11/04/02 17:12:36.36
高さは共に15.5メートル。東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。岩手・三陸海岸の北部にある普代(ふだい)村。
漁業が盛んな人口約3000人の村だが、11日午後3時半すぎ、巨大な津波が襲いかかった。
「高台から見ていましたが、津波がものすごい勢いで港に押し寄せ、漁船や加工工場を一気にのみ込みました。
バリバリという激しい音がして、防潮堤に激突。みな祈るように見ていましたが、
波は1メートルほど乗り越えただけで、約1000世帯が住む集落までは来ませんでした」(普代村漁協・太田則彦氏)
津波が来る前に、港に船を見に行った男性が行方不明になっているが、防潮堤の内側にいた人の被害はゼロ。
住宅への被害も一切なかった。高さ15.5メートル、全長130メートルの「防潮堤」が、村人の命を救ったのだ。
村の北側には、同じ高さの水門(全長200メートル)があるが、こちらも川を勢いよく上ってきた津波をほぼはね返し、
小学校を守ったという。
普代村の隣、田野畑村(人口約4000人)には、高さ8メートルの防潮堤が2つあるが、
津波を抑えられず、死者・行方不明者40人、全半壊533戸の被害が出ている。
“高さ15.5メートル”の防御力は絶大だが、なぜ普代村に2つも造られたのか?
「防潮堤は1970年に約6000万円(当時)をかけて造った。水門は35億円(同)で、84年に完成しました。
普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。1933年の津波でも約600人が死傷しました。
戦後、和村幸徳村長が『2度あることは3度あってはいかん』と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。
かなりの費用がかかるので、当時は『他のことに使えばいいのに』『ここまでの高さは必要なの?』といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。
きっと今は天国でホッとされているのではないでしょうか」(村役場住民課・三船雄三氏)
村ではボロボロに壊れた漁港や養殖場の修復作業が進められているが、一方で、堤防に手を合わせたり、
故・和村村長の墓に線香を供える人が絶えないという。
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