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◇井戸に自殺女性の遺体がいっぱい入っていた。でも生きるためにその水を飲んでいただぞ
--中野市・三井寛さん
<敗戦直前の1945年8月13日。三井寛さん(77)=中野市在住=ら黒台(こくだい)
信濃村開拓団は避難の途中、満州(現中国東北部)の鶏寧(けいねい)で、侵攻してきたソ連軍に降伏した。
三井さんの父ら成年男性は連行され、すぐに銃殺された。女性と子供は収容所に入った。その晩、
将来を悲観した女性たちは、避難中にいったん思いとどまった「集団自決」を再び試みる>
便所の戸を外して、収容所になっていた建物の講堂の真ん中に積み上げてさ、火をたくんさ。不完全燃焼
させて一酸化炭素つくって「ガス自殺する」って言うんだ。誰かの思い付きで実行されたみたいだけど、
自殺しようとする本人は大真面目。でも、火を消す人も出てきた。お袋なんて「戸を開けろ、戸を開けろ」と。
到底、死にっこなかった。
<毎晩のように収容所にソ連兵が女性を暴行しにきた。苦痛から、井戸への飛び込み自殺が相次ぐ>
ある晩、若いソ連兵が、10代半ばから20代前半ごろの若い女性数人を便所に無理やり、連れていってた。
「殺される」「ギャー」と、電気がない真っ暗な中から女性の抵抗の声がよく聞こえてきた。俺(当時10歳)
は何をやってるかも分からなかったけど、子供心ながら「地獄だな」と思ったよ。
翌日、収容所の井戸の中に女性の6、7人の遺体が見つかった。恐らく暴行された女性じゃないか。
別の日には井戸から「助けて」と叫び声が聞こえて行ったら、井戸の中で女性が立っている。
「いっぱい飛び込みすぎて、中に沈めません」って……。それくらい遺体が入っていた。でも収容所に
居る間は、その井戸の水飲んでいただぞ。生きるためには、飲まずにはいられなかったんだ。
ソ連兵が収容所に来ると、俺ら子供は天井裏に逃げてたんだけど、銃口を天井に向けて撃つんだ。
威嚇のために。「わー」って叫んで、慌てて降りたよ。
<耐え難い屈辱から、女性たちは結束して立ち向かう>
女性たちは窓や扉に畳を押しつけて、収容所に入ってこられないようにしてた。
それでもソ連兵は、丸太を突いて入ってきた。最終手段は、灰を投げつけて目つぶしだ。
そこまでされると、あきらめて帰っていったな。
<敗戦後の9月上旬、今度はソ連軍将校がやってきた。女性たちが兵士の暴行を訴えると、
将校は了解し、関与した兵士を厳格に処罰する>
ソ連の将校が「何か困ったことないか」と聞いてきたから、皆はわんわん文句を言った。
暴行の話をしたら「分かりました」とうなずいた。その晩、いつものようにやってきたソ連兵6、7人が、
待ち伏せした憲兵らしき兵隊に全員、連れて行かれた。
翌日の昼前、将校が「この者が昨日来た兵だ、よく見ておけ」と兵士を収容所近くの緑地地帯に連れて行き、
銃声が聞こえてきた。
それから、全然(暴行に)こなくなったな。安心したけど、俺は「ソ連って怖いなあ」ってぞくっとしたね。
自分の兵隊でも簡単に殺しちゃうんだから……。(父が銃殺されたように)捕虜を殺すのもわけないよな。
【満蒙(まんもう)開拓団企画取材班】=つづく
ソース:ヤフーニュース
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