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90年代の話だが、イラクに行った時は街中で地図を広げないようにしていた。
詳しい地図を見ていた欧米の記者が「スパイ」として拘束されたと聞いたからだ。
ペルシャ湾岸の国では、王宮にカメラを向けたテレビクルーが拘束された。人権が軽い国では、人はいとも簡単に自由を奪われる。
そんな経験があるから、建設会社「フジタ」社員の拘束には、いたく同情した。
21世紀の中国は90年代の中東より遅れているのかとも考えた。
表向きは偶発的な出来事でも、中国はもともと「民主活動家らを拘束して元手のいらない外交カードにしている」(米政府筋)とも言われていた。
拘束と尖閣が関連しないはずがない。
私自身の拘束体験がよみがえってきた。北アフリカの西サハラは一般にはなじみが薄いが、
日本の3分の2ほどの面積で隣のモロッコが実効支配している。
独立を求める住民も多い。日本人には地の果てとも映る係争地で、
私はモロッコの警官2人に両腕をつかまれ、尋問の末に金網の護送車に乗せられた。何もしていないのに。
しかし、着いた先は、なんと事前に立ち寄った警察施設。
私の取材を許可してくれた警察幹部が、また「地獄に仏」のように現れて2人の警官を怒鳴り上げ、私を解放してくれた。
彼が知らん顔をすれば、私は何日も留置されたと思う。
今は笑い話とはいえ、「領土」のためには手段を選ばない国家の冷たさとたけだけしさを肌で感じた。
その90年代の体験は無駄ではあるまい。
西サハラは35年前(75年秋)、モロッコの国王が35万人の市民を行進させて支配下に置いた土地だ。
これを「緑の行進」と呼ぶが、中国の反日デモを見ると、いつか中国漁船が大挙して尖閣に押し寄せてくるような予感もある。
「赤い行進」は未然に、平和的に防ぎたい。
ソース 毎日新聞 2010年10月21日 0時05分
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