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~1576年-1578年不屈の将軍再挙兵~
1576年義昭が毛利を頼る。信長が信忠に家督譲渡。
1月丹波の赤鬼の渾名ある赤井直正は波多野秀治の明智への謀反もあり大勝利を得ることで山名も毛利に再接近。
5月天王寺の戦い。7月毛利の本願寺支援の第一次木津川口の戦い。
7月吉川元春の命を受け山田重直が山中幸盛&羽柴秀吉との内通疑惑のある
福山茲正を羽衣石城下で暗殺したことを契機に伯耆南条元続が毛利を離反。
(山田が1582年羽衣石城を落城させた際の毛利の恩賞は恩賞の先行給付の濫発で土地が無く久米郡内僅か28石w)
1577年3月信忠ら本願寺後援する雑賀攻め失敗で妥協的和睦。8月謙信上洛の期待から松永久秀謀反し信忠が討伐へ。
能登七尾救援に信忠軍を分割し柴田を総大将に派遣し11月手取川の戦
1578年3月播磨東部の三木城でも毛利に期待し別所長治が織田を離反し背後を閉じられた秀吉が播磨で孤立。謙信死去。
~1578年-1582年謙信死んで助かった時代~
7月信長が別所攻略を優先し上月城放棄命令をするが山中らは死守を決意。
毛利は上月城の戦いで山中幸盛を処刑するも姫路にやってきた信忠軍を恐れ撤退し別所救援に行かず見捨てる。
10月摂津有岡城にて本願寺との内通を疑われた荒木村重が織田に謀反し同調した播磨中部の小寺政職らも相次いで織田を離反。
11月第二次木津川口の戦いで毛利大敗。丹後国の一色義道も織田を離反したので光秀や細川の攻撃を受ける。
1579年天正伊賀の乱で織田大敗。3月には毛利から見捨てられた八上城と黒井城が明智により分断され
6月八上城の波多野兄弟が毛利に見捨てられ落城。8月には赤井の黒井城落城し織田の丹波平定がやっと成功。
一色義道も但馬へ逃走中に謀反で自刃。子の義定が弓木城でなおも抵抗。10月宇喜多直家が秀吉に付く。
1580年2月毛利が見捨てた三木城が落城し別所自刃。5月秀吉の大軍勢が居城である但馬有子山城を包囲する中で
毛利の援軍を待ちながら山名祐豊死去し子の山名堯熙が有子山城を棄て因幡へ逃走。
7月毛利に見捨てられた荒木村重が花隈城から逃走。8月毛利から見捨てられた本願寺が織田と和睦し石山退去。
9月毛利に見捨てられた因幡の鳥取城も豊国が秀吉に降伏落城し秀吉は去る。
1581年第二次天正伊賀の乱。3月鳥取城は吉川経家を迎えるが秀吉の鳥取再包囲に
元春は南条の攻略を口実に見捨てた為10/25経家自刃。
秀吉が急速南下し一気に渡海し11月17日には淡路国を従え長宗我部の攻撃に苦戦中の阿波の三好支援も開始。
1582年早々直家死去が明らかに。3月信忠軍により武田滅亡。4月備中高松城の戦い開始。高野山攻め敗北・本能寺の変で信長自滅。
~織田家瓦解と秀吉の乗っ取り時代~