10/10/20 01:56:06 発信元:220.215.160.100
そもそもの発端は1930年のロンドン軍縮会議。
ここで海軍保有艦艇が、日:米:英=6.975:10:10に決まる。
ところがこの国際条約に、泡沫野党の匪賊、鳩山一郎が
「統帥権干犯」と吠えて、政争の具にしてしまう。
その結果、浜口宰相は東京駅で銃撃され一命を取り止めるも、
その後の鳩山一郎の執拗な登院要求にやむなく登院し、死亡してしまう。
このような政治状況になっては、日本は軍縮会議で合議することも能わず。
1935年末に開催された第二回ロンドン軍縮会議で日本は脱退を表明。
日本のせいで、世界的な海軍軍縮時代は終わってしまい、
10年後の日本は敗戦国となっていた。
物量に負けたのは、物量を政局の玩具にした政治家が居たからですよ。
その愚かな政治家は、310万人の軍人・民間人の戦没者にどの様な償いしたのだろうか。