11/05/24 17:44:29.95 AKzysEoS
甲陽軍鑑とか小田原北条記とかだと伊玄入道景春が憲政に仕えていることになってる。
軍記物の世界では景春と一盛斎長野業正が混同されている感じ。
山内上杉家中に疎い甲陽軍鑑の作者の創作だろう。
伊玄入道と長野業正が同時に登場することが多いが憲政の代には景春の子景英だって既に世を去っていたし
白井長尾氏には憲政の代の長老的存在という、この役割に該当するような人物は見当たらない。
関八州古戦録では伊玄入道の代わりに一声斎長尾景盛なる人物も出てくるがこれは長野一盛斎の名が誤って伝わったものだろう。
甲陽軍鑑では他にも厩橋長野賢忠が長尾謙忠として伝わっていてこれが他の軍記物にも影響している。