ると反射炉は工業用の銑鉄の溶融に用いられるようになった。各地に建造されたが、
18世紀末には小さな高炉のようで反射炉とは起源の異なる工業用のキューポラの導入に伴い、時代遅れになった。

621:名無し三等兵
11/11/10 09:54:13.54
>>619
鎖国から少し後に手工業レベルのライフルができる

>>620
日本は何より煉瓦の技術が無い
何故かというと基礎の日干し煉瓦が不可能な地勢だから
最初に製造されたのが溶鉱炉用の耐火煉瓦だし

622:名無し三等兵
11/11/10 14:38:36.12
実際問題として、日本の城、特に織豊時代の平山城に大砲って意味あるだろうか
中国の城なら効果は絶大だろうけども

623:名無し三等兵
11/11/10 14:41:53.01
室町前期から日本でも火器の存在は知られていたのに、火縄銃の出現まで殆ど使われてないのが答えだろ。

624:名無し三等兵
11/11/10 15:10:01.24
>>623
平山城は鬼の様な広さと郭が防御の要だからねえ
城壁の一部を崩した程度じゃ、ちょっとショートカットが出来るだけなんだよね
防塁の山みたいな作りだし

625:名無し三等兵
11/11/10 15:35:26.94
ガチの攻城砲なら土塁そのものを吹き飛ばせる

626:名無し三等兵
11/11/10 16:46:47.82 vsOsSuop
そんな攻城砲、日本で運用できるかどうか。


627:名無し三等兵
11/11/10 17:04:11.44 lPq7LCQY
>>617
って言うか物知らずの猿と思ってたのか内戦前夜で弾が出りゃ何でもいいって足元見たのか、やりたい放題の外人武器商人の馬鹿笑いが目に浮かぶようだ。

628:名無し三等兵
11/11/10 17:04:54.17
デミカノン砲までならなんとか

629:名無し三等兵
11/11/10 17:30:04.44 oUNYWViJ
手榴弾的な爆弾系兵器は既に鎌倉時代末期の元寇(文永・弘安の役)の
モンゴル 高麗 南宋連合軍が使った震天雷(てつはうと呼ばれた爆弾)で思い知らされてるけどね。
炮火矢みたいなロケット弾的な兵器を使われなかっただけだか。
しかしあれって元寇の絵巻物であるような、手榴弾的な投擲爆弾だったんだろうかね。
あるいは投石機みたいので飛ばしていたんだろうか。

630:名無し三等兵
11/11/10 17:38:24.96
>>622
大阪の陣では効果があったんじゃなかった?

631:名無し三等兵
11/11/10 18:41:57.81
>>630
主にいやがらせにな

632:名無し三等兵
11/11/10 19:01:09.70
攻城兵器のくせに、幾ら使っても外堀すら直接攻略に貢献してないからな
本来の用途としては殆ど役に立ってないだろう

633:名無し三等兵
11/11/10 19:43:48.39
いや、大坂城の総構に砲撃をして櫓や塀を崩したりしている
当時の記録に大した戦果はないという記録はない

634:名無し三等兵
11/11/10 22:03:38.47
そもそも旅順攻略の時代になって、
飛躍的に攻城砲の性能が上がっているのに
さほど要塞に影響が無かったと言われている。
大坂の陣のレベルの大砲では疑問に感じる。
(そもそもそこまで破壊されていたのなら、
冬の陣後に改めて破壊する必要性を感じない)

635:名無し三等兵
11/11/10 22:09:10.38
そもそも17世紀の大砲なんて一日に10発撃てればいいほうだからなぁ
仮に城塞攻撃な有効だとしても一日10発×4門でどこまで命中弾出せるかを考えると、費用対効果の釣り合いは取れない希ガス

636:名無し三等兵
11/11/10 22:12:56.08
>>629
あれは単に騒音兵器程度だったが
主に一騎当千の騎乗武者が足軽を連れて戦うスタイルの日本にとっては
馬が暴れちゃったらアウトだから効果絶大だった

直撃した所で爆発したら死傷もしただろうが、幸か不幸か?中に鉄片を詰めたりはしていなかったらしい

637:名無し三等兵
11/11/10 22:21:45.14
>>634
要塞も進化している

>>635
それはやたら巨大な大砲を鋳造したオスマン・トルコの話
それも16世紀の

638:名無し三等兵
11/11/10 22:31:56.71
>>637
17世紀末にヴォーバンが出した計算だと、弾薬消費は包囲戦において砲一門につき一日四発という数字が出ている。

639:名無し三等兵
11/11/10 22:32:19.24
城壁というか要塞の壁が超音速飛翔のライフル砲に対応して分厚くなっているんだよな
トーチカにしろコンクリで1mとか2mとかにどんどん分厚くなる

640:名無し三等兵
11/11/10 22:56:45.30
>>638
それは大砲の射撃能力でなく、火薬や砲弾の備蓄問題だと思う

641:名無し三等兵
11/11/10 23:16:17.37
実際のとこどうなんだろうね、大阪の陣における徳川軍の弾薬備蓄って。

擾乱砲撃主体なら弾数はそんなにいらないだろうけど、要塞攻撃の意図で撃つなら100や200の備蓄じゃ足りないだろうし

642:名無し三等兵
11/11/11 01:52:11.03
天守閣は射撃の標的にされるためついには消滅してしまう

でも五稜郭についついそれ作っちゃってry

643:名無し三等兵
11/11/11 09:06:19.38
>>641
あちこちから火薬や鉛を購入したり、集めたり、献上されたりしている

644:名無し三等兵
11/11/11 14:17:24.41 gkwTFkOx
大友宗鱗の対島津との戦いで、島津方の城を落とそうとポルトガル船から
1門入手してあった大砲でぶっ潰そうとしたけど、それでも落ちなかったしなあ。
青銅製のフランキだったらしいが。
島原の乱で幕府軍を援護するためにオランダ戦艦が一揆勢が立て籠る原城を
艦砲射撃してるけど、既に大坂の陣とかより進んでいたのかも知れないね。
ただの鉄球みたいな弾でなく恐らく爆発的な爆裂弾はあっただろうし。

645:名無し三等兵
11/11/11 20:16:56.78
>>637
実のところさほど進化していない。
そもそも旅順要塞は急造の陣地も多い。

646:名無し三等兵
11/11/11 21:25:56.84
>>645
土塁の厚みや煉瓦にベトンと色々違う

647:名無し三等兵
11/11/11 21:54:22.91
>>646
土塁の厚みくらいは同様だw
コンクリートもさほど砲撃には強くないw
それに冬の土ならば、むしろコンクリートよりも丈夫w

648:名無し三等兵
11/11/11 23:05:49.30
>>647
例えば名古屋城と五稜郭では土塁の厚みは倍ほど違う
別に冬のみに戦争するものではないのだけど

649:名無し三等兵
11/11/12 09:27:34.58
>>648
冬の陣の話なのだがw

650:名無し三等兵
11/11/12 09:33:13.76
>>649
凍土と化すほど大坂が寒いと思っているの

651:名無し三等兵
11/11/12 09:51:19.82
>>650
温暖化と都市化で冬がすっかり暖冬になってしまった今の大阪で考えてるの?
アホ丸出しだろお前
死ねよボケ!!!

652:名無し三等兵
11/11/12 09:51:29.28
>>644
撃ちこんだのは海戦用の砲弾だったため
あまり被害は無かったらしい >艦砲射撃

653:名無し三等兵
11/11/12 10:15:16.87
戦国時代は暖かい時代だったような

654:名無し三等兵
11/11/12 10:18:40.95
小氷期です

655:名無し三等兵
11/11/12 10:37:59.12
>>651
塹壕や築山、坑道を掘ったり
淀川の流れ変える土木工事ができる位の寒さ

656:名無し三等兵
11/11/12 13:45:37.73
>>655
ツンドラでもできるぞ、それw

657:名無し三等兵
11/11/12 14:26:40.60
>>656
人間一人を埋める穴すら掘れないツンドラでか?

658:名無し三等兵
11/11/12 14:46:44.05
>>653
日本が温暖だったのは平安時代だ。
今よりも温暖だった。

659:名無し三等兵
11/11/12 15:18:33.64
>>648
名古屋城の土塁って、どこだよ?w

660:名無し三等兵
11/11/12 15:51:13.28
>>659
愛知県図書館の辺り

661:名無し三等兵
11/11/12 20:26:08.49
>>650
確かに今の大阪も寒い。

662:名無し三等兵
11/11/17 16:06:48.88 Prqq9RWu
大坂城を砲撃する徳川軍。軍隊の砲兵隊並みの集中砲撃。
URLリンク(m.youtube.com)

663:名無し三等兵
11/11/17 19:21:08.12


大航海時代
スレリンク(whis板)




664:名無し三等兵
11/11/18 08:54:46.91
>>296
男色傾向のある者なら門の耐性が高いかもしれん

665:名無し三等兵
11/11/19 22:58:16.35
城攻めでも投石器とかギリシャの火が無い日本の城攻防
は欧州行ったらなんも出来なかっただろうな
日本だと大阪城攻めでようやく威嚇に使ってた大砲が
西洋だと城攻めの基本になってたから、防衛建築も一気に変わったし


666:名無し三等兵
11/11/19 23:52:55.81
>>665
豊臣大坂城は砲撃戦にもかなり対応した作りになってたような。
まぁ北の川の中州とか掘削してないという手落ちがあったけど。

667:名無し三等兵
11/11/20 08:04:33.41
大友氏が最後、篭城して国崩し撃って包囲する島津軍を迎撃してその間に秀吉の九州征伐軍を呼び込んでたな。
撃たれる島津軍は射程外から包囲するしか手が無かった。

秀吉だったら欧州の城でも包囲して絞め殺すとか餓死させるとかで落としそうだが。

668:名無し三等兵
11/11/20 08:32:56.58
>>666
まあ平城で、ある意味超大型総合庁舎みたいなもんだからなあw
城下町のこと考えたらそうそう防衛一辺倒には作れないし、篭ってからの急場の築城では間に合わない部分が当然出てくるという
地勢から包囲も簡単だしな

>>667
欧州の城はまあ城塞都市だから、包囲戦はもう大変
高松城みたいに簡単には飢えてくれん
数年がかりは珍しくないが、政治情勢で包囲を続けられなくなったり疫病が発生したりで包囲継続できなくなる場合も多いし
中の人の数が多いから、備えが悪いとあっさり飢餓地獄になったりもするけどね

669:名無し三等兵
11/11/20 09:15:24.94
西洋の城塞都市は経費がかかりすぎる

670:名無し三等兵
11/11/20 18:36:45.42 0zPIdeWh
秀吉は唐入り目指してたけど、山海関とかどうやって抜くつもりだったんだろう
存在くらいはしってただろうに。
岸沿いに船団おくって、渤海湾つっきるとか?

671:名無し三等兵
11/11/20 18:47:56.93
>>670
力攻めで充分だろ。
加藤勢がチート的に頑張る。

672:名無し三等兵
11/11/20 19:16:10.80
>>582
【軍馬】古代・中世の戦闘技術【弓矢】
スレリンク(army板)

673:名無し三等兵
11/11/21 11:18:59.16
『城』とは言っても、事実上はほとんどが要塞に近い日本の城に、西洋の軍隊が投石機や攻城櫓、破城槌を持ち込んでも、近づくことすら出来ないだろうな。
現に日本だって投石機(回々砲など)も攻城櫓(走り櫓など)も、破城槌も知ってたけれど、余り活用してないし。
一応、武田氏は坑道戦術を知ってたし、島原の乱では地雷戦術も検討されたが、築山を築くような日本の城では、効果がなかったし。

そもそも文化が違うのに、共通点もないことで、上だ下だと比べても意味がないだろ?
現に朝鮮出兵では、大陸型の明軍相手に優勢だったし、中国・朝鮮式の城は、実戦に耐えられないと、朝鮮人ですら倭城の建築を考えたほどだ。
歩兵中心の島津勢が、強力かつ数に勝る明軍騎馬兵団を相手に、圧勝した事実もある。


もちろん、その逆も起こり得たことだろうしね。

674:名無し三等兵
11/11/21 17:09:46.18
>>671
その前に遼河渡河戦とかやらないといけないだろうよ。
山海関を制圧しても、その次は北京城攻囲戦。
それが成功しても、中原諸城を落としながら黄河を渡り、
淮河を渡り、江南に攻め入り長江を渡って南京城を
落とさないといけない。はっきり言って無理ゲーだろ。

675:名無し三等兵
11/11/21 17:48:25.98
>>670
そもそも明の国土の広さを認識していたか疑問

676:名無し三等兵
11/11/21 18:47:27.36
明の反乱軍がきっと何とかしてくれる

677:名無し三等兵
11/11/21 18:52:13.78
>>674
秀吉に優秀な息子が何名かいれば無理ゲーじゃなかったかもな。
李自世や女真族もいたことだし。

678:名無し三等兵
11/11/21 20:21:44.98
秀吉が長生きしてたらヌルハチが更に楽になるだけじゃね?

679:名無し三等兵
11/11/24 23:04:08.46
幕末になるとあっけなく落城しているけど
やっぱりあのころになると兵器には城は無力なのかねえ?

680:名無し三等兵
11/11/25 09:28:53.20
>>679
対砲兵射撃ができる砲が城方にないのが問題

681:名無し三等兵
11/11/25 16:12:59.43
>>679

城とくに平山城、そして天守閣はまさしくダンジョンであり、
直接壁を壊すことの出来ない程度の兵器を持った歩兵にとっては迷路+山だ
上るだけでも大変で、そこに敵の兵士が小窓から武器で撃ってくる
矢とか鉄砲とか
接近したら槍で突かれる

大阪冬の陣で、たまたま1発の砲弾が当たったので和平に持ち込むことになったが
その後250年間で砲弾が命中精度の高いライフル砲弾になり
弾道学も進み、たまたま1発でなく高い精度で命中させられるようになった
これだと本丸までの順路だってぶっ壊しまくるし
燃焼力の高い炸薬を使った砲弾だったら天守閣丸ごと火事になってしまう

そしてライフル砲で目標を定めるなら、天守閣は絶好の的になってしまうのだ
五稜郭も、幕府内で反対があったにもかかわらずつい天守閣作ったせいで
砲撃を受け易くなってしまった

十分に大きな堀のある城ならが天守まで届くなんて昔はあり得なかったが
黒色火薬じゃなくてニトロセルロースとか瞬発の雷酸水銀とか使ってきて射程も延びて来るし

682:名無し三等兵
11/11/25 16:45:51.82
>>681
五稜郭に天守って在ったんだ。
それは知らなかったよ。

683:名無し三等兵
11/11/25 16:53:36.74
URLリンク(ja.wikipedia.org)

これは天守とは言わないw

684:名無し三等兵
11/11/25 18:02:42.17
>>681
ニトロセルロースが装薬に使われるようになったのって、世紀末のことだと思うが。
それまでは黒色火薬でしょ。

685:名無し三等兵
11/11/25 18:09:12.45
幕末の砲って籠城側の加点一つずつ潰すくらいの精度あったん?

686:名無し三等兵
11/11/27 15:18:17.34
M1ガーラントの30-06が黒色火薬用に作られた弾薬だからな……

687:名無し三等兵
11/12/06 09:24:55.81
>>679
姫路城は最新の大砲には無力だった
それを知ってたから慶喜は簡単に大阪城から脱出した

688:名無し三等兵
11/12/06 10:05:34.05
姫路城は築城当時から男山からの砲撃に弱い

689:名無し三等兵
11/12/13 00:44:09.76
姫路城は芸術品だからなあ

690:名無し三等兵
11/12/13 11:17:44.45
男山からの砲撃に弱い姫山の姫路城
エロイ

691:名無し三等兵
11/12/20 21:04:19.99
石山本願寺が長期篭城に耐えることが出来たことの一つとして、
尿を蓬にかけて浸して発酵させて硝石を作って、
火薬の安定供給をしていたためと聞いた事があるが
どれほど安定供給できたのだろうね?

692:名無し三等兵
11/12/23 04:18:47.57
五箇所や合掌造りで有名な白川郷などは、今でも少量ながら硝塩を生産を生産しているが、江戸時代の生産量が年に2tほど。
しかし戦国時代の需要にはとうてい及ばないし、本願寺にしても硝石は輸入が主だったことに変わりない。

生活……と言うか生存がかかっているし、少しでも役に立つならやっておこう、という程度だね。


因みに土硝法はヨーロッパでもやっていたし、ナポレオン時代には、古い家々から土をかき取る、硝石採取人なんて仕事もあった。
自由に輸入できたってそれなんだから。

693:名無し三等兵
11/12/23 09:09:18.30
>>692
総輸入量自体は、江戸時代の方が多いわけだから、
需要が高い戦国時代に硝石は輸入が主というは変のような。

694:名無し三等兵
11/12/23 14:23:51.61
>>692

五箇所などで生産していた方法は、硝石丘方式だから
より効率的で安定供給用のやり方だぞ?
ハーバー・ボッシュ法式が出現する前での話だが。
それに江戸時代も決して需要は低くない。
獣除けの農具として火縄銃は多用されていたので、
かなりの量が必要だった。

695:名無し三等兵
11/12/23 23:39:02.52 k2nl/vjl
藩が備えてる火縄銃より農村の害虫駆除用火縄銃のほうが圧倒的に多いという状況だからな
たった三万石の壬生藩は、1863年に農民の登録済み火器が計158挺

696:名無し三等兵
11/12/24 03:36:58.14
確か、加賀藩は年貢の一種で硝石を納めさせてたような。

697:名無し三等兵
11/12/24 11:46:31.10
つ 大圏航路&チリ硝石

698:名無し三等兵
11/12/24 12:26:33.52
戦国・江戸時代における硝石の輸入なんて、何を調べて分かったの?
どこかサイトに載ってる?

699:名無し三等兵
11/12/24 15:38:31.67
>>696
本来十数年かかるところが前田氏には秘伝の製法があって製造年数が短かったんだっけ?

700:名無し三等兵
11/12/24 17:48:44.33
700get!

701:名無し三等兵
11/12/24 23:37:12.21
確か大豆の根などに多い、根粒菌なんかを利用して、窒素を効率よく硝塩にする方法だよ。
効率を上げるため、糞尿と藁、根粒菌の多い植物を穴に埋め、時々かき混ぜて数年まつ。
いったん硝石が生産されれば、翌年からは毎年とれる。

白川郷なんかは、合掌造りの軒下の地下でやっており、温度が一定なので安定した生産が望める。
蚕を飼い生糸も生産してたので、この蚕の糞も安定生産に寄与してた。
小屋を建てて硝石丘を囲む方法は、欧米でも行われてるね。

702:名無し三等兵
11/12/31 22:45:17.23
質問ですいません。
テルシオ方陣がなぜあのような形で銃兵を配置しているのかがいまいちわかりません。
一部が必ず遊兵化して、敵への火力投射が効率的に行えないように思えますし、
敵の騎兵突撃を受けた場合、銃兵は騎兵とパイクの挟み撃ちで壊滅してしまうのではないでしょうか?
それとも、テルシオにおいても、後のオランダ式やグスタフ・アドルフ式のように銃兵はある程度機動するのでしょうか?
だとすると、四隅に置いておかずに一箇所もしくは両翼に集めたほうがよいと思うのですが・・・。


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