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GW終盤の5月5日、防災服を身に纏った仙谷由人・官房副長官の姿が長野県・栄村にあった。
栄村は東日本大震災の翌日(3月12日)未明、震度6強の長野県北部地震に見舞われ、
約200世帯が全壊・半壊する被害を受けたが、栄村の被害はほとんど報じられることがなく、
「忘れ去られた被災地」と呼ばれてきた。
仙谷氏は朝9時半に栄村の被災地を訪問したが、その12時間前にどんな
“支援活動”をしていたのかは一切報じられることがなかった。
仙谷氏の現地入りは当日の朝ではない。前日の4日夕刻に新幹線で長野駅に到着後、
向かった先は平家の落人伝説が残る「秘境の里」として知られる栄村の秋山郷。
その最も奥まった地区にある、源泉掛け流しの温泉とイワナの塩焼きが評判の宿に
一行は投宿した。その行程はまるで“お忍び”のようだった。
秋山郷は住所こそ「栄村」だが、村役場のある中心部からは約40キロも離れており、
いったん県境を越えて津南町に入り、曲がりくねった山道(国道405号線)を進んで再び栄村に戻るため、片道1時間以上を要する。
長野駅から向かった仙谷氏は、視察予定地の栄村と津南町の中心部を素通りして宿に入ったことになる。
「4月30日に県から“偉い人が来るので内密にしてほしい”といわれた。その後に県警が下見に訪れ、
仙谷さんがゲストだと知らされました」(秋山郷の住民)
夜8時半頃、一行は数台のワンボックスカーを連ねて到着した。同行者は菅内閣のブレーンである
松本健一・内閣官房参与や岡本全勝・被災者生活支援特別対策本部事務局次長ら
内閣府スタッフと、阿部守一・長野県知事、栄村の島田村長ら10数名。
歴史学者の松本氏は仙谷氏の東大時代の同級生で、菅首相と会談した際に「総理は『(福島第一原発周辺には)10年、
20年住めない』と語った」と明らかにして物議を醸した人物。
阿部知事は、昨年9月の就任以前は行政刷新会議スタッフとして行政刷新相時代の仙谷氏に
仕えた腹心である。遅めの夕食は、さながら「同窓会」あるいは「再会祝い」となった。
そもそも、この視察に公費を使って「前泊」する必要があったとは思えない。
当日朝に東京を発てば十分に間に合う日程である。前日入りで移動が楽になるという理由なら、
奥まった秘湯はかえって不都合だ。栄村の中心部にも旅館はあるし、長野駅周辺のホテルに泊まる方法もある。
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