11/06/29 05:27:46.47 nrqg+MFf
もうひとつ。反論するとき、常に相手が正しいかもしれない、自分が間違ってるかもしれない、
という謙虚な気持ちを持つことかな。でもこれは事実なんだけどね。絶対的な正解なんてない。
つまり自分の意見、考えを普遍の真実と思わないこと。これは相手の意見に対して黙る
ということでも、無条件の同意をするという意味でもなくて、自分も間違ってるかもしれないし、
相手が正しいかもしれない、という気持ちを持ちながら反論するということ。
>>514
自分と違う意見を聞いたとき、不快になるのは、心の中に自分の考えの方が相手より
正しいという気持ちがあるから。相手が間違っていて自分は正しい。そしてそれを相手
に認めさせることができないことから、フラストレーションが溜まる。
しかしそれを表にだすと、喧嘩になる。なぜなら議論とはどちらが正しい人間か?を決める勝ち負けを
決める勝負だと思ってるから。よって当たりさわりない返事をする。
逆に攻撃的になる人間は、相手にどうしても自分の信念(思い込み)を認めさせたい。なぜなら
それに敗れたら、自分は間違った人間になる、と思ってるから。
つまり両者とも議論とはどちらが正しい人間か?を決めるバトルだと思ってる。
しかし、自分の意見とは、自分の信念とは、自分の思い込みであって決して、客観的、
普遍的な正解である保証はない、という前提に立てば、そういう他人の意見に対して
も違う受け取り方、対応ができるはず。
議論が勝ち負けを決めるものではなく、何がより普遍的な正解に近いのか?という意識に
変わるはず。つまり勝ち負けにこだわらなくなる。