11/12/04 17:07:53 IEl/AwIw
昭和40年代の初めだったかな
まだ柿の木坂にヘドロの沈んだ汚い呑川が流れていた頃。
本田病院のそばの呑川沿いには銭湯があって、子供の入浴料金は10円。
東横線の大人の初乗りは30円だった。
駅前のパチンコ屋の角には果物屋、その左隣がカムラのケーキ屋、
目黒通り交差点の角のふくおか屋には、お年玉もっておもちゃ買いに行ったっけ。
出前は丸仙のチャーハンか、松か津のカツ丼。
オヤツはもみじ屋の斜め前にあった、酒蒸しまんじゅう屋の酒まんとか、
三幸マーケットの前にあった徳丸ベーカリーのロック(ピーナツと砂糖のかかった菓子パン)
とか、その隣の鯛焼きとかが好きだった。
みーんなみーんな無くなっちゃった。
今の都立大も嫌いじゃないけど、
昔のフードセンター、トリツセンター、ニューマートみたいな
八百屋や肉屋や魚屋が活気があった頃の、商店が寂れてしまったのはさびしいな。
トリツセンター奥の魚屋の「はいラッシャ~い!」と
ビックリするぐらい威勢のいい掛け声のオバちゃんの声が耳に残ってます。