【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】 - 暇つぶし2ch400:人間七七四年
11/05/04 19:19:02.14 FoZQT17j
>>399レスサンクス、でもそれなら、尚更、糞重い鎧を着る必要なくね?

401:人間七七四年
11/05/04 19:55:34.28 YV7o9LZT
>>400
ヒント:騎馬前提

402:人間七七四年
11/05/04 19:58:04.73 IcN5MiOL
戦場では小型や紙製軽量の鍬形に変えたりとかはしてた。

403:人間七七四年
11/05/04 19:59:47.51 P8FeLj6Y
非常時に首相や首長が着ける防災服みたいなものかな

404:人間七七四年
11/05/04 20:31:53.56 CWyAhJ1e
最前線に行くとき以外は割と軽装だったはずだよ

405:人間七七四年
11/05/04 21:22:32.56 X4B2dpp1
戦闘が始まる前は甲冑を着けていないのが普通
時代劇なんかでは城にいる内からフル装備してるから誤解を生むのだわ

406:人間七七四年
11/05/04 21:26:29.45 cYrjQdhY
スレリンク(sengoku板)
ここで聞いてみたら?
甲冑持ってる人とか着用経験者多いみたいだし

407:人間七七四年
11/05/04 22:45:55.12 40wx+Ush
本多正信→佐渡守
馬場信春→美濃守

のように、その人物と全く関係ない地名が名に入ってるのは何故なんでしょうか
しかも同じ地名が何人にも使われてますし

408:人間七七四年
11/05/05 13:01:00.79 ahko5zfx
○○守は朝廷から国司(地方長官)に任じられていることを表す
美濃守なら美濃国の長官という意味
国司以外の役職もあって、例えば武田信玄は大膳大夫(朝廷の食事係の一つ)をもらっている
ただ、戦国期には形骸化しているので実際にその国を治めているとは限らないし、食事係の仕事をしているわけではない

同じ役職が何人もいることがあるのは、戦国期の役職は大半が自称で、勝手に名乗っているだけだから
例えば、本多佐渡守は朝廷から正式にもらっているが、馬場美濃守は自称

409:人間七七四年
11/05/05 13:07:34.80 JSHwzTQJ
足利幕府の幕職もあるでよ

410:人間七七四年
11/05/05 13:37:19.75 8agLdJAa
>>407
同じ官職が何人にも使われてるように見えるが
ひとつの家中では、絶対にかぶらないように注意が払われている。
官位は深く追求していくと面白い。

411:人間七七四年
11/05/05 13:45:54.28 G5qGVE75
>>408
分かりやすい説明ありがとうございました

412:人間七七四年
11/05/05 19:08:22.31 PsBnqV5x
とある小説の話だが、本多正信と藤堂高虎が同じ佐渡守と呼ばれていた時期
佐渡守を呼べと言われて、どっち? て疑問に思われていたのが何か和んだ
実際被ってた時期があったのかな

413:人間七七四年
11/05/05 23:08:23.56 /dh0vh60
大坂城の御殿に入るのに身分の規定はあったんですか?
例えば、輝元の家臣で身の回りの世話をする50石取りの者とか

414:人間七七四年
11/05/06 02:48:08.22 MHG6fzuX
地頭や守護は幕職


415:人間七七四年
11/05/06 04:25:50.66 VYYQw4LV
勘違いかもしれないけど、「~守」の官位って京に近い国のもの程良いみたいな話を聞いたことがあるな

416:人間七七四年
11/05/06 05:11:06.84 GMfaQu2k
基本的には距離より国の格によってだね
例えば山城守より陸奥守や肥後守などのほうが格が高い
それに大名は自国の守職を欲しがる場合が多い

417:人間七七四年
11/05/06 16:00:41.96 htHIni4d
質問です。 

年貢や知行についてなんですが、
織田信長の家臣であった明智光秀や秀吉など領地を貰っていたのは当たり前なんですが
そこから上がる税金(年貢)はやはり主従である織田家にいくらぐらい収めていたのですか?
また徳川時代の各藩主もやはり徳川家に毎年何割ほど税を献上してたのでしょうか?

お願いいたします~


418:人間七七四年
11/05/06 16:53:50.14 W06AjGsh
>>417
織田家については知らないが、徳川幕府の場合はない。藩の収入は全部藩のもの。
関が原後の諸侯が豊臣から徳川に簡単に鞍替えした理由の一つに、
自分の領内にあった豊臣家の蔵入地を我が物にできたという点がある。

ただ、この制度は徳川幕府にえらい負担を強いることになった。
つまり、幕府は日本の何分の一かの天領の収入だけで、
日本全土の統治に責任を負わなければならなくなったから。
初期の頃は直轄地にした鉱山収入があったので問題なかったのだが
中期の頃にははやくも鉱山が枯れ始め綱吉あたりから幕府は財政に苦しむことになる。

419:人間七七四年
11/05/06 17:18:31.86 htHIni4d
>>418
ご返答ありがとうございます。

蔵入地って天領のことですよね?家臣に与えた領地内に蔵入地(天領)なんてあるものなんですか?
長崎や堺といった莫大な金を生み出す港は元々天領ですし、金銀山はたしかに天領だったは有名です。

戦国時代から石高を与えられた家臣は(10石とか弱小家臣から100万石大名まで)主家に対しては税を
収めるという考えは無かったと考えた方がよいということなんですかねぇ~

となると明智光秀の畿内5ヶ国の太守とか、豊臣時代の徳川260万、毛利200万石、上杉前田伊達など
全部税は自分のものになるならすごいですね

420:人間七七四年
11/05/06 17:35:10.36 7rikEdgu
蔵入地は豊臣家の領地であり家臣に与えたものではない、
ただ管理を任せていただけ。
同様なものは規模は小さいが江戸幕府にもあった。
明智光秀の領地は丹波と滋賀郡のみ、他は各々の領主の土地。
また「全部税は自分の物になる」という考え方は違う。
軍役という税を納め無くてはならなく、
そのための必要経費の財源として土地を与えられていたと考えるべき(御恩と奉公)

421:人間七七四年
11/05/06 18:02:12.27 htHIni4d
なるほど、御恩と奉公ですか、鎌倉幕府の御家人制度ですね
この制度が江戸幕府終了まで続いたっていうがある意味すごいですね

確かに戦国時代は常に隣国との争いに備え家臣も軍役に蓄えを費やして主家に奉公するわけですが
主家にとっちゃ戦が無いと家臣の謀反が恐ろしくなりますね、この制度。

なんか室町幕府のあの謀反の多さは御恩と奉公この制度せいで幕府の家臣である守護大名が使い道のない
蓄えがどんどん増えていき(又は守護大名の家老クラス)隣国に攻めていったんでしょうかねぇ
平和になれば謀反が怖くなるっていう矛盾した制度なんですかね

422:人間七七四年
11/05/06 18:32:08.26 7VWAuuU8
>>421
その辺は幕府と諸大名の力関係で決まる。室町幕府は関東公方が勝手したりと幕府の力が弱かったから
有力大名の力を削ぐ事が出来なかった。江戸幕府は強いから参勤交代とか天下普請で諸大名の力を
削ぐ事が出来た。

423:人間七七四年
11/05/07 16:37:36.69 Zf0n3U1J
躑躅ヶ崎館ってツツジが咲いてたのかな?

424:人間七七四年
11/05/07 19:49:36.07 RaNVWv7C
秀吉が信長の草履を懐に入れて温めてた
みたいな逸話の出典ってなんでしょうか?
史実ではないと思いますが

425:人間七七四年
11/05/07 22:17:37.83 Hv78qrdd
絵本太功記。
江戸時代の大衆小説。

426:人間七七四年
11/05/08 10:17:32.38 snxCNwL0
江戸時代に庶民にまで流行った男色ブームで
懐で温めてくれた草履を履くと言うシチュエーションも生まれた
リアル文化なのかな?

427:人間七七四年
11/05/08 20:59:23.01 GAx8T8eY
>>425
ありがとうございます。
そもそも史書でもない小説出典だったんですね。

428:人間七七四年
11/05/08 23:56:12.21 MPhRhWab
秀吉が資に際して家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」とは
どういう仕事なのでしょうか?


429:人間七七四年
11/05/08 23:58:13.27 MPhRhWab
資× 死○ すみませんでした。

430:人間七七四年
11/05/09 00:04:53.01 F5te5dpi
>>428
朝廷との折衝役

431:人間七七四年
11/05/09 00:17:25.37 57vZ7gf5
>>430
 ありがとうございます。つまり豊臣公儀における朝廷との折衝を一任されたわけですね。
 具体的には、浅学なので、このような例しか浮かばないのですが、これ以外にもありますでしょうか?
1,官職の推薦権(家康が窓口になって朝廷に奏上、認可を得る)
2,朝廷の諸儀式における費用の負担を豊臣家が担う際の折衝
3,朝廷の要求を豊臣公儀に伝達し、討議した回答を朝廷に伝える。

432:人間七七四年
11/05/09 01:37:52.65 F5te5dpi
>>431
それで問題ない、5大老のうち利家には秀頼の傳役任せ大阪城の西の丸に入らせた
もう1人の家康には大阪城から遠ざけるために伏見に入る必要の有る朝廷との折衝を任せた

433:人間七七四年
11/05/09 01:41:58.35 Ca13vKuG
つーかそもそも秀吉にとっても天下政治の中心地たる政庁は伏見城で、大阪城は
豊臣家の私的な居城でしか無い。

434:人間七七四年
11/05/14 05:28:21.17 Nyb/GoDG
僧兵は、武者修行などで諸国を巡ったりしたのでしょうか?
またその際はどういう出で立ちだったのでしょうか?

435:人間七七四年
11/05/15 10:22:06.64 B9BSK99t
>>434
僧兵というのは武士以上に主家である寺社と密接な存在なので、武者修行というのは
考えづらいが、各地をめぐっったというのはある。

勧進帳をイメージするといいかと。

436:人間七七四年
11/05/15 13:56:15.80 0BbY2bRe
僧兵といってもほとんどは僧籍には入ってはいない。
雑役夫や寺関連の仕事をやっていた人、地元の百姓なんかが武器を持って寺の警備にあたっていた。
これが江戸時代になって「僧兵」と言われるようになった。
(武士の侍大将に当たる者は僧籍に入っていたようだが)
弁慶みたいな姿を全員がしていたわけではない。
それぞれの寺に武芸の訓練場があってそこで訓練をやったわけで、
武者修行には行かなかった。
根来みたいに傭兵衆を送り出したところもあった。
>>435のように出張はあった、弁慶もそれを装って関所を通ろうとしたんだし。

437:人間七七四年
11/05/17 09:19:26.14 aO9hZ+UJ
婚約者が病気で顔が醜くなってしまったので、代わりに妹と結婚してくれと言われたのを
「顔で選んだわけではない」みたいなことを言って予定通り婚約者と結婚した武将がいたはずなんだけど、誰でしたっけ?

438:人間七七四年
11/05/17 13:20:24.01 liNs66rT
>>437
紹運のこと?
代わりに妹と結婚してくれってのは知らないなあ

439:人間七七四年
11/05/17 14:20:03.43 ZjKPeTyG
>>437
これは明智光秀だな。
お見合いで煕子とはわずかの間だけの対面時間だったが、黒子を覚えていて、
代わりに来た妹を本人ではないと見破り、事情を聴いてなお煕子との結婚を望んだ。

という逸話がある。


440:437
11/05/17 19:04:29.10 aO9hZ+UJ
ありがとうございます。
すっきりしました。

441:人間七七四年
11/05/17 19:33:23.31 LtE2l3w7
ていうか作り話なんだから・・・
光秀にも紹運にも全く同じ逸話があるだけのこと

442:人間七七四年
11/05/18 03:35:27.94 I3mSioSR
戦国時代に限らないですが
よく分家が本家を倒してしまうことがありますけど
その場合は自動的に分家が本家を継いだ扱いになるんですか?
それとも本家がなく分家だけが残っているという扱いになるんですか?

443:人間七七四年
11/05/18 09:53:13.57 frFeDv+Y
>>442
佐竹や里見が典型だが、基本分家が嫡流を継いだという形にする

444:人間七七四年
11/05/18 12:10:43.55 J0kT910s
島津もそうだな。ただ織田家のようにそういった形跡のないケースもある。

445:人間七七四年
11/05/21 21:29:55.88 cvYtawAe
砦と城の違いは何ですか?

446:人間七七四年
11/05/21 22:35:58.67 mWINSonv
>>445
砦は城の一種でもある、軍事目的に特化した城、と理解すればいいかと。
砦を城と呼ぶ場合も多い。

城という言葉には、戦国時代も色々な概念が入りすぎているので、城の定義のほうが難しい。

447:人間七七四年
11/05/21 23:16:28.88 cvYtawAe
>>446
ありがとうございます。
軍事目的の城ですね。イメージ的には、自然の地形を利用して、余り手を加えず、兵を溜めておく平坦な地が二、三あるぐらいかなと思ってました。

代官屋敷みたいなものでも城と呼ばれることもあるようですし難しいですね。



448:人間七七四年
11/05/22 02:55:47.16 O9y3CtQ4
細川護煕って細川忠興の子孫だっけ?
てことはガラシャの子孫でもあって、明智光秀の子孫でもある?

449:人間七七四年
11/05/22 04:45:40.15 AmqOrm6E
>>448
分家筋から何回か養子が入ってるけど血はつながってる

450:人間七七四年
11/05/22 09:17:10.56 1J67Q7wl
まあ世間によくある、明智姓の自称光秀の子孫よりもよほど確実に繋がってるな。

451:人間七七四年
11/05/22 15:34:09.26 yoZlCGBM
某マンガの『三河物語』で「平助彦左衛門」と名乗っていますが、通名を2つ並べることはあったのでしょうか。
また大久保彦左衛門忠教(名字+通名+諱)、大久保相模守忠隣(名字+官職+諱)といった長い名乗りは実際にあったのでしょうか。

452:人間七七四年
11/05/22 15:53:38.55 I9tl9vZA
>>451
助平だからな

453:人間七七四年
11/05/22 21:16:43.64 1J67Q7wl
>>451
平助は通名というか、幼名だな。普通はその二つを並べることはない。

> また大久保彦左衛門忠教(名字+通名+諱)、大久保相模守忠隣(名字+官職+諱)といった長い名乗りは実際にあったのでしょうか。

殿中など公の場ではある。朝廷関係の場だとさらに姓も入れて、例えば忠隣なら

「大久保相模守藤原忠隣」

となる。

454:人間七七四年
11/05/23 00:30:36.38 oLYsUNPV
>>448
細川家的には側室の子の子孫なだけど、嫁に行ったガラシャの娘の血を引いている。
井伊直弼、近衛公爵家を経由しての流れ、煕の字は光秀夫人煕子でなく近衛家からもらったと思われ。

455:人間七七四年
11/05/23 04:17:05.52 0JnCit78
ここ数十年の総理大臣じゃダントツの血筋だな細川護煕は
天下とった期間が短いのも似ているな
歴代総理だと三条実美、西園寺公望のつぎくらいの血筋かな?
黒田清隆は黒田官兵衛の子孫なのかな?

456:人間七七四年
11/05/23 05:41:56.82 Pi93NDg/
>>455
官兵衛の黒田とは関係ないみたいだよ

457:人間七七四年
11/05/23 15:00:49.92 2qPZsFmN
細川が政権を投げ出してから日本はおかしくなった。
近衛が下手打って戦争に突入したも同じだし
ロクなやつらじゃない

458:人間七七四年
11/05/23 18:35:29.55 NQ2UDL4s
仏教の中でも日蓮宗や浄土真宗などは教義上の問題で
他の宗派や宗教とは相いれない部分が比較的に強くありますが、
戦国時代にそうした信仰の問題が原因で謀反や出奔した武将っていますか?

459:人間七七四年
11/05/23 18:46:32.47 jFDGvGak
>>458
三河一向一揆

460:人間七七四年
11/05/23 19:04:50.59 D6eiyjGv
日蓮宗は戦国初期に延暦寺にコテンパンにやられちゃってるから、門徒もそんな元気は無さそう。

461:人間七七四年
11/05/23 21:04:46.11 oLYsUNPV
>>458
本多正信
一時出奔して一向一揆に加わっていた。

462:人間七七四年
11/05/23 23:35:26.91 rVqVOpnR
正信ってその一揆の総大将だったって本当?
一揆側に回った家臣はみんな許されたけど
自分は総大将だから許されはすまい…と思って出奔したと聞いたが

463:人間七七四年
11/05/23 23:40:27.53 jFDGvGak
>>462
嘘。
一向一揆の総大将は基本一向宗寺院のうち本願寺門主に近い立場の人間がつく

464:人間七七四年
11/05/24 01:53:42.28 R0Q3u2Wq
ああやはり嘘だったんだな
あまりにも出来すぎだろその話 とは思ったからようやく納得できた

465:人間七七四年
11/05/25 18:14:43.65 S/pixvAv
九条忠栄が後に九条幸家に改名するけど、これはどういう意図だったんだろうか
公家の人が改名する理由を誰か教えて下さい

466:人間七七四年
11/05/25 18:51:35.17 T4zBUTx8
>>465
改名時期で色々考えなきゃならんが、パッと見思いつくのは2代将軍になった秀忠の諱の
忠の字が重なることを避けたため、じゃないかね?

公家の場合は自分の諱の文字が、新天皇や新将軍の諱と重なったりすると改名する事が多いな。

467:人間七七四年
11/05/25 19:10:58.38 S/pixvAv
>>466
それも思いましたが、改名次期が1631年に幸家に改名したとあったので(wiki情報ですが)
その一年後に秀忠は亡くなっていますし、その理由ならもっと早くから改名したんじゃないかと思って
他にも上の人に同じ字の人がいたんでしょうかね? どこから調べればいいのやらと…

468:人間七七四年
11/05/25 21:44:29.13 T4zBUTx8
>>467
そうなると専門的に調べないと解らないかも。公家事典あたりに載っていない物か。
URLリンク(www.yoshikawa-k.co.jp)

469:人間七七四年
11/05/25 22:37:30.06 S/pixvAv
おお、こういうのもあるんですね
高すぎてちょっと手が出せないけど、地元の図書館で探してみます
ありがとうこざいます

470:人間七七四年
11/05/26 00:15:50.13 sIT91vvi
>>466
仮に、秀忠が将軍就任時期に名前を改名したとして

幸家「将軍と重なる名前だったので、幸家に改めました」
秀忠「それはご苦労 ところで三代将軍の名前を家光にしてみた」
幸家「えー」

コントか

471:人間七七四年
11/05/28 12:27:32.75 qnYyu3EO
秀吉までとは行かなくても、身分の低い出身(農民・足軽等)から大名クラスまでに出世した武将って、どれだけいるのだろう?

472:人間七七四年
11/05/28 12:37:14.19 EweZDkB2
>>471
秀長

473:人間七七四年
11/05/28 12:45:14.87 iMnsynLZ
>>471
藤堂高虎

474:人間七七四年
11/05/28 13:29:39.06 JW+4YFyR
当然ながら秀吉周辺は小土豪や浪人から大名になったものたちは多いな

475:人間七七四年
11/05/28 13:53:11.62 mrlzOMh3
小西行長は薬屋の息子だが宇喜田家に仕官できるくらいだからどうだろ?

476:人間七七四年
11/05/28 16:21:08.47 BKxdllWM
大名ではないが、三成の家臣の渡辺半介も農民出身だった気がする

477:人間七七四年
11/05/28 16:33:08.48 CZphT1tF
>>475
ただの薬屋じゃないよ。
海運も盛んに行ったし、なにより屈強の警護軍をもっていた。
当時の豪商たちはみんな荷を守るため自前の兵を抱えていた。
土豪の生業が農業+治安維持なら、港を拠点とする豪商は海運+海賊という図式。

478:人間七七四年
11/05/28 19:12:26.70 lqmyVF/8
織田信長は上総介だったときあったけど
今川義元や氏真も上総介だったと思うけど何人も就任するものなのですか?
上総が職場なのに上総にいかなくていいんでしょうか?

479:人間七七四年
11/05/28 19:46:41.19 o5U6IjPT
>>478
その時代の官職は箔付けの為であって実際の仕事がある訳ではない。しかもその多くは自称にすぎない。
信長もそう。義元は知らない。
ちなみに平安時代でも陸奥の守に任命された貴族が現地に行かないなんて事はよくあった。

480:人間七七四年
11/05/28 19:53:47.77 lqmyVF/8
その国の領主という訳じゃないんですね
でも自分の治める地域のを名乗れば治める名分がたちそうなのに
織田なら尾張守とか
あれ? 尾張守護=尾張守?

481:人間七七四年
11/05/28 20:14:17.82 EYLDMUfM
尾張守は国司なので朝廷が任命する
守護は幕府が任命するものなので別物

482:人間七七四年
11/05/28 20:53:15.00 eik7HvQS
城砦の 「堀」 についての質問。

1 水堀は晴天が続くと空堀になるのですか。
2 水堀は蚊による病気や悪臭などは無いのですか。
3 元々「掘り」というものは空堀の事ですか。
4 水堀は 水が漏れないように防水してあるのですか。
5 「水堀+石垣」 の 石垣の下には、石垣用の基礎があるのですか。
  (基礎が無いと石垣下部が水に洗われて、石垣崩壊の気が・・・・

以上、よろしくお願い致します。)

483:人間七七四年
11/05/28 21:00:41.75 mJ177SaO
>>482
> 1 水堀は晴天が続くと空堀になるのですか。
水堀は河川と繋がっている。河川が枯れる事態になればそうなる

> 2 水堀は蚊による病気や悪臭などは無いのですか。
定期的に水さらいされる。城はメンテナンスが大事

> 3 元々「掘り」というものは空堀の事ですか。
そもそもは文字通り「掘った場所」
昔から水堀も空堀もあった。水の有無の問題だな。

> 4 水堀は 水が漏れないように防水してあるのですか。
水堀は城の周囲をめぐらした一種の運河だと思うといい

> 5 「水堀+石垣」 の 石垣の下には、石垣用の基礎があるのですか。
石垣の下の土が水に流される、ってこと?水堀にそれほどの水流はないし、
石垣自体は自重で安定しているので、石垣崩壊するようなことはほとんど考えられない。

484:人間七七四年
11/05/28 21:50:16.54 RqXbhkHP
この時代、陸は各大名がそれぞれ関所を設けていましたが
海はどうだったんでしょう?

485:人間七七四年
11/05/28 21:57:34.42 GIFlIxTU
484 港とかに設けてたと思う。実際海側にも関所はある。(義政の時代なのでカット)


486:人間七七四年
11/05/28 22:16:14.96 RqXbhkHP
ということは一隻ごとに身分証明を求めていたということですか?

487:人間七七四年
11/05/28 22:17:26.00 /pbA5iPc
>>486
いや、一隻ごとに臨検して荷物に応じて関銭(通行料)を徴収された

488:人間七七四年
11/05/28 22:23:37.58 BC7ZVDqM
どうすれば山口県を幕末以来の日本の主役にできますか?



489:人間七七四年
11/05/28 22:57:20.15 o5U6IjPT
>>484
瀬戸内海辺りじゃ船を見かけると村上水軍の小舟が寄って来て通行料取られたんじゃないかな。

490:人間七七四年
11/05/28 23:06:40.95 rXz7WzDq
武田勝頼はどうやっていたら人並みの幸せになれたかな?

491:人間七七四年
11/05/29 00:28:24.25 80Jm7aBv
>>484
海でなくて湖だが、琵琶湖の水運は堅田が支配していて、通る船には堅田衆の案内人が乗り込んでいて
彼らに払う案内料が実質通行料になっていたそうな
で、堅田衆の案内人が乗っていない船は焼き討ちして積荷没収船員鏖ごろしとか

492:人間七七四年
11/05/29 06:44:22.75 sgU+w6th
>>491
その手の水の案内人は単なる迷惑な存在というだけでなく、
通行料を払った人間を命賭けて守る義務があったのだが。
賊の襲撃とかだけでなく、天災とか水難からも。

493:人間七七四年
11/05/29 18:03:46.54 ff91/Hb0
信長が本能寺で死ななかったら朝鮮征伐をした可能性はありますか?
そういう信長の言行が残ってたりはしないのでしょうか?

494:人間七七四年
11/05/29 18:14:43.61 Wj7jtXba
本能寺の半年後のフロイスの書簡に
信長は日本統一後はシナに攻め込む決意をしていたとの記述はある
ただ、その他の記録にはまったく無い。

495:人間七七四年
11/05/29 18:29:00.51 X3T22Y2v
フロイスもほんと罪な記録残してくれたよなあw

496:人間七七四年
11/05/29 18:46:43.50 1+0g1riy
492が堅田衆の水先案内人としての義務について詳述されていますが、瀬戸内の水軍は
関銭を取るだけで、積み荷の保護などはしなかったのでしょうか?


497:人間七七四年
11/05/29 19:05:04.07 iBjJTCdL
この時代は七人の侍みたいな半分フリーターのような輩が
万単位でいたから天下統一したら大量の失業者が出るのは誰でも分かる。
唐入りは秀吉じゃなくてもやってたでしょうね。

498:人間七七四年
11/05/29 19:25:57.84 GUTbggYm
信長の日本統一とは一体どういう意味なんだろう
ある意味ではもう天下布武は終わってたと思うんだけど
大陸に勢力を伸ばそうとしてたとは到底思えない

499:人間七七四年
11/05/29 21:21:30.52 u+XtSaY3
>>496
当然関銭の支払いはその船の安全保証とのセットだよ。


500:人間七七四年
11/05/29 21:28:20.51 ahiMQ8rq
>>496
「誰に断わって商売してんでぇ!」と因縁つけて所場代せしめるヤーサンだって所場代払えば
便宜を図ってくれます。当然、村上水軍や他の水軍だって同じです。

501:人間七七四年
11/05/29 21:33:45.87 Chm7itrH
河尻秀隆は本能寺の変後、どうして甲斐にとどまったのでしょうか?
滝川や森みたいに、すぐに放棄して逃げ出すことは考えなかったのでしょうか?

502:人間七七四年
11/05/29 22:06:42.70 k4MVpi4Q
>>501
滝川も合戦に負けた挙句だけどな。
河尻も「どうにかなる」と思っていたんだろ。政治状況に対する判断ミス。

503:人間七七四年
11/05/29 22:11:06.60 X3T22Y2v
滝川だって最初は守ろうとして失敗した

504:人間七七四年
11/05/29 23:58:28.73 Chm7itrH
>>502-503
ありがとうございます
しかし、滝川一益はよく逃げ帰って来られましたね…

505:人間七七四年
11/05/30 00:52:01.57 FtHh/XoU
>>471
田中吉政

506:人間七七四年
11/05/30 21:37:45.16 4GSRHiVX
>>497
というかそういうのって大名の仕事じゃね?
ならず者はいたとは思うが
あんな戦みたいなことしょっちゅうやってたわけじゃないだろ。

507:人間七七四年
11/05/31 00:08:47.21 uoweimYG
違う。ここでいったフリーターの仕事っていうのは
軍役の請け負いということ。
どっかの書状にもマトモな奴を出せとあったからな。

508:人間七七四年
11/05/31 07:32:50.28 sz384HCP
信長の野望で本願寺の坊主が鉄砲を使うのが上手な設定になっています。
本願寺の雇っていた雑賀根来ら傭兵が鉄砲を使っていたみたいですが
実際に本願寺の坊官たちも鉄砲をつかっていたのでしょうか?
あと一向一揆って貧乏人の集まりが坊主に騙されて蜂起したものだけど
そんな連中に鉄砲みたいな高級品を扱わせても大丈夫だったのでしょうか?
俺なら脱走して鉄砲を金に換えますが・・・

509:人間七七四年
11/05/31 09:39:30.28 6ou96sCR
>>508
> あと一向一揆って貧乏人の集まりが坊主に騙されて蜂起したものだけど
> そんな連中に鉄砲みたいな高級品を扱わせても大丈夫だったのでしょうか?

根本的に認識を間違えてる。本願寺に集まった連中は貧乏人ではなく小ブルジョアとも
言うべき階層であり、また、むしろ信長と戦うため本願寺を担ぎ上げた、戦争主体だと言っていい。
なぜなら信長はひどい重税政策で庶民から金をむしりとっていたからだ。

510:人間七七四年
11/05/31 16:08:17.26 /9CDoOYG
豊臣秀吉の出自って実際はどの程度と言われているんでしょうか?
武士ではないといってもあまりにも貧しいと
武器の調達も難しいし最低限の教養もなく出世しにくいと思うんですが
劉邦みたいに地元の親分くらいの地位では最初からあったのでしょうか。

511:人間七七四年
11/05/31 21:24:48.62 uoweimYG
>>509
税金よりも自治を守るためかと。


512:人間七七四年
11/05/31 23:13:34.38 62eh05Tj
>>510
明国の資料によると、秀吉は中国人、ただし漢民族じゃないマイノリティ民族出身で
明の科挙試験に落ちた、落ちこぼれエリートで日本に渡って信長に仕え(以下略

513:人間七七四年
11/05/31 23:23:51.12 UUiXg/JH
米をお金に替える時代ですけど、米って、そんなに売れるものだったんですか?
全国で考えると一千万石以上あれば、米余りで値が付かない事もあったと思うんですけど…


514:人間七七四年
11/05/31 23:37:48.31 ueYMBJWp
>>513
江戸時代になったら見事に余ったね・・・
でも、当時は誰も米余りなどという事態が起こるとは予想もできませんでした。

515:人間七七四年
11/06/01 13:22:31.08 ooPA2lWw
>>513
当時は小氷河期で慢性的な食糧不足だったから米はいくらあっても困らない。
酒だって米でつくってたし、当時はサツマイモは日本になかったんだから。
地球の気候が安定してきたのはだいたい江戸時代辺りから。

516:人間七七四年
11/06/01 15:29:13.26 05bKv18h
>>513
室町時代から各地の荘園から年貢+米がより高く売れる京に米が集まり地方に米が無い状況になった。
商人に米を売っぱらった現金で守護らは生活必需品を消費してた。
すると京の商人たちは米の出荷を押さえて米価の釣り上げを行い
人工的な飢饉を作り出した。
各地の飢餓流民が豊かな京に流れ込み
これらの層により土一揆や徳政強訴の始まった。
実は江戸期もそうだが、食料生産量は人口を維持するには充分な量があって
餓死が出るほどの飢饉ってのは人工的に作られる人災。
ちなみに平安京時代までの日本人は身長も世界並みに高く、
身長が一番低くなるのが鉄器加工や灌漑農業が全国普及した徳川江戸時代。
商業の発展とともに日本人の栄養状態はどんどん悪化している。


517:人間七七四年
11/06/01 18:22:18.82 BGXzuNAQ
>>516
どこでそんな珍説効いてきたんだか…

> ちなみに平安京時代までの日本人は身長も世界並みに高く、
> 身長が一番低くなるのが鉄器加工や灌漑農業が全国普及した徳川江戸時代。

嘘です
オカルト界隈は知らんが、考古学的にそんな統計は一切存在しない。

518:人間七七四年
11/06/01 19:35:49.26 gP6fCfdZ
米が駄目なら麦があると思うが何故この時代の日本は
米にこだわったんですか?日本の小氷期がどの程度かはわからないけど
少なくともヨーロッパよりは暖かいのでは。

519:人間七七四年
11/06/01 19:38:48.79 PEX8+RtA
>>518
麦も作っている
麦より米のほうが生産性が高い
前近代の日本人はほぼ、大量の米(玄米)と少量の味噌などの副食物を食べて生きていた。

520:人間七七四年
11/06/01 19:47:33.12 gP6fCfdZ
米は麦よりも不作や凶作のリスクが高そうな気がするんですが…

521:人間七七四年
11/06/01 19:51:15.44 /z/EeIVZ
米不足でもブレンド米が売れなかったのと同じ理由

522:人間七七四年
11/06/01 19:54:07.25 PEX8+RtA
>>520
君は勘違いしているようだから言うけど、麦の収穫期と米の収穫期は別だぞ?
農民は同じ田畑で麦→米→麦というローテーションで栽培する。
米を作っているところは、麦も作っている。

523:人間七七四年
11/06/01 19:56:41.02 oz/p/Zyz
麦は痩せた土地や寒冷地でも育ちやすいが米に比べ生産力がかなり劣る
ヨーロッパのような痩せた土地ならしょうがないが
日本のように米を作りやすい環境なら米を作らない理由がない
まぁ商品価値が高いので無理して作ってた東北の一部は不作だと悲惨に事になったがね

524:人間七七四年
11/06/01 20:44:20.56 05bKv18h
>>517
発掘された人骨を調べた結果だよ。

石高制が確立した後はそれが国力を現すだけでなく
幕府内での家格や序列を現すようになったことも大きい。
島津や伊達や津軽や南部あたりは無理やり厳しい検地をやり過大な石高を算出している。
デタラメ石高で幕府に家格向上を願う口実に使える。
ただ農民は過酷な取り立てで餓死者大量に出た。
伊達に至っては武士まで餓死者が出たほど
ただ南部や津軽は岩木山噴火と言う天災もあるから同情はする。

525:人間七七四年
11/06/01 22:23:37.61 EhSvnTHH
家格向上を図るのは単なる大名の見得のためなのだろうか?
経済的にはデメリットの方が大きい気がするんだけど(参勤交代やお手伝い普請)

526:人間七七四年
11/06/01 22:43:43.80 BGXzuNAQ
>>524
> 発掘された人骨を調べた結果だよ。

だからそういう統計結果はどこにも存在しない。
有るというのならその根拠の資料をしめせ。

527: 忍法帖【Lv=4,xxxP】 !
11/06/01 22:49:46.56 rBbSSJqb
>>525
武士は「名を惜しむ」生き物ですから、家格が下がったと言われると
生きづらくなるのです。

528:人間七七四年
11/06/01 22:54:02.01 EhSvnTHH
>>527
㌧クス、武士とはめんどくさい生き物なのですね

529:人間七七四年
11/06/01 23:05:48.02 EcSnWBks
>>524 >>516
ソース出して

530:人間七七四年
11/06/01 23:34:04.22 az/vFZHM
ブルドッグでいい?

531:人間七七四年
11/06/01 23:54:17.10 PhpcR2nr
おたふくでお願い

532:人間七七四年
11/06/02 00:04:25.46 s+cdPj0G
広島の方ですか?

533:人間七七四年
11/06/02 01:27:43.90 EGeog3+J
収入がイマイチなために、経営破綻した大名や小領主っているのかな?

534:人間七七四年
11/06/02 01:38:41.48 jrhUHJt9
>>526>>259

おそらく清水克行著である「大飢饉、室町社会を襲う!」だろう。
身長の話は検索かけたら似たようなもんが出てきた。
URLリンク(www.webtelevi.com)

535:人間七七四年
11/06/02 10:17:52.40 tW1x+F2V
>>534
それは飢餓祭の事だろ。平均身長じゃない

536:人間七七四年
11/06/02 11:08:21.66 s+cdPj0G
今川義元は上洛の途中で織田信長に討たれてしまったけど、長尾景虎は上洛や帰郷の途中で他の武将に襲われなかったの?

537:人間七七四年
11/06/02 11:21:16.10 WooLvEwZ
>上洛の途中
現在の研究では否定説が大勢。
「信長公記」にもそんなことは書いてない。
信頼性の低い甫庵の「信長記」にはあるけど。
だいたい上洛しても京には将軍義輝がいるのに、何をするの?

538:人間七七四年
11/06/02 11:31:18.25 fpbrc/am
>>537
お前はどうでもいいことに反応して質問には答えてないのな。
後何でもかんでも「信長公記」っていうと馬鹿に見えるからやめたほうがいいぞ。
あれも基本的には信長記と変わらん、あくまで後世の2次資料だ。

>>536
謙信の上洛はあくまで「旅行」
あと上洛までに通り道の勢力とさんざん交渉して通行安全の保証を取り付けておる。

539:人間七七四年
11/06/02 12:29:41.70 WiUaHE1s
軍を引き連れた武装上洛じゃなく、10人とか20人で行う非武装上洛のとき、
なぜ襲われないかってのはわたしも不思議に思ってました 信長公もやってますし、
たくさんの武将がやってます あ、信長公の場合、京の都で斉藤義龍の刺客に
襲われたとか襲われなかったとか・・・
基本、室町将軍や京の帝に呼ばれたのでご挨拶にいく、というスタイルなので、
そっちのほうの権威から道中の大名に襲うなよって指令がいってるとは思うのですが・・・

540:人間七七四年
11/06/02 14:50:29.82 s+cdPj0G
回答ありがとうございます
いくら交渉しても戦国の世に軽武装で他国の領土を旅行するのは不安な気はしますが…
かなり散財したらしいから財物も多量に携帯してただろうし
なんだかんだで足利幕府の威光はまだまだ健在だったという事かな

541:人間七七四年
11/06/02 15:05:50.20 1buKfsAh
幕府だけじゃなく六角や本願寺等にも根回ししている
ぷらっと行って帰ってきたと言うわけではなく一大事業であったわけ

542:人間七七四年
11/06/02 18:29:08.93 pUmYeIQg
>>535
飢餓祭?意味不明
身長の話はリンクにあるのでは?
>>536>>539
日本海を船で敦賀まで行ったから北陸道使わず安全。
あとは事前に話を通してあるから
各地の大名から通達が出てて通行の安全や馳走(宿泊の準備とか)もしてもらってるのが普通。
将軍や天皇に挨拶すると言う理由なら普通は邪魔しない。
>>537>>538
信長公記の翻訳出版した角川が第一級の史料に値すると自賛したから素人歴史マニアが誤解するようになっただけで
信長公記はデタラメが多い。
ただ謙信が死んだ辺りからは年号も正確になってきてるから参考史料にはできるようになる。
>>540>>541
記憶が定かじゃないけど伊勢神宮に参拝したいから道中の便宜お願いしますって奥羽から出かけた話もあったような。

543:人間七七四年
11/06/02 19:09:59.83 1buKfsAh
>>542
島津家久が伊勢神宮に参拝ついでに京見物して明智光秀に接待されたり
その話は分からないが、その手の話はいくらでもあると思う。
幕府の力が衰えて群雄割拠になったとはいえ、別に日本が無法地帯になったわけじゃないからな

544:人間七七四年
11/06/02 19:25:24.68 WiUaHE1s
昔は身分隠して行動してたと思ってたけど、それだと逆に変なのに襲われて危ないよね
どっちみち京の都に行けば将軍や帝にあいさつして貢物を渡さないといけない
やっぱりお忍びとかじゃなくて、ちゃんと話を通して堂々と上洛してたんだろうか

545:人間七七四年
11/06/02 19:29:11.33 jDE22Ux0
大内って室町時代に何度も地方から軍を伴って上洛しているよな。
応永の乱や応仁の乱では中心的に暴れまわっているし、
足利義稙擁立の時も上洛している。
管領でも四職でもないのに中央志向が極端に強い一族だよな。

546:人間七七四年
11/06/02 19:37:36.91 pUmYeIQg
大内は細川と貿易利権で争ってばっかだからね。

547:人間七七四年
11/06/02 19:41:34.01 S3XG2Pvh
そういえば島津家久が帰国した後、入れ替わりで歳久も上洛してたのはあんま知られてないよね

548:人間七七四年
11/06/03 00:16:29.66 Io+4pa7T
桶狭間のときの信長の勢力について質問です。
今川勢25000に対して、織田勢は3000人くらいの動員兵力
だったして
1万石に対して200~300人動員できたとすると
信長の勢力は10~15万石

尾張藩が61万石の表高でしたので、それを参考にすると
当時の信長は尾張うち、多く見積もっても1/4くらいしか
支配できていなかったと思ったのですが、どうでしょうか?

いい線言っていると我ながら思うんですけど、つっこみあったら
お願いします

549:人間七七四年
11/06/03 01:36:32.83 DoKn+9f0
前提としている兵数の正しいかどうかがまず分からん。
前提が間違ってれば答えなんか出ないってのはわかるな?

550:人間七七四年
11/06/03 09:21:59.54 rp4E/emS
戦国時代の時の外国の呼び名を教えてください
アニメ へうげもの で信長が「明、ホクテキ、セジュウ、南蛮を落とし~~」
とか言っていますがホクテキとセジュウってどこのことですか?
他にも分かる国や地名があったら教えてください。
あと下記の知識はあってるでしょうか?

中国      明(みん)
韓国&北朝鮮  朝鮮(ちょうせん)
インド     インド(現代と呼び方同じ?)
イギリス    エゲレス
スペイン    イスパニア
ポルトガル   南蛮(なんばん)(ただしヨーロッパ全体を指す事もあり)
オランダ    オランダ(現代と呼び方同じ?)


551:人間七七四年
11/06/03 09:27:55.44 6mJBbxJC
>>548
その計算式を今川に当てはめて、天正でも慶長でもいいから
駿遠三の石高合計と見比べてもう一度考えてみたら?

552:人間七七四年
11/06/03 10:26:33.83 22gNDs48
>>548
>信長の勢力は10~15万石

父信秀のころに既にこのくらいの勢力。
伊勢湾交易からの上がりを加えればもっといく。
それとここ↓

>尾張藩が61万石の表高

尾張『藩』は領地に美濃、信濃、三河の一部を含めてるから尾張一国では47万石くらい。

553:人間七七四年
11/06/03 11:18:02.37 rLKH/cDh
>>550
北てき・・・モンゴル
西戎(せいじゅう)・・・チベット

ついでに言うと
明、北てき、西戎、南蛮
と言ってるなら、この場合の南蛮はヨーロッパではなく東南アジアのことを指す

554:人間七七四年
11/06/03 11:18:43.59 PVPHlQ2+
>>550
北狄、西戎は東夷、南蛮と合わせて古代の中華から見た四方の蛮族の事。戦国時代に
何処を指してたかは知らん。ヨーロッパ人は南のフィリピンとかインドネシアとか経由で来る
んで南蛮と呼ばれた。

インドは天竺(てんじく)と呼ぶ。いわゆる『三国一の花嫁』という時の三国は日本と中国と天竺の事。
オランダは和蘭陀。これはホラントに由来するがホントの国名はネーデルランドだから覚えといて。

555:人間七七四年
11/06/03 16:32:47.35 cwpUwA2J
>>550
明や朝鮮は王朝の名前であって、
現在の中国・朝鮮に当たる地域を呼ぶときには
唐(カラ)とか高麗(コマ)の方が使われてたんじゃないか

556:人間七七四年
11/06/03 17:48:17.30 1RmGdy6t
>>551
今川の場合は、尾張を落とせる分収入が増えると見込めるし
その勝ち馬に乗りたい勢力もそちらにつくから
支配する石高以上の動員出来ると思うけど

557:人間七七四年
11/06/03 18:49:34.83 rp4E/emS
>>555
あれ? 唐も王朝の名前だけど唐滅亡後も中国を指す言葉として用いられたっていうふうに聞いたんだけど違うの?
(ウェブ漫画の注釈書きに書いてた)

高麗ってコウライって読むんだと思ってたけど当時はコマだったの? コウライって平成での読み方?

558:人間七七四年
11/06/03 18:56:51.65 yqYDn3UM
>>557
西方では唐王朝の滅亡後も中国本土のことを長いこと「タウガチュ(唐朝)」と呼んでいるな。

559:人間七七四年
11/06/03 19:08:39.13 dw86+cjs
>>548
石高はあくまでも目安。
大抵の国人は敗色濃厚な方には付きたくないものでしょ。

560:人間七七四年
11/06/03 19:11:40.16 LpO8x5Od
そもそも信長はその末期になってすら、石高(貫高)による軍役制度を導入できずに終わった

561:人間七七四年
11/06/03 22:33:40.89 W8ZLu8ni
急激に支配地を増やしたからな。
あと石高=兵力ではなくGDPと思った方がいい。


562:人間七七四年
11/06/03 22:42:42.18 mJVgROXC
信長は統治することをせず従う国人に次々に軍役をかけて休まず戦わせただけ
だから秀吉みたいに算学ができる者がトップに立つと
武が文を軽視する風潮が薄れ輸送力が組織化する。
今までの織田軍は軍団制で派遣され
あちこちで次々と敵を作ってまわり
各国で現地食料調達方式のために
大軍集中で敵を潰す方式が不可能だった。
言わば兵を喰わせていくために戦略無く無計画に敵を作り侵略を繰り返していたのが織田軍。
秀吉時代は輸送概念が生まれ、必要に応じて敵を絞って戦略集中の遠征が可能になった。
だから時間を浪費し殺戮大会をやっていた信長と違い
効率的運用であっという間に西国をくだして家康を上洛させ土下座させた。
朝鮮出兵が可能になったのも秀吉の文武両道さが理由。

563:人間七七四年
11/06/04 00:06:10.29 3K/3Uetl
いいから巣に帰れ

564:人間七七四年
11/06/04 00:34:10.84 rwHfK+J2
東北に目を向けてみると安東が6000の兵を動員したり
南部が10000を動員したとある。共に石高は糞みたいな数字だが
このことからも石高で兵の動員数を語るのはナンセンスと言わざるを得ない。
兵力を語る上で大事なのはその土地への支配力。

565:人間七七四年
11/06/04 00:44:07.19 3K/3Uetl
その動員数は信頼できるのか?からだろ

566:人間七七四年
11/06/04 00:53:35.97 qe5gum2f
>>564
それ奥羽永慶軍記とかの記述だろw

567:人間七七四年
11/06/04 01:02:31.07 aISMjbHe
>>565
んなこと言い出したら何も語れないだろ。お前こそ巣に帰れ

568:人間七七四年
11/06/04 09:15:50.46 8VPdk5t3
>>557
だから555も唐と書いて『から』と読んでるんだろう。王朝名としては『とう』だが、唐王朝に限定しない
中国を指す時は『から』と読む。秀吉の明遠征も『唐入り』だし。

高麗も王朝名としては『こうらい』だが、王朝名を離れた和訓では『こま』とも読まれる。

569:人間七七四年
11/06/04 12:23:34.32 J0Q0Qxsf
漢字は同じでも読み方で王朝名か国名か分けてたのか、情報感謝

570:人間七七四年
11/06/04 13:57:28.88 5Dg63WT4
幼名を名付ける場合、信玄の子達のように太郎、二郎、三郎と
1つの名前をつけるのは理解できるけど、対して二郎三郎や四郎三郎と
いった2つの名前を1つにして名付けるケースがとても多い。
この2つの名前を1つにして名付けることはどういう意味あいがあるのですか?

571:人間七七四年
11/06/04 14:13:22.61 J0Q0Qxsf
意味はないかもしれません

というのも生まれた順に一郎、次郎、三郎とつけるという価値観は近代のモノであって
中世日本においては名前に使う漢数字と生まれた順はなんの関連性も無く
長男に次郎や三郎とつける場合も普通にあって当時の人達からすればただの名前は名前でそれ以上でも以下でもない
ヒロシやケンタと同じ普通の名前です
(信玄は生まれた順ですがそれは信玄がたまたま関連付けただけでソレが普通だったわけではない)

だから次郎三郎さんに「なんで次郎と三郎両方ついてるの?」と聞くのは、
健太郎さんに「なんで健太と太郎くっついたみたいな名前してんの?」と聞くようなもので
本人からすれば「いや、次郎三郎は次郎三郎って名前で別に二つつけたわけじゃないんだけど」
となるのではないでしょうか?
間違ってたらすいません

572:人間七七四年
11/06/04 14:43:27.42 3K/3Uetl
二郎三郎というのは、基本的には次男(父)の三男(子)という意味です。
名前を重ねた理由は、一郎、次郎と名乗るのが慣例で分家が多いは親戚中が
同じ名前だらけになってしまうので分かりやすくした場合や
次男である二郎が家祖だったり著名人だったりで名を残したかった等が考えられます
また通称や幼名は代々受け継ぐ習慣もあったので家祖が二郎三郎と名乗っていた場合は
子孫は長男の嫡男なのに代々二郎三郎と名乗ったりもします。


573:人間七七四年
11/06/04 14:58:54.80 AJLsLx8m
次郎が当主になってる家なら
代々の当主予定者が次郎だったのがわかる。
後世の人も兄弟のうち嫡男扱いされていたのが誰だかわかるんだよ。
逆にその法則から外れている場合は
謀反や早世などが疑われる。
勝頼なんてまさに嫡男予定者じゃなかった。

574:人間七七四年
11/06/04 16:08:14.81 lNvbYMYM
二郎さんが早くに亡くなってしまい、その後生まれた三郎さんには二郎さんの分まで生きて欲しいと願いを込めて二郎三郎とつけるケースもあったみたい。

575:人間七七四年
11/06/04 16:22:44.66 DPVS9A7s
鎌倉期くらいまでは排行名といって、財産相続権の順番に
「太郎、次郎、三郎、四郎…」(女子なら姉子、二子、三子、四子…)
となっていたが、鎌倉末~南北朝期くらいに、社会全体で旧来のルールによる相続の行き詰まりや
社会の騒乱状況から、基本嫡男相続に変化し、排行名は使われなくなった。

576:人間七七四年
11/06/04 18:23:22.31 1BunV23O
>>571-575
返答ありがとうございます

象徴的な意味合いだけでなくそれぞれの家の事情によって変化したんですね
次男の三男だから二郎三郎だったり
それに分家が多いから区別のためにというのも納得です

577:人間七七四年
11/06/04 19:05:22.32 Hiiwdl8o
>>534
そう清水克行氏の本。

平均身長は鈴木尚氏
URLリンク(ja.wikipedia.org)

578:人間七七四年
11/06/04 19:58:21.72 Vj2OdUJJ
その、くっついた名前の人ってたくさんいるのかな

徳川次郎三郎家康
茶屋四郎次郎

くらいしか思い浮かばない

579:人間七七四年
11/06/04 20:23:37.49 XYJEkVkn
「ゑニコニコちゃわん」ってなんぞ?

580:人間七七四年
11/06/04 22:24:57.96 JDdOj8zM
>>578
織田三郎五郎信広

581:人間七七四年
11/06/05 00:51:32.71 vKLLrMTc
>>578
戸沢九郎五郎政盛、最上太郎四郎家親、国分五郎次郎盛氏、河田九郎次郎重親、
大宝寺四郎次郎義氏、大宝寺四郎次郎義勝、岩城二郎太郎重隆、岩城四郎次郎貞隆、
岩城四郎次郎宣隆、岩城四郎次郎吉隆、真里谷八郎五郎信清、真里谷八郎五郎信応、
武田六郎次郎信豊、甘利三郎四郎信景、勝沼次郎五郎信友、真田次郎三郎幸隆、
三木四郎次郎良頼、松平十郎三郎康孝、小笠原十郎三郎信嶺、阿部四郎五郎忠政、
渡辺次郎四郎氏綱、遠藤三郎四郎慶隆、遠藤三郎四郎慶勝、織田三郎五郎信広、
織田三郎四郎信衡、明智二郎四郎光忠、香川五郎次郎之景、香川五郎次郎親和、
池田三郎五郎信正、池田八郎三郎勝正、有馬九郎三郎則頼、有馬四郎次郎則氏、
尼子三郎四郎晴久、尼子三郎四郎義久、赤穴九郎太郎光清、吉川次郎三郎経基、
吉川次郎三郎国経、吉川次郎三郎元経、吉川次郎三郎興経、吉川次郎五郎広家、
龍造寺六郎次郎周家、龍造寺六郎次郎長信、伊東六郎五郎祐兵、相良四郎太郎義陽、
相良四郎次郎頼房、肝付三郎四郎兼護、島津三郎太郎実久、島津三郎太郎義虎、
島津三郎四郎忠隣、新納次郎四郎忠元、喜入三郎四郎季久

582:人間七七四年
11/06/05 04:15:59.72 w7EhkbAw
演芸場の出演一覧かいな

583:人間七七四年
11/06/05 09:46:39.97 PYFJLOIO
太平三郎四郎

584:人間七七四年
11/06/05 21:37:11.44 5Vd2j4kV
長宗 我部元親

585:人間七七四年
11/06/05 23:42:25.61 Ojmldvqp
中国は春秋戦国時代において食客を抱えるということが
ブームになっていたと言いますが
日本の戦国時代ではあまり聞かないのはどうしてでしょう?
確かに役に立たなければ単なるごく潰しに過ぎませんが
大名の財力や権威を示すという意味では普通に発生しそうな気もするのですが。

586:人間七七四年
11/06/06 00:10:43.36 l2KWx7BE
>>585
食客とは言わないけど客将とかよくあるんじゃない。

587:人間七七四年
11/06/06 00:24:27.80 sajkXiT1
働かず者食うべからずという考えが強かったとかかな。

588:人間七七四年
11/06/06 00:28:30.30 ZZpxC4oJ
武士と言う名の私兵が大量に居るのに
食客と言う名の私兵を区別した上で別に養う意味が分からない

589:人間七七四年
11/06/06 00:29:12.33 1VzcmvIF
戦国大名も一応同じ職種を雇ってたよ、食客みたいなスマートなやり方じゃなく
露骨に坊主や忍者として抱えてたけど

590:人間七七四年
11/06/06 02:51:45.22 GKQLRO5O
>>585
大内は客の公家や相良がでしゃばって滅んだなあ

591:人間七七四年
11/06/06 14:19:29.43 RMBhPoKh
中国戦国時代の公子らのあれは暗殺から身を守る為に雇ってた一芸に秀でた輩なだけ。
はっきりいってその遊び人たちの生活を支える貧民が可哀想レベル。
単なる無駄な浪費に近いし公子の趣味が反映された採用基準。
食客3000人とかバカバカしい。
しかも食客で歴史に名を残すほど役にたったのはわずかだし
それもかなり講談臭が激しい。
孟嘗君とかアホ過ぎ。

592:人間七七四年
11/06/06 17:18:18.79 +8pDCe54
食客ってのは私兵でもあるけど、基本的には諜報員だからね
趣味や見栄じゃなく、高位の貴族にとって必要不可欠な人員

593:人間七七四年
11/06/06 18:13:13.64 4DVT0ReI
普通に考えたら、日本の方が中国よりも「家」が重んじられ、
結社だのパンだのといった横の関係は比較的軽視されたからじゃないの?
家紋というものは、日本とヨーロッパにしかないしな。

594:人間七七四年
11/06/06 18:59:18.64 1VzcmvIF
というより、食客を担えるだけの人材が多くなかったから
忍者や僧侶や修験者や商人などが食客よりも貴重な存在として扱われた。

595:人間七七四年
11/06/06 19:06:11.28 j6NsOZSB
寺社建てたり寄進したりして集まるようにしてるな

596:人間七七四年
11/06/06 19:44:30.33 ikPMXndP
>>593
> 普通に考えたら、日本の方が中国よりも「家」が重んじられ、

んなわけねーだろ。どう考えたっていつの時代も中国のほうが家や家格を重視してる。
中華の結社やパンを過大視しないほうがいい。

597:人間七七四年
11/06/06 20:09:54.21 RMBhPoKh
日本と違い中国や韓国は先祖代々の家系図を持ってるし名字が少ないのも
韓国で偽家系図作りしてみんな両班の子孫になっているのも家柄が重視されてるからだよ。
日本は一家庭レベルで姓を捏造した家系図を家系図業者に作成依頼しなくても就職差別されない。


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