10/10/02 23:23:40 DMOc7zVi
>>157
勝頼が御館の乱でどちらについても結果はあまり変わらなかったかもしれません。
そもそも景虎側が勝つということは実質北条が越後、越中を手に入れ巨大化することを意味します。
先立つ金が必要だったこともありますが、武田は既に長篠の惨敗と経済的困窮で弱体化しており、
同盟相手であった北条氏政も機会あらば、織田徳川方に付こうという魂胆があったと思われます。
つまり同盟相手とはいえ、信用の置けない北条が巨大化して自領を取り囲むような事態を避け、
上杉景勝に北条に対する牽制役をお願いするしかなかったとも言えます。
御館の乱で景虎側が勝っていてもその後に氏政に裏切られ、四方から攻め込まれていたでしょう。
勝頼が死期を早めた原因はもっと前の段階で長篠の惨敗、ご親類衆との不和、有効な経済政策を立案できなかった、
といった点につきると思います。