[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3at ARMY
[近世総合]大坂の陣、火縄銃、戦国・江戸・大航海時代3 - 暇つぶし2ch2:名無し三等兵
11/02/03 00:13:46
おまんこ女学院

3:名無し三等兵
11/02/03 00:15:22
関連スレ
江戸幕府が近代日本をダメにしたpart2
スレリンク(army板)


4:名無し三等兵
11/02/03 00:20:24
何で豊臣方は徳川軍到着前に内堀を掘り返さなかったんだろ・・・
小田原で北条軍がやった程度のことを出来ない訳無いが

5:名無し三等兵
11/02/03 00:23:29
>>1
スレ立て乙

これで、軍板内で東洋・西洋を問わず
古代から19世紀後半まで全部カバーできるなw

6:名無し三等兵
11/02/03 00:28:01
ちょうど、先年に16世紀末の東アジアにおける火器革命を扱った論集が出ていたのを思い出した件

久芳 崇
『東アジアの兵器革命 十六世紀中国に渡った日本の鉄砲』
URLリンク(www.yoshikawa-k.co.jp)

宇田川武久氏の研究(代表的なもので『東アジア兵器交流史の研究』)とともに、東アジア世界の軍事史に興味あるならおススメ

7:名無し三等兵
11/02/03 00:28:26
大航海時代でジャガイモがヨーロッパに伝わらなければ
第一次世界大戦も起こらなかったのに・・・。

>>4
埋めるのと掘るのでは、労力に差が生じるのでは?

8:名無し三等兵
11/02/03 00:29:26
>>6
サンクス
なんかおもしろそうな本だな。

9:名無し三等兵
11/02/03 00:37:25
日本に関わる近世軍事史なら以下もある

久保田 正志 『日本の軍事革命』
URLリンク(www.kinseisha.jp)


日本の西洋史学でも軍事史の研究は進められているから(数年前に、近代ヨーロッパ史の論集シリーズで、『軍隊』という巻があった)
東洋史でも日本史でも軍事史の研究が進むといいな・・・・(出来ればイスラーム・中央ユーラシア・インドの軍事史も)

10:名無し三等兵
11/02/03 00:38:42
>>9
良書だったけど、騎馬の運用に関して鈴木説を鵜呑みにしてたのが凄く残念だった。

11:名無し三等兵
11/02/03 00:41:10
>>9
その本は持ってる。おもしろかった。

>>10
鈴木説とは何? 中世・近世については詳しくないもので、はじめて聞く単語です。

12:名無し三等兵
11/02/03 00:43:24
逆に海外の日本軍事史の研究ってどうなってるんだろ?
そもそもされてるのか?

13:名無し三等兵
11/02/03 00:45:15
軍事史学会は定期的に開催されているけど、
たしか国際軍事史学会が近く日本で開催される予定だったような気がする。


14:名無し三等兵
11/02/03 00:55:36
関連スレ

火消しや江戸幕府の司法制度など、古今東西の警察・憲兵・国境警備・消防組織を語るスレ
各国の憲兵・軍法・国境警備隊・警察・消防006
スレリンク(army板)

諜報史など古今東西の諜報ネタを語る諜報総合スレ
[諜報・防諜]インテリジェンス総合20[情報機関]
スレリンク(army板)


15:名無し三等兵
11/02/03 02:39:07 SSVyFw4s
>>4
それより、冬の陣の前に城の北の備前島を掘削できなかったんだろうか?
あそこを川にしとけば、砲撃もやりにくくなって兵糧不足で寒さに凍える徳川方を
撤兵に追い込むこともできたんじゃないの?
そうなれば、徳川家の権威はガタ落ちになって、天下人に返り咲けるかは別としても
少しぐらいは豊臣の命脈も伸びたと思うけど。

16:名無し三等兵
11/02/03 10:20:53
>>15
技術的にも短期間では無理臭い
それに大坂方に大砲に対する危機感がそこまであったとは思えん

17:名無し三等兵
11/02/03 10:37:07 1KtXJW48
>>11
鈴木眞哉の説
騎馬戦闘と日本刀使用の白兵戦否定を唱えた

一部の論を認めるのも吝かではないが、あまりにも極論過ぎて
批判が多く、2chでは殆ど否定されている

個人的には家康批判が根拠ゼロでウザ過ぎる

18:名無し三等兵
11/02/03 10:57:23
・和種馬は小さくて体力が無いので騎乗戦闘は不可能
・騎馬隊の存在は捏造
・日本刀は首を取る為の道具で戦闘には使えない欠陥品
・合戦の死傷者の大半は飛び道具による物
鈴木説の概要はこんな感じ

19:名無し三等兵
11/02/03 11:19:13
>>18
1,和種の馬でも騎馬戦闘は可能。ただし、薩摩は戦闘時全員歩兵になる。

2,戦国期、既に諸兵科連合で騎兵を騎兵として使ってる。


3、日本刀じゃなく太刀だけどね。
   あくまでサブウエポン。

  一番刀が活躍したのは幕末の動乱時の暗殺とかだったりする。
  新選組とか。
 
4、合戦の死傷は、飛び道具が多いのは間違いないが鉄砲による負傷は少ない。
   鉄砲の運用が理解され始めると急増。
    戦国初期は弓と石礫によるものが多い。武田信玄は石礫を多用した。

20:名無し三等兵
11/02/03 11:26:44
俺の知る限りアニメで一番時代考証が性格なのはクレヨンしんちゃんの戦国合戦絵巻。
あれみると良い。 


石礫はなかなか馬鹿にできない 死ぬこともあった。

21:名無し三等兵
11/02/03 11:36:45
家康が大坂冬の陣で用いた、イギリスやオランダから購入した大砲はこのクラスと思われる
URLリンク(ja.wikipedia.org)

一方、それまで用いられていた石火矢(ただし冬の陣時もこのクラスが主力だが)
URLリンク(pds.exblog.jp)

こちらは鍛鉄製の大筒
URLリンク(pds.exblog.jp)

22:名無し三等兵
11/02/03 11:39:20 SSVyFw4s
>>16
大仏殿作ったりする暇や、大量の浪人衆や近隣住民を
金銀で雇い集める財力があるならできなくもなさそうに思えるんだが。
それに秀吉が作った大阪城本体の堀と市街を包む総堀の規模を
思えば、川の中州の島ぐらい・・・と思ってしまう。

23:名無し三等兵
11/02/03 11:48:10
>>22
川の中州を取り除くとなると水を食い止めながら行う必要があるので、特殊な技術が必要
そしてその技術は京の商人も含めて、幕府が独占していた感がある

24:名無し三等兵
11/02/03 12:33:45
すでに城普請の才が有る奴が大阪方にいなかったのが敗因


25:名無し三等兵
11/02/03 13:24:21
>>20
宮本武蔵も石でKOされたんだっけ

26:名無し三等兵
11/02/03 14:41:00
>>19の3を補足しておくと、足軽が持ってる刀は「鎧通し」で首を狩る刀じゃない。

27:名無し三等兵
11/02/03 14:53:19
日本の陣備はマニュアルされてるワケじゃ無いし砲兵もいないんだから
諸兵科連合なんて大層なものじゃ無い

28:名無し三等兵
11/02/03 16:25:03 PRz0Eq/z
>>27
慣習としてあるけどね各地の大名の。
薩摩はなぜだか全員歩兵とか。
歩兵で強いとか珍しい地域だね。

江戸時代に兵法書がブームになったけど、編成とかまでは何故か書かれてない。
江戸幕府は武家政権のくせに武張ったことがきらいなのかな?
鉄砲も江戸時代、害獣駆除の農機具として普及したんだけど、関東には入れさせなかったし。

29:名無し三等兵
11/02/03 17:21:13
>>27
基本が各種足軽隊(旗、弓、鉄炮、鎗)と、騎馬武者隊を一列横隊に並べるシンプルな形だから
砲兵は当時の日本では野戦においては使い道がないのでない
各種兵科に分割している部隊が、侍大将の指揮で状況に応じて戦うというのは諸兵科連合という
他ないと思うのだが

30:名無し三等兵
11/02/03 17:37:52
砲兵が無いから諸兵科連合じゃないんならアレクサンドロスの軍も諸兵科連合じゃなくなるな。

31:名無し三等兵
11/02/03 17:40:51
>>22
天下人が諸大名に権力の確立含みでやらせるのと、
一大名に落ちた籠城者では動員能力がまるで違うだろ
それに勝手な野戦工事なんて幕府がやらせてくれんわ
強行したらそれが開戦理由になるしなあ

32:名無し三等兵
11/02/03 18:07:56
>>29
時代が下るにつれて大鉄砲や石火矢みたいな大口径の鉄砲は増えていったし
それ等より火力の高い砲兵がいらないって事はなかったろ
数を用意出来なかっただけの話で

33:名無し三等兵
11/02/03 18:48:54
>>32
あれはあくまで攻城用、野戦では大砲は使われなかった
せいぜい、関ヶ原で石田が使ったとされるくらい、それもかなり胡散くさい

34:名無し三等兵
11/02/03 19:08:37
日本の戦国期の大砲の貧弱さは、道路事情の問題なのか生産能力の問題なのか?
城が都市じゃなくて山城ばっかだしなあ
アラブやヨーロッパが小銃よりもむしろ先行して大砲を発達させてるのと比べるとちょっと違和感あるよね


35:名無し三等兵
11/02/03 19:29:23
>>34
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
大砲が発達しなかったのは道路事情のためだそうです。ヨーロッパはローマ時代から道路が整備され舗装もされていました、
馬車が行きかい、重量物の運搬可能でした。
日本では馬車は用いられず(道路が舗装されていないため頻繁には使えない)馬又は牛の背中に振り分けて運搬していたので、
大砲が運搬できなかったようです。

36:名無し三等兵
11/02/03 19:50:35
道路事情なら中国も似たり寄ったりだけど
明は普通に大砲を運用してるような

37:名無し三等兵
11/02/03 19:56:09
山があるのが問題
自転車で坂道登ると歩くよりキツイのと同じ理由
下りは下りでヘタをすると踏み潰されるし

38:名無し三等兵
11/02/03 20:54:06
>>35
やっぱ常識的にはそうなるよなあ
人馬で踏みしめられていても、ちょっと雨が降ったら動けませんじゃ軍用には使えんし
街道整備の進んだ幕末でも、大砲の主力は運用の楽な四斤山砲だしな

ルイ12世のイタリア侵攻では既に大砲が大量運用されているのに、
それに比べて我が国は、なんてしたり顔で言うヤツ見ると結構むかっと来るわけだが
まあ輸送インフラも国の指標だけどさ

39:名無し三等兵
11/02/03 20:58:45
強力な中央集権政府が存在しなかった、のが一番の原因か?<舗装道路の不在

40:名無し三等兵
11/02/03 21:12:56
舗装技術が未発達だったのが最大の原因じゃね?
石田三成が農村にかくまって貰う時の条件が『時が来たら石畳の道路を作ってやる』・・・だぞ

41:名無し三等兵
11/02/03 21:40:36
適当な資材の不在とか都市の未発達とか要因は結構あるよな
他にも、多雨の気候とか山だらけの地形とか
江戸時代に入っても、参勤交代とかの人の通路としては街道整備しても、物流は海運に任せちゃった部分大きいしなあ
案外水運が一番の原因かもしれん

42:名無し三等兵
11/02/03 21:45:12
日本って、河川・沿海航路が昔から活発にし利用されているしな~
特に江戸時代の海運・水運の発達は目覚ましいものがある

43:名無し三等兵
11/02/03 21:53:57
幕府が車輪の制限をしたせいで
道路事情の発展は望むべくもなかった

44:名無し三等兵
11/02/03 22:10:05
>>43
巡り巡ってチハたんまでインフラの貧弱さの犠牲になってるからな

45:名無し三等兵
11/02/03 22:37:10
日本の戦国期は、鉄砲保有数が世界一
そんな話を聞いたのですが本当ですか?

46:名無し三等兵
11/02/03 22:51:21
多分、そうなんじゃないかなー
というレベル

47:名無し三等兵
11/02/03 22:52:22
>>43
五街道維持するだけでイッパイイッパイ

48:名無し三等兵
11/02/04 10:19:06
>>38
それに大陸では文字通り馬力のある大型馬が重量物の牽引運搬に使えたのに対し、
日本では専ら馬力の劣る小型馬しかいなかったので、同重量の大砲を牽引するのにも
日本の場合はより多くの馬を要する事になってしまったとか。

その為、大砲などの重量物の運搬は大陸のそれに比べてひどく効率が悪く、その上
状態の悪い道路も山脈や海峡で寸断されているので、大規模な砲兵隊の運用など
よほどの大勢力でもない限りやりたくても出来なかった・・

てな事が以前読んだ本に書かれてました。

49:名無し三等兵
11/02/04 10:50:03
ばんえい競馬みていると結構馬力あるようにおもうのだが、力不足なのかえ?
蒙古馬なんかみてもそんなにデカイようには思えないんだが。

50:名無し三等兵
11/02/04 11:47:42
現在日本で見られる馬は専ら明治以降に海外から入ってきた物で、
江戸期以前の日本馬とは別物ですからな

51:名無し三等兵
11/02/04 11:59:32
>>49
蒙古馬は小型だね
でもモンゴル大砲は運用していないしな
攻城用のカタパルトとかは多用したみたいだけど


52:名無し三等兵
11/02/04 12:04:04
>>50
いやそんなのしっているが。
サラブレッドや汗血馬なども基本的に農耕向きじゃないだろ。

53:名無し三等兵
11/02/04 12:15:04
明は同時期の西欧とは比べ物にならない規模の
砲兵隊を運用していましたが。

54:名無し三等兵
11/02/04 12:24:29
明の砲数は高炉の数が桁違いってのもあるかね

55:名無し三等兵
11/02/04 12:53:35
欧州同様に、紀元前から街道・運河などの整備が進められていたのも大きいんじゃないかな。
まぁ、経済力の高さが、一番の要因だろうけれど。

56:名無し三等兵
11/02/04 12:59:48
>>50
いや馬に乗った武士などを見るとそんなに馬が小さいとは言えない
俗説に吊られすぎ

57:名無し三等兵
11/02/04 13:12:57
それまさかとは思うが大河ドラマでみた武士はってオチじゃないだろうな。

58:名無し三等兵
11/02/04 13:19:10
>>57
当時の屏風絵とか見ると、むしろヤバイぐらい馬が小さかったりするよな
乗ってる武士の身長と頭頂高が大差ないんじゃね?つうぐらい小さい場合あるし


59:名無し三等兵
11/02/04 13:25:37
>>49
ばんえい競馬のどさんこ≠北海道馬だよ
あれはシャイアーやペルシュロンを掛け合わせて作出された在来馬とは殆ど関係ない馬。
そして現在世界で唯一現役で使役されてる重種であり
もっとも重い荷物を曳ける馬でもある。

>>53
戦国時代の日本で大砲が流行らなかった理由としては
砲車に使われるような大径の車輪を作る技術が
民間に広く普及していなかったというのも大きいんじゃないかな
大八車も普及したのはようやく江戸時代になってからだし。

60:名無し三等兵
11/02/04 13:31:43
URLリンク(www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp)


江戸時代、夏の間使役するために連れてきた南部馬が冬期間北海道に放置され、気候風土に適応するようになったものが
北海道和種、いわゆるドサンコである。19世紀初めに著された『松前志』や18世紀末に著された『東遊雑記』に、南部馬などの
内地馬とはやや異なる資質をもつ蝦夷地の馬についての記事がみられることから、この頃には既に北海道和種が成立していた
とみることもできる。北海道和種は山林原野に周年放牧して飼育されるのが基本であり、その飼料はミヤコザサが中心となって
いる。したがって、飼育されている地域はミヤコザサの分布と重なりあっていた。

馬車が普及する以前は馬による物資運搬は駄載が中心となっていた。体高が低く体の大きさの割には駄載可能な重量が大きい北
海道和種は駄載に適した品種であった。モータリゼーションの普及と道路整備が進んでからも、山中における高圧鉄塔の建設など
では北海道和種による駄載が大きな役割を発揮した。駄載には「駄づけ」とよばれる技能が必要であるが、道南地方にはこうした
技能を継承している人たちも現存している。現在の飼育頭数は、かつてに比べれば著しく減少しているとはいえ、在来8種のなかでは
格段に多く、約1,800頭が道南地方を中心に飼育されている。


ばんえい競馬とは別に北海道馬の起源は南部馬とあるが。
在来馬と洋種をかけあわせたんはあくまで競馬用だろ。

61:名無し三等兵
11/02/04 13:40:43
日本の地勢は車輪を運用するにはかなりの無理がある

62:名無し三等兵
11/02/04 13:50:22
>>58
URLリンク(pds.exblog.jp)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
巨大とはいえんがそんなに小さくも見えない。

63:名無し三等兵
11/02/04 15:02:31 sWqp6Ozt
>>59
URLリンク(www.iz2.or.jp)
千年以上前から牛車は作ってたから車軸作る技術はあったでしょう。
馬車の需要があれば車軸製造技術普及したはず、道路の関係で馬車が使えず
需要がないので技術が普及しなかったと思う。

64:名無し三等兵
11/02/04 15:43:57
日本は去勢の技術がなかったから、使役動物を扱いやすく改造できず、そのせいで
多数の動物に重量物を牽引させるような芸当は難しかったんじゃないかなー。
あとは大砲が発達する前に戦乱の時代が終わってしまったこと、財政的に余裕の少ない
小規模な封建領主が競り合ってたせいで、高価なわりに使用機会の少ない大砲は
普及し辛かったと思う。

65:名無し三等兵
11/02/04 16:12:07
馬が駄目なら牛に引かせても良いがそれもないというのは
家畜ではなく、別の問題でしょう

66:名無し三等兵
11/02/04 16:13:35
和種馬は平均で13ハンズくらい。モンゴル馬とほぼ同じ。
中世欧州で装甲騎兵として使われたデストリア種も精々15ハンズ程度だと言われている。
元々馬ってのはそこまで巨大じゃないのよ。

67:名無し三等兵
11/02/04 21:54:37
日本では明治になるまで何故か「蹄鉄」が導入されなかった。伝わらなかったのか普及しなかったのか謎。
馬用のわらじがあった位だから蹄の保護の必要性は認識していたみたいだが。


68:名無し三等兵
11/02/04 22:43:49
>>67
蹄が硬いので、馬沓で十分とされた

69:名無し三等兵
11/02/04 23:44:27
でも蹄のコンディションを保っておくのは大変
手間もお金もかけられない駄馬ではごらんのありさまだよ

「この藁沓は柔らかい地面を歩けば約二里しかもたないが、
 固い地面では一里もはけないのである。
 馬はいつも藁沓をはくから、足は柔らかく、ふわふわとなっている。
 だから、藁沓なしでは歩けなくなっている。」

イザベラ・バード『日本奥地紀行』

70:名無し三等兵
11/02/05 00:00:55
イザベラさんに「では蹄鉄なしではマトモに歩くこともできないおたくの馬はどうですか?」
と聞きたいな

71:名無し三等兵
11/02/05 00:14:24
ヌミディア人は鐙も銜も鞍も蹄鉄も無い馬を自由自在に操ってたんだよな

72:名無し三等兵
11/02/05 20:52:38 Z4CvUsrx
信長が鉄砲に先見性があるという話は良く聞くが
一方、家康が鉄砲に加え、大砲運用のプロでもあるという話はあまり一般的ではないだよね

ついでにいうと藤堂高虎のものとされる、築城の特徴は一部は家康の発案だし

73:名無し三等兵
11/02/05 21:19:33
>>72
家康がプロなのは謀略だろw

74:名無し三等兵
11/02/05 21:34:08 Z4CvUsrx
>>73
2町先の的を三発撃って全て命中とか、50間先の鳶を撃ち落としたりという話がある
加納城や福井城の縄張りも手掛けたというし、層塔型天守の考案者の一人とも考えられる

75:名無し三等兵
11/02/05 21:36:55
金正日伝説みたいだな

76:名無し三等兵
11/02/05 21:43:52 Z4CvUsrx
>>75
少なくとも前者は当時の記録なんだがねぇ

77:名無し三等兵
11/02/05 21:48:06
個人の戦闘力をメインで語るなら、足利義輝とかどれだけ凄いんだよと

78:名無し三等兵
11/02/05 22:14:30 Z4CvUsrx
個人の戦闘力と言うよりそれを実戦力に反映させる事
大坂冬の陣に備えて多くの大砲を準備したことが一つの例になる


79:名無し三等兵
11/02/05 22:20:53
いやだからさ、個人の戦闘力なんざほとんど価値なんて無いってことだ。
職業軍人で酒宴の席でポン刀振り回したりする東條とあらゆる武道を学んできた昭和帝が率いる日本軍が、
車椅子のルーズベルトや、徴兵経験はあるものの殆どサラリーマンだったトルーマンの率いる米軍に惨敗したんだぜ

80:名無し三等兵
11/02/05 22:24:47 Z4CvUsrx
ないよ、ないけど武器に対する理解と運用方法を習得するのに
個人が武芸を究めるのはそれなりに必要なことと言える

81:名無し三等兵
11/02/05 22:29:51
若い頃は商人ないし農民だった秀吉や小西行長、斉藤道三なんかは、
そこいらの武士に比べて武芸に秀でていたとは思えないけど、
歴史に残る戦いをしたわな

82:名無し三等兵
11/02/05 22:35:39
>>81
彼らの場合は算用といったところかと

83:名無し三等兵
11/02/06 10:58:43
>>79
龍造寺隆信とか、大谷吉継とか立花道雪とか。

84:名無し三等兵
11/02/06 12:56:29
>>79
じゃあ兵器の優劣にも意味はないってことだね
数さえいれば竹槍持たせて突っ込ませればいいんだ
君の戦争って簡単ですね


85:名無し三等兵
11/02/06 13:16:00
武将個人の戦闘力に意味がないと考えている人は
兵器の優劣にも意味が無いと考えている

・・・と解釈されるらしい

86:名無し三等兵
11/02/06 14:26:51
それ誘導尋問だろうだれもそんな事言ってないだろ。 指摘されたからってヒステリックになるなみっともない。

87:戦国オタク
11/02/06 19:02:31 KNv2mGkR
>>78
方広寺鐘銘の一件のかなり前から主である秀頼一族皆殺しにするべく準備してたんですね。
陰性の蛇のような唾棄すべき人物ですね。このような人物が日本の為政者に
なってしまったのは天魔の仕業と言うべき不幸でした、司馬遼が忌み嫌ったのも
尤もとうなずけます。

88:名無し三等兵
11/02/06 19:31:57
>>87
征夷大将軍より上の関白という地位。それに叙任される家柄の武家、そんな危険な豊臣家を存続させる事が出来る訳ない。
別に家康でなくても考える事だろ。

89:名無し三等兵
11/02/06 20:14:43
すると日本の本来の盟主である将軍様が日本を征服の暁には天皇家や愛子一家をどうすると思う?

90:名無し三等兵
11/02/06 20:27:49
天皇の政治的実権なんてとっくに無くなってるし、公家も武力と財力を持ってないから問題ない。
豊臣家には財力と武力、他の大名家に対する影響力があるから危険な存在となる。
年月をかけて徐々に力を削ぐ手も有るけど成功するとは限らない。自分が生きてる間に盤石なモノにしておきたかっただけ。

91:名無し三等兵
11/02/06 20:28:05
調子にのって豊臣を氏にもしたからな
成り上がり見本だね

92:名無し三等兵
11/02/06 20:31:44
盤石とは言ってるけど、体制はお粗末極まりないね

その点、徳川はよく出来てるよ
あれだけの平和を作ったんだから

93:名無し三等兵
11/02/06 20:39:13
本多正純の失脚を思えば、徳川も豊臣と大して変わらないお粗末な面を持っていたと思うがね

94:名無し三等兵
11/02/06 20:45:15
人間が作る組織に完璧があるとでもいいたいのか

95:名無し三等兵
11/02/06 20:50:16
>>93
元々駿府政権は一時的なものであることを前提とした体制だったから

96:名無し三等兵
11/02/06 21:14:01
男もすなる甲冑婚、女性用を開発…歴女注目?
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

97:名無し三等兵
11/02/06 23:33:02
>>89
戦国末期から江戸初期の話かと思ったら、北の金王朝の事かよw
食糧不足で動員も出来ず、金が無くて兵器の更新や訓練もマトモに出来ない国が日本征服って…大坂の陣で豊臣方が勝利するより難しいだろソレ。

98:名無し三等兵
11/02/07 07:39:06
戦略SLGヴィクトリア2発売

関連スレ
Victoria/ヴィクトリア太陽の沈まない帝国 56世
スレリンク(game板)




99:名無し三等兵
11/02/12 10:02:00
「個人の武勇に意味ない」って意見があるが、少なくとも標準的なそれがなければ、下の者はついて来ない。
社会人としての経験があれば、現場の空気からそれが分かりそうなもんだ、それとも軍師気取りなのかね?

100:名無し三等兵
11/02/12 10:38:17
家康の記録で“二町先の的に当てた”ってのは、明らかに誇張された記録だからな。
因みに一町は109mだから、家康はライフルも刻まれていない鉄砲で、218m先に当てたことになる。


物理的に不可能だから!

101:名無し三等兵
11/02/12 10:57:08
的の大きさ次第だと思うが。

家康については、神君ってことで神格化されてるし
伝説も尾ひれをつけて育っているだろうけど。

砲術師の技に、町撃ちとかの遠距離射撃はあるようだから
家康が鉄砲にある程度熟達していた可能性はあると思う。

102:名無し三等兵
11/02/12 11:17:08
家康の武勇については誇張もあるだろうが、足利義輝同様に、どこかの流派の免許皆伝持ってなかったか?
ちっとやそっとで打ち取れるような人物ではないよ。
少なくとも、このスレにいる住民より家康の方が遥かに強いね。

103:名無し三等兵
11/02/12 11:31:02
>>102 戦国大名が、ご進講を受けてやる範囲と
実際に道場に通ったり、弟子入りして身につけるのとでは
やっぱり違うんじゃないだろうか。

京都の公家衆にも上泉信綱から剣術の披露をうけた
人がいたはずだし、印可も受けていると思ったけど
でも、吉岡道場の連中を切り倒せるような腕前になったとは
正直思えぬ。

104:名無し三等兵
11/02/12 11:32:23
義輝は平蜘蛛の人が攻めてきたとき、十数人切り殺したそうだから、
それなりに物にはなったんじゃないか。

105:名無し三等兵
11/02/12 11:44:32
>>100
的が畳二畳分くらいの大きさかもしれないじゃないかww
それに1000発中1発でも当たれば「当たった」というのは嘘じゃなくなるw
不可能は言い過ぎwww

106:名無し三等兵
11/02/12 12:27:27
ま、家康は良く分かんねーキャラだよな
鷹狩りマニアで晩年まで山野ホイホイうろつきまわってた記録が残ってるのに、
一方で肥満がひどくてフンドシも自分で締められなかったっていうし
それなりに武術に通じていたらしいのに、三河の土豪時代からそっちの武勲聞かないしな

107:名無し三等兵
11/02/12 13:58:22
>>106
そりゃあ、そっちの方は全部本多忠勝に任せたから
大将自ら剣を振るって斬り込んで行くアホは謙信のみ
信長もそれに近かったけど

108:名無し三等兵
11/02/12 14:05:33
信長は別格だからな。三好残党と戦った天王寺の合戦頃迄最前線で槍働きしていたとの記述が信長公記あたりにあったはず。
大怪我をしたという話は銃で狙撃されそうになった話ぐらいしか聞かないしバケモンだね。

109:名無し三等兵
11/02/12 14:07:27
桶狭間の合戦も、たやすく奇襲できるような地勢ではないらしい。この頃の研究では文字通り正面から決戦して義元の首を挙げた
乾坤一擲の戦いではなかったとの説もある。

110:名無し三等兵
11/02/12 17:58:25
>>105
何処の首領様のホールインワンだよw

111:名無し三等兵
11/02/13 03:50:13
 火縄銃の有効射程は100mで、これは鉄砲足軽の集団が、これも敵の集団と言うかなり大きな的に斉射した場合。
一尺(30cm)四方の的なら、その半分以下の距離でも当てるのは難しいし、明智光秀はそれが出来たので達人と呼ばれた。

 申し訳ないが二町先では、畳が二畳あってもメッタに当たらないと思うよ、戦国時代の火縄銃では、散布界が広すぎる。

112:名無し三等兵
11/02/14 17:49:59
(´・ω・`)つ 狭間筒

113:名無し三等兵
11/02/14 18:48:53
権現様は装弾筒付き翼安定徹甲弾をお打ちになられたのかもしれませんな

114:名無し三等兵
11/02/14 21:11:06
 狭間筒がどの程度当たるのか、本当に知りたいものだな。
 これは現代の話しだが、全国競技で優勝した射手の場合だと、50m離れた30cm
四方の的に、95%の確立で当てられるそうな。

115:名無し三等兵
11/02/14 21:29:43
 良し! データが見つかった。取り敢えず幕末のゲーベル銃なら、二町ほど
先の的に8%の確立で当たるそうだ。 これは恐らく軍用標的だから、人間大の
的だと考えて良いだろう。
 もっと工作精度の低い戦国時代の火縄銃でも、千発打つ必要は無さそうだ。

116:名無し三等兵
11/02/16 20:23:43
誰も原史料読まないであれこれと言ってているのがなんだかな

「駿府記
 慶長十六年辛亥年八月十三日、
 今朝御浅間令放鉄砲給、置目当二町外、中其星五度(三度)、
 御近侍放之、同皆不中                        」


117:名無し三等兵
11/02/16 20:58:43
駿府の大御所様\(^o^)/

118:名無し三等兵
11/02/16 21:04:52
で、これ城内でなくわざわざ浅間山まで出向いとるので、大砲を撃っているのではという話もある

119:名無し三等兵
11/02/16 21:18:09
一発も当てられない近習情けナス(´・ω・`)

120:名無し三等兵
11/02/16 22:29:26
結局的のサイズは書いてないな

121:名無し三等兵
11/02/16 22:46:17
確か江戸時代の砲術競技で、300m以上離れた距離から、90cm×90cmの的を狙う遠射があったはず。
何発も撃って、当たるか外れるかを競う(と言うかめった当たらない)おおざっぱなものだけど。

122:名無し三等兵
11/02/16 22:47:40
家康の射撃の腕なら、五十間先の鳶を三度撃ち、二羽は落ちて、
一羽は足を切られて飛び去っている

一流の名人と言って良いかと

123:名無し三等兵
11/02/16 23:41:54
家康の子作りの腕は種をばらまいて一向に孕まなかった秀吉の陰茎と比較にもならないね。

124:名無し三等兵
11/02/17 00:21:32
中古車マニアだしな
処女厨どもにあの構わなさを見習わせたい

125:名無し三等兵
11/02/17 00:23:17
結果、結城秀康って言う危険因子を作っちゃったし、
それが表面化せずに済んだのは結果オーライと言うかなんと言うか

126:名無し三等兵
11/02/17 01:09:14
秀康ってそんなヤバイ要素あったっけ?

オヤジむっちゃくちゃ恨んでそうだし、
早い時点で分家させて徳川軍団分裂させることだって不可能ではなかったし、
関ヶ原時点で徳川家の後継者確定してなかったから、家康ヌッ殺せば親豊臣の大老筆頭に祭りあげられるし、
関が原後でもその気になれば反乱は起こせたわけだが。

ってまあ危険人物ね♪

127:名無し三等兵
11/02/17 01:17:19
>>124
前半生のセックスはまず子孫を残す意味で未亡人や経産婦中心の性生活をおくったが、
ある程度子作りすると、若い子中心に切り替えてますよ。 


128:名無し三等兵
11/02/17 01:19:21
多分125は松平忠輝を秀康とまちがえているか、影武者徳川家康を読んでそのイメージをひきずっているのでしょう。
実際の秀康は秀忠と比較した場合、一度も官位を上回ったことがなく、信康が死んだあとは明らかに秀康ではなく
秀忠を後継者として家康は遇してますね。

129:125
11/02/17 01:22:09
>>128
間違えてないし、影武者徳川家康なんて読んだ事もないよw
忠輝は危険因子といえば危険因子だけど、少し時代が遅すぎる

130:名無し三等兵
11/02/17 01:25:58
結城秀康は身分は北関東の弱小大名である結城氏の養子にすぎず、
かつ、大阪の陣をまたずして死去した短命の人物にすぎません。

131:名無し三等兵
11/02/17 01:28:17
URLリンク(www.flickr.com)

家康は廃嫡した忠輝とちがい(まあ長生きしたけど)、病死した息子の廟をたてているのだが・・・・

132:名無し三等兵
11/02/17 09:14:24
福井城は家康による縄張と言われているね

133:名無し三等兵
11/02/17 09:53:54
江戸城の縄張すら他人に任せた家康本人の縄張かあ

134:名無し三等兵
11/02/17 10:19:26
>>133
正確には高虎の基本案に、家康が修正したとしている

福井城や加納城と異なり、江戸城は平山城だから縄張は
専門家の知恵が必要だったんでしょう

135:餅は餅屋
11/02/17 12:23:48
安土城なんか織田信長の「ぼくの考えたスゴいお城」的で、防御施設としては「?」だからな。

136:名無し三等兵
11/02/17 18:58:50
幕末の4賢侯と称された松平春嶽って福井藩だったと思うけど、あの人が秀康の子孫になるの?
途中で養子などが入るケースが多くて江戸時代の大名って血縁関係が訳わかんない事に
よくなっているが、春嶽は直系の子孫になるの?

137:名無し三等兵
11/02/17 20:34:31
>>135
まぁ野戦はめっぽう強いが城攻めは下手糞な謙信への備えだし

138:名無し三等兵
11/02/17 20:57:56
>>136
一橋家の系譜

139:名無し三等兵
11/02/28 14:15:59.00
保守

140:rmtbrt
11/03/16 13:54:20.89 gT3gtoMC
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141:名無し三等兵
11/03/16 20:14:21.60
安土は元から行政用の城だろ

142:名無し三等兵
11/03/16 22:00:17.02
よく一本道の大手道が挙げられるが、あれを実際に登った身としては
逆に勾配がきつくて大変

143:名無し三等兵
11/03/17 23:33:23.11
宮殿と考えるべきなんだろうな

144:名無し三等兵
11/03/17 23:57:54.67
>>142
岐阜城に比べたら屁みたいな物

145:名無し三等兵
11/03/24 14:41:53.11 GhKkPcfg
>>142,144
いずれも日本五大山城に入っとらんね
つまり大したことない

146:名無し三等兵
11/03/25 12:14:20.76 VBa2ry/V
日本五大山城は急峻度で選ばれたわけではないから
全然大した事ない

147:rmtbrt
11/03/25 12:51:52.75 0niwp4EQ
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148:名無し三等兵
11/03/25 19:03:14.71
>>40
うお、江戸時代から変わらんのな…

149: 忍法帖【Lv=1,xxxP】
11/04/04 04:26:46.67
姉妹スレ
【火縄銃・マスケット銃】鉄砲・大砲の歴史 【種子島・ライフル】
スレリンク(nanminhis板)
▼火縄銃について語ろう▲
スレリンク(sengoku板)

150:名無し三等兵
11/04/09 22:11:51.30
近世ヨーロッパでは、銃弾の装填にペーパーカートリッジを使っていたと聞くが、その紙の生産はどうやっていたんだろう。
噛み切るから使い回しできないんで、ある程度均質の物を大量生産しないといけないよな?
日本の早盒だと、紙以外にも金属、革製のものがあったらしいが、ヨーロッパの方ではどうなっていたんやろうね?

151:名無し三等兵
11/04/10 18:22:31.38
その頃はすでに紙があるから問題なし

152:150
11/04/13 21:29:42.88
>>151
遅くなったけどレストン
紙の普及の推移や、どの程度貴重だったか調べてみるよ。

153:名無し三等兵
11/04/13 22:37:56.46
オンや思わず買うたんちゃう?安いし誰か買うたり~な!
持ってへんかったらうち買うねんけどw
URLリンク(auction.item.rakuten.co.jp)

154:名無し三等兵
11/04/15 08:49:24.11
このスレ向きのニュースかな。

大阪城に大規模な鍛冶工房跡 豊臣方、夏の陣で利用か
URLリンク(www.asahi.com)

155:名無し三等兵
11/04/28 22:05:02.32 1YbyTr52
大坂冬の陣では惣構の櫓等も砲撃でかなりの損害を受けたというから、
浪人衆が和議を支持したのも当然

156:名無し三等兵
11/04/28 23:59:04.64
いや家康側の食料不足は深刻だったよ
もう少し頑張れば良かったのに

157:名無し三等兵
11/04/29 06:26:01.27
それは豊臣家の蔵入地からの没収米や自身の蔵米、合せて十三万八千石で解決済み

158:名無し三等兵
11/04/30 23:13:47.22
徳川側の兵站責任者は誰だったんだろ?


159:名無し三等兵
11/05/01 00:05:16.39
彦坂光正、他にも各地の奉行や京都所司代の板倉勝重が手がけている

160:名無し三等兵
11/05/01 10:25:47.03 ALfD5pGk
後、街道での各種兵站補給については秀忠の年寄衆が連名で触れを出している
徳川家の場合、専門の一人にすべてを任せるのではなく、それぞれの奉行・代官
が行い、それを年寄衆が監督するという形のようである

161:名無し三等兵
11/05/01 14:19:36.52
>>159 160
かたじけなし。秀忠は関ヶ原遅延で兵站補給には色々
学んだろうな

162:名無し三等兵
11/05/09 11:27:28.94 ZM7nBQAA
大坂城砲撃は本丸への射撃ばかりが取り上げられるが、
本道は惣構に対する砲撃
これで結構な損害があったから、浪人衆も和議に応じたんじゃない

163:名無し三等兵
11/05/09 14:32:25.56
フリントロックは、ガンフリントの当たる衝撃で銃身がぶれるから火縄に比べ命中精度が悪いらしいが、実際のとこどうなんだろ?
動画見る限りじゃそこまでぶれているようには見えないから、やっぱり弾丸が銃身内でごろごろ転がるのが原因か?
引き金が硬いと銃身がぶれるのは実経験から分かるんだが…


164:名無し三等兵
11/05/09 14:41:30.81
>>163
動画なんかの人は、慣れてるからじゃないかな?
素人がやると差が大きいとか?

165:名無し三等兵
11/05/09 19:53:09.82
はたで見てわかるぐらいブレてたらそりゃもう全く当たらないだろ

166:名無し三等兵
11/05/10 13:34:58.33
ダブルアクションの拳銃のブレは見てて分かるけどね。ストックをしっかり肩に当てて撃つ銃が、火打石が当たっただけでぶれるなんてやっぱり考えづらいな…

167:名無し三等兵
11/05/10 13:48:10.74
フリントロックと火縄ではどっちが不発率高かったんだろ?
あと、フリントロックは国産では何か不都合があったのか?

168:名無し三等兵
11/05/10 13:55:02.42
滑腔砲身な時点で命中精度なんておざなりなレベルだろうに、発火装置が火縄か火打ち石かでそこまで変わるものなのかな?

169:名無し三等兵
11/05/10 14:08:50.90
利点である密集陣形に意味を見いだせなかったからでは

170:名無し三等兵
11/05/10 14:58:11.04
>>169
フリントロックの最大の長所ってそこだよね。

171:名無し三等兵
11/05/10 15:39:13.34
尾栓の完全な閉塞が出来ないんだから火口から火が噴くのは避けられないだろ
パーカッションだと、ニップルが蓋をするかたちになって多少はましかもしれんが


172:名無し三等兵
11/05/10 15:52:16.24
>>167
不発率は確実にフリントロックのほうが高いだろ。
火縄だと火を押し付けてるわけだから。
逆に、火打石の火花程度でよく火薬に着火できると思うわ。

日本でフリントロックが普及しなかった理由は、銃用に適した火打石が取れなかったから、なんて説があるね。
他に精度的には衝撃のせいで不利だとか。
火縄の場合は逆に、ロックタイムが長くてしかも安定しないとか、別の不利があるがこっちは訓練でなんとかなるっちゃあなんとかなるからなw
ただ基本的には、平和な時代が続いて武器の改良へのモチベーションが低かったことに尽きると思うけどね。
江戸中期以降の武士って基本みんなド貧乏だしねえ…

173:rmtbrt
11/05/10 16:44:02.62 rLs+6Avg
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174:名無し三等兵
11/05/10 17:46:21.96
火打ち石は石から火花が出るのじゃなく石で打たれた鋼が削れて火花を出す
火花は溶融した微小な鋼片で1000度くらいあるから火薬はかなり確実に発火する
が火縄よりは不確実だろうか

175:突撃兵
11/05/10 18:03:41.07
>>172
>>174
日本でフリントロックが普及しなかった理由の1つとして多湿もあるそうです。
大英帝国も高温多湿なインドでは火縄式を使用してました。

176:名無し三等兵
11/05/10 21:17:37.26
>>172
雨中だと、フリントロックの方が確実ですの。

177:名無し三等兵
11/05/10 21:53:04.71
フリントロックにしろ火縄銃にしろ火皿の火薬の燃焼ガスが薬室内の火薬を爆発させるまでタイムラグがある
引き金を引くのと発砲にはタイムラグがあるのだからフリントロックの打撃による振動は命中率に影響ないんじゃないかな

178:名無し三等兵
11/05/10 21:55:51.50 ifUsvzBV
豊臣家もあれだけの財産あるなら外人部隊とか傭兵団とか雇ったらよかったんじゃね?
彼ら用に海外の食料も輸入とか。

179:名無し三等兵
11/05/10 22:30:42.01
>>178
一番手っ取り早い自国の浪人雇ったじゃん
逆にスペインが中国を占領する計画に、日本の浪人を活用する
つもりだったというし

180:名無し三等兵
11/05/11 01:13:09.58 mOuXdmsB
時代劇で火打石で行燈に火をつけるとかあるのは間違い
まず良質な炭をパウダーにした火種に火をつける
息を吹きかけて慎重に火を大きくする
これにおが屑などをかけてさらに大きくし
紙縒りなどに火を移して行燈に火をつける
薪や炭に火をつけるにはよく乾燥したつけ木に火を移し
同じくよく乾燥した木や紙であるていど大きい火をおこして
それで薪や炭に火をつける
このように火をおこすのはけっこう面倒だったので
火種は絶やさないようにしていた
数日家をあけるのでなければかまどの火種や煙草盆の火種は蓋をして燻らせていた
小型のアンカのような携帯用の火種もあって外出先でも煙管を使えた



181:名無し三等兵
11/05/11 02:37:18.34 mOuXdmsB
日本でもヨーロッパでも火縄/フリントのマスケット銃の演武では
銃手は2mほどの間隔をとっている
火皿の火薬および薬室の燃焼ガスは右側の銃手に影響するから
2mほどの間隔は必要なのだ
ヨーロッパの密集隊形というが雷管が発明されるまでは同じだったはず

182:名無し三等兵
11/05/11 02:41:18.25
>>181
フリントロックの時代を知らんのかね?

183:名無し三等兵
11/05/11 03:01:58.93 mOuXdmsB
>>182
だから銃手は2mくらいの間隔だったはず
今のヨーロッパの演武もそうしてる
戦場の絵はデフォルメなんじゃないの?

184:名無し三等兵
11/05/11 06:45:23.40
>>183
そんなに間隔開けてたら、騎兵の突撃に対抗できないだろ。

185:名無し三等兵
11/05/11 10:11:50.05
だからこそ欧州は一斉射撃が広まったんじゃない
暴発しても同時に発射されれば同じ事だし

186:名無し三等兵
11/05/11 10:39:11.45
銃剣も横隊戦術も知らんお客様か……

187:名無し三等兵
11/05/11 12:06:05.55
フリントロックで密集したら右隣の人は火傷するな

188:名無し三等兵
11/05/11 12:31:55.93
そんなの覚悟の上

189:名無し三等兵
11/05/11 13:21:13.52
となると、日本でフリントロック流行らなかった理由の一つは
騎馬兵への脅威がなかったからかな?また、足軽鉄砲と士鉄砲
の様に使い分けてたなか、太平で集中運用の必要性が薄れたのが
一因かな?・・そういや江戸周囲では鉄砲の訓練も規制されてた
よね

190:名無し三等兵
11/05/11 13:36:16.16
>>187
フリントロックで密集できないってすごい珍説だな
根拠あるんなら出してくれ
現代の演武以外で

191:名無し三等兵
11/05/11 13:49:19.95
>>174

鋼が燃えるんか。
初めて知ったわ。
お陰で一つ賢くなった。

192:名無し三等兵
11/05/11 14:43:16.30
>>189
密集陣形というものは元々、技量が劣るか戦意の低い兵を主力とした
軍隊が編みだしたものです
その意味で律令制の一時期を除き、基本的に戦士階級が主力であり
続けた日本では必要ないものであった

193:名無し三等兵
11/05/11 15:23:20.39
>>192
んなこたないわな
戦士階級が主力であった時代のほうが短い
平安後期からせいぜい南北朝ぐらい
足軽って、形態的に不分明な部分はあるが、半傭兵だしな
一方で戦国期の大規模戦闘になると長槍による密集陣形が戦術の基本となるし、初期の鉄砲に一番期待されたのはこれに斉射で打ち込んで陣形を崩すことだった


194:名無し三等兵
11/05/11 15:41:48.96
>>193
侍は突撃戦力の根幹だし、足軽も弓や鉄砲は常時雇用色が強い
槍足軽は臨時雇いの範疇だが、これも戦国時代半ばから支援兵種に
後退をしている

まぁ、足軽を戦士階級とするのは「戦士」のイメージが人によって
全く異なるから無理強いはしないけど

195:名無し三等兵
11/05/11 17:05:38.71
>>192
すごい新説を聞いたな。密集陣形の元祖であるファランクスの使用者の一つであるスパルタは軍隊が国家のふりを
しているような超軍事国家で、市民は常時軍事訓練が必須だったし、
密集隊形であるレギオンを主兵力に使っていたローマ軍は職業軍人からなる常備軍だぞ。
スイス傭兵やランツクネヒトも密集陣形を組んで戦ったが、彼らも戦争を生業とした生粋の戦士だわな。
そもそも訓練を積んでいない人間に密集陣形組ませたって、戦力にならんわな。

196:名無し三等兵
11/05/11 17:10:58.07
>>195
ああ、それらは単に古代ギリシャの真似をし続けたから(スパルタは同時代だから少し違うが)

197:名無し三等兵
11/05/11 17:16:16.66
ついでにいうと傭兵は技量の問題でなく、財産が身一つなので容易に離脱する

198:名無し三等兵
11/05/11 17:30:50.56
>>197
密集陣形採用の主要な理由って一箇所に集めて監視しないと、逃げる、勝手に略奪始めるってことだもんね
それと、兵隊なんてアホばっかだから適切な戦闘判断ができないし
だから近代市民国家が成立し、また兵士の基礎教育の水準が上がると、何かと融通の効かない密集陣形は廃れていった
まあ現実の戦術上の問題も当然あるけどな


199:名無し三等兵
11/05/11 17:50:49.57
>>198
根本的に認識が間違ってるな。戦闘民族って言っていいくらいだったヴァイキングだって軍隊との戦闘では
「盾の壁」っていう密集陣形を組んだし、前近代の火器がない時代の兵士が密集するのはそうすることで
衝撃力を増し、防御においても相互支援を行うためなんだよ。
“ギリシャ・ローマ式の決戦”を最終目的とする軍隊は相手を叩き潰さなくてはならない。だから無理をしてでも
陣形を組んで(機動性が損なわれる)でも戦ったんだよ。

200:名無し三等兵
11/05/11 18:01:03.84
あと、スイス傭兵やランツクネヒトは鉄の軍規で知られていて、気ままな傭兵とは
程遠いぞ。

201:名無し三等兵
11/05/11 20:22:33.62
>>199
「盾の壁」なんて掻盾持って前進する中世日本と大して変わらない
「ギリシャ・ローマ式の決戦」と言うが、それは逆に身動きがとれないから
結果として殲滅されてしまうということ

>>200
鉄の軍規と言ってもそれはあくまで、程度問題に過ぎない
死ねば何も残らない存在というのは事実
日本みたいに「首」という明確な恩賞基準もないし

202:名無し三等兵
11/05/11 20:23:51.53
なんかこの、俺様理論で密集隊形否定している奴は、まともな戦史の本を一つでも読んだのかと。

ライフル銃が一般化するまで、肩と肩が接する密集隊形って、基本中の基本戦術なんだけどな。

203:名無し三等兵
11/05/11 20:39:58.79
>>202
「西洋軍事史」においてはね
というかそれのみで日本の軍事史を語ろうとして、
これまで碌な考証ができていなかった訳だ

「備」が提唱されるまで、誰もそういうものの認識が
できていなかった

204:名無し三等兵
11/05/11 20:43:26.00
>>203
発端になったのは>>181のレスで、西洋軍事史での密集隊形も否定しているようだが?

205:名無し三等兵
11/05/11 20:49:20.54
>>204
そっちは俺は関係していない

206:突撃兵
11/05/12 01:00:01.77
>>201
ガリア戦記にも書かれてるがレギオン、軽歩兵や弓兵、騎兵等を用いて金床と鉄槌を禿の女誑しがやってるが。
ギリシャでもアレキサンダー大王がファランクスと騎兵を用いて金床と鉄槌やってるが。


207:名無し三等兵
11/05/12 02:23:01.58
>>202
火縄銃でそんなことは無理

208:名無し三等兵
11/05/12 02:24:13.82
>>181
フリントロックは機構的に火蓋を閉じていないと発砲できないから、装填中とかじゃない限り暴発はありえない。

まぁこのスレ的にはTotal Warシリーズを経験した猛者ばかりだから密集隊形の重要性は嫌というほど分かってるはず。
ちなみに60年代大学闘争における、鎮圧に出動した機動隊も基本的には防盾の密集隊形を組んだ。相手が火器装備でなければ現代でも密集戦法は有効。

そういえば13世紀モンゴル軍は弓騎兵の散兵戦だったが、城塞に立て篭もられたらどう対処したんだろう…?

209:名無し三等兵
11/05/12 02:30:18.67
>>208
ホントに密集したのはパーカッションになってからだろう
フリントロックでそんなに密集したら右隣の人が火傷してしまう
ある程度間隔を空けたはず

210:名無し三等兵
11/05/12 02:35:08.42
>>208
基本は漢人さんお仕事ですじゃね?
結構柔軟に他兵種も組み込んでたし
後は徹底的に脅迫かましまくりだろうね

211:名無し三等兵
11/05/12 06:42:22.06
>>209
だから想像で語るなと
だいたい、撃発方式がパーカッションになるのはライフル時代だから、
むしろ密集方陣を捨てて散兵戦術に移行する時期だ

212:名無し三等兵
11/05/12 07:03:16.96
>>211
つゲベール銃

213:名無し三等兵
11/05/12 09:34:19.76
>>206
歩兵は密集陣形ですね
「盾の壁」はその上のヴァイキングのみを指しています

214:名無し三等兵
11/05/12 10:31:25.07
>>212
そんな40年も持たなかった時代のあだ花を出して何がしたいの?

215:名無し三等兵
11/05/12 10:52:28.86
火縄銃を撃つと火縄が横に飛んだりするから怖いな
URLリンク(www.youtube.com)

216:名無し三等兵
11/05/12 10:58:38.13
>>209
映画「パトリオット」を見るのをお勧めする。ちなみに服を着てれば火傷はある程度防げるぞ。

217:エミュレートしてみた
11/05/12 11:56:13.72
>>216
映画は所詮映画に過ぎず無駄に派手な絵作りだけにこだわって現実を無視して云々


218:名無し三等兵
11/05/12 12:29:24.61
あなた

219:突撃兵
11/05/12 13:35:38.08
英国軍はクレーシーの戦い以後、騎兵単独の突進に対して方陣を組んで絶対に突破されないように訓練されてる。
他にも正面に対する火力を上げる為に2列横隊を数段重ねる横隊陣形を維持した。


220:名無し三等兵
11/05/12 13:37:00.10
完璧再現主義者スタンリーキューブリックの「バリーリンドン」でも見てみれば?
さすがに>>217はただの冗談だろうけど

221:名無し三等兵
11/05/12 22:33:21.58
テルシオの構成図を見るとマスケット兵とパイク兵は同じ間隔で並べられているが、これはつまり
「パイク兵が騎兵の突撃を防ぎうるほど密集した間隔」で銃手も並べられていることになると思うのだがどうだろうか。
というか、密集形態を取るメリットが銃手が火傷をするor暴発するデメリットを超えていたからこそ密集してた訳で…

222:名無し三等兵
11/05/20 14:40:42.38 8XZlP9Ci
日本のように散開隊形が基本の場合、野戦砲で榴弾を撃てない時代まで
大砲なんて行軍の邪魔でしか無い存在であった

223:名無し三等兵
11/05/20 14:42:03.03 8XZlP9Ci
>>222
訂正、「撃てない」でなく「撃てる」だった
それでも弾着修正は困難だろうけど

224:名無し三等兵
11/05/20 15:35:45.06
カノン砲で散弾を撃つ発想が無かった日本人はただの阿呆にしか思えん
第一、散開隊形が基本だったら長柄槍の槍衾はどう突破すんだ?

225:名無し三等兵
11/05/20 16:04:43.34 jaVlDMnF
汎用性から言えば鉄砲隊を同じ額で揃えた方がいいぉ。
欧州に比べ騎兵突撃の衝撃力が小さいから槍で十分とも。

226:名無し三等兵
11/05/20 16:35:46.04 8XZlP9Ci
>>224
散弾なんて火制範囲は大したことないし、火砲を全面に押し出す面倒もでかい
槍足軽は所詮は一列横隊、それに戦国後期は後方に置かれる

227:名無し三等兵
11/05/20 17:23:07.14
槍衾が一列横隊だったとか初耳だな

228:名無し三等兵
11/05/20 17:41:58.20 8XZlP9Ci
>>227
図屏風や配置図等、確認できるのは一列横隊しか無いが

229:名無し三等兵
11/05/21 00:24:29.03
縦隊にしていた武将を秀吉が叱責したというエピソードがあるから
縦隊も存在していたはず・・被弾率がさがるしね・・おまい前いけよ
って感じか?

230:名無し三等兵
11/05/21 00:25:45.87
一旦横隊にしてしまうと指揮統制が困難

231:名無し三等兵
11/05/21 01:24:38.01
>>229
行軍時は縦隊だから、その転換時期を見誤ったのでしょう

232:名無し三等兵
11/05/21 05:21:23.87
>>230
およそ20人程度に1人、足軽小頭がいる。

233:名無し三等兵
11/06/01 19:37:56.86
>>211
火縄銃兵が密集隊形をとるメリットってなに?

防御時はパイク兵の中に紛れて隠れるから意味ないし

234:名無し三等兵
11/06/01 19:45:00.10
>>233
逃げれない

235:名無し三等兵
11/06/08 22:24:46.60
ハロプロアイドルが「戦国自衛隊」を演じる
URLリンク(www53.tok2.com)

236:rmtbrt
11/06/09 11:46:02.12 u+m7fL0+
大航海時代-RMT通貨購入こちら:URLリンク(www.rmtbrt.com)

237:名無し三等兵
11/06/09 11:54:02.26
>>233
命令を聞き取りやすい

238:名無し三等兵
11/06/11 21:04:51.12


【東日本大震災】中国山東省から仙台市に義援金と「国泰民安」の文字が刻まれた玉印が送られる
スレリンク(newsplus板)


「なぜに印鑑なんて実用価値のないものを贈る?」と思った人もいると思う。
実は玉印は宗主国が属国に渡すもの・・・・・。



239:名無し三等兵
11/06/11 21:42:15.16
その判子の素材はなんだ?

240:名無し三等兵
11/06/11 22:15:07.33
判子は送り返せw

241:名無し三等兵
11/06/11 22:54:16.50
愚者の黄金

242:名無し三等兵
11/06/12 09:53:00.00
国立博物館に恭しく飾るべきだろう、どこかの金印みたいにw

243:名無し三等兵
11/06/14 20:00:47.14
>>242
志賀島出土の金印は福岡市博物館収蔵です
九州国立博物館が狙ってますが、譲る気はないようです

244:名無し三等兵
11/06/15 17:08:57.61
この時期の日本の城って西洋や明なんかに比べてもよく出来てるよね
西洋とかは高いだけでペラい城壁で周囲を囲っただけだし……

245:名無し三等兵
11/06/15 18:16:59.94
>>244
そのかわり町ごと囲ってるけどな

246:名無し三等兵
11/06/15 21:59:40.12
>>245
ところが注意深く見ていくと、西洋の要塞戦略は都市などの国家の重心を、各要塞を縦深的に配置した要塞線の様な物になる
そう、日本の本城・支城の様な戦略になって行くんだよ
支那も城塁同士の連携による要塞線志向に向かっている

これらを見るに、戦国~織豊自体の日本の城塞建築・戦略は同時代の全世界的にもかなり先駆的だった様に思う

日本の城の作りは、寄せ手のやる気を削ぐ作りだよね
ひたすら攻略がめんどくさい
防壁や防御施設の一つ一つはどうともなるが、配置と縄張がいちいち嫌らしい
縦深防御と弾性防御が設計思想の軸にある様に思う

堅固な防壁・防御施設さえ攻略出来れば一挙に雪崩れ込んで攻略が完了する西洋・支那とはそこが違う

247:名無し三等兵
11/06/16 03:55:26.40
>>244
西洋のは砲術戦に対応した低くて分厚い壁に守られて死角を少なくし、
周囲に空き地を設けた稜堡式の城郭に移行中じゃなかったか?

248:名無し三等兵
11/06/16 06:44:14.29
>>244
高くて薄い城壁は、火砲登場前の築城法。
この時期には低くてどっしりした城壁に変わってる。

249:名無し三等兵
11/06/16 09:04:45.08
>>246
そのわりには、戦国時代篭城して勝った(強力な援軍が包囲軍勢を排除した
のは除く)戦って無かった=防御力なし。なんじゃないの?

250:名無し三等兵
11/06/16 09:57:42.48
山がちな日本と、せいぜいなだらかな丘陵地しかない欧州では、条件が違いすぎる
それぞれの地形に合わせて発展を遂げた築城術を、単純に比較しても意味がないだろう

251:名無し三等兵
11/06/16 11:34:02.12
>>247-248
そうだな
同時期ならこの頃に星型要塞の原型が出来ているな

>>249

援軍の見込みも無しに篭城だけで勝つって、そもそも要塞の戦略志向から外れてるだろ
それが出来なきゃ防御力無しってお前……
ちなみに、鬼島津の明軍撃退とか小田原城による武田・上杉勢の撃退とか
大阪冬の陣とか、色々ある様に思うが

>>250
日本は山城からの発展で、山肌自体が一種の稜堡として機能していたのがあるかもね
そこから発展しているから、ひょっとしたら意図せずして砲撃にも強い城になってるのかもしれん

252:名無し三等兵
11/06/16 13:56:48.38
城の敷地で雑穀を植えて城内の兵士が食い繋げるようにすれば(つまりそれだけの敷地面積が必要)
10年くらいはどうにかw

それでも刀折れ矢尽きになるかな?
矢は篠竹があればどうにかなるかw

大坂城が講和を受け入れなかったら何年持ったかなあ
小田原は近隣に城を作って長期戦に耐えるようにしたんだよな

253:名無し三等兵
11/06/16 20:27:20.68
火縄銃には銃剣が着けられないって聞くけどなんで?

254:名無し三等兵
11/06/16 20:38:59.45
火縄銃じゃなくて、前装銃全般じゃない?銃口付近に刃物があったら、弾を入れる時…

255:名無し三等兵
11/06/16 20:56:52.54
日本はしらんけど、銃口にすっぽり挿し込む銃剣はあったよね
使いづらくて実用的じゃなかったようだけど

256:名無し三等兵
11/06/16 21:02:18.39
最初は欧州でも銃口にすぽっと差し込む方式しかなかったが(日本でもマタギがフクロナガサというのを使っていた。対獣用に)、ソケット式銃剣というのが開発された。
銃口からずらして銃剣の刃が伸びているやつ。装填も可能だし、気をつけていれば手も傷つけない。


257:名無し三等兵
11/06/24 14:32:23.81
17世紀フランスのバヨネット地方で偶々誕生した…というのは良く聞く話。そこから
「17世紀の中頃にはパイク兵の代わりにいくらか用いられるようになり、1680年頃リング式銃剣が登場した」(戦略戦術兵器辞典3)とある。
ネットで調べたら「大北方戦争直前に、スウェーデン軍銃兵にはソケット式銃剣が支給された」とあるから
誤訳や間違いでなければ猛烈な勢いで改良&普及したことになるね

258:名無し三等兵
11/06/24 16:21:13.93
ジェボーダンの獣 に関する書籍でバヨネットの文字を初めて見たんだよな
時代としては100年後か

259:名無し三等兵
11/07/01 11:13:04.91
何か密集陣云々の話で気になる部分があったんだが。
スパルタやローマやスイスやランツクネヒトが訓練や連帯を必要としたのは、
彼らが「隊形を組んだまま攻勢に出ることの出来る密集陣」を物にしてたからで、
例えば防御専用の密集陣なんかはフランドルの反乱軍でも使用できた。
密集隊形を維持したまま行動する様な訓練を受けてないフランドル反乱軍は、
追撃するときは隊形解いてバラバラにならざるを得なかったもんで、
そこをフランス軍に突かれて勝ち戦をふいにしかけたりしてる。

260:名無し三等兵
11/07/02 19:41:50.10
>>257
戦闘技術の歴史3近世編によると、
1647年に登場し、
1670年代頃にまず燧石式マスケット部隊や竜騎兵など精鋭部隊を中心に普及し、
1980年代には、銃兵の標準装備となった
1700年代中盤になると、ソケット式銃剣と燧石式マスケットの完全普及で、パイクはほぼ消滅した
との事

261:名無し三等兵
11/07/03 11:48:05.27
>>260
>>1980年代には、銃兵の標準装備となった
時間かかりすぎんだろwww
と分かっていて突っ込みw


262:名無し三等兵
11/07/11 20:57:24.90
無茶な想定なのは承知だが、もし秀吉が存命中に都を大坂に移転して、大坂を大陸式の城壁や堀もある城塞都市にして、
大坂城も宮殿もその中に取り込む構造にしていたらどうだったろう?
ついでに、秀吉死去の前後に秀頼を関白にできていたら・・・・??
家康と言えど、大陸式の城塞都市を抜いたと思ったらさらに中に大坂城が控えているわけで、
これでは大坂攻略は不可能だったのではと思うのだが。

263:名無し三等兵
11/07/12 13:12:24.90
>>262
住民の食料が持ちません^^

264:名無し三等兵
11/07/12 15:03:00.12
豊臣家の財力を持ってすれば数年分の食糧備蓄などたやすいし、街壁内にも農地を作るから、どうということはない。

265:名無し三等兵
11/07/12 19:26:08.58
当時の大坂ってどのぐらいの広さなの?

266:名無し三等兵
11/07/12 19:51:10.39
史実の大坂城の城域と大坂市街を合わせても今の大阪市より小さい。大阪市外周部は田畑だった。
ただし豊臣時代の大坂城の三の丸は今は市街になってるから実際には城域は今より広い。

ついでだから故事に倣って、大坂城北東部に世界有数の大規模な銃砲類・弾薬工場も設けて、
上記の田畑も取り込んだ大街壁を建造して、陸路・水路の出入り口など要衝に設けた櫓に銃座と砲台を設けておけばもっといい。
できれば遷都による仮称大坂京は大坂城南方に配置したほうがいいかも。

267:名無し三等兵
11/07/12 20:36:27.86
>>264
流通抑えられたらおしまい

268:名無し三等兵
11/07/12 21:34:48.64
城壁の方が大砲で抜き易いから、早く落ちるかも

269:名無し三等兵
11/07/13 14:11:54.25
しかしまぁ大坂城を難攻不落にしても、冬の陣や小田原城の二の舞になるだけの様な
援軍が期待できない篭城なんてやってらんない訳で
内訌待ちっつーのも……

270:名無し三等兵
11/07/13 15:54:19.51
幕府の戦費が先に枯渇すればいいんだけどね・・・・・。
それとも、大坂が浪人はおろか外人部隊まで雇って執拗な襲撃を繰り返して幕府軍に
城への力攻めを強要したり、大形投石機で燃料入の壷を投げ込む放火船を用意して、
貨物船にでも変装して江戸を焼き討つとか。
秀頼が関白の権限で朝命を乱発して、幕府に組する者の官位を剥奪するとか。
細川などの名門にはかなり心理効果ありそうだと思う。

271:名無し三等兵
11/07/15 21:06:59.47
あとは、秀頼が「余こそが正統なる政権である」として、逆らう幕府側大名、それも大身の者を誰か少なくとも1人、討伐してしまう必要があると思う。
成敗する場所は大坂城市攻撃に来たところで逆に撃砕するのでもいいし、藤堂や池田といった近場の大名を攻め潰すのでもいい。

272:名無し三等兵
11/07/19 11:15:23.63
他にも、関ヶ原後の賞罰は本来無効であるとして、石田、小西、大谷、安国寺の一族を当主に据えて各家を再興並びに、
八丈島から宇喜多一族を救出して再興するのもいいと思う。
政治宣伝としても筋を通す意味でも効果絶大だと思う。
明石全登は大喜びして宇喜多秀家の与力武将に志願するだろうな。

273:名無し三等兵
11/08/10 08:55:08.75
たとえば戦国自衛隊のように戦国時代にタイムスリップして
軍事顧問として現代の知識を活用するとしたら

いち早く鉄砲を導入させる
硝石工場をつくる
迷彩カラーの導入
野戦は塹壕をつくる
戦国前期は星形要塞で火線を
戦国後期は城を廃止させて地下壕にする

くらいを想像しました。俺程度じゃあ軍事顧問は無理だわ。

274:名無し三等兵
11/08/10 09:50:20.15
>>273
いち早く鉄砲を導入させる → 必要な人材・資材をどう集める
硝石工場をつくる → 同上、というか不可能
迷彩カラーの導入 → 同士討ちや戦果確認ができない
野戦は塹壕をつくる → 時間があればやっている
戦国前期は星形要塞で火線を → カネがかかりすぎる
戦国後期は城を廃止させて地下壕にする → 連絡できず各個撃破

275:名無し三等兵
11/08/10 13:36:08.99
銃剣を流行らせてみたい

276:名無し三等兵
11/08/10 13:55:16.83
日本の火縄銃は銃身が短いので、刀と大して変わらない

277:名無し三等兵
11/08/10 16:52:07.05
しかしマタギはフクロナガサって銃剣を使ってたんだよな。

278:名無し三等兵
11/08/11 06:39:43.68
>>273 現代の物差しで考えちゃ駄目でしょ。

279:名無し三等兵
11/08/11 12:09:04.76
可燃素材製の薬莢って出来ないのかなぁ。
和紙か何か加工して、早合と違ってそのまま先込めできる奴。

280:名無し三等兵
11/08/13 14:00:54.04
18世紀海軍の前装砲ではそういうの使ってたよな。
しかし小銃ではなぜか話を聞かない。

思うに、大砲では発射後に専門の人員が砲腔内をスポンジ付き棒で水洗いして、
そのとき一緒に中でくすぶる残り火を消してしまうのに対し、個人で扱う小銃ではそこまでやっている余裕がないため、
万一残り火があった場合にそのまま暴発、射手の手を吹き飛ばす、という事故をおそれたのでは?

すべて憶測。
発射後の銃腔内に残り火がある可能性がどのくらいなのかなんて知らん。




281:名無し三等兵
11/08/13 14:45:32.93
>>273
俺ならインチキ西洋知識を広めまくる。
ライスはフォークの裏にのせるってのは嘘なんだってな。
ずっと騙されている。

282:名無し三等兵
11/08/13 14:50:34.56
単純に火が弱いから紙でコートしちゃったら芯の火薬に瞬間的に着火できないだけじゃね?
点火薬の量なんて微々たるもんだし
大砲なら点火薬の量も増やせるしだいいち松明の火を思いっきり押し付けられるだろ

283:名無し三等兵
11/08/13 21:41:11.51 d5FCewGs
>>273
迷彩服はライフリングで戦列歩兵が面白いように倒れ、
やむを得ず散兵戦術を採用したあとでないかぎり導入できんぞ
戦果確認の問題もあるし、目立ってなんぼというもののふの気持ちを打ち砕かねばならない


284:名無し三等兵
11/08/13 22:12:32.77
>>282
後装銃出始めの時代には紙薬莢がある。
雷管外付けのやつね。
だからその説はダウトだと思う。

285:名無し三等兵
11/08/14 10:30:58.59
>>275
当時の槍は短いものでも4mぐらいあったそうだから
せいぜい160センチ位の火縄銃に銃剣つけても意味がないと思う
そんな短い銃で突き合いしなきゃいけない状況になったらそれこそ普通の打刀の方が使いやすいと思うし

286:名無し三等兵
11/08/14 20:12:38.61
単に、紙薬莢にしたらカスの掃除が大変だからとか

287:名無し三等兵
11/08/16 09:40:19.61 8tho+DmM
ライフルを流行らせる
手作業方式の奴

288:名無し三等兵
11/08/16 10:54:43.55
一見役立ちそうだけど重大な欠陥がある戦術を利用し、
最初は合戦でそれを利用して勝利し、
その戦術を相手が真似したら欠陥をついて倒す
みたいなことができれば痛快なんだが。

289:名無し三等兵
11/08/16 11:31:15.91
なんか時間旅行なスレになってるが、過去に飛ばされたらシャワーとウォシュレットの開発に人生を費やす
エアコンも欲しいがさすがに無理だ

290:名無し三等兵
11/08/17 14:52:50.64 rbTIblzn
ペニシリンと餡ドーナツ作る

291:名無し三等兵
11/08/17 15:23:10.71
銃剣が有効になるのは、戦列歩兵とピストル騎兵の発達で、騎士や騎兵突撃が廃れ、防衛用の長槍が要らなくなってから。
平行してマスケットの重要性が増し、火力増大の為に槍はますます小銃に移行し、カートリッジもいずれは導入されるだろう。
しかしこれは大量の火薬を消費することになる、硝石の輸入と硝塩の生産を、増大かつ安定させないと成り立たない。

やはり時代背景ってもんがないと。

ただし、そもそも大規模で専門的な騎兵隊を編成しなかった戦国日本の場合、この条件はかなり緩和される。
例えば条件の良い武将、知行地に国友村を持っていた石田三成は、関ヶ原の戦いで、配下の半数に鉄砲を持たせていた。
互いかここまで射撃戦に偏重していれば、銃剣に頼ってでも槍を廃して小銃を増やし、紙カートリッジを導入する意義も出る。

292:名無し三等兵
11/08/17 18:43:52.96
>>290
イニ先生乙

293:名無し三等兵
11/08/17 23:06:09.94
ただ戦国時代の日本が鉄砲保有数世界一ってのはノエル・ベリンの妄言だよね

294:名無し三等兵
11/08/18 01:01:47.24
このときの明軍の装備、編成についてくわしい情報ないだろうか。

具体的にどういう近接武器、投射火器もってたの?
ゴミ銃、紙鎧についてはわかるんだけど。

石木矢持ってたとか。

295:名無し三等兵
11/08/18 04:40:26.28
>>289
俺なら鏡の製造技術を利用して
ソーラシステムをつくってソロモンじゃなかった適当な城に照射してみる

296:名無し三等兵
11/08/18 10:04:14.76
どれだけ勇猛な武将でも初ウォシュレット体験ではうひゃとか情けない反応するんだろうな

297:名無し三等兵
11/08/18 12:07:09.79
37 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:06:05 0
後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。


298:名無し三等兵
11/08/18 12:08:17.22
38 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:06:41 0
騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

39 :世界@名無史さん[sage]:2005/08/03(水) 22:07:39 0
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。

299:名無し三等兵
11/08/18 13:19:28.29
三眼銃とか十眼銃なんてゴミを、生真面目に配備はしてたけど、あの国は素直にマスケットを大量配備なんかしてたっけ?
一種の大鉄砲と言うか散弾銃、神機を装備した神機営って部隊があって「史上初の正規砲兵隊だ!」と主張してたのは知ってるが……

まぁ明国でもオランダから大砲を導入していたし、古臭い初期の大砲なら、規格統一して大量せいさんしていたから、必ずしも馬鹿にしたもんじゃ無いんだけど。
でもやはり明が重視していたのは大砲であって、小火器は余り重視されず、従来の雑多な珍兵器を含め、色々混雑してたってのが本当だろ。
そもそも投射兵器なら、鉄砲だろうが旧来の弩だろうが、或いは弓だろうが厳密に区別しなかったろうし。

300:名無し三等兵
11/08/18 21:06:41.90 ybgeBuRS
『東アジアの兵器革命 』では、
秀吉の朝鮮征伐で火縄銃に明軍びびる

小火器を配備し対女真・モンゴル防備

捕虜からなる降倭部隊も活躍してた

とあった

301:名無し三等兵
11/08/19 08:00:21.00
>>295
逆に城に配備して水攻めされた時に水を蒸発させられないか?

302:名無し三等兵
11/08/19 09:27:05.31
>>301
そんなに出力があるなら敵に直接当てればよいのでは?

303:名無し三等兵
11/08/19 17:51:12.19
ギリシャかキプロスで、実際に軍隊を動員して実験したらしいが、青銅を磨き上げた盾くらいの鏡だと、木造軍船へ着火するのに三十分かかったそうだ。
人数は分からないが、十人や二十人程度ではなかった。

304:名無し三等兵
11/08/19 20:32:31.32
>>295
「第6門(ゲート)消えました、敵の新兵器です」って言わせたいだけちゃうか?

ガンダムといえば

ドズル「パプア艦でたった一機のビグザムだけだと?」
ジオン士官A「は、現在はこれしか出せぬ、と」
ドズル「ええい、兄上は何を考えているのだ?今あるリック・ドムでは数が足りんのだ。
     新鋭モビルスーツの一機をよこすくらいならドムの十機もまわさんのか?」

とあるけどビグザム一機でリックドム十機どころかムサイ10隻以上の役に立ってたよな。
あれでムサイ3隻のコストですむのだからガンダムの世界は酷やで。

305:名無し三等兵
11/08/20 09:55:07.38
ガンダム来なければティアンム艦隊全滅してたしな。
真田の突撃で徳川本陣どころか徳川軍主力が全滅するようなもんか。

306:名無し三等兵
11/08/21 02:06:25.94
怪しい伝説で学生500人ほどかき集めてやってたな…ゲストでオバマが出てきてw
真夏、晴天下という環境で現代の鏡を使っても布の発火にまでは至らなかった。

307:名無し三等兵
11/08/21 04:34:36.06
たしかグーリンレーザーの超強力なものですらなんとか黒色のゴミ袋に穴をあける程度だっけ?
熱線じゃなくてただの光で相手を倒すのは難しそう。
しかも相手がミラー状のものを持っていたら亜空間磁力メッキのように反射返しされそうだしなあ。

308:名無し三等兵
11/08/22 09:39:23.03
レーザー照射して空気中にイオンの通り道を作って電流を流すとピンポイントで電撃を目標に食らわせることができるとかどっかで読んだけど
実用化されてないということは多分無理なんだろうな

309:名無し三等兵
11/08/22 10:39:02.74
本願寺無量光仏

その由来は戦国時代本願寺顕如が石山合戦に於いて、織田信長の鉄砲部隊に丸ハゲ頭を大量に並べて対抗した故事に由来する。
そしてその威力は織田信長を大いに苦しめた。なお余談ではあるが、織田領内に丸ハゲ頭禁止令が発令され南蛮宣教師が丸ハゲ頭を隠匿するために
頭頂部以外にカツラをつけたという記録は宗教家の間ではあまりに有名である。

民明書房刊『戦国武将の神秘』より

310:名無し三等兵
11/08/24 12:35:45.24
>>309
確かそれの精密射撃で信長は足を撃ちぬかれる怪我をしたんだっけ。

311:名無し三等兵
11/08/28 01:50:38.60
当時の日本の技術水準で銃の改良って可能?

312:名無し三等兵
11/08/28 18:11:49.47
程度による。

例えばホイール・ロックやフリント・ロックは作れたろうが、両者は乾燥したヨーロッパでも不発率が一割にのぼる。
イギリス軍も、インドではマッチ・ロックに立ち戻ったほどで、多湿な日本では長所がスポイルされるだろうね。
加えて硝石を輸入に頼り、貿易も実質的に外国頼りの日本では、大量の火薬消費に耐えられない。
よって火力密度を増やす方に進化するには、戦術の変化や貿易など、様々な要因が変わらないと難しい。

一方でライフルリングや後裝銃は、日本の戦術にもマッチしているし、大いに役立つことだろう。
実際に幕末では、後裝式ライフルを導入した官軍が、前裝式ライフルや時にはマスケットの幕軍を一方的に倒していた。
因みに当時も火薬やカートリッジは輸入頼りだったから、長い船旅のせいで、金属薬莢すら不発が多かったそうだ。
それでもライフル(射程が長い)と後裝式(伏せたまま装填可能)な官軍は、射程が短く、立ったまま装填する幕軍を圧倒した。
これはそのまま散兵と戦列歩兵の差になってくるが、散兵戦が有効となるには、技術や戦術から、背後の政治経済の変化も必要になってくる。
無理やり徴発されたやる気のない雑兵なら、散兵などやらせればすぐに逃げだすだろ?

技術の進歩には必然性というものがあり、進歩した結果として役に立つことを証明するにも、それにシチュエーションがなくてはならない訳だ。

313:名無し三等兵
11/08/28 18:20:10.25
失礼。
ラストは「それにシチュエーション」ではなく、「それに見合ったシチュエーション」と書くつもりだった。

付け加えるなら、工作技術が未熟なら、どんな発明も、実質的にならないことも覚えておいて欲しい。
例えば反動を利用した機関銃の概念は、既にフリント・ロックの時代から提唱されていたが、実際に製造するのは不可能だった。
ナポレオンの時代になっても、輪胴弾奏すら実用化出来なかったくらいだ。

314:名無し三等兵
11/08/28 18:27:38.06
鉄砲足軽は常備兵に近いから散兵でも可能と思われる

315:名無し三等兵
11/08/28 18:39:59.58
>戦列歩兵の差になってくるが、散兵戦が有効となるには、技術や戦術から、背後の政治経済の変化も必要になってくる。

たしかに赤備えのように戦場で目立つ部隊=名誉
という考え方だと隠れたりする散兵は人気なさそう。

316:名無し三等兵
11/08/28 19:38:11.42
敵を倒しても手柄にならなければ意味が無いからね。
しかし日本でも戦国時代後半の備は、かなりの密度で下士官たる足軽小頭がいて、配下の統率と評価を下している。

実際に江戸時代になってから、戦国時代の足軽の心得について掛かれた覚えて書き『雑兵物語』には
「首は取らずに打ち捨てておけ、手柄は俺が証明してやる」
と足軽小頭が部下に命じる場面がある。

恐らくこの辺の指揮統制と、戦果の評価基準を整理すれば、散兵戦術はかなり成功したと思う。

317:名無し三等兵
11/08/28 19:40:19.17
元々、鉄砲足軽は多数撃ちだと戦果確認が困難だから
逆に撃ち手が限定される狙撃は好まれるかもしれない

318:名無し三等兵
11/08/28 20:27:47.38
どっかの陸軍の戦闘機も一撃離脱重視よりも格闘戦重視のほうが好まれたし
やっぱ同じ戦うなら目立ちたいよなw

319:名無し三等兵
11/08/29 12:47:26.44
そこで狙撃兵が目立つ奴(将校など)を撃ち殺してくんだよな。


320:名無し三等兵
11/08/29 21:18:27.48
というか散兵戦術って、実質傭兵の奇兵隊とセットみたいなところなくね?

321:名無し三等兵
11/08/29 21:53:12.55
傭兵?
前近代的な知行や徴収に代わり、給金を払っていただけだろ。
幕府側も同じことをしたし。

322:名無し三等兵
11/09/01 15:05:07.17
奇兵隊って、大村の軍制改革んときに、他の諸隊と一緒に藩正規軍の体制に
組み込まれてた筈だが。
あと、狙撃は兎も角、散兵戦術は幕府歩兵隊も使ってたって野口が言ってた。

323:名無し三等兵
11/09/02 10:38:16.26
戦国時代には活躍できた赤備えが
幕末にはあまり活躍できなかったのはなぜ?

324:名無し三等兵
11/09/02 11:30:38.84
できると思うほうがどうかしてる

325:名無し三等兵
11/09/02 21:58:23.58
>>323
薩長が異常に強いから負けただけで
官軍側で参戦した戊辰戦争では彦根藩は普通に活躍している。

326:名無し三等兵
11/09/02 22:37:36.94 O86whJxA
いや幕末の関ヶ原の鳥羽伏見は本当に紙一重の勝利
それほど戦力の差はなかった
これに負けておれば明治維新もなかった

327:名無し三等兵
11/09/06 19:33:10.01
徳川慶喜が大坂城に篭城して徹底抗戦していたら大坂で攻防しているうちに幕府に従う大名たちの軍勢が来て、
官軍撃砕もありえたのでは?
少なくとも大坂の陣の豊臣秀頼よりは有利な状況だったと思う。

328:名無し三等兵
11/09/06 20:34:56.04
しかし相手は錦の御旗だからなあ

329:名無し三等兵
11/09/07 21:29:29.68
豊臣秀頼の場合は速攻で京を制圧して無理にでも錦の御旗を手に入れるべきだったけどな。

330:名無し三等兵
11/09/07 21:35:01.75
紫宸殿にて
秀頼「余に錦旗を授けるか、今ここに皇統を絶やすか、即断されよ!」
って天皇に啖呵をきるほどのクソ度胸を出していれば秀頼が勝っていたろうな。

331:名無し三等兵
11/09/07 21:41:01.51
伏見城があるから無理

332:名無し三等兵
11/09/08 07:31:14.78
秀頼は骨の髄までマザコンだから無理

333:名無し三等兵
11/09/08 20:22:13.82
秀吉が死の少し前にすべての側室を家臣に下げ渡していたら・・・・

334:名無し三等兵
11/09/08 21:40:35.49
>>333
伊達は側室もらったけど家康についたぞ

335:名無し三等兵
11/09/08 22:52:23.89
秀次にやらせとけば良かったんだよ、晩年に下手な欲目を出すからああなる。

336:名無し三等兵
11/09/09 08:41:45.80 mMVDnHmM
>>335
秀吉か秀次を殺しておかないと、秀吉の死後必ず秀頼を殺すじゃん
戦国の世を生き抜き天下人となった秀吉はそんな事も分からんアホじゃないよ
ただ家康も殺しておかなかったのは自業自得だな

337:名無し三等兵
11/09/09 09:12:40.87
>>308
推測に過ぎないけれど通過空間を焼く尽くす出力のレーザーがまだ撃てないからじゃないかと。


338:名無し三等兵
11/09/09 09:15:58.07
>>336
家康は関東・東北を抑える忠臣(少なくともこの頃は)だし、下手に殺そうとしたら牙を剥かれる可能性あるだろ
その場合、上杉も豊臣から離反する
伊達は言わずもがなだな
家康を敵に回せば、最悪で東西大合戦になるだろう
そうなると、秀次事件で豊臣への忠誠が全国で薄れていた時期だ
どう転ぶか分からん

家康は「殺せない」だろうよ

339:名無し三等兵
11/09/09 09:42:58.12
錦旗ですけど
安徳天皇を擁していた平家は源氏を朝敵にしたのかなあ?

340:名無し三等兵
11/09/09 09:45:36.96
>>336
豊臣「家」のためなら、秀次でなく秀頼を殺すべきでしたな

341:名無し三等兵
11/09/09 10:30:20.66
>>339 って言うか、平家を討てと言ってるのが、後白河法皇だから

342:名無し三等兵
11/09/09 13:34:43.48
>>340
秀次と秀頼が並び立つ事になると、極めて厄介だからねぇ。
実子を立てるか、先任の関白を立てるかで揉めるのが目に見えている。
実子がなかなか生まれず、あちこちから養子を取りまくって、後継者争いの火種を
こしらえた秀吉と、子だくさんでもその大部分は養子に出すか分家を立てさせて、
徳川本家には秀忠しか残さなかった家康は、実に対称的だよな。

343:名無し三等兵
11/09/09 14:01:17.40
織田家は本能寺が無ければうまく継承できたのかな

344:名無し三等兵
11/09/09 14:06:22.86
って言うか、建前上信長は、本能寺の変の時は隠居じゃないの?
実権は、一応信忠に譲ってある。織田家にとっての誤算は、信長と信忠が同時に死んだこと

345:名無し三等兵
11/09/09 14:19:48.96
まあ将軍職を秀忠にゆずった家康みたいなもんじゃないの
実権は死ぬまで家康だったからな
信忠はまあマシな奴だったが、信雄と信孝がね
これがもう二人ともボンクラではどないにもならんかった

346:名無し三等兵
11/09/09 14:31:24.76
しかしそいつらぼんくらじゃなかったら、信長→信忠がすんなり決まらなくて痛し痒しになりそうだ

347:名無し三等兵
11/09/09 14:36:21.62
逆に考えれば、実績でもって実力が水準以上と示し、家督も相続した信忠と、未熟な信雄や信考なら、お家争いも起きないだろ?

348:名無し三等兵
11/09/09 14:51:03.07
では毛利三兄弟はどうなる
あんなのは例外中の例外と言ってしまえばそれまでだが

349:名無し三等兵
11/09/09 15:20:37.97 N47XJr1+
名字が違うでしょ
他家に養子に行ったから

350:名無し三等兵
11/09/09 15:32:15.14
織田家の信雄と信孝も養子に行ってる。信雄が北畠、信孝が神戸

351:名無し三等兵
11/09/10 06:28:54.81
>>344
信忠が生きていればもっとマシにはなっただろうが、信忠もあの時点では一軍団長兼清洲一国の大名でしかないからな
織田家の家督っても、実権はその程度だ
信長が生きて、もっと権力移譲を進めていないとやはり離反が頻発するだろう

352:名無し三等兵
11/09/10 08:12:17.51
その「一軍団長兼清洲一国の大名」の子の幼児を連れてきて皆を黙らせたんだが

353:名無し三等兵
11/09/10 08:38:13.03
その幼児は実権を握れたの?


354:名無し三等兵
11/09/10 10:27:59.20
大抵、優秀な息子が現れると、親父に殺されるか
親父を押しのけるかのどちらか

355:名無し三等兵
11/09/10 23:59:15.05
それにしてもなんで有楽斎は信忠と一緒に逃げなかったんだろうな
建前とは言え最高の権力者なんだから、その命助けたら明智を討った後大大名の地位だってあり得ただろうに

356:名無し三等兵
11/09/11 01:13:38.01
ある意味で本能寺の変最大の謎だよな。

357:名無し三等兵
11/09/11 07:35:00.91
>>354
>大抵、優秀な息子が現れると、親父に殺されるか
>親父を押しのけるかのどちらか
家康に信玄か
優秀な息子に代替わりできていた後北条氏は奇跡のような存在だなw

358:名無し三等兵
11/09/11 07:46:14.73
>>355
武田残党狩りに辣腕を振るった信忠だから
今度は全く逆の事を自分がされると考えたら
当然諦めも早くなる

359:名無し三等兵
11/09/15 09:10:15.91
いきなり中国の話題に行って申し訳ないが、
明の軍隊は火力重視の軍隊と言われるが、鳥銃が使われ無かったのは何故?
日本より火縄銃が入って来たのは早いのに

360:名無し三等兵
11/09/15 21:13:00.68
銃を導入したら火力UPなのか?
既存の兵装に比べてどれくらいUPするんだ?

361:名無し三等兵
11/09/16 07:48:03.07
それまでが槍弓の冷兵器だけなら『火』力はゼロだから、一丁でも銃導入すれば上昇幅は無限大だわなw

362:名無し三等兵
11/09/16 09:12:18.47
砲はあるべ

363:名無し三等兵
11/09/16 21:33:43.30
>>360
北斗の拳スレで
最大火力の拳法はどれだ?と聞かれて南斗列車砲と返されたような衝撃を受けた

364:名無し三等兵
11/09/16 21:36:56.44
腐った豚の核ボタンは拳法と認められないのか

365:名無し三等兵
11/09/16 21:59:46.09
単眼銃や三眼銃に比べると、鳥銃の方が射程、命中率が上なのに
駆逐出来なかったのは?

366:名無し三等兵
11/09/19 00:39:53.53
朝鮮出兵の時、どうして牛馬の去勢法を入手できなかったのか?

367:名無し三等兵
11/09/19 08:14:06.75
暴れ馬程よいという認識があったから

368:名無し三等兵
11/09/19 08:37:51.96
いわゆる騎馬民族説について「日本では家畜の去勢が行われていないから、あり得ない」と
反論している研究者がいるな

369:名無し三等兵
11/09/20 15:07:20.73
大規模で恒常的な騎馬隊はなかったけど、少数・臨時編成なら使われてたし、例外的ながら太田道灌が騎兵を編成してたよ。
文献にも騎馬戦がしっかり書かれているのに、何をもって否定してるのやら……

370:名無し三等兵
11/09/21 22:02:28.27 EwJJgbKp
自分でも恒常的な騎馬隊はなかったとわかってるじゃん

371:名無し三等兵
11/09/21 22:23:27.76
騎馬隊以前に恒常的な軍隊自体が織豊期になるまで殆どなかっただろ

372:名無し三等兵
11/09/21 22:29:16.97
雑兵が農作業のために故郷に帰ってしまったので戦争できませんとか、珍しくないからなあ

373:名無し三等兵
11/09/22 12:31:01.62
江戸時代になって都市人口(非農業等の人口)が増えたけど
全員が定住できたわけではなく飢饉や不景気のたびに野垂れ死が発生しているからな。
当時ですら中間搾取であるが商工や武士が食っていける人数枠なんてあまり多くなかったんだろうね。
戦国時代は兵員需要が高かったとはいえやはり専業で兵員を食わす余裕はないだろう。

374:名無し三等兵
11/09/22 12:37:36.37
兵農分離してた織田とかはどうなの

江戸時代は関所設けまくって流通網がアレになってるし、仮想敵がいないせいで余り常備軍保有「能力」を見る時代には適してない気がする

375:名無し三等兵
11/09/22 13:59:23.85
金があれば常備軍がいいに決まってる
でも、近代以前なんて、軍隊の主力なんてコロコロ変わる
一時は常備軍がーなんてブイブイ言わせてた国も100年後くらいには半農兵が強かったみたいな

376:名無し三等兵
11/09/22 14:08:55.15
>>375
必要動員数が膨らむほど半農が有利になって
専門化とGDPに占める軍事費の割合が減るほど常備軍が有利になるイメージがある

377:名無し三等兵
11/09/24 11:12:41.39
常備軍なんて当時は殆どなかったろ? 中国やトルコの帝国ぐらいだよ。

378:名無し三等兵
11/09/24 12:16:53.79
              __ __
              ,ィミ川彡三ヾ三\
              {三{※}三}三ll三 }
            _ヽ彡川ミノ三レ勿/__
          ,ィミ川彡三ィミ川彡三ヾ三\
         {三{※}三{三{※}三}三ll 三}
       __ヽ彡川ミノヽ彡川ミノ三レ勿/__
      ,ィミ川彡ヾィミ川彡ヾ,ィミ川彡三ヾ三\        っ
     {三{※}三{/ ,二二、\{※}三}三ll三}   ∧ ∧  っ
       ヽ彡川ミノ/ /\ | /ヘ ヽll.ミノ三レ勿/    (´・ω・`)  
    I二二二二二| |―‐((_))―| |二二二二二二I二○==○  大八車に火薬詰めて敵中にばらまいてみる
           ヘヽ/ | \,/ /         〈_ノ=レ'
  ( (        \二二二/          (_vノ (_y)


379:名無し三等兵
11/09/24 12:57:03.65
最近の玄米って美味いな
あれ昔に持ってたら白米へのあこがれみたいなの吹っ飛びそうだ

380:名無し三等兵
11/09/24 16:20:02.42
>>377
ローマ帝国最盛期には常備軍がいた

381:名無し三等兵
11/09/24 17:25:10.75
“当時”としっかり書いてあるじゃん。
なに時代でも良いなら、現代日本だって常備軍があるわな……

382:名無し三等兵
11/09/24 20:08:13.54
>>379
白米信仰が無ければ、脚気を減らす事が出来たな

383:名無し三等兵
11/09/24 21:40:27.33
その後の輜重・兵站部門は日本の得意分野じゃなくなるだろ。?379が現実になってなくて良かった。
日本軍の長期遠征は米と梅干さえあればおk。


384:名無し三等兵
11/09/25 08:33:06.48
>>378
特攻隊だな

385:名無し三等兵
11/09/25 12:48:45.91
牛も連れていってジンギスk(ry

386:名無し三等兵
11/09/25 13:13:26.22
あれはラバを使うべきだった
もしくはターキンを捕えて家畜化しておくべきだったのだ

387:名無し三等兵
11/09/29 20:25:01.73
やるのが遅すぎた。昭和17年のうちにガンジスデルタに直接上陸すべきだった。

388:名無し三等兵
11/09/30 13:47:40.43
今日日本語版が発売したからTWS2絡みの話でも

大筒の中には崩烙弾を撃てる物もあったらしいが、実際にTWS2の大筒兵みたいな真似が出来たのだろうか?

出来たとしたら、オスマンと戦っても勝てそうなレベルだったのだが……
実際どうなんだ?

389:名無し三等兵
11/09/30 22:08:23.79
TWS2とか略語で表記すんな

390:名無し三等兵
11/10/01 13:57:31.48
火縄銃って、どの位の人数で、どの位の日数をかけて作られていたんでしょうか?
種子島に伝来してから一年後には数十丁の火縄銃が製作された、なんて記述も見掛けたんですが、そんなホイホイ量産出来るんですかね?

391:名無し三等兵
11/10/01 22:17:01.17
 まず職人の人数だけれど、銃身の鍛造は刀を鍛える時と同じように、むこう鎚と合わせて二人がかりだったはずだけどね。
次にかんたんな銃庄に付けて発砲し、その散布界に合わせて大まかな照準を付けてたら、カラクリ(機関部)師に引き渡す。
ここで銃庄も取り付けて完成するとして、一丁づつに合わせたハンドメイドだったから、そこそこに時間が掛かったはず。

 さて現代日本の刀工は、月に刀を二本しか作ってはいけない決まりになってるが、本当はもっと打てるらしい。
銃身が手間の掛かる工作だったとしても、刀身のように焼き入れするでもなし、月に二本は打てたのではないか?

 よって職人は最低でも三人、日数は一丁当たり十五日程度と類推する、ただし試射については考慮してない。


 とまぁ大ざっぱに書いてみだが、砲術家ってのは、高品質かつ一定の火薬や鉛を用意・管理したり、銃と火薬や鉛の量・
質について相性を把握したりと、現代のマッチメイクの射手に近い働きを要求されたから、試射も本気で研究しだすと際限
がない。
 そして歴史に登場する武将や砲術家の何人かは、そうした研究と製造を一手に手掛けるコーディネーターだったりもする。
そうなると『何人』の答えが『国友村』でもおかしくないし、手工業生産なら製造日数も飛躍的に早まるだろうね。

392:名無し三等兵
11/10/01 23:32:57.05
>>391
おおいに参考になりました。
刀は月に二本まで、そう言う視点からの推察は私の発想にはありませんでした。


393:名無し三等兵
11/10/03 00:24:07.29
よし、戦国時代に工程分解、大量生産の概念を持ち込む

394:名無し三等兵
11/10/03 03:07:11.52
規格の概念もな

395:名無し三等兵
11/10/03 05:10:58.28
当時の輸出品、打刀やら扇やらは工程分解による分業で量産されてたような

396:名無し三等兵
11/10/03 11:23:11.45
『当時』とは応仁の乱から安土桃山にかけてかな?
戦国初期はともかく、後期にはそうだろうね、上に挙げてる国友村とか。
でなきゃ一丁二両半で輸出できないよ。

397:名無し三等兵
11/10/03 15:32:44.93
国友村の鉄砲なんて江戸期に入ってからじゃないの

398:名無し三等兵
11/10/03 22:46:34.34
たしか阿波だったか
鉄砲の口径が統一されていたのは

399:名無し三等兵
11/10/04 05:12:13.07
>>397
江戸時代に入ったら、もう鉄砲を量産する必要はないじゃんw

400:名無し三等兵
11/10/04 05:21:21.20
>>399
へ???

401:名無し三等兵
11/10/04 12:08:51.13
>399
まじ!?

402:名無し三等兵
11/10/04 20:54:00.12
江戸時代って世界的に見ても変な時代だよな

封建制なくせに200年間、普通に平和とか……
キリスト教の狂信者が反乱起こしたり、一揆がたまに起こったくらいじゃね?

403:名無し三等兵
11/10/04 21:16:02.54
我慢は美徳とか武士は食わねど高楊枝とか、
今までと違う価値観を植えつけたからかも

404:名無し三等兵
11/10/05 00:58:08.84
>>402
封建制というより、ドイツの領封制みたいな感じ。

405:名無し三等兵
11/10/05 09:55:02.52
みんなそこそこ食える程度に貧乏だからな、
食えなくて反乱、権勢が高まって簒奪というのが無い。

406:名無し三等兵
11/10/05 11:05:51.06
支配者の武士まで質素倹約なんだもん
大名も参勤交代で赤字だらけだし

江戸に行っても旗本は貧乏だし
将軍の元に集まる金も大奥に吸い取られるし
大奥も人間が増え過ぎてそれぞれに掛かる経費を節約させられるし

封建的共産主義?って表現は存在しないみたいだがw

407:名無し三等兵
11/10/05 12:42:50.56
実質的に農村を支配していた庄屋や
経済を支配していた商家は裕福だったじゃないか

408:名無し三等兵
11/10/05 20:26:32.40
本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に

409:名無し三等兵
11/10/05 21:00:30.68
搾取する側が貧しくて搾取される側が比較的裕福な社会は、古今東西通して見ても江戸期しかないんじゃないかな。
江戸での庶民の防犯対策は突っ張り棒をして戸締りするだけって、どんだけ治安良かったんだよw


410:名無し三等兵
11/10/05 22:01:10.02
現代日本も相当あれだけど、江戸時代の人って上から下まで調教されすぎだろ

411:名無し三等兵
11/10/05 22:04:05.20
俺んちは江戸時代の代官屋敷の斜め前ぐらいなんだが
その代官屋敷の隣は、庄屋で周りも問屋を営んでいた商家がズラリと立ち並んでいたそうだ。
で、今もそんな子孫が多く住んでいて塀もぐるりとあるデカイ家だらけ。

たまにスゲー癒着があったんだろうなと思いを馳せる時があるわw

412:名無し三等兵
11/10/05 23:44:35.63
>>410
大坂の陣で見せしめの20万人大虐殺があったから当然

413:名無し三等兵
11/10/06 16:56:21.93
生物兵器とはいかなくても
適当な病原菌をばらまくと
いくら籠城してもイチコロだよな

なんかいい病原菌はないものか?

414:名無し三等兵
11/10/06 18:26:12.25
商人、町人から税を取るシステムを作れなかったのが江戸時代の限界だった

415:名無し三等兵
11/10/06 18:30:37.36
江戸末期には、幕府の役人でヨーロッパの事情を知る者なら
日本も将来は四民平等にして議会制度にすべきと考えるものは
幾らでも出ていただろう

無駄な泡沫武士の給与を無くしてしまい、巨大化した大奥システムも崩壊させられる
質素倹約といってもある程度の土地が残ったイギリス貴族みたいな形でなら
上級武士で華族化させてもらい貴族院でも入れればとりあえず安泰で、江戸時代と変わらないしw

結局首切られたのは下っ端武士だけだった訳だ

416:名無し三等兵
11/10/06 19:12:01.34
>>414
田沼意次がそれを考えていたらしいが?

417:名無し三等兵
11/10/06 20:24:19.17
武蔵野共和国とかどっかにあったな

維新後のモデルケースが既に存在していたとも言える

418:名無し三等兵
11/10/06 20:55:02.00
>>413


419:名無し三等兵
11/10/06 20:56:39.91
>>413
中世欧州では死体を砲弾にして撃ち込んだりしたらしいが、日本ではそこまではやってないかな?

420:名無し三等兵
11/10/07 08:13:40.56
雑兵物語には「敵地の井戸には糞が入れられてるから飲むな」とかあったな

421:名無し三等兵
11/10/07 09:06:17.78
>>420
あったね
死んだ馬を放り込む戦術って日本じゃなかったっけか?

422:名無し三等兵
11/10/10 12:31:24.68
どうやって放り込むの?

423:名無し三等兵
11/10/10 14:34:33.71
重力を利用して投げ込めばOK
馬が大きすぎるなら解体すればOK

424:名無し三等兵
11/10/10 19:35:23.91
包囲攻撃とかならトレビシュットで投げるとか、
撤退時なら戦傷で死んだ馬から適度に腐ったのを見計らって水源にぶっこむとか。

425:名無し三等兵
11/10/10 20:37:57.70 nl5CWb5S
>>421
モンティパイソンの映画で攻囲戦のシーンだったか
牛に始まり犬猫ニワトリなんでも投げてたな
ラストでは糞がふってくる

426:名無し三等兵
11/10/11 17:23:56.80
戦国以前の日本にはカタパルトやバリスタがあったし、山城は攻囲側より低い位置にあったんだ?

427:名無し三等兵
11/10/11 18:36:36.43
ルトガー・ハウアー主演のグレート・ウォリアーズで、ペストにかかった犬をばらしてトレバシェットで城内に投擲してた
で、偶然1欠片が飲水井戸に落ちてと

428:名無し三等兵
11/10/11 18:50:09.00
ペストを毒と勘違いしてる描写だけど、視聴者に分かり易く伝える為には、仕方ない演出なんだろうな……

429:名無し三等兵
11/10/11 21:35:15.11
型張と

サトイモの茎を束ねて弾力を与えて引っ張って打ち込む

430:名無し三等兵
11/10/12 14:59:11.75
だいたい日本の合戦で、馬の死体なぞ投げ込んでどうすんだ?

431:名無し三等兵
11/10/12 15:08:32.52
病原菌でも悪臭でもぶち撒きゃええがな

432:名無し三等兵
11/10/12 19:10:32.46
>>430
マフィアの抗争のいやがらせ

433:名無し三等兵
11/10/12 21:14:29.51
やるとしたら嫌がらせだろうな……
日本の戦国時代に伝染病と言ったら、天然痘かマラリヤくらいだし、馬の死体など投げ込んでも意味はない。
投げ込む道具もないし。

434:名無し三等兵
11/10/13 01:19:34.73
>>433
>日本の戦国時代に伝染病と言ったら、天然痘かマラリヤくらいだし

伝染病はそれだけじゃないしw
馬の死骸による影響の話とはかけ離れてるしw


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