11/10/05 20:49:39.97
先日、届いた茶封筒には、切り裂かれた朝日新聞が入っていた。「次のターゲットにならなければいいですね」と印字された警告文
と一緒に。
韓流ドラマやKポップを放映してきたフジテレビを「偏向」と批判するデモ行進を取材し、記事(東京本社版)にしたのは9月初めの
ことだ。
インターネットの掲示板やツィッターで呼びかけられたデモを「嫌韓」と位置づけ、「デモの方こそ偏向していないか」とまとめたのに
反発したのだろう。ネットには直後から、私を「売国奴」などとののしる書き込みがあふれた。
そのデモがいまも続く。フジテレビのあるお台場に加え、大阪、名古屋でも、日の丸を手にした人々が集結した。10月にも計画
されている。
放送局が韓流コンテンツをもてはやす背景には、その魅力と同時に安さがある。広告が減る中、経費圧縮の一役を買っている
わけだ。確かに、こうした制作側の論理に、異論はあっていい。だが、「偏向」「売国」という時代がかった言葉を相手に投げつけ、
熱くなる問題ではない。
デモ隊は、フジがスポーツ中継で国歌斉唱の場面を省略し、CMを流したことなども問題視し、日本を意図的におとしめたと
訴えている。
SMAPが北京で公演し、村上春樹の小説を韓国の若者が愛読する時代である。彼らの主張を、時代遅れの「陰謀論」と
一笑に付すことも可能だ。だが、この現象の奇妙さは、数千人の市民がそれを真に受け、リアルな社会でデモをしている点にある。
背景には震災の影響がある、と私は思う。
3・11は、人々とメディアの関係を決定的に変えた。原発事故をめぐり二転三転した政府の説明や、あふれる報道をどう
受け止めるか。ネット社会では、市民が知恵を出し合い、情報を補い、異議を唱え、受け取った人々が拡散させる習慣が
根づきつつある。
ある意味、私たちは覚醒したのだ。政府や従来メディア発の情報が全てではないと。それは健全な認識だ。だが一部に、
ネットを万能視して、従来メディアを全否定する冷静さを欠いた議論もある。
情報の海で溺れそうになると、人々は時に声高な主張やデマにすがる。放射能リスクゼロを求め、福島産花火を中止させる
批判の炎上と、韓流の排除を求めるデモは、共に覚醒の裏返しの熱病なのだ。
ネットはいま、世論の等身大の可能性ともろさを映し、拡散を加速させている。
ソース(朝日新聞 10/5付 16面・オピニオン欄、「記者有論」 社会部・西本秀氏)
関連スレッド(朝日新聞 9/1付記事)
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