12/10/27 09:52:34.11 m9fY1sOX0
六花ちゃんは富樫少年の消したい過去に似ているので、自傷行為的に暴力をふるわれる。
人格が確立されていない富樫少年はおそらく自覚していないのだろうが、
「他人には暴力は振るわないが、自分や自分に似た存在は傷つけても良い」という自暴自棄な所がある。六花ちゃんは自分に似ているので他者への暴力ではないのだ。
また、富樫少年がそれほどまでに自分の中二病というたった2年前の個性を消去して、社会の一般的な人間になりたがるのは、
個人的な死への衝動であり、こちらの方が中二病よりこじれている。高二病ともちょっと違うよな。個性を消したがってる。
ゆとり世代までは個性尊重の教育が行われたが、むしろ個性よりも普通の幸せが欲しいという世代なんだろうか?
だが、中二病という共通項があるので、富樫は六花に馴れ馴れしくするきっかけを得ている。
六花ちゃんがなぜそれに抵抗しないのかというと、富樫少年が暴力を振るう理由と同じで、
六花ちゃんが富樫少年と同じ中二病患者であり、趣味を理解してくれる仲間だと思っているから、富樫少年との関係を断ちたくないのである。
実際の女性はもっと狡猾であり、人間関係をもっとズバズバと切って行くだろうし、
高校入学で会ったばかりの男子生徒はいくら家が近くてもそんなに親しくしないのが自然であろうが、
これはラブバイオレンスコメディなので、美少女は男性主人公とお近づきになるのである。
そして、このアニメ2話において、この二人は六花ちゃんの姉の十花に料理のお玉で殴られて同じタンコブを負ってしまう。
私の中のコメディアニメの倫理コードにおいて、主人公とヒロインが怒りんぼキャラにどつかれてタンコブを負うくらいは立件するほどの悪事ではないと思うが、
ここで「おそろいの傷だね」っていう風に、傷が互いの関係を深める道具として物語構成面で機能しているのは、中二病というか若者向け恋愛小説っぽい。
また、小鳥遊六花が小鳥遊ではなく六花と、富樫少年に呼ばせたがっているのは、やはり結婚願望であろう。違う名字ではないのだ。
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