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「まさか、本当にこんなことになるとは思わなかった。どんな地震が起きても安全だ、
安全だといわれて、私たちもそれを信じてましたから」
国家公務員を定年退職後、福島第二原発に管理事務として再就職し、
10年間働いたという80代の男性は、淡々とした口調でこう語った。
第二原発は事故を起こしていないが、第一原発から20km圏内にあるため、
男性の住む福島県双葉郡富岡町の住民たちは、郡山市にあるイベント会場で不自由な避難生活を送っている。
しかし、「安全」という言葉を裏切った国や東京電力への怒りは、意外なほど感じられない。
「娘婿も、孫も東京電力で働いている。原発のおかげで町が潤ったのは事実。
道路もよくなる、建物もよくなる。学校、図書館、公園、体育館、ほとんどの施設が原発の交付金で整った。
何よりよそに出なくても地元で仕事があることがありがたかった」
男性の妻も、十数年にわたって原発で事務の仕事をしてきた。
60才近くなって、20万円近い月収のある仕事は他にない。
「原発ができて、東京や横浜の都会に電力を送っているんだという自負は当然ありました。
私は東電を許します。それで生活してきたわけですから」
そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」
原発周辺の町や村の人たちは、ある人は原発で働き、ある人は原発で働く職員や外部労働者を相手に商売をしてきた。
2006年から福島県の原発立地地域に足を運び、原発と社会の関係を調査してきた、東京大学大学院の開沼博さんはこういう。
「福島原発の地元では、住民の3~4人にひとりが原発関連の職種についています。
それだけでなく、原発に出入りする弁当屋さん、保険代理店、近隣の飲食店などを含めると、
1世帯にひとりは原発と何らかの関係を持って生活している。
国が、東京電力がやっているから大丈夫という、“信心”にも似た安心感が地元住民のなかにはありました」
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