10/12/08 00:12:55 50R8JZ5U0
>>707
総覧というのは、例えば一つの形式のみを扱ったものでなく、国鉄電車、あるいは日本の電車を全体的な歴史の流れの中で時系列的、あるいは系統的に論じているものだろうがw
何か>>707は車両専門の研究を批判されていると被害妄想でも持っているのか?
別に車両研究を貶めているわけでも批判しているわけでもないのはちゃんと読めば理解できるはずなんだがなw
今出ている書物や研究の多くが車両に偏重し、鉄道史を語る際に他の分野と比べて掘り下げ方や論じ方のバランスが<
それらに偏りすぎているといっているだけなのになw
>>709
別に執筆者や論者が「国鉄史観」でも「外国技術マンセー」でも、どういうポジションに立脚しても良いんよ。
傾聴に値する言説か否かというのは、その人の思想は関係ないから。
例えば自由主義者が共産主義者というだけでその人の言説を全否定することが無いのと同じ。
考えが違っても、一定レベルの人の言説なら評価すべきものは必ずあるはずだから。
しかし現状はどんな立場に立ったものにせよ、そのような俯瞰的な書物すら現れないことが問題なわけで。
>個人で掘り下げるしかない
この部分は全く同意。研究というのは個人の技量が総てだと思う。
でも個人で掘り下げたものを世に出さなければ単なるオナニーに過ぎないよ。
「私鉄史ハンドブック」でも別に売れることを目指して作ったわけじゃないだろ?
その分野に必ず必要とされるから著者は作ったわけだし。