(大東亜)商船+戦標船(大欧州)at ARMY
(大東亜)商船+戦標船(大欧州) - 暇つぶし2ch300:名無し三等兵
09/04/07 15:54:13 7f3ip+kO
昭和27年(1952)ブラジル政府は中部ブラジル地区にも入植を許可したので、
日本政府は移民行政機関の整備を急ぎ、大阪商船に対しても移住者輸送の復活を強く要望した。
同年さんとす丸を建造して西航南米線に配船したが昭和28年(1953)4月、日本アルゼンチン通商協定締結に伴う、
荷動きが活況を呈し、また南米移住者の本格的輸送をはかるため東航南米線を再開した。

東航南米線が再開されると大阪商船は同航路へ本格的な移民船の投入を計画していたが、
外務省の積極策により移民船建造が具体化し、第9次後期計画造船による、
戦後初の移民船ぶらじる丸が昭和29年(1954)に就航した。
本船は10,100総トン、ディーゼル主機を搭載し最大速力は20.3ノット、
旅客設備は1等12名、2等68名、3等902名の貨客船で同年7月30日神戸港を出航し南米への処女航海の途についた。
昭和33年(1958)にはやや大型のあるぜんちな丸が就航し合計5隻の移民船によるマンスリー・サービスが実現した。
しかし乗船移住者は昭和34年度の6793名をピークとして以降激減、船価高からくる資本費の負担が経営の重圧となった。
運輸省から移民船5隻を分離し、新会社へ譲渡して経理内容を改善するよう勧告があったため、
昭和38年(1963)に資本金1億円で日本移住船株式会社が設立された。

ぶらじる丸
外務省の要請による本格的な南米移住者輸送用の貨客船として、
当初大阪商船は計画造船の枠外での建造を希望したが、
予算編成上の制約等で第9次後期計画造船の貨物船の枠内で建造された。
さんとす丸と同様に1948年のSOLAS条約を全面的に摘要し防火施設、人命救助に万全の対策が施された。
主機には新三菱重工業神戸造船所が新たに開発したSulzer機関10RSD76型(9000軸馬力)の1号機が搭載された。
貨客船 10,100G/T 1954.4(昭29)進水 主機 三菱神戸Sulzer 10RSD76 9,000BHP 1基 16.2/20.313kt
船客 1等:12 2等:68 3等:902 (画像は二代目ぶらじる丸、現在は広東省に在る)
URLリンク(www.weblio.jp)


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