09/10/11 12:25:03 vjTtYWww
>>407
よく考えてみて欲しい。深沢城城主の南条重長は国府台合戦で戦功をあげた人。
国府台城と似た場所である丘上の城の弱点を知り尽くしていたのでは?
それに東側の谷をはさんだ向かい側の丘陵との高低さはほとんどなく、城の中がまるみえになる!
さらに、鉄砲の登場で丘上に築かれた城では守備側は攻撃側の射線に常にさらされるようになり、
戦国時代後半には「時代遅れの城」となっていた。攻撃側の視線に晒されない場所なら、台地を土塁がわりにした場所
すなわち「天祖神社」付近と考えた方がいいのではと思った次第です。それに玉川警察署付近の台地上に城を築く事は
奥沢城に対する露骨な嫌がらせになってしまうじゃありませんか。(一応味方なのに。)
そこまで考えていたのだとしたら「南条重長」という人は蛮勇だけではない智能派の武将だったのではと思えます。