11/01/09 11:06:41 YDUdJinc
龍造寺は耳川の敗戦までは大友の傘下だったのでしょうか?
901:人間七七四年
11/01/09 11:56:56 G9XzNxf7
>>900
いや、その前に龍造寺は大友と何度も戦っている。
蒲池鑑盛という大友方の不思議な武将を介してくっ付いたり離れたり。
902:人間七七四年
11/01/11 21:06:41 NDqkrDv1
2番目が京極に嫁がされたのは名門ということがポイントだったのでしょうか?
903:人間七七四年
11/01/11 21:14:38 NDqkrDv1
すみません江スレとニアミスでかなり簡易書きしてしまいました
申し訳りません
904:人間七七四年
11/01/12 13:27:00 CA3lwdIj
>>902
畿内の要衝である近江を円滑に支配したいことが第一で、
初に安定した生活を送らせたいと願った茶々や竜子へのご機嫌取りが第二。
905:人間七七四年
11/01/14 14:21:56 OaG2Ewnf
先日NHKでウフィツィ美術館とメディチ家の特集をしていました。
イタリアのメディチ家と日本の大内氏は経済面を支配し、
芸術を奨励しパトロンになるという似たような政策をしていましたが
メディチ家は成功し、大内氏は没落しました。
両者にはどのような差があったのでしょうか?
906:人間七七四年
11/01/14 14:36:09 6I1Kx7Oy
大事な戦いで負けた
907:人間七七四年
11/01/14 14:44:40 SGANpZPX
メディチ家と大内家の支配体制の決定的違いは、
前者はローマ教皇まで支配したが、大内は皇室支配などできる立場ではなかったこと。
繁栄の基盤や財力がけた違い。
メディチ家は何度も没落しかけたが、優秀な当主が現れては、しぶとく復活している。
人材の豊富さもけた違いと言える。
908:人間七七四年
11/01/14 14:51:42 q1IAfuRd
メディチ家と大友氏は「似てない」と言った方がいいレベル
909:人間七七四年
11/01/14 18:29:29 gqvdiOW2
そもそも安易に「〇〇と××は似ている」というのは非学問的行為以外の何者でもない。
910:人間七七四年
11/01/14 20:24:55 V71J0Tb0
メディチ家はライバルが雑魚しかいなかったよ
没落しかけても再浮上する余裕がたっぷりあった
911:人間七七四年
11/01/14 20:59:13 A+mroZEo
戦国大名の嫡男に対する養育の力の入れようの半端ないことは衆目一致するところ
その期待の嫡男に先立たれたら落胆甚だしいことも察するところ
大内家は勿論、三好家、長曾我部家、尼子家、朝倉家、蘆名家・・・本当に不運だな
注、嫡男を死に至らしめた武田家はこの範疇ではない
912:人間七七四年
11/01/14 21:53:21 R29GKk9H
>>911
真田昌幸は三男だぞ。
それと朝倉家の期待の嫡男て誰?
913:人間七七四年
11/01/14 21:56:08 arUBxFL3
源太が戦死した頃には幸隆も死んでたから関係ないよ
914:人間七七四年
11/01/14 22:37:55 9egdpjcB
昌幸は養育が行き届いてなかったからそのときお徳な方へ
うろうろしてるうちに終わっちゃったんじゃないか