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三部丈半ズボンが一般的になったのは昭和30年代半ば前ごろ。でもこのころはブリーフはまだなかった、
ブリーフが一般的になったのは昭和40年代に入ってから、その前30年代後半ごろは、
白い綿のいわゆるパンツに決まっていた。綿のパンツで体操もしていたが、綿のパンツ(その後はナイロン入り)はすぐ皺がよってしまうので、
裾が捲れ上がってしまう、このころの半ズボンの場合、電車で座っている男の子の股の間からはおいなりさんやホースが必ず覗いていたもの。
また体運動会など体操でも体育座りしていると、小学生でも、中学生でも必ず男子の
股の間からは、見てはいけないヒミツの部分が丸見えだった。女の子にもみられていたのだ。
40年代にはいって、ブリーフが一般的になる。まだパンツをはいてる子もいた。
まさにブリーフとは男の子の半ズボンの極限の部分を隠すものだった。
男の子の器官を隠して自由に半ズボン生活を謳歌するのがブリーフだったともいえる。
ブリーフは見えてもいい、ブリチラはちょっとはずかしいが、男の子の大切な器官をしっかり
包んで運動してもみえなければいいということでしょう。
でも案外、半ズボンでブリーフも見えそうで見えないもの、そこがいい。
半ズボンとブリーフは調和していて、見えそうで見えないのが半ズボンの美学だろう。