10/06/02 04:17:03 sY9aqeo8
月組トップの故里明美が昭和34年に退団の時点で、星空ひかるは研9で花組の2番手(淀・星空)、
真帆志ぶきは研8で花組の3番手か、雪組の2番手(明石・真帆)だったと思うのですが、
故里の後を、この2人のどちらかが組替えで継ぐのには、ちょっと無理があるような、
星空・真帆は、人気度とかでは、いわば遅咲き型・大器晩成型だったのでしょうか。
故里の退団後、月組は真帆よりも下級生の藤里・内重のWトップに、那智客演が絡む若い体制で、
他の3組は、花組は淀、雪組は明石、星組は寿美、の磐石トップ体制という、4組状態が、
その後数年間は続いたようなので、余計に星空・真帆のトップ就任遅れが目立つような気がします。