11/10/25 04:11:03.86 adspsYvB
ちょっと自分の感情について書いてみる。
まず、NPDは共感性が非常に低いと言われてるよね。
これはかつての私もそうだった。全然共感できない。
ここでいう共感とは他者を尊重すること、思いやること、愛することをさしてる。
何でこれができなかったかというと、結局はNPDの中核的問題である「愛が自己の中に留まっている」
ことからくることだった。
この感情を自分が獲得できたのは、自分には強迫症状があるとわかった時だった。
「こうでなければいけない」「こうでなければ生きている価値がない」という無意識の幻想が
理解できたとき、「共感」の感情が湧いてきた。この時点で私はもう人を愛せるようになったんだ。
それは自分を許したから生じたこと。その強迫がとれるということは、自分を許してあげるということだから、
他者も許せるようになった。そうすると不思議なことに、人の悪口を言わなくなった。
そりゃそうだ、「ありのままの自分でいいんだ」ということがわかれば、「他者もありのままでいいんだから」
ということがわかるし、相対的な価値を下げようと悪口を言うというメカニズムが停止したようだった。
そうするとすごく楽になれた。心の仕組みが変わったんだ。
まだ色々あるけれど、「哀」の感情が欠落していることは指摘されてわかった。
これは心の痛みを感じられないということだと思う。
どうしてこれが起こるかというと、これは躁的防衛だ。
自我が未成熟な幼児は心の痛み、抑うつ的感情に耐えられない。
そうすると躁的、万能的に痛みを取り除くという機制が働く。これは人間は皆通る通常の発達過程だけど、
問題は「躁的防衛」から「償い」へと機制が入れ替わり、道を譲っていくという過程が欠落してしまっているということ。
ここで「償い」という機制、哀の感情そのものを失ってしまう。