【直家】備前宇喜多氏を語るスレ 2【秀家】at SENGOKU
【直家】備前宇喜多氏を語るスレ 2【秀家】 - 暇つぶし2ch2:人間七七四年
10/11/11 00:40:31 puKvspFJ
>>1
..__
│宇┃
│喜┃  ●
│多┃◆山◆
│直┃(   .)
│家┣(   つ◇.
  ̄ ̄      ;∵ パラパラ
        旦旦旦
    __
    ┃兒│
  ●┃兒│
◆岡◆ ̄
(・∀・;)∫ < >>1殿、ご苦労じゃ。粗茶ですが。ささ、かけつけ三杯w
( つ旦旦旦   


3:人間七七四年
10/11/16 12:12:36 CFUtcp1U
通字は「家」だったけど、秀家が豊家の猶子になってからは「秀」が通字に変わったの?

4:人間七七四年
10/11/16 12:26:03 1bo331D+
>>3
「秀」は通字じゃなくて「偏諱」。覚えとけ。

5:人間七七四年
10/11/16 17:11:50 CZXL5neH
>>3
ちなみに偏諱は偉い人の許可を受けてその個人が使えるだけで勝手に子供に付けたりは出来んだろう。

6:人間七七四年
10/11/16 18:42:57 CFUtcp1U
>>4-5
秀家の子が「秀隆(秀隆)」や「秀継」だったりするのですが……。
岡山城400年記念の時に宗家当主が「秀臣」氏だったりとか。

7:人間七七四年
10/11/16 20:27:22 1bo331D+
>>6
秀隆はやはり秀吉からの偏諱。秀継の場合はおそらくこれを名乗った当時既に豊臣家は
滅びており、秀の字を使うことに禁忌は存在しなかった。

現代のご子孫は明治後に通字として秀の字を使い始めたのだろう。

8:人間七七四年
10/11/16 20:46:57 3V1/2A6m
直家は何種類ぐらい暗殺をやったんですか
銃殺は聞いてるけど

9:人間七七四年
10/11/17 00:01:55 d4aiACqi
秀隆や秀継の後が不明だが、そう見ていくと秀家が通字を変更した可能性も否定出来ないな。

10:人間七七四年
10/11/17 18:07:00 axgskoca
コテハンの宇喜多直家信者なら、知ってそうな気がする。

11:人間七七四年
10/11/17 18:28:10 dYceaNm8
戦国の梟雄といわれた宇喜多和泉守直家が外交政策により、織田信長から三備を安堵された。
にも関わらず宇喜多中納言秀家はひたすら華美をこのみ家政を疎かにし、浮田左京亮、花房志摩、戸川達安ら重臣の離反を招き、

12:人間七七四年
10/11/17 18:33:45 c1TaH0Va
ひたすら衆道に走ったのであった
↓は嘘

13:人間七七四年
10/11/17 19:27:28 ykLg38cC
秀家は朝鮮で総大将を務め相手をフルボッコ
関ヶ原でも西軍総大将で福島をフルボッコ
戦闘能力は抜群であろう
誰が相手でも決して臆せず
まさに豊臣の御曹司に相応しい凛々しさ武士らしさ



14:人間七七四年
10/11/17 19:29:48 LzwmEClM
まぁどっちも結局は負けてるから
武運はないけどな

15:人間七七四年
10/11/17 19:37:10 UhoQ+cdz
> 関ヶ原でも西軍総大将で福島をフルボッコ

壊滅させてから言えや。逆に言えば福島一隊すら攻めあぐねたってことだ。

16:人間七七四年
10/11/18 07:05:24 CUh3C215
いや、誰だったか忘れたけど東軍の加勢が有ってやっと福島は持ちこたえる事が出来た。
それが無かったら壊滅してた。

17:人間七七四年
10/11/18 14:05:16 5t3jhdsj
>>8
義父の城で直接義父を斬り殺し、城を乗っ取る。
そのついでに祖父の敵をおびき寄せ、殺害。

衆道の気のある敵城主の元に美少年を送り込み、暗殺させる。

縁組→暗殺、縁組暗殺を連発。

射殺はレアケース。

18:人間七七四年
10/11/18 14:06:36 5t3jhdsj
と、だまし討ちを繰り返しては、嫁が自害したり、娘が消えたり、まあ弟の忠家さんもさぞお兄様が怖かったことでしょう。

19:人間七七四年
10/11/19 10:06:00 9xyO6vtb
初めから暗殺や攻め滅ぼすつもりで
縁組してたわけじゃないと思うけどな

20:人間七七四年
10/11/19 10:23:14 4a5suRdh
縁組してみたら何故か殺りたくなりました不思議

21:人間七七四年
10/11/19 16:57:51 ZV+Nx3cv
魔がさすと暗殺。

22:人間七七四年
10/11/22 17:22:13 hdMwdnf1
以前、戦国武将のイラスト展に行った時、
俺の近くにいた一団のじいさんが秀家のイラストを指差して
「こいつが裏切ったんだよなぁ~」と得意気に言っていた。
すると隣のおばさんが「ああ、TVでやってたわねえ~」と相槌を打ち、
他のおばさんも「後々まで言われちゃうわね(笑)」と応じていた。

談笑しつつ遠ざかっていく一団を生暖かい目で見送りながら俺は、
きっと泉下の秀家公も、このじいさんに恥を掻かせるには忍びない、言わせておけ
と苦笑しておられるに違いないと思ったのだった

23:人間七七四年
10/12/09 06:57:11 WzpxlY5m
>>13
秀家は典型的なピュロスタイプだな。
戦って敗れる事はないが、勝っても勝っても得るものが少なく
最終的に負けちゃうタイプ。
直家みたく、子供の頃に苦労してたら化けてたかもしれないね。

24:人間七七四年
10/12/10 12:44:19 au+8Tp32
>>16
秀家の布陣周りに援軍出せる様な軍はあったっけ?
明石が頑張ってたってのは知ってるが。
もっとも、三成陣営が午前10時頃には危なかったらしいから、ぎりぎりの頑張り
だったんだろうけど。

25:人間七七四年
10/12/10 13:30:18 qXjRDN7+
関ヶ原の福島隊って何も考えずに宇喜多隊に突撃しては
鉄砲の弾を雨あられと撃ち込まれて撃退され
それでも懲りずに突撃しては撃退されの繰り返しだよね。
小西隊が早々に崩れて、小西隊を攻撃してた東軍部隊が
宇喜多隊攻撃に回ってなかったらマジで壊滅してたと思う。
明石が強いっていうか、福島が弱すぎるって印象。

26:人間七七四年
10/12/10 16:25:49 foyko2Hw
つくづくお家騒動が悔やまれるな
宇喜多家の武闘派軍団が抜けちゃって残ったのは明石と武蔵のみ
それでも福島をメタメタにしたわけだし意地は見せたか。

27:人間七七四年
10/12/22 23:05:34 DhZ8vpxj
渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房(2011年1月10日刊行予定/定価3,000円・税別)

ってのが出るみたい。

28:人間七七四年
10/12/23 17:40:11 +MmjgWbh
>>25
地形が圧倒的に秀家有利だからな
福島側は背後前後に味方がいて自由に立ち回りが出来ない状況で
正面対峙するしかなかった
人数に勝る秀家隊が福島隊を崩せなかったのは残念

29:人間七七四年
10/12/29 17:10:35 kOLu+pPm
千原ジュニアの前世だそうで

30:人間七七四年
10/12/30 09:20:11 41m2HlvQ
>>29
「えー!?」とは思ったが、意外に適役の部類かもな
あと、この時もそうだったが、何故か裏切った小早川とよく間違えられる秀家さん・・・

31:人間七七四年
10/12/30 23:05:26 KRVBs4wJ
小早川というと裏切り者と言われる小早川隆景もアワレ

32:人間七七四年
10/12/31 03:34:12 IsOdGpsM
>>25
石田対黒田細川

大谷対藤堂京極

小西対田中織田


宇喜多さんはというと
宇喜多対福島伊井本多田中織田(+徳川予備兵力)

福島追撃に突出したら突出した部隊が逆に半包囲殲滅されかねない。

更に追撃にだした分本隊が戦力低下する分、既に半包囲されつつある本隊の戦線の維持が困難。


福島の突出を撃退する→宇喜多は追撃出来ない→福島が後方で部隊を再編成する→最初に戻る

福島は追撃出来れば殺れるけど状況が悪すぎる。
小早川は兎も角、南宮山勢と小西がしっかりしてくれんと福島は打ち取れない。


33:人間七七四年
10/12/31 07:14:33 ZDDfHZJL
このスレの方々に聴きたいんだが
宇喜多直家は悪人?それとも性格に穢れのない良い人?

34:人間七七四年
10/12/31 07:24:35 XkGdA9oy
梟雄

35:人間七七四年
10/12/31 07:53:28 b4QAFjaD
人の個別行為はともかく、人格の善悪はそんな明確に
決められないし、性格が穢れているかどうとかは論外。

そもそも性格の穢れって何?。

36:人間七七四年
10/12/31 08:56:14 gbJQFV92
直家は何時代にいても悪人だろ
縄文弥生でも

37:人間七七四年
10/12/31 09:05:05 ZDDfHZJL
じゃあ、これについてどう思う?

207 名前:人間七七四年[]
島村盛実←祖父・能家の仇討ちだし浦上宗景の許可を得ている。
中山信正←浦上宗景の命令
穝所元常←岡郷介が勝手にやっている(乞食女を母親にしたとかトンデモ話)
三村家親←遠藤兄弟が申し出てきたが直家は成功するとはまったく思っていなかったし、成功後もしばらく信じなかった。
金光宗高←毛利氏と内通。2人の息子は厚遇され関ヶ原まで忠節を尽くしている。
松田元賢←明禅寺合戦の際に援軍を出さないでシカト。元賢と伊賀久隆が対立し久隆が挙兵したので援軍だしただけ。

38:人間七七四年
10/12/31 10:04:21 IbBpCluX
直家はよく毛利元就になれなかった男と言われてるけどね
似たタイプだったんじゃない?

39:人間七七四年
10/12/31 10:05:12 gbJQFV92
宗景なんて傀儡だし、他のも勝者の後付けですな

40:人間七七四年
10/12/31 10:31:55 Ny9El/nH
>>37
娘婿の後藤勝基や浦上宗辰
妹の夫の伊賀久隆
幼い浦上久松丸とかもっといっぱい殺ってるよ

41:人間七七四年
10/12/31 15:46:31 b4QAFjaD
後藤勝基←織田方への内通者への歴とした武力制裁だ。
浦上宗辰←たまたま食中毒。
伊賀久隆←備中境で毛利氏に内通の疑い。
浦上久松丸←実はいつ死んだかも分からない。
      多分織田方へ傾倒したから。 

実は直家君が悪いのではなく、みんなが勝手に悪い
方向に走っていってしまってるだけです。
よっしゃこい(笑)。

42:人間七七四年
10/12/31 21:12:24 1ztYWfv0
池田家が家臣に先祖の由来を提出させた際、岡剛介の子孫は竜の口城下を
流れる旭川の川湊を放火して荒らしていたら穝所が降りてきて乱戦に
なり討ち取ったことになってるね。

43:人間七七四年
11/01/01 22:19:53 UCxpbQMy
つか、マジでそんなに暗殺ばっかりしてたんならのこのこ信用してやられちゃう奴もいなくなりそうなんだけどどうなのよ?

44:人間七七四年
11/01/02 00:33:42 PfQX6WH9
安心と信頼と実績の宇喜多

45:人間七七四年
11/01/02 00:42:11 1GUVMoUE
アンチ宇喜多の超毛利厨が他スレで大敗して
宇喜多スレに助けを求めてコピペとかワロタwww
むかし大友スレでも他人のフリして超毛利厨が質問しまくってたの思い出すわw
さらに三戦板や日本史スレでも素人のフリして
同じ質問しまくってたからさらに笑えたなw

46:人間七七四年
11/01/02 01:26:12 7zrTzSCJ
秀家公ってなんで関ヶ原で負けたあと岡山城に籠城しなかったんだろ・・・
死ぬ気で抵抗すれば15万石ぐらいで生き残ったろ・・・

47:人間七七四年
11/01/02 01:37:20 ecGlUiXJ
>>46
島津と違って家康が大阪城から号令して西国諸大名に囲ませたら保たんだろ。
全体としては戦後処理で忙しいけど、なかには手柄立てるチャンスを狙ってるやつも居る筈。

48:人間七七四年
11/01/02 01:52:50 L8eaCEQL
毛利が究極のヘタレで
存続のためなら喜んで岡山城を囲むのが明らかだったから

49:人間七七四年
11/01/02 11:49:16 hmwjN7SA
家の存続の為に他を攻めるのがヘタレって…
潰されたら家来が路頭に迷うだろ

50:人間七七四年
11/01/02 13:42:11 1GUVMoUE
毛利が大坂城籠城すればまだまだ勝機があったのに家康の口先の大嘘に騙されてヘタレたじゃんw
しかも関ヶ原敗北も家康に騙された吉川が戦犯で100%毛利だけの責任だし。

51:人間七七四年
11/01/02 15:32:16 Rt9TuWCv
秀家は徳川嫌い
家康は宇喜多嫌い

秀家のいとこかなんかは改名させられたし
家康死後、大名復帰の話があったようだが秀家は蹴ったという話がある

52:人間七七四年
11/01/02 23:29:39 PfQX6WH9
主戦場に居ない総大将ってだけでもう…ねえ

53:人間七七四年
11/01/03 17:57:28 UbTLbaUH
大名復帰の話は家康死後でしょ・・・

54:人間七七四年
11/01/04 16:17:28 760ZNTnH
家康死後って書いてあるじゃん

55:人間七七四年
11/01/08 01:11:57 ToPlwLO2
宇喜多直家・秀家  西国進発の魁とならん

智謀の直家、信義の秀家、乱世に輝いた宇喜多家の興亡。
一介の土豪から知略の限りを尽くして備前・美作を支配するまでに成長し、
後に「戦国の梟雄」とも言われた直家。秀吉の寵愛のもとに成長し、五大老の一人として
豊臣政権を支えようとした秀家。対照的な父子の実像を初めて解明する。

[ここがポイント]
◎直家の「戦国の梟雄(きょうゆう)」というイメージの克服をめざす
◎一次史料を用いて、いまだ謎が多い宇喜多氏の実像を明らかにする
URLリンク(www.minervashobo.co.jp)

56:人間七七四年
11/01/09 03:06:58 jQvW2kUk
>>イメージの克服をめざす

おお!すばらしいです。

57:人間七七四年
11/01/09 21:36:10 3OYJJgJN
読んだが生煮えでいまひとつだったなあ。

58:人間七七四年
11/01/10 02:44:24 WDSk4Uv5
>>9
記憶曖昧だけれども、秀家からの直系はたしか秀高→秀正?→秀親だったと思う。
秀家から九代目の秀邑さんで、現当主が秀臣さんだから、当主は「秀」の字になってるね。

59:人間七七四年
11/01/16 04:01:00 7l4B4kal
幕末の時は巨家じゃない?

60:人間七七四年
11/01/16 04:17:15 FAKBsmSq
秀家の末裔って豪姫の子孫でもあるよね? なんかすごいな

61:人間七七四年
11/01/16 19:10:47 w99rixxm
秀家は八丈島でせっせと子作りに励んだから、秀家の子孫だからといって
必ずしも豪姫の子孫とは限らない。

62:人間七七四年
11/01/17 09:45:13 UGRJdrcA
>>57
何か目新しい説は取り上げられてた?

63:人間七七四年
11/01/20 18:09:57 Go2tBGq4
>>62
特にないですよ。
今まで出た論文等読んでいたら3000円も出す価値はないと思う。
何より煽り文句の
直家の「戦国の梟雄というイメージの克服をめざす
一次史料を用いて、いまだ謎が多い宇喜多氏の実像を明らかにする
を期待してただけに…


64:人間七七四年
11/01/21 09:23:16 5YKxOZKI
宇喜多直家は岩倉具視タイプの謀略家と思われがちだが
軍事的能力はそこそこあったみたいだな。


65:人間七七四年
11/01/21 10:01:00 7BWd60jK
>>64
それはおいらも強く主張したい!
たぶん司馬遼太郎先生が宇喜多直家はまともな戦闘は一度もせずに策略だけで
どうのこうのって言ったのが定説になっちゃったんだろうけど、戦に弱くて成功した武将はいない
宇喜多直家もあの小早川隆景をなんども撃退してる 十分強い

66:人間七七四年
11/01/21 11:21:27 iaYkFoS0
直家の弟の宇喜多忠家が軍事では頑張ってた印象
上月城の戦いの宇喜多軍の総大将やったり
直家が病床に伏してから忠家が指揮し毛利との戦にも奮闘
辛川合戦、虎倉合戦は毛利軍に勝利してる
忍山合戦、八浜合戦では息子基家、一族の浮田源五兵衛、孫四郎父子を討たれもしてるから
かなり厳しい戦いだったのだろうけど秀吉の軍が来るまで頑張ってる

67:人間七七四年
11/01/21 12:21:31 5YKxOZKI
なるほど。頼朝・義経と同じパターンかも。

68:人間七七四年
11/01/21 15:10:57 JG/ftNX1
ちょっと影の薄い春家さん(泣)。

69:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
11/01/22 02:06:05 mhmbmvlq
名のある三兄弟の次男は影が薄くないといけないお約束でもあるのだろうか。
吉川とか吉良とか実休さんとか典厩さんとか。

70:人間七七四年
11/01/22 12:26:30 q6+23Z/C
元春は隆元より有名だろう

71:人間七七四年
11/01/23 10:51:31 JKkFBA+p
だいたいの家で次男のくせにでしゃばったら即お家騒動だわ

72:人間七七四年
11/01/23 20:14:03 fNhjmzpz
いわんや分家をや
分家がでしゃばって大阪屋敷に立て篭もってもお家騒動ですわ

73:人間七七四年
11/01/25 09:03:48 YmGVUP3e
いわんや正室の付き人をや
付き人がでしゃばって古参の上に立とうとしてもお家騒動ですわ

74:人間七七四年
11/01/25 09:59:22 cpIwl/dh
中村次郎兵衛は前田家から来た人間じゃなくて
騒動で宇喜多を出て前田家に仕えるようになっただけの人らしいと大西さんの本で読んだなぁ

75:73
11/01/26 01:50:21 UTVfXiTe
>>74
なるほど…そういう説もあるのか
勉強になった

76:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
11/01/26 01:54:25 m2wrHQtI
>吉川とか吉良とか実休さんとか典厩さんとか。

こう書いたのは、春家が養子に出されていないから。

77:人間七七四年
11/01/26 07:56:07 1wNMiBMG
そういや宇喜多騒動って本当の発生理由はよくわかってないんだよね?
一体何があったのか?

78:人間七七四年
11/01/26 11:39:04 ucU4ym+3
内容は知らないけど最近も岡山地方史研究会で宇喜多騒動に関する研究発表あったようだね

79:人間七七四年
11/01/26 12:54:01 6v3/ziR7
>>77
検地

80:人間七七四年
11/01/30 17:53:53 gY2CcW4k
あほみたいに宣伝コピペされてる本買っちゃったけどフツーのサイズの
本なのに3000円以上するのは高いぜ~~~
ちょっとおすすめはできないな

81:人間七七四年
11/01/30 20:12:16 SYoA8XLe
図書館に要望して買ってもらうとよい。

82:人間七七四年
11/01/30 21:30:11 rcj91k6K
備前軍記の内容+αで岡山戦国を名乗る本を千円ちょっとで買うよりはお得

83:人間七七四年
11/01/30 23:40:16 Z9fm891x
ならどっちも買わんでええか

84:人間七七四年
11/01/31 00:33:43 CBRi7yPD
>>80
分量にもよるけど、(一応)一般向けの歴史の本なんてこれくらいが相場じゃないの?
吉川なんかで出てるような本でも大体これくらいの値段だし。

85:人間七七四年
11/01/31 00:43:44 9wwJn14o
O西さんとW邊さんって仲悪いの?

86:人間七七四年
11/01/31 16:07:09 jw2zFWK8
勝谷やたかじんに岡山県人の象徴としてこきおろされてたな
毛利はべた褒めだったのに

87:人間七七四年
11/01/31 17:53:08 4WZTQevz
岡山県といっても旧美作国と吉備国系ではだいぶ異なる。

88:人間七七四年
11/01/31 20:13:46 O8lhFhVJ
美作は備前から分けられた吉備国系のだが・・・。
吉備を三つに分けても備前の国力が大きいため、さらに備前が南北に分割された。

89:人間七七四年
11/02/01 06:43:00 WHCATFWg
>>88
> 美作は備前から分けられた吉備国系のだが・・・。

そうなんだが、ドイツとデンマークぐらいの国風の違いがある。

90:人間七七四年
11/02/01 08:48:05 UlawCEaI
超絶技巧 と 世界最速技術64ビート の融合
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

世界一位 128ビートドラム
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

400 BPM 16ビートドラム 史上初の実現
URLリンク(www.youtube.com)

91:人間七七四年
11/02/01 20:56:53 GtgKZWE3
明石全登の系譜も美作系やら備前系やら諸説あるよな

92:人間七七四年
11/02/02 00:28:52 5G9bvvi+
>>79
今更だけど宇喜多領内の検地ってそんなに揉めたの?

93:人間七七四年
11/02/02 00:33:58 xZOas0nw
まあ戦国時代の武将なんてほんとどこのもんかわからんよな
毛利家も大江広元の子孫ってのはだいぶあやしいらしい
徳川家も三河の土豪だし織田家も越前の土豪で、
織田剣神社とかいうのの神主だったらしい
宇喜多家も児島高徳の子孫子孫というところが逆にあやしい

94:人間七七四年
11/02/02 00:38:55 tKaF4vUN
>>92
宇喜多は秀家の時に領内把握しようとして相当もめてる。それが宇喜多騒動の原因になった。
後に森忠政が美作入ったときに国人一揆が起こっているところからも、宇喜多の支配が
相当ゆるいものだったことを伺わせる。

95:人間七七四年
11/02/02 01:01:58 ACOovXZK
検地で揉めるくらいだから、内紛が起きず、尚且つ関ヶ原で勝ってても、領地替え(たとえ加増でも)とかでスッタモンダしてたって事か・・・?

96:人間七七四年
11/02/02 09:00:21 DfmVS08o
検地で一揆が無かったのは武力で北条を完全降伏させた
関東入部の家康くらいなもんかね?
そもそも関ヶ原以前の毛利は厳しくやってないように見えるし。

97:人間七七四年
11/02/02 11:00:19 g86z/Mmh
>>96
徳川は後北条の領国支配術そのまま流用したんだっけ?
宇喜多も浦上のやり方を踏襲してたのかもな。

98:人間七七四年
11/02/02 16:13:26 aMn5J9yl
>>93

毛利はあやしくないと学んだが。



99:人間七七四年
11/02/02 16:14:44 aMn5J9yl
宇喜多の内政とか交易ってあまり注目されないよね。

100:人間七七四年
11/02/02 17:57:09 tKaF4vUN
>>97
徳川は関東移封前の(そして太閤検地以前の)天正17年(1589)に「五ヶ国惣検地」という
大規模検地を独自でやっている。北条もそうだが徳川も、君主支配権の確立という意味で
多の大名に先駆けて自力で近世の扉をあけていた。

>>99
宇喜多は本当に資料がない。どんな統治だったかまるで解からん。

101:人間七七四年
11/02/02 20:27:33 5G9bvvi+
>>94
直家が武力で一応の支配権を得た後は
完全に土豪、国人の上に乗っかった統治をしてたのかな?
なんかゆるゆるっぽいな

102:人間七七四年
11/02/03 01:50:46 Y+pvl/yh
直家の生前は宗景と分かれた拡大期から常に織田あるいは毛利と緊張状態にあって改革なんてしてる余裕の無い情勢で、
直家死後はひと段落ついた天正12年頃にできてれば良かったんだろうけど、当主が幼くて成長するまでは無理だったんだろうね。
そんで旧体制のまま豊臣期を過ごしてしまったため、いざ改革しようとすると容易でなかったと。

103:人間七七四年
11/02/03 01:56:09 79uf2Ojk
宇喜多直家の波乱の人生は十分大河ドラマに耐えられる
しかも最近の大河ではめずらしいハードコアなものになるだろう

104:人間七七四年
11/02/03 03:08:04 onRw78JN
いや、謀殺・暗殺もすべて噂に過ぎん、ってことにされかねん

105:人間七七四年
11/02/03 06:11:01 okBttd3t
>>102
豊臣期は事実上の豊臣一門みたいな扱いで政権内の名門・エースで秀吉の庇護下で
当主が成長したら秀吉死亡であれだもんなあ

本格的な改革前に消滅か……


大河でやるなら直家・秀家二代でして欲しいな
今の大河じゃ実現しても内容は期待出来ないが

106:人間七七四年
11/02/03 06:36:45 SSF0P1Jv
後北条五代が大河化されてからでないと
宇喜多二代や長宗我部三代はドラマ化されないと思う。

107:人間七七四年
11/02/03 10:07:12 QLm0qMkT
>>104
滝田家康の夏の陣を何度も楽しめるんですね、わかります

108:人間七七四年
11/02/03 20:48:53 qyDkrIcA
>>86
勝谷やたかじんが何か言ったの?

109:人間七七四年
11/02/03 21:10:59 X8Cu63KB
大河は短かった実験作の炎立つが変則的だったが基本的に一代記だし
殿「それなりに充実した人生だった…」
妻「こうして殿は天寿を全うして亡くなられました」
こんなお約束があるからなあ。
やはり変則的な短い実験作の花の乱が室町幕府が崩壊に向かう終わり方でまったく救われない終わり方だったし。
北条なら備中スタートの伊勢氏時代の早雲のみにするしかないだろうな。
秀家が八丈島で幸せな余生を送る終わり方で何とか描けるかだな。
まあ残念だがお隣の播磨の黒田如水に決まっちゃうだろう…福岡県からの協力も得られるし。
備前美作不憫…南無

110:人間七七四年
11/02/03 21:57:38 FS/A9y+S
>>108
チンピラゴロツキな連中が、
岡山人を馬鹿にするネタにしただけだから気にしない。

111:人間七七四年
11/02/03 22:09:34 e8X70dtl
>>109

葵三代がある。

112:人間七七四年
11/02/03 22:35:15 QLm0qMkT
酒樽を空けながら夕日をバックに「完」

113:人間七七四年
11/02/03 23:40:51 onRw78JN
>>108
山口の毛利は長年徳川に対して臥薪嘗胆でこらえてきて
明治維新を成し遂げ、多くの首相を輩出した
腹に一物を抱えた人たち

で、菅は本当に山口のひとなん?

いや、ルーツは岡山

なら、納得
岡山と言えば、宇喜多
毛利と織田を両天秤にかけて、毛利を見捨て織田に寝返ったやつら
岡山と山口は大違いですわ


と言う関ヶ原完全無視


で、その後の視聴者投書コーナーで
関ヶ原を引き合いに
豊臣に忠義を果たしたのが宇喜多
豊臣を見限って関ヶ原の敗因になったのが毛利系の吉川、小早川
と岡山人が苦情を送ったら
「で?長いんじゃ!いちいちどうでもいいことで文句言うな」
ちなみに辛抱は吉川を最後まで「よしかわ」と読み続けた



114:人間七七四年
11/02/04 03:45:21 H0i31nS2
菅が岡山出身?! まさか美作管氏の出だって言ってんの?
加賀前田家など菅原道真公の子孫と称する家は美作管氏の
庶流だと言い張ることが多いが・・・

115:人間七七四年
11/02/04 11:14:49 +ojwSB0X
つうか毛利が浮田に織田とたたかわせておきながら陰で
「浮田には毛利が弱気なのを悟られないようにするべき」と言って
浮田を見捨てて織田に講和交渉してたから直家が秀吉に本領安堵を条件に織田に降伏しただけだろ。
あのまま言ってたら浮田が三村みたいに滅亡させられた。
毛利こそ備中の三村や因幡を奪っていた武田や伯耆の南条やらに背信行為をしてると思うが。

116:人間七七四年
11/02/04 11:19:54 J/np1n0Y
>>115
おまえの「つうか」はどこにつながった言葉なのかサッパリ解からん。
感情のままに書き込んでいるのだろうがちょっと落ち着け

117:人間七七四年
11/02/04 12:45:47 bO+bzOiI
まあ・・・一度蝙蝠という世評を貰ったら、押し出されて一番人気になるきらいはあるな
隣在諸侯の不義理ぶりは、四捨五入されてゼロ、もしくは"智力"へ昇華される

118:人間七七四年
11/02/04 14:10:54 +ojwSB0X
結局、藩史で悪事の他者への責任転嫁による
藩祖の歪曲自己正当化ができたかどうかだよな。
八丈島でそれは叶うまい。

119:人間七七四年
11/02/04 16:27:41 k/i3k/M9
戸川の自己正当化が真に受けとられてるのも同じだな。

120:人間七七四年
11/02/04 16:28:04 MJ+2yLh2
宇喜多家って解放後は本性何にしたの?
三宅氏

121:人間七七四年
11/02/04 20:19:16 h/E867HQ
>>112
俺が脚本家なら、海岸の岩の上に朝日を浴びつつ仁王立ち。
やおら着物を脱ぎ捨て、褌一丁で海に飛び込み  完  だな。

122:人間七七四年
11/02/04 22:32:56 t0UjPzYV
秀家はボンボンの癖に根性ある感じで好きだけどなあ

123:人間七七四年
11/02/04 22:36:12 H0i31nS2
司馬遼太郎先生の豊臣家の一族?だったかな、あの中で秀家のみが養父の期待に
答えて全力で戦ったって評価されてたな

124:112
11/02/04 22:56:06 bO+bzOiI
>>121
いいなw 画面中央には"東映"だなw

>>123
その本読んだけど、八郎様の生き様がカッコ良すぎてたまらん

125:人間七七四年
11/02/05 00:05:08 2RLLIEeB
永禄年間の末期から浦上の家臣じゃ無かったって説が最近出てきてるな。

中央とのパイプ作りも浦上と宇喜多は別行動でやってる。

126:人間七七四年
11/02/05 00:19:10 rZFtMDgI
>>125

> 中央とのパイプ作りも浦上と宇喜多は別行動でやってる。


それは知らなかった。もうちょいくわしく。

127:人間七七四年
11/02/05 00:37:17 2RLLIEeB
まず義昭-信長政権に先に接触したのが直家。和泉守任官の交渉を独自にやってる。

森俊弘さんなんかは宇喜多家が義昭-信長政権と結んだ備前衆の盟主と見做されていたという説出してる。


一歩遅れたのが浦上だが後に挽回して備前・播磨・美作の三国支配の朱印状を信長から貰う。

128:人間七七四年
11/02/08 23:22:17 015d9xpm
詳しく知らんからアレだけど、室町期の守護代と家臣の関係って、領土安堵を根幹とした強固なモノだったの?
イメージとしては本能寺の変の際の明智―筒井・中川みたいな希薄な関係が近そうに思うんだけど・・・

129:人間七七四年
11/02/09 03:17:47 XS5XI3d8
>>128

地域差があるかと思うが、
形式上は家来でも、実態は半独立勢力みたいなのは多かったんじゃないか?




130:人間七七四年
11/02/09 16:47:21 S201hNb9
>>128
家中が成立していない室町期の守護や守護代がその下に組織したのは「被官」であって
「家来・家臣」ではない。
今で言えば自治体の役職に付くのに近い感覚。守護や守護代と運命共同体を
構成しているわけではない。

131:人間七七四年
11/02/09 18:50:21 EBFDXBZN
>>129-130

漠然とイメージしてたけど、具体的に言われると、違いがよく分かるわ

下克上って、一括りに不知恩な主殺しをイメージしてたけど、単に担ぐ御輿を変えるか、御輿を捨てるか…程度の意識なんだろな、当事者にとっては

132:人間七七四年
11/02/10 22:28:37 EpLpXjes
宇喜多が浦上の臣下に最も近かったのは浦上村宗-宇喜多能家ラインの頃だな。


村宗の上洛が成功してたらおそらくそのまま取り込まれてただろう。

133:人間七七四年
11/02/11 02:18:02 HJSZE2Ni
>>132

村宗の上洛が成功しなかった理由は?

距離的に京都まではなんとか行けそうな感じだが。
国許に不安があった?

134:人間七七四年
11/02/11 08:20:01 p4FgPBP0
大物崩れ

135:人間七七四年
11/02/11 08:39:28 somDwPry
摂津国の西半分今の大阪市~尼崎伊丹池田までは攻略、晴元方の本拠堺の手前まできていて、
山城国も高国方の内藤氏が京まで迫っていたんだよね。ほんとおしい。

136:人間七七四年
11/02/11 15:42:25 KTEMhQkJ
赤松が村宗の命を取って尚且つ勢いを取り戻す機会はあそこを置いて無かったと思うのでそういう意味では大物崩れでの判断は絶妙だった。

後が続かないんだけども・・・誰かいいブレーンが当時は居たのかもしれない。

137:人間七七四年
11/02/12 12:01:34 wzDCxRcI
推定で10代の赤松晴政に村宗の上洛を先取りしての三好への根回しとかなかなか務まらんと思う。

138:人間七七四年
11/02/13 22:28:56 QUkCQxSz
秀家に直家の狡猾さが欲しかった

139:人間七七四年
11/02/16 05:00:50 hzj6BRYZ
秀家は幼い頃から秀吉の庇護下にあったから
狡猾さを身に付ける機会なんてなかったんだろうね。
四国攻めや九州攻め、小田原征伐や唐入りなんかで
軍才を身に付ける機会は多かったんだろうけど。

140:人間七七四年
11/02/17 01:01:31 94ILP934
能家の暗殺が真か偽かは知らんが浮田国定が実質的に宇喜多のトップになったんだろうな。

141:人間七七四年
11/02/18 23:34:01 MfgXwAF7
>>140
意味不明^^

142:人間七七四年
11/02/18 23:38:36 2vzHrM25
毛利が居なければ、毛利のポジションに納まってた可能性を信じたい

143:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
11/02/18 23:43:36 O7kIBOFG
毛利のいないifって時期によって物凄く変化が激しくなるわけで。

144:人間七七四年
11/02/18 23:49:07 h8R6XYTG
関ヶ原では良く頑張ったでしょう。

145:人間七七四年
11/02/18 23:59:50 cfOQB23q
西軍が勝ってりゃなあ~~
秀家公は播磨あたりも手に入れて100万石にはなってたろう
あるいは家康の関八州をもらう可能性もあるけど、秀家公はセレブ体質だから、
関東には行かず大坂に近いところを希望しただろうか

146:人間七七四年
11/02/19 01:27:28 C4WEwsiS
烏城の別名は姫路城のモノだったかも知れないんですね、わかります

147:人間七七四年
11/02/19 11:56:56 m3/iNMZn
>>141
能家が亡くなった後、興家ではなく主な一族や郎党は浮田国定に従ったって
ことでしょ。西大寺や福岡の有力者も。
直家の創業において一族や家臣団の長老ぽい人とか見受けられないしね。

148:140
11/02/19 18:52:06 CrS9tvse
そういう事。

ついでに国定は「国」の字を貰ってるがこれは浦上一門の通字。
浦上村国が最有力だが違うかも。

149:人間七七四年
11/02/19 21:16:47.31 O5dqpGp7
宇喜多家って児島あたりの出身っていってるけど
ほんとは赤松家に仕えてた播磨とか摂津とか丹波とか但馬とかの
出身じゃないの?

150:人間七七四年
11/02/19 22:05:37.51 GcRJ+izA
国定って、宇喜多の通字である「家」が無いね。
坂崎出羽守直盛みたいに、宇喜多から縁切りする意図があったのかな?

151:人間七七四年
11/02/19 22:28:08.44 CrS9tvse
自分が宗家に成り代わろうという野心はあったはず。

砥石城を手放さないで浦上政宗に味方し続ける国定を倒すために宗景が用意したのが能家の嫡孫である直家ってのは自然な流れ。

152:人間七七四年
11/02/20 09:37:47.64 cMJuHGJK
浮田国定に国あげたのは浦上国秀じゃないの?時代的に。

村宗死後の浦上の事実上のトップ。

153:人間七七四年
11/02/20 14:26:29.84 kNuuENMI
細川高国じゃね?

154:人間七七四年
11/02/20 22:42:49.45 p/inQYYH
平国香

155:人間七七四年
11/02/22 15:30:09.03 FHOUp0lK
浮田って地名をさがしてるんだけど、岡山県にあるのは宇喜多家ができてからだよな?
どっか兵庫か京都か大阪あたりにあるんじゃねーかと思うんだが・・・
そしてそこが宇喜多家発祥の地に違いない

156:人間七七四年
11/02/22 19:23:11.82 boDYPz/0
沼城近くの浮田は明治になってからの地名ですね。
浮田神社もあるけど、これも明治期に改名したようです。
URLリンク(www.okayama-jinjacho.or.jp)

157:人間七七四年
11/02/22 21:05:21.16 FHOUp0lK
あ 大阪府北区に浮田ってのがあるね あーでも大阪の中心だと秀家公が五大老の時代に
秀家公にちなんでつけられた名前かも・・・

158:人間七七四年
11/02/22 21:30:56.40 Bww64FJM
>>157
大坂の町より外側だし、周りに~田みたいな地名が多いし、
宇喜多屋敷があったのは城下の片町で場所が全然違うから、
土地由来の地名だとは思う。いつからあるかは知らないが。

159:人間七七四年
11/02/22 22:05:38.98 mj9wpiSE
苗字は元からある地名をそのままつけた場合だけでなく、山本とか山田とか田中とか高橋とか、
居住地の環境の特徴を表してつけられた場合も多いよ。
吉備の穴海に代表されるように平野は殆ど海だったし、島とつく場所は昔、本当に島だったわけだから、
そこに田があれば「浮田」だろ。

160:人間七七四年
11/02/23 01:50:37.69 gzihlnLB
>>156
「うきだ」と濁って読むよね?

161:人間七七四年
11/02/23 06:17:50.65 CR/nE1mo
備前の地名が元だと思うんだがなあ、多分

162:人間七七四年
11/02/23 19:00:14.08 ktGZPGRk
>>160
由来は判りませんが「うきだ」のようですね。小学校も、「うきた」では無くて
「うきだ」小学校です。

163:人間七七四年
11/03/07 01:06:07.45 K9CNMDNf
浮かないように気を付けつつ保、守

164:人間七七四年
11/04/08 15:15:48.53 1erXZa9K
こないだ書店で見かけたんだけど、誰か読んだ方いらっしゃる?
高いからスルーしたけど気になってる・・・

宇喜多直家・秀家  西国進発の魁とならん
URLリンク(www.minervashobo.co.jp)

165:人間七七四年
11/04/08 18:58:40.82 5KEUS0tu
>>164
他所で聞いた話じゃ、それなりに良い評判だった気がする

166:人間七七四年
11/04/09 00:00:57.19 Dh2WyMG4
確かに高いけど、値段相応かと。
個人的には、能家の薙刀と秀家の甲冑が何処で見られるのか判って良かった。


167:人間七七四年
11/04/11 21:50:35.45 GnSSLTAD
備前と言えば匂うサー⑨ルK

168:人間七七四年
11/04/11 21:52:26.34 GnSSLTAD
臭いサー⑨ルKの間違いか

169:イリノイの浣腸強盗 ◆UnCmUnUn.U
11/04/13 14:08:48.63 1j2PrRTa
伊賀久隆を暗殺しちゃったのって結果的には痛かったけどまぁ、
病が悪化する一方で弱気モード全開の直家からしてみりゃ
配下の武将、それも10万石超えちゃってる舞踏派の部下が
毛利と内通してるかもしれないとなったら焦ったんだろな。。。


170:人間七七四年
11/04/13 14:10:59.90 1j2PrRTa
武闘派だっつーの。
バカ。俺のバカ.....orz

171:人間七七四年
11/04/13 16:53:45.40 zQ7DNLgA
楽しそうで良いじゃないか、舞踏派。

172:人間七七四年
11/04/13 19:21:27.65 vejKEILy
伊賀が毛利につくとまず戦線は支えきれそうにないし伊賀家久も明石の説得で穏便に追い出せたしあれで良かったのかも

173:人間七七四年
11/04/13 19:52:30.57 6GlV/FOs
>>171
宴席で引っ張りだこになれるかも

174:人間七七四年
11/04/13 20:56:11.13 Y0W+QojY
宇喜多秀家の「秀」は豊臣秀吉から授かったものらしいけど
それを秀家の裁量で家臣に送ることってある?
例えば岡利秀とか

175:人間七七四年
11/04/14 02:11:01.13 cpvnCkmI
古参の重臣が揃って舞踏派だったら
中納言様の代になっても国元衆と上方衆の区分自体発生しなかったろうに・・・(ノД`)

176:人間七七四年
11/04/14 07:13:37.58 lF0kRshS
実力はあるけどあまり信用の置けないやつに大敵との最前線を任せるという構図は浦上と宇喜多を彷彿とさせる。

伊賀がシロかクロかは分からん

177:人間七七四年
11/04/22 10:12:38.02 x2nQJYHf
前半が直家、後半が秀家で大河にしてくれ

178:人間七七四年
11/04/22 11:21:45.11 rGBqMISS
津本陽の小説であったな

179:人間七七四年
11/04/22 12:39:04.80 iqgfN5nW
直家って凄い人物なのにマイナーなのが悲しい

180:人間七七四年
11/04/22 21:32:08.74 PqcNl6cV
>>178
分厚いんだけど、なぜか好きだな
もう3回くらい読んだ

181:人間七七四年
11/04/23 01:35:03.19 eemyMtws
1569年からはもう浦上家臣と呼ぶのは妥当じゃないな。
元々独立性があったがこれ以降は独立勢力みたいなもの。

ただ、これ以降に浦上と共同戦線張ったりとか久松丸を担いで浦上家臣であると殊更に主張したりするので話がややこしい。

182:人間七七四年
11/04/23 12:26:57.18 5IZla9we
直家「宗家流たる誠宗様を殺して家督、領地を奪った宗景許すまじ。浦上は久松丸様が継ぐべし(キリッ」

だいたいの大義名分はこんな感じか。

183:人間七七四年
11/04/24 10:41:00.19 12RoyKnz
なんだかんだで大義名分は必要じゃない?

184:人間七七四年
11/04/24 11:17:14.04 l6fjEoYG
大義名分なしで動いた1569年に失敗してるからな。屁理屈でも何かしら用意しないと。

185:人間七七四年
11/04/27 22:11:56.72 foV+oeRW
久松丸くんは即用済みだけどな

186:人間七七四年
11/05/11 12:51:53.11 ocMdB1Ce
1529 宇喜多直家生誕
1531 おおもの崩れで浦上村宗死亡
家督は幼少(年齢不詳。元服前)の政宗へ
政宗と弟宗景は室津城で過ごす
1534 島村盛実の夜討で能家討ち死に(直家5歳。数えで6歳)
1554 天神山城にて宗景独立
(↑wikipedia)
こう見ると直家が天神山城の宗景に仕えたのって
20代半ばってことになるよね。
元服後に宗景に仕えたっていう今までのイメージに合わない。
室津にいた宗景(政宗が当主)に仕えたのかな?
それに島村の能家討ちって年代的に宗景全然関係ないよね。
これも今までの宗景配下での勢力争いという構図から外れるし。
このあたりの辻褄に詳しい方いらっしゃいますか?

187:人間七七四年
11/05/12 00:10:06.43 WDioRjQR
そもそも島村の夜討ちが本当にあったのかどうかというレベルから考証が必要

188:人間七七四年
11/05/12 01:29:26.05 IXh2yO2X
確かに島村は実在自体微妙らしいですよね
でもそれ言い出すと備前辺りはまったく不明になってしまうので
線引きが難しいです
宗景も生没年不詳だし
とりあえず通説(?)で検証してみてるんですが
直家のこの辺りがいまいち辻褄合わなくて
ここらをすっきりさせてる説があれば伺いたいです

189:人間七七四年
11/05/12 13:54:29.45 qUm/3hVv
史料が乏しくてどうしても備前軍記(※1)の影響を受ける
新釈備前軍記(柴田一編著)から関連をピックアップすると

1529 宇喜多直家生誕 ←「宇喜多記」による
1531 おおもの崩れで浦上村宗死亡
家督は幼少(年齢不詳。元服前)の政宗へ
政宗と弟宗景は室津城で過ごす
???? 兄弟不和・天神山城にて弟宗景独立 →備前軍記
 戸田松城、三石城の諸将も従う
1532 兄政宗、弟宗景を追討する為挙兵、嫡男に1手任せる →備前軍記(※2)
1534 島村盛実の夜討で能家討ち死に(直家5歳。数えで6歳) →備前軍記
1543 宗景の側近として仕え、初陣(直家15歳) →備前軍記
1544 元服、乙子300貫(直家16歳)→備前軍記
1545-49 vs浮田大和、奈良部へ(直家21歳) →備前軍記
1551 中山備中の娘と結婚(直家23歳) →備前軍記
1554 天神山城にて宗景独立  ←別の何かの資料
1559 vs中山備中・島村盛実、沼へ(直家31歳)→備前軍記

(※1江戸時代の歴史学者?土肥経平さんが調べた軍記もの
通説の元ネタとなったりしている。要取り扱い注意)
(※2 兄は幼年でなくて大人か?)

190:人間七七四年
11/05/12 14:12:53.96 qUm/3hVv
>それに島村の能家討ちって年代的に宗景全然関係ないよね。
>これも今までの宗景配下での勢力争いという構図から外れるし。

渡辺大門氏の著書でわ
浦上政宗・宗景兄弟は幼少。
政務は郡代嶋村豊後守が中心。
先君の遺命により能家を討つ。(先君=浦上村宗)
 (史料の裏づけなく憶測ですが、)
1531年の戦いで能家が裏切り赤松方についた可能性があり
その為、嶋村豊後守が襲撃したのでは?


191:人間七七四年
11/05/12 15:12:41.27 uTczXore
図書館で「梟雄の妻 宇喜多直家夫人お福」という本を借りてきた 
さっそく読んで、おもしろいところがあったら紹介するぜ~

192:人間七七四年
11/05/12 19:33:21.42 WDioRjQR
>>190
大門さんの最近の本では能家の没年自体違うかもみたいなこと書いてあったよ

193:人間七七四年
11/05/12 21:33:29.23 uTczXore
お福さまのお墓は岡山城をちょっと東へいったところの、岡山朝日高とか山陽女子高とかが
あるところにあるんだけど、お墓に文禄三年と刻まれており、それより6年後の関ヶ原の戦いの
ときもまだ生存していたとされるのでつじつまが合わないらしい
しかたないので生前にたてる墓、逆修墓じゃないかと言われてるらしい

194:人間七七四年
11/05/13 17:49:18.03 IlpQ7tgO
>>189
詳細にありがとうございます
1532年に政宗の宗景攻めがあったんですか
ちょっと備前軍記読み返してみます
しかしおおもの崩れ時に幼年とされている
政宗、宗景兄弟が一年後に兵を挙げて争うのは不自然なんで
浦上家が後継ぎについて二つに割れたってことでしょうかね?
政宗幼年の為、庶家のなんとかが後見に云々というのを
どっかで見た気がします

>>190
なるほど能家が赤松側に
これはおもしろいですね
あれだけ信頼されていた能家が
浦上家の大博打に隠居してて出てこなかったのは
少し不自然に感じてたので

195:人間七七四年
11/05/13 18:55:34.63 ZRz4rb36
いやいや備前軍記信じるなw

1560年以前の記述はほとんどアテにならない

196:人間七七四年
11/05/13 19:18:12.78 tYJy3pZ2
備前軍記を無視して現存する史料だけを元にして調べた成果が最近の「家督相続時に政宗幼年説」な訳なんだよな。

備前軍紀の年代考証のズレの酷さが明確になった。

197:人間七七四年
11/05/14 00:49:56.28 ym5Pt7qv
>>195
そりゃ言い過ぎだろうが村宗死後から30年ぐらいの間の記述はかなり胡散臭い

198:人間七七四年
11/05/15 07:53:24.77 C2zLoIix
備前軍記とかの政宗が村宗死亡時に成年だったって勘違いは「浦上与四郎宗茂」と経歴を混同してる可能性が高い。

199:人間七七四年
11/05/15 14:44:15.01 nISIcq52
メモ1:
宇喜多家・浦上家・嶋村家
  能家・ 村宗・貴則(弾正)
  興家・ 兄弟・盛貫(豊後守)
  直家・   ・

宇喜多家・浦上家・嶋村家
  能家・ 村宗・貴則(弾正)
  興家・   ・盛実(豊後守)
  直家・ 兄弟・
ー------------------
メモ2:
年齢を考える (直家--考察1--考察2--考察3)
1531 大物崩れ 3--22:20----12:10----5:3
1534 嶋村夜襲 6--25:23----15:13----8:6
1540 兄政宗発行文書確認(仮名)※
1543 仕官 15--34:32----24:22---17:15
1551 結婚 23--42:40----32:30---25:23
ー------------------


200:人間七七四年
11/05/15 15:13:56.38 nISIcq52
考察1:光栄、信長の野望~蒼天録~の設定
考察2:1535年ごろに兄政宗元服か?
考察3:1540年ごろに兄政宗元服か?

201:人間七七四年
11/05/15 17:04:17.51 YXiqDpnU
政宗と宗景の年齢差は今のところ考察不能だと思うぞ。

202:人間七七四年
11/05/16 21:31:04.97 eOp2jMaJ
浦上で能家の死に関係してるのは政宗や宗景じゃなくてこの時期に実権を握ってた国秀だよな。

ちょうど浮田国定もいるし。

203:人間七七四年
11/05/17 00:09:59.33 xfFDEicY
宇喜多家当主の推移は
宇喜多能家=>浮田国定=>宇喜多直家

興家は国定に当主の座を奪われ、直家が取り返したって感じかな。


204:人間七七四年
11/05/17 01:37:24.00 IrWmXYHF
うきうきクラブ

気分うきうき・秀家
死体うきうき・直家

205:人間七七四年
11/05/17 23:47:39.42 UmxEkkuy
島村家が郡代やってるのは宇喜多の所領を含んでる地区なんだよな。

206:人間七七四年
11/05/22 13:10:34.41 cJyu0OHg
新釈陰徳太平記「尼子国久父子が備作で活動した事(上巻第15)」より
1544年、浦上宗景が天神山城に居る記述があったよ

207:人間七七四年
11/05/22 17:52:07.37 yf9x4eV7
陰徳太平記は忍山城落城の時期が出鱈目だったのであんまり…

でもまぁ城建てるのに打ってつけな天神山城があった所に何も無かったとはちょっと思えない。

208:人間七七四年
11/05/24 23:48:00.06 3QTmgZkW
日記書いてる武将とか一人ぐらい居なかったんだろうか、困ったもんだ

209:人間七七四年
11/05/25 19:21:55.63 1qQd7Rjn
史料が少ないのは宇喜多家が滅亡したことは、もちろんだけど関ヶ原前に、
主立った武将が出奔したのも大きいんだろうな。
文書など身の回りの整理をしてから出奔するだろうし。

未発見の史料があるとすれば、鳥取池田家かな?
池田忠継に仕え、備前と鳥取が入れ替わったときに付いていった家臣は居るだろうし、
覚え書き程度の史料でもないのかな。



210:人間七七四年
11/05/25 19:26:24.81 T4zBUTx8
宇喜多の旧臣は森忠政が美作入ったときの美作一揆にも参加して、かなり処分されてるな


211:人間七七四年
11/05/25 20:30:57.86 T1iZtO9i
宇喜多秀家は流された後現地妻とか持って子供がいたのだろうか?

212:人間七七四年
11/05/25 20:58:16.24 T4zBUTx8
>>211
凄い勢いでいた。本来豊富なはずの仕送りが足りなくなるくらい妾と子供つくりまくった。

213:人間七七四年
11/05/26 02:50:44.75 IcKp/eoH
>>212
サンクス!!!
やっぱりそうなんだな。。。
豪姫は生涯再婚しなかったけど、男だし仕方ないやな。

214:人間七七四年
11/06/01 01:02:16.79 whFclGGH
三人の二代目 おもろ~

215:人間七七四年
11/06/01 02:46:48.08 H2kwFXtH
>>214
山陽新聞に連載されてるやつでしたっけ? あれまとめて読みたいですよね

216:人間七七四年
11/06/01 16:01:49.49 XrrDW5h0
半年待ってアマゾンで買うか・・・

217:人間七七四年
11/06/03 17:14:29.86 TVN9+xlM
歴史にタラレバはないけど秀家公が関ヶ原で負けたとき
なんとか岡山城まで逃げて帰ることができたなら10万石ぐらいで
生き残ったかもしれないのに・・・

218:人間七七四年
11/06/03 17:29:21.39 wRaStWTc
八丈島に居た時来た大名復帰の話蹴るくらいだから
岡山城を枕に討ち死にするようになるだけな気が

219:人間七七四年
11/06/03 17:55:49.79 yqYDn3UM
そもそも秀家はほとんど京大阪にいて、岡山にまともに地縁がない。

220:人間七七四年
11/06/05 23:37:50.45 VDqYr/MW
もう引退したけど昔岡山の議員だった日笠勝之って日笠頼房の後裔なんだろうか。

日笠家は山県有朋の孫を嫁に迎えたり政界と関係ありそうだが。

221:人間七七四年
11/06/08 01:27:39.83 09QT/ZBl
そういえば秀家公は宇喜多と名乗ることはほとんどなかったとどっかで聞いたな
豊臣って名乗ってたのかな

222:人間七七四年
11/06/08 10:12:02.53 WRD7uC62
羽柴・豊臣だな。その権威を背景に他の一族に対する主導権を確保した。
で、秀吉が死んで豊臣権威が衰えると今まで抑えてたものが抑えきれずに宇喜多騒動。

秀家は忠義云々以前に、家中統制の手段として強い豊臣権威を必要とした。

223:人間七七四年
11/06/08 23:59:44.17 6AQ2NJ88
>>219
だから秀家って領主として二流というか無知というか。

豊家一門として軍役や普請に勤しんで権威を見せようとしてるが財源の事が頭に入ってないから慶長ごろには財政火の車。


224:人間七七四年
11/06/09 21:50:38.75 4hn4K4rK
そんな自分にはたと気付いて改革しようとしたら宇喜多騒動。若さもあるんだろうが・・・

225:人間七七四年
11/06/10 04:03:47.85 97pFBXvD
ぬ? ウィキで直家公の実弟で側近中の側近、宇喜多忠家を調べてみたら没年は?付きながらも
1609年となってるな・・・ 関ヶ原の戦いが1600年だからこのとき十分生きてたことになるが・・・
宇喜多騒動のあと完全に政界から引退してしまったのだろうか・・・

226:人間七七四年
11/06/10 21:29:39.58 J0o3KZCU
関ヶ原の頃は既に息子に代替わりしてたのかな

227:人間七七四年
11/06/10 21:58:54.46 97pFBXvD
うーむ やはりどうしても秀家公には放蕩息子といったイメージがつきまとう・・・

228:人間七七四年
11/06/11 01:16:57.19 aPlKGk8H
とりあえず唯一の美点は、最も日和見のイメージが当てはまらないところかな

229:人間七七四年
11/06/11 11:01:31.90 wlPFhLn3
> 最も日和見のイメージが当てはまらない
それは一人の武士としては美点かもしれんが、大名としては落第だろ

230:人間七七四年
11/06/11 11:46:42.20 aQs2TSgX
大坂の政局に気を取られすぎて自領の管理が家老に丸投げだった印象。

明石全登を側近として使ったのも宇喜多騒動以後だし家老たちとは大分溝があったはず。

231:人間七七四年
11/06/12 13:40:41.32 cTryzTVT
明石氏は宇喜多家中ではどんな存在だったんだろう、元々浦上家臣で宇喜多と同格?
戸川、岡、長船なんかは宇喜多の譜代?

232:人間七七四年
11/06/13 00:22:50.29 dxE4jF/u
>>231
よくわかりませんがざっと調べた感じでは直家公が浦上宗景の居城高天神城を攻めたときに
浦上方から宇喜多に寝返って落城のきっかけを作ったと言われてますな
これは明石掃部の父、明石景親が当主のときのようです
するってえとその前は直家公も浦上家臣だったので同格だったと言えるかもしれませんな
もちろん寝返った後は外様武将ってところでしょうか ちなみに明石氏はその名のとおり播磨の明石が
ルーツと考えられますが、備前にも明石の地名があるようで、播磨のとは関係ないかもしれないようですな

233:人間七七四年
11/06/13 01:19:28.94 X8rI+QUe
宇喜多分限帳が、どこまで信憑性が有るのかは判りませんが、戸川、岡、長船の次に記載され
花房志摩守より前ですね。
ただ、他の武将と違って与力に一族らしき人物しか記載が無く、宇喜多に属し軍役とかは担って
いるようですが、独立性は維持してそうです。



234:人間七七四年
11/06/13 11:38:57.70 ME4fHbKn
浦上の6重臣で宇喜多に降ったのは明石・延原・岡本・大田原の4家だったな。

延原は宇喜多騒動以前から政務に使われてる立場だからこちらは独立性というものは無さそう。

235:人間七七四年
11/06/13 13:18:27.97 Io28IFU+
大老、宇喜多秀家と前田利家は姻戚関係にあったのですが、
どのくらいの友好関係だったのでしょうか?

利家が長生きしていれば、共に家康に立ち向かうくらいの友好関係が
あったのでしょうか?

236:人間七七四年
11/06/13 15:14:45.01 Co10XWAI
秀家は家康の前田討伐に特に反対していない。つまりそういう事だ。

237:人間七七四年
11/06/13 15:24:16.85 Io28IFU+
秀家は関ヶ原の西軍の主力ですが?

238:人間七七四年
11/06/14 00:07:35.13 /ehPXMXx
先代が築いた(諸侯からの)評価を当代がそのまま引き継げるかと云えば、それは難しいという話でございまして…

239:人間七七四年
11/06/17 21:47:42.19 SilpFHxS
宇喜多騒動の後は明石・延原ら旧浦上グループの地位が引き上げられてるな。

240:人間七七四年
11/06/17 23:00:43.07 kfM/wvlb
渡邊大門先生が

@wdaimon
渡邊大門
ところで今、『赤松氏研究会会報』の編集作業を行っています(PDFで無料配布の分)。
私も原稿を書いていますが、他に誰も書いてくれません(泣)。論文や研究ノートでなくてよいのです。
読みやすい随想を特に求めています。<続く・・・>
URLリンク(twitter.com)

<続き・・・>赤松氏、宇喜多氏、浦上氏等の史跡や城郭を巡った感想などは、大歓迎です。
よほどのことがない限り(例えば、他人の悪口ばかり書きまくっているとか)、すべて掲載します。
ぜひ投稿してください!よろしくお願いします。
URLリンク(twitter.com)

241:人間七七四年
11/06/19 09:06:20.50 fLiZ2PXB
  忠家公(安心入道)の息子って、坂崎出羽のほかにいたのかね?

242:人間七七四年
11/06/19 10:13:11.46 Tm/n9AbL
>>241
基家(元家)・与太郎
URLリンク(ja.wikipedia.org)宇喜多基家

243:人間七七四年
11/06/19 21:30:36.56 Kp/bb0Up
>>242
基家って、元家で毛利に服属してた時に一文字貰ってたんだ。
織田に付いてからは、元を捨てて基に変更と。

244:人間七七四年
11/06/20 01:33:00.34 Uo5QO5WX
宇喜多詮家は、毛利の人質となってみたいだけど、詮の字は毛利方に貰ったのかな?

秀安の息子の戸川玄蕃は守り役としての人質のようだから、あのエピソードも若干意味合いが違うのかな?忠家を牽制している??


245:人間七七四年
11/06/22 00:45:03.17 DfLwUpa+
宇喜多家も法華の信者が多いねぇ。

備前法華なんて言うしな。松田一族のせいだけど。

246:人間七七四年
11/06/22 09:29:50.92 xZTKH3rJ
法華は貿易・海運業者のネットワーク作ってるからねえ。
海上流通の関係者は法華に所属していたほうが色んな意味で有利。

247:人間七七四年
11/06/22 16:29:02.54 jaUmFM7I
>>245
不受不施派ばっかりだったりして。

248:人間七七四年
11/06/22 22:21:33.80 o6tEgU81
受布施派・不受不施派の区分が付いたのは秀吉政権下だけど
松田は不受不施派の祖の日奥を輩出した妙覚寺の別当やってた時期がある。

249:人間七七四年
11/06/22 22:24:50.68 o6tEgU81
書く前送っちゃったけど要するに備前で広まってた法華の教えってのはガチガチの不受不施派だったと見ていいんじゃなかろうか。

250:人間七七四年
11/06/22 23:12:54.93 l0DeZgby
角南重義とかがそのガチガチの信者かね
日奥を支援してたらしいし

251:人間七七四年
11/06/23 01:45:36.48 o5HRDdH5
最近、宇喜多騒動の原因で宗教対立が主因として軽視されがちだがそれはどうだろう。
備前は法華の根付き具合が他所とは違うんだよな。

>>246で言われてるように法華のネットワークと法華信者の宇喜多家臣との癒着みたいなものは秀家としても見過ごせない所はあったんじゃなかろうか。

252:人間七七四年
11/06/23 02:11:23.72 hc/HZM0T
国元の家老たちと法華信者の団体との結び付きを弱める為に秀家がキリスト教を利用しようとしたってのはアリだろうか?

で、領内の布教に利用したのがキリシタンの坂崎という仮定。

253:人間七七四年
11/06/23 08:40:34.42 IDwMDvJC
坂崎は切支丹だけど反秀家側じゃなかったっけ・・・・・・
飼い犬に手を噛まれたってこと?

254:人間七七四年
11/06/23 09:00:29.09 kMwKTiYd
>>251
秀家に対立した側にも坂崎はじめキリシタンが何人か居る。
キリシタンと法華の対立と見るのはやはり無理がある。

やはりあれは、単純に秀吉がいなくなって家中にかねてから広まっていた秀家への反発が
抑えきれなくなった事件、と見るべきだろうな。

255:人間七七四年
11/06/23 21:59:03.82 hc/HZM0T
対立したキリシタンっていうと坂崎こと詮家以外に誰がいたっけ?

256:人間七七四年
11/06/25 01:44:14.24 NDmz+FD7
家中を派閥分けするなら秀家の側近の「奉行派」と戸川とかの国元の「家老派」なんじゃないだろうか。

宇喜多騒動前の頃は大坂に住んでた詮家も国元とは微妙に疎遠な立場だけど、新参やら旧浦上閥やらが占めてる奉行派の台頭は面白くないので必然的に家老派に肩入れする事になる。

あと確かに奉行派にはキリシタン、家老派には法華の割合が多いが対立の主要因ではないんじゃないかな。

257:人間七七四年
11/06/25 08:25:05.32 OCv03TY7
明石の洗礼前の宗旨も法華?

258:人間七七四年
11/06/25 12:18:50.55 wOqjBp1P
可能性は高いと思うけどあんま適当なこと言えんなぁ。
キリスト教って家中の地盤が脆弱な秀家が結束を強める為に推奨してたんだろうか。

259:人間七七四年
11/06/26 01:36:24.09 k9duF8mx
どう見ても結束を強める方向には作用していないし、あまつさえ秀吉から禁教令も出ているのに

260:人間七七四年
11/06/26 13:32:06.43 s7m1tUw+
側近だけしか固まってないのでどちらにせよ失敗

261:人間七七四年
11/06/27 03:32:22.30 bKDRrM2b
秀家の真意はなんだったんだろうね。派閥分けが悪化してるよな。

262:人間七七四年
11/06/27 09:47:20.54 DRgIekNd
中央集権化じゃないの?
秀家の悪行の1つに検地による税収アップが上げられてるけど
これって隠田を摘発したってことだよね

それを推し進めたのが奉行たちで、
既得権益を侵されて不満爆発したのが家老たち

と、自分は思ってるんだけど

263:人間七七四年
11/06/27 12:51:19.02 5OzUQKns
>>262
> 秀家の悪行の1つに検地による税収アップが上げられてるけど
> これって隠田を摘発したってことだよね

違う。
検地によって田畑の生産性をさらに過大に見積もり、実質的な増税をした。
秀吉を始め豊臣系がよくやったお手軽増税。
秀吉なんかは同じ年に検地を2回も3回もして、それによって農民は年貢納入してもさらに「不足分」を
要求されるというひどい目に合ってる。

264:人間七七四年
11/07/02 21:46:10.29 7GrSarfu
浦上宗景って追い出されてから結構しつこかったんだね。

直家の方から潰しに行けなかったのは荒木村重を通じて織田がバックに付いてたからか。
で、荒木が謀反人になって織田の庇護が実質的に無くなったから実力行使に出たけど負けたと。

265:人間七七四年
11/07/03 07:45:51.05 77BkiO8h
浦上秀宗とかいう武将が反宇喜多を焚き付けて備前を荒らしては播磨に逃げるってのを繰り返してたらしいな。

266:人間七七四年
11/07/04 20:31:15.30 zB4ZvgIF
>>240より渡邊大門先生のツイッターをフォローしているのだが、
先生病んできてますなw

267:人間七七四年
11/07/04 20:52:24.91 SCXfqHL7
んな事言われても「じゃあ俺書くよw」って気軽に名乗り出れるようなものでもないからねぇ

268:人間七七四年
11/07/09 14:45:24.35 1pZCcSM4
直家が伊賀久隆殺したのって毛利との境界を外様に委ねたまま死ねないと思ったらからなんだろうか。

269:人間七七四年
11/07/12 03:58:24.36 kdnay2qB
昨日のbs-tbsのナンバー2云々とかいう番組で
「岡山の宇喜多直まさ」
とか言われてたな

tbsクオリティと言われればそれまでだが

270:人間七七四年
11/07/12 06:29:40.45 jHdb4Ubr
皆渡邊大門氏のミネルヴァ書房の奴読んだ?

271:人間七七四年
11/08/07 18:29:36.72 NFXrmsxc
能家が島村に夜討くらった時に
島村側は「村宗の遺命」という理屈を使ったらしいですが
その遺命の内容はどういったものだったか
ご存じの方いらっしゃいますか?

272:人間七七四年
11/08/08 00:44:23.58 2sx7yghf
本当に村宗の遺命が有ったとすれば、大物崩れの戦いで、能家自身は隠居して参陣していなかったにしても、宇喜多軍は参加していて
赤松政祐の裏切りに呼応したのかもしれませんね。
島村豊後守の父は村宗ともに戦死していますので、能家の名指しは無かったとしても、村宗の裏切ったもの達の恨み言が伝わっていたのかもしてません。

273:人間七七四年
11/08/08 15:09:36.76 mRuPZpwu
娘がアーモンドチョコが好きでよくアーモンド買って帰ると「あーもどん!あーもどん!」って喜ぶんだ。
「アーモドンって恐竜?」って聞くと首をかしげながら「きょゆー?きょうゆ!きょうゆー!」って返してきて可愛いんだ。
そんな子煩悩な俺も、世間では梟雄なんて呼ばれてるんだ。

274:人間七七四年
11/08/08 15:16:53.32 eJSqR1tU
>>272
レスありがとうございます。
しかしそうなると村宗死後に反赤松として
天神山に移った宗景を能家が支えたというのは
なんか不思議な感じがします。
親赤松の政宗でなく何故宗景なんでしょうか。

275:人間七七四年
11/08/08 20:24:46.53 k16i8qc3
いや、兄弟分裂もっと後だし…

276:人間七七四年
11/08/08 23:41:24.75 erven+a4
1540年代までは確かに政宗が赤松家で高い地位にいたけど、その政宗が敵の尼子に通じたため
宗景が対尼子の拠点として天神山を築いて家中の赤松派をまとめたとも考えられる。
高田表の戦いは尼子 対 備作勢(宗景)+播州勢(小寺など)ということになってるし
反赤松というわけではない。むしろ政宗と晴政が仲悪そうなイメージ。
その後は赤松晴政・赤松政秀・浦上宗景他 対 赤松義祐・浦上政宗他 になっていく。

浦上家を支えてきたといわれる能家が大物崩れを境に政宗の下では活動せず、
代わりに国定が上がってきているのは何かあったとしてもおかしくないですね。

277:人間七七四年
11/08/09 19:07:24.91 XFMbPW3r
>>275
兄弟分裂の時期って色々説があるみたいなんですが
いつぐらいと見るのが妥当なんでしょうか?

>>276
なるほど親反赤松でなく晴政派、義祐派ですか。
勉強になります。
大物崩れから山名、尼子侵攻まで
赤松家中がごたごたしてて難しい。
一度、兵庫の図書館に行って郷土資料見たいな。

278:人間七七四年
11/08/09 19:31:24.04 +oFAL+S6
1551年の尼子進攻以降に分裂説が有力で最近は大物崩れ直後に分裂説で論文書くような研究家はもう居ない。

279:人間七七四年
11/08/09 19:59:59.76 XFMbPW3r
>>278
ありがとうございます。
砥石城落城は政宗、宗景がまだ赤松方と
いがみあっていた時代という事ですか。
なるほどすっきりしました。
柱石と言われていた能家が村宗の一世一代の上洛に参加せず、
後に遺命と称して討たれているということは
やはり二人の間に何かあったんでしょうか。

280:人間七七四年
11/08/09 21:12:20.12 +oFAL+S6
その「遺命」のソースが例によってが備前軍記ぐらいしか出て来ないのでなんとも。

備前軍紀は眉唾な部分が多いからあまり信用してない。

281:人間七七四年
11/08/11 12:06:54.31 5/9y+sAK
渡邊先生は能家の没年はもう少し前だったんじゃないかって著書で書いてたな。

282:人間七七四年
11/08/11 12:39:35.58 pIvovKh6
宇喜多の旗に書かれてる漢字は兜(カブト)と思ってたら児島の児だった
児島高徳という太平記の時代に活躍した武将をご先祖様と言い張ってるらしい



283:人間七七四年
11/08/11 22:02:04.63 Dv+68pfQ
>>280
そうですね。
備前軍記だけというのは確かにあれですね。
ちょっと赤松家のほうから調べてみます。

>>281
情報ありがとうございます。
渡邊先生はまだ読んでないんで見てみます。

284:人間七七四年
11/08/26 07:18:54.84 XEScY8Xg
一覧復帰

285:人間七七四年
11/09/13 10:00:10.39 4TkVwxas
海音寺の悪人の話で小物って言ってたけど
俺は相当な悪だと思う

286:人間七七四年
11/09/15 03:19:42.42 lYZpry4M
直家って悪人かね?
弱小勢力でスタートしてるから
戦で勢力を拡大した場合、その度に兵力を消耗するから
勝っても、勝っても、ピュロスの勝利になる恐れがあるし
だから謀略で拡大するしかなかっただけだと思うんだが。
切腹させた金光宗高の子に所領を与えてたり
殺す必要のない奴は殺さないよね?
他の大名の城内皆殺しとかの方がよっぽど悪人だと思うが。

287:人間七七四年
11/09/15 08:56:42.75 XrtfJ0wK
現代の価値観で計ってもしょうがないだろ
色々裏稼業で人を消しても家として勢力を保持しえていたのだから当時としては
許容範囲だったということ

ただ、義父殺し、妹婿殺し、娘婿殺し、毒殺、暗殺とまあなんだ
よーやるわ と正直思う

288:人間七七四年
11/09/16 23:16:50.24 TAMSxdIb
岡山市在住で毎日、砥石・高取山・乙子を観ながら通勤してます。
田舎の長閑な田園風景が続き、車なら数分で通過する距離です。

直家公が幼少期、辛酸をなめ壮年期、祖父の敵を打った戦場だったと思うと感慨深いです。

289:人間七七四年
11/09/17 00:05:18.20 OEap1Yne
辛酸なめ夫

290:人間七七四年
11/09/18 20:25:56.96 LW/qG0lQ
やっとこ渡邊大門先生の「戦国期赤松氏の研究」を読み終えました。
この本で赤松権力の末端に位置した宇喜多氏についての考察があるんですが
その中で興味深かったことをいくつか。

・宇喜多氏は吉井側下流域での流通経済圏を足場に発展したのではないか?
これは直家というか宇喜多家が鎌倉室町の御家人的な価値観でなく
信長、秀吉に見られるような合理的な価値観の持ち主だったのでは?
とか想像してしまいます。

また
・守護赤松ー守護代浦上ー郡代島村の下位にあたる
独立性の高い土着領主として宇喜多氏(直家以前)
という評価もありました。
島村氏(観阿弥?)は郡代として赤松家中にあり
宇喜多氏(能家)は流通経済を握る土着領主となると
砥石落城の件はまた違った視点が出てくるかと。

>>288
この前、乙子城行きました。
こんな小さな城(砦?)からスタートして…
と思うと感慨深かったです。

291:人間七七四年
11/09/19 02:38:59.60 HQPRXBvk
彼らが活躍した備前、美作、東備中、西播磨あたりは資料も少ないので
これからどんどん研究が進んでいくんでしょうね 
宇喜多直家は実はスペイン人だったなんて説も出そうで楽しみです

292:人間七七四年
11/09/20 21:20:58.42 dEmfBTN4
>>291
実は織田信長は宇宙人でしたwww

293:人間七七四年
11/09/21 00:09:59.95 BfiAyUFg
秀家の肖像画を見て、この顔は外国人ですって人が居たな。
スペイン人と言っていたかは忘れたけど。
それを聞いて当時の絵じゃ無いからって突っ込んだが・・・・


294:人間七七四年
11/09/21 00:29:13.08 0WiXwZJO
つまり世の中には救いがたいバカが居るということか

295:人間七七四年
11/09/23 15:21:15.31 LVDSIAjy
『戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力』

誰か買った?ちょっと勢いで買うには高いんで尻込みしてるんだが。

296:人間七七四年
11/09/23 21:01:07.43 bWdWNOWz
>>295
かなり面白そう。
図書館入荷待ちだな。

297:人間七七四年
11/09/23 22:41:29.91 cuZ5wTyP
高杉だよなあ。
いつもみたいに無料のPDFで配布すればいいのに。

298:人間七七四年
11/09/25 08:28:14.47 e7zNui3B
研究書の類はあんま売れないから刊行数絞られて高くなるらしい。

299:人間七七四年
11/09/26 13:10:33.84 irkQ3dKA
直家の話ってどこまでが事実なんだろな?
娘が自害、娘が自害って、幾らなんでも娘多過ぎじゃね?
男の方が子供の頃に死にやすいから
死んでも男女のバランスが取れるように
男が多く生まれるはずなのに……

300:人間七七四年
11/09/26 13:16:06.67 EszYxn6N
つ 徳川秀忠

301:人間七七四年
11/09/28 13:28:06.47 rnRT2Ord
直家公はがんばったよ 織田と毛利の間をうまく綱渡りした

302:人間七七四年
11/09/30 18:55:06.69 KVvmT0M7
明日から宇喜多家三代秘話展が開催されますね。楽しみです。

平成23年岡山城秋季特別展 「宇喜多家三代秘話展 ー備前の覇者の盛衰ー」
場所:岡山城天守閣
開催期間:10月1日から11月23日まで 午前9時から午後5時30分
入場料:大人800円 小人400円

主な展示物
花房正成所用甲冑、戸川達安懐剣、久福木像、花房職之所用兜、宇喜多秀家書状、宇喜多秀家黒印状
池田宗政賛浮田土佐守画像、宇喜多直家禁制、関ヶ原合戦屏風、宇喜多秀家和歌、浮田河内守所用鐙、久福書状

個人的には職之の兜が気になります。
京都井伊美術館に有るらしい、秀家の甲冑と能家の薙刀も展示して欲しかった。借りられないのかな。



303:人間七七四年
11/10/02 07:33:46.52 iZ35VY1o
渡邊大門『戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力』岩田書院(2011年9月刊行/定価8,400円+税)

目次
 序章 研究の現状と課題
第一部 浦上氏・宇喜多氏の権力構造
 第一章 備前国浦上政宗に関する一考察
 第二章 備前国浦上宗景の権力構造
 第三章 豊臣期宇喜多氏検地再考
 第四章 豊臣期備前国の都市と経済
 第五章 戦国織豊期宇喜多氏の領国支配について ―家臣団編成を中心にして― (新稿)
 付論一 戦国織豊期における備前国鳥取荘 (新稿)
 付論二 「難波文書」年未詳十月十三日浦上村国書状の年紀について

第二部 戦国織豊期における美作国の地域権力
 第一章 美作国江見氏の基礎的研究
 第二章 美作国後藤氏の権力構造
 第三章 美作国新免氏に関する一考察
 第四章 戦国期美作国における領主の特質
 第五章 美作地域における伝統芸能について
 第六章 『新訂作陽誌』所収赤松晴政(性熈)発給文書について
 付論一 「豊楽寺文書」所収某祐定寄進状をめぐって
 付論二 美作国田邑荘・二宮荘と立石氏
 終章 結論と今後の課題
 初出・原題一覧
 おわりに

304:人間七七四年
11/10/02 08:33:18.56 YXecC1yN
宣伝マルチで通報すっぞいい加減

305:人間七七四年
11/10/02 09:36:52.27 cfFy9N7P
自己宣伝乙

306:人間七七四年
11/10/08 04:49:25.98 R5SB1vp1
うきうきフェスも3回目か・・・。

307:人間七七四年
11/10/10 00:03:41.97 aekPLXYQ
>>302の特別展に行った人がいたら感想聞きたい。


308:人間七七四年
11/10/10 00:15:06.18 3sVAUIFR
宇喜多三代って直家公、秀家公、そして能家公かな
直家公のオヤジ(名前忘れた)アワレ

309:人間七七四年
11/10/10 02:16:38.49 k6uCWnth
>>308
宇喜多興家は非実在説もある

310:人間七七四年
11/10/10 06:36:21.55 d4pcwiJ6
興家は展示する物品が何にもないからなあ。

311:人間七七四年
11/10/10 07:48:15.68 koPUepws
ある意味、最新の説に忠実なのかもしれない。

312:人間七七四年
11/10/10 17:15:18.34 3sVAUIFR
えっ?! 宇喜多興家はいなかった説があるの?
するってえと、かなりジジイになった能家公が直家公や忠家公のオヤジなの?

313:人間七七四年
11/10/10 19:28:55.13 d4pcwiJ6
>>311

今日見に行ってきたが、パンフにも紹介されてるから
それはないと思われ。

314:人間七七四年
11/10/11 10:42:15.19 JEcsXCVh
渡邊大門は能家を直家の父と書いてたよ
誤植かとおもったけど非実在説は有力なんかな

315:人間七七四年
11/10/11 23:14:21.92 qrI2pGhl
だって実在する証拠が未だに見つからんし。

あるのは興家の墓らしいよって墓ぐらい。

316: 忍法帖【Lv=39,xxxPT】
11/10/12 13:10:24.24 2sMxndBp
証拠がないから非実在だなんて暴論すぎるw

317:人間七七四年
11/10/12 13:31:21.19 W1fJxaI+
「実在した証拠」が無い以上被実在説が出るのは当然だと思うが?

318:人間七七四年
11/10/12 13:51:02.60 6F7D8F5h
で、能家が秀家に父親であるという証拠はあるの?

319:人間七七四年
11/10/12 13:51:20.95 6F7D8F5h
秀家に→×

秀家の→○

320:人間七七四年
11/10/12 15:59:52.63 gHspop5B
>>318 >>319
秀家? 直家じゃね?

321:人間七七四年
11/10/12 16:12:33.11 nrK81NqE
興家が実在してないとなると光珍寺の立場が・・・・
URLリンク(kouchinji.net)
直家の木像が有ったところだしね。


322:人間七七四年
11/10/12 18:49:40.03 6F7D8F5h
>>320
スマン

323:人間七七四年
11/10/12 19:20:51.66 qtCx40pU
そういえば春家はどうなの?
忠家と同一人物説あるけども春家はどの説が有力なんだい

324:人間七七四年
11/10/12 19:34:21.41 GhvPJ+/c
むしろ同一人物である事を否定出来る材料が無い。

325:人間七七四年
11/10/12 20:01:11.26 oa6YkbON
>>314

渡邉大門の凡ミスだろ。
読んだが結構間違い多いような。

326:人間七七四年
11/10/12 20:08:02.78 RS6/atxD
このあたりは田舎大名の話なんで資料が少ないなあ~~~
といっても一応秀家公は五大老にまでなったんだけどなあ~~

327:人間七七四年
11/10/12 22:11:12.48 hTrltHpL
>>325
ミネルヴァの『宇喜多直家・秀家』では興家も一応触れられていたけど
史料(それも後世の軍記とか)が本当に少ないみたいだな。
愚蒙短才で早死にした、という記述がちょっとあるだけみたい。

328:人間七七四年
11/10/12 23:14:55.15 Podvbva5
>>326
一時は五大老になったがその後滅んだから史料が無いのはしょうがない。

329:人間七七四年
11/10/13 00:14:23.79 V+iN6bog
直家の父が能家なんじゃないかって説は西国太平記が出典かね。

島村に襲われて死んだのは「直家の父」となってる。

330:人間七七四年
11/10/14 17:40:30.90 oHIPVRTX
辛川崩れについて調べてるんですけど
詳しいサイトとかあったら教えて頂けませんでしょうか。
小早川を宇喜多のみで撃退したってすごいことだと思うんですけど
あまりこれ語られてないですよね。

331:人間七七四年
11/10/14 22:54:11.08 ZpP6E/kA
宇喜多家三代秘話展に行ってきました。

 今回は親族や家臣団の史料が充実していたと思います。
 目新しく思ったのは秀家の娘で豪姫とともに金沢前田家に暮らした ふり姫関係の資料や
豊臣秀吉が宇喜多詮家に当てた朝鮮出兵への命令書や戸川達安が関ヶ原の戦いにおいて一番槍の
手柄を立てた際の槍や直家から賜った?懐剣、花房職之の肖像画、兜、旗指物、軍配、軍扇、烏帽子、
柄杓などがありました。
 前期(10月1日~29日)と後期(10月30日~11月23日)で史料の入れ替えが有るよう
なので、もう一回見に行こうと思っています。

 歴女の人気の高い?イケメンな秀家の肖像画には 地元の画家市原寿一氏が描いたイメージ画と
説明書きが有って笑ってしまいました。

332:人間七七四年
11/10/15 18:00:16.15 TQ9u2uk3
ほんと資料無さすぎだよなぁ

早島町出身の自分は
鶴崎神社の由緒にある宮崎城について知りたいけど
これ以外に資料を見たことが無い

あったと思われるところは住宅地になってて
祠の一つも残ってない

県外在住でネット以外で
これ以上の調べる手段何かないかなぁ




333:人間七七四年
11/10/15 20:04:17.00 xY9AgZXd
ある一定の線を越えて細かいことを調べようと思うと、地元
民家への史料採訪や聞き取りなどの取り組みをしないと
どうにもならんよ。その前提として、

・地元教育委員会等で確認(情報&絵図等の有無)。
・地域に詳しい人を紹介してもらう(文化財保護委員や古老)。
・管轄の法務局で明治期の切絵図を取得するなどして地名や
地割りから城跡を割り出す。

いずれにしても手紙を書いたり申請書を書くなど相応の
労力は必要だし、人を動かす訳だから結構気も遣うことに
なると思われ。まあがんがれ。

334:88
11/10/16 01:43:30.71 AsnvZrIf
レスサンクス

鶴崎神社の社務所の人に話は聞けたけど
あいまいな場所ぐらいしか教えてくれなかった。

今度帰った時戸川氏記念館にでも行って
そこの人に聞いてみようかなぁ

他にも
矢尾熊野神社に秀吉軍が高松城の戦いの戦勝祈願に姫瓜を奉納した
日付が判らないか探しているけど
早島町の史料って町北部のものって無いんだよな
藩違ってたからかな

秀吉軍の日付レベルでの行軍記録ってないのかな
撫川城が落城してから高松城包囲する間の日付だと思うのだけど


335:332
11/10/16 01:45:46.36 AsnvZrIf
名前ミスった334=332ね

336:人間七七四年
11/10/16 12:24:03.65 FkHEwlra
興家は他ならぬ能家の自伝の宇喜多和泉守能家入道常玖画像賛でも存在がスルーされてるのがなんとも


四郎はちゃんと記述があるのに。

337:人間七七四年
11/10/16 13:35:11.86 fNG47LHY
四郎は能家生前に死んだからだろ。

338:人間七七四年
11/10/16 14:52:44.33 SmkZ6ZVO
興家の発給文書どころか興家宛ての手紙とかですら一つも無い上に戦の交名に名前が載った事も一度も無い。

こんな奴いるのか?

339:人間七七四年
11/10/16 15:28:18.73 V9RWJfzx
完全にプー太郎だったんじゃね? 実際記録にはクズだったと書かれてるし
まあいつの時代にもいるよ 働かないやつ いまでいうとニートかヒキコモリか
能家公の年齢がはっきりしないんだけど、やっぱり直家公の父ではジジイすぎる
それに今思い出したけど忠家公は能家公が同僚に殺され、宇喜多一族が放浪してから、
昔世話になった商人の娘が産んだ子
能家公が生きてて孕ませたとするのは無理がある やっぱいたんだよ興家は
ぜんぜん働かずにオヤジさんの威光だけで酒と女にありついてセックスばっかりしてたんだよ

340:人間七七四年
11/10/16 19:31:50.22 fNG47LHY
>>339

そこまで言うこたあないと思うがワラタ

341:人間七七四年
11/10/22 17:50:08.44 ubruZDIe
今日、宇喜多家三代秘話展に行って
ボランティアの人に聞いて見たんですけど
「興家は武家としての活躍が全然ないから外した」
みたいな事を言ってました。
中の展示を色々見て思ったんですけど
直家以前の宇喜多(浮田)一族って
よくわかってないんですね。
能家と同時期に宗家という人が
知行状出してたりしてるんだけど
この人の詳細も不明。
もしかして直家って宇喜多(浮田)一族
だったんだろうけど嫡系じゃなかったんじゃないか
と思えてきました。
もしかして能家の孫も自称なのでは?
だから興家の存在があやふやなのでは?

342:人間七七四年
11/10/22 21:41:19.43 25Fwrwop
>>341
浮田大和のほうが本家とか

343:人間七七四年
11/10/25 00:21:50.04 jn3PBfcI
そうだね。

344:人間七七四年
11/11/12 17:59:38.03 lTWFugZ4
今日、宇喜多家三代秘話展行ってきた。
パネル(写真・説明文)のみの展示物はそのまま残して宇喜多時代のコーナー作って常設にして欲しい。



345:人間七七四年
11/11/18 22:27:50.08 pDiJU5bD
宇喜多三代の大河ドラマやってくんねーかなー
もっと必死になってNHKに企画持ち込めよ

346:人間七七四年
11/11/19 01:43:28.72 u8cQ3udG
大河だけは絶対にやめてもらいたいわ

347:人間七七四年
11/11/19 01:57:33.79 nW/5jVVX
来年の平清盛では西行と源義朝が清盛の親友だそうだが、
宇喜田三代ではどんなトンデモ設定になるか予想しよう。

348:人間七七四年
11/11/19 03:55:48.08 yOaSq51N
浦上をとことんゲスに描いて裏切りに正当性をもたせる

349:人間七七四年
11/11/19 04:13:16.58 BhVaMO4I
取り繕ったヒューマニズムに流される物語などクソだ
直家公の合理的で怜悧な手管、次代まで繋いだ綱渡りの処世はヒールでこそ輝く
三村サイドが視点の備中兵乱こそがドラマに相応しい

350:人間七七四年
11/11/19 13:35:03.56 sBU69CL5
三代って興家、直家、秀家?
興家について話のネタないから直、秀の親子でいい、

極悪非道だけど家を再興する直家
善人だけど優柔不断で情に流され家を滅ぼす秀家

な感じでやって欲しいな


351:人間七七四年
11/11/19 16:04:29.69 p+DNlFu0
今の大河でマイナーな武将を採用すると、有名なエピソードに関わったと改悪するから
本能寺の変の黒幕は直家だったとかになりかねん。直家の遺志を継いで秀吉が暗殺とか・・・・



352:人間七七四年
11/11/19 16:41:13.55 nW/5jVVX
いや決断力もあるし太閤様のご恩を大切にする秀家だろう。

353:人間七七四年
11/11/19 17:09:36.26 epEIss7M
大河では無理だろうけど
直家のキャラ設定は
祖父は殺され父はアル中になった没落貴族の息子。
なんとか殺されまいとして阿呆を装い
庶民からも蔑まれた幼少期。
だからめちゃくちゃ屈折してまーす!
でいってほしい。

354:人間七七四年
11/11/19 17:34:29.46 Z8ScHq1d
大河でやってほしいと思うけど妖しさや尺を考えると
年末のヤマダ電機枠(12時間一挙放送)がしっくりくる・・・

355:人間七七四年
11/11/20 04:06:31.87 HM0XAixz
「兜・宇喜多三代」大河ドラマ待望論

356:人間七七四年
11/11/20 08:09:32.07 Qm5/QjOB
よく誤解されるけど宇喜多の旗にある字はカブト(兜)じゃなくて児の古い形の(兒)だよ
宇喜多家は備前児島の英雄、児島高徳の子孫と言ってるからあの字を大事に
したんだろうか

357:人間七七四年
11/11/20 12:33:30.58 pemYw0yJ
前もどっかに書いたけど
個人的に直家さんはテリー伊藤っぽいイメージがある
そして中納言様は是非とも本木雅弘で

>>356
俺も最初読み間違えてたw

358:人間七七四年
11/11/20 12:39:44.51 pemYw0yJ
訂正スマソ 本木雅弘は明石全登で


359:人間七七四年
11/11/26 19:56:09.42 Zw12mq12
 今、宇喜多氏研究の第一人者は、誰になるのだろうか。

360:人間七七四年
11/11/27 00:51:47.93 MCZ0oMS1
なんかさぁ、宇喜多関連のウィキペディアのページでひたすら渡邊大門の著書を参考文献に追加しまくってる人がいるんだけど…

たどったら渡邊大門のページそのものまで作ってたけどまさか本人ですかね。

361:人間七七四年
11/11/27 01:41:34.43 1fiEOM4d
ツイッターみると気の毒になるぐらい忙しいみたいだから
本人ではなさそうだけどね
関係者なんだろうな

362:人間七七四年
11/11/27 02:48:22.49 MCZ0oMS1
ほんとかなぁ

まぁ熱心な信者だったとしても本読んでるならついでにページの充実も図って欲しいわ。

363:人間七七四年
11/11/27 02:54:28.97 46CaLTZs
つーか、今宇喜多系で熱心に著作発表してる研究者なんて渡邊大門くらいなんだから、
関連書籍で名前出てくるのはむしろ当然だろ

その手のことをやけに穿って報告してくる人間のほうがむしろ気持ち悪いんだが。
まさか渡邊大門mのアンチとかいるのか?w

364:人間七七四年
11/11/27 03:59:35.11 6W8+75Wl
童門冬二に比べたら少しはマシなんじゃないのか

365:人間七七四年
11/11/27 17:47:12.90 BwqPAH7+
渡邊大門の講演会に行ったら、いつも熱心なファンが来てるみたいだ。本にサインをしていたよ。びっくりしたぜ。
宇喜多氏といえば、大西泰正も本を書いているけどどうなんだ。
編纂物が好きみたいで、結構使っているな。あとは人物研究。
あっちこっちで同じような短文を書きまくっているな。

366:人間七七四年
11/11/27 18:21:36.59 LO3zHKzK
ふーむさんこと畑先生はサイトの更新止まってるけどまだ活動してるの?

掲示板で解答してくれるから有り難かったんだけどなあ。

367:人間七七四年
11/11/27 19:10:04.02 BwqPAH7+
畑先生は何も書かなくなったな。何でだろう。
どこで何をしているのだろうか。
あのHPは、転載とか結構うるさいな。

368:人間七七四年
11/11/27 19:35:18.31 BwqPAH7+
 渡邊大門の信者なんているのかよ。

369:人間七七四年
11/11/28 01:27:19.11 cBmkzvtD
信者ってほどじゃないが氏の新刊が出ると一応本屋でチェックはしてる

370:人間七七四年
11/11/28 07:29:32.45 MJQ0B1aI
今一番有力な歴史小説家って誰だろうか
そのひとに宇喜多三代を書いてもらいたい そして県知事にNHKに招致運動を
してもらおう

371:人間七七四年
11/11/29 01:14:30.66 D1ZK1C3s
糞大河にされるんだろ、やだよw

372:人間七七四年
11/11/29 20:15:00.03 mx+HDLy7
当スレ等での大門先生の自作自演が酷い件について

373:人間七七四年
11/11/29 20:19:59.56 yireXw2S
>>372が渡邊大門アンチか。
こんな所で何がしたいのかしらんが、お前気持ち悪いな~。

渡辺先生のサイトに掲示板あるから、そこで直接言えば?

374:372
11/11/29 21:39:48.12 mx+HDLy7
うん、アンチだよ。
何がしたいかって、別に何も。
強いて言うと暇つぶしかな。

>>お前気持ち悪いな~。

そうかなあ?、普通だし、率直な
感想を言ってるだけだけど。

>>渡辺先生

信者乙。ご苦労様ですね。

375:人間七七四年
11/11/29 22:26:37.99 KJG2rL1O
こんなマイナーなんにアンチがいるとは驚きだな。

376:人間七七四年
11/11/30 12:35:35.43 RwQJrugB
>>374
だから直接言えよ。ここは渡邊大門掲示板じゃねえぞ。

377:人間七七四年
11/12/01 08:38:08.07 IG8tFSTt
まあ、渡邊大門なんてどうでもいいじゃないか。
大西泰正も本出しているけど、どうなんだ評判は?
それから、就実大学の田中修実も自分の大学の紀要になんか書いてたな。
二人の研究は、評価されているのか。

378:人間七七四年
11/12/01 10:52:44.03 wL6dxYLv
評価が日本史研究とか、史学雑誌?とか有名なとこに出てたはず

379:人間七七四年
11/12/02 02:36:45.78 AJZqN5LM
ぶっちゃけ久世町史(2004年版の方)買ったほうが色々勉強になると思うぞ。
今、ほとんどの研究家が参考にしてるんじゃないだろうか。

真庭市の生活振興課で3000円で買えるからこの手の史料集にしちゃ割りと安いし。

380:人間七七四年
11/12/02 06:04:30.56 Q4LEaghP
宇喜多について調べだすと浦上についてどうしても調べざるをえず、さらに赤松までいき、
赤松の将軍殺しとかで足利将軍までいって南北朝の知識も必要になり、
収拾がつかなくなって末恐ろしい

381:人間七七四年
11/12/02 14:52:00.14 Jj7VaAu3
>>380
宇喜多、浦上、赤松をまとめて研究している人いないの?

382:人間七七四年
11/12/02 17:19:56.56 A9WS0Sam
>>380-381
ここでは評判悪いみたいだけど
渡邊大門の「戦国期赤松氏の研究」
はその辺が総覧出来て面白かったですよ

383:人間七七四年
11/12/03 20:16:25.63 xXfxmb5o
大西泰正はどうなんだ?

384:人間七七四年
11/12/03 21:18:14.97 H1jczQdc
論説、素材にオリジナリティがあるし、読みやすい。
研究対象をあれもこれもと欲張らないのも好感が持てる。

385:人間七七四年
11/12/03 21:48:25.52 VOeI1IAM
>>366
>>367
たしかに、もう数年更新もされていないよね。

御本人には、歴史ファンの手に届きにくい書籍や論文で
明らかになってきた事柄を、
自分の考えも含めてネット上で公開することで、
誰でも簡単に新事実に触れられる環境を作りたい…
との思いがあったようなのですが、
本来なら自ら真摯に勉強して新事実を探求すべき立場にいる人や、
一部の物書きさんの「手抜き」の材料にされるようになってしまい、
そのことで悩まれているようでした。
以前、何度か質問のやりとりをしていたころ、
そういった趣旨のことをおっしゃっていた記憶があります。

> どこで何をしているのだろうか。
最近は、活字の方でもあまり書かれていないようだね。
もうやる気がなくなってしまったのかな。
このスレで話題になっている大門先生とか大西泰正さんとかに
頑張ってもらうしかないな。

386:人間七七四年
11/12/04 08:28:30.87 WZMCJkdZ
>>383
『日本史研究』で狂ったように、反論書いていたな。
なんかおかしいんじゃないか?

387:人間七七四年
11/12/04 09:29:59.32 7juYvZUX
それ、日本史研究の編集委員もおかしいってこと?
かなり審査厳しいらしいし。
ちゃんと名乗って学会に抗議文でも出せば?
てか、お前がそこに書けば?

388:人間七七四年
11/12/04 12:00:05.89 LkwsUhqI





389:人間七七四年
11/12/04 14:55:49.07 DEoQFRAV
個人的に光成氏や渡邊氏の大西説批判はピンとこない。
大西氏本人や森脇崇文氏も書いていたが、「史料の扱い方に問題がある」なら
読者や後続のためにも具体的にどの論文のどこの部分が問題なのか説明して欲しいところ

390:人間七七四年
11/12/04 15:44:01.49 s/XESW2C
まあ、最近名前の挙がっている人たち本人と、
その関係者がこのスレに光臨していることだけは
何となくわかるよ。研究者と呼ばれる人も、いろいろ大変だな…。

「備前宇喜多氏を語るスレ 2」というスレタイなんですが、
最近は「宇喜多氏について語る人」のことを語るスレになっちまってますな。
どの先生が良いとか悪いとか論じるのもいいけど、
宇喜多氏そのものについても語ろうぜ。
先生方も、出てきてるんなら俺たちの愚問に答えてくれよw

で、宇喜多直家の小さい頃の名前って、八郎であってるのかな。
秀家はそうだけど、親子二代続けて八郎を名乗ってたという理解でOK?

391:人間七七四年
11/12/04 16:09:25.14 PrZfvPZ/
「分からない」というのが今のところ正解。

392:人間七七四年
11/12/04 17:59:54.65 W4vC3ZPZ
>>391
そうなのか…史料がないから何とも言えないってところなのかな。
本当に、宇喜多氏って分からないことが多いんだな…。
どの先生か存じませんが、ありがとうございました。

393:人間七七四年
11/12/04 21:59:06.97 DxB/1tHX
どうやら備前軍記におけるさい(禾+最)所元常の没年も誤りがあるらしいな

死んだのは1563年で龍口城の陥落に至っては明禅寺合戦の後にまでずれ込む。


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