08/10/24 23:41:28 +p8C08Vo
>>720
一応確認するがするが、論点は
「食の経験によって慢性毒性のリスクは認知(回避)可能か?」だぞ。
>大豆イソフラボンとか、精子の運動性に影響する物質もあるだろ。
“子孫を残すまでの話し”と書いてあったはずだが、
昔は出産年齢や親からの自立が今よりも早かったから、
40~50歳以降に出るような影響は、種の保存には影響していない。
つまり、成人病のようなリスクの回避に関しては、
自然淘汰は意味をなさないと言うことだけど。
>通常の亜慢性毒性の試験は3ヶ月~半年で終了する。
亜急性は3ヶ月だが、農薬にしても食品添加物にしても、
認可には1年の慢性毒性試験と、2年の発がん性試験も義務付けられているぞ。
>食生活が変化する、という「経験」があって初めて全ての調査が始まるわけで、
正確には「問題」が認知されてだが、変化の経験も認知のきっかけのひとつにはなるだろう。
だが、“「道具」に過ぎない”と切り捨てている、その「道具」を持たない人たち、
中世から鉛や水銀の入った白粉や紅を平然と使い続けていた人たちが、
どうやって摂取から時間をおいて出てくるリスクを認知したのか、
具体的に教えて欲しいと言ってるんだけど。
まあ、過去の経験を現代の道具で精査することには意味があるだろうが、
昔の経験はきっかけにしか過ぎず、道具に使えるような精度(信頼性)のあるデータとしては残されていない。
結局使えるのは現代のデータとなり、既に普及している人工物と同列の条件でしかない。
そしてごく一部の問題が顕在化したものを除き、
伝統食材の大半は、新規物質のような安全性試験もなされてはいないんだよな。
>海の向こうで安全性が経験的にわかっていたものだよ。
洋食のリスクがわかっていながら(?)普及したのは、海外の経験が役に立たなかった証拠じゃないのか?
高脂肪食や高塩分食のリスクが認知されるようになったのは、現代の「道具」のおかげじゃないのか?
>人工的で歴史のない化学物質よりも、伝統的に食物とされてきたものは相対的に安全だと考えられないか?
人工だろうが天然だろうが、安全性はそのリスクと摂取量で決まる。
過去の食経験は、急性毒性(と極端な慢性毒性)の回避にはそれなりに有効だろうが、
その類のリスクなら、毒性試験で経験よりも高精度で知ることができる。
時間をかけて徐々に生じるリスクに関しては、
経験による毒性の回避は精緻など、到底言えるはずはないと思うが。