09/12/25 02:11:38
合間のネタ
戦時中に徴兵されながら、病院船だった氷川丸で南方から送還されて生き延びた祖父が、先日90過ぎで逝った。
(その後二度目の招集を喰らったが、兵営前で待ちぼうけていた指定日の8月15日昼下がり、
通行人から終戦の詔勅があったと知らされた男だ。運がいいにも程がある)
先ごろ横浜でカメラに収めてきた氷川丸の写真を、棺に入れてやった。
いまだに浮いているあの船なら、三途の川ごときたやすく渡るものと信じる。
思えば、あの船がなければ今の俺もいなかったのかも知れない。
軍が氷川丸を病院船に選んだ偶然、
良い船を作らせた日本郵船と、建造した横浜船渠と、エンジン屋のB&W社に感謝。