10/10/27 00:15:48 xJcdDOeh BE:221130566-2BP(3200)
戦国から江戸時代、相手を侮辱する言葉ってどんなのがあるだろう?
できたら漢字熟語が望みなのだが。
551:539
10/10/27 01:26:54 oQxF7tsm
>>547
わざわざありがとうございます。調べてみました。安王丸、春王丸という兄弟ですね。
時代はもしかそのころかもしれませんが、うーん残念、子供は一人だったと記憶しています。
おそらくもっとローカルな地方豪族の話で、公方様の御子らなどと、とてもとてもw
読んだ本についてですが、「奥州探題」という単語があったことを思い出しました。
大崎氏をメインに、周辺の関連歴史について地元の大学の先生あたりが書いた本だったような…
斯波氏で始まって、最後近くでは伊達政宗も出てきていました。
その本の記憶でもう一人、気になる人物が…
552:539
10/10/27 01:34:02 oQxF7tsm
悪なんたらとか魔なんたらとか呼ばれて恐れられていた地方の豪族の館に
人質のような小姓として入った、家臣の息子の話です。
その御館樣は専横が過ぎて、後に家臣や領民に攻められてしまうのですが、
彼は「人には極悪人だとしても自分には主だ」という感じで自分なりの筋を通して
主人を守って戦いました。(その乱の結末や彼の実家については、ままま全く
覚えていません。でも御館樣は殺されたような…)
その戦乱では、お坊さん又は還俗した人がリーダー的な役割だったような、ないような…。
元服した彼はその後、最初の主よりもずっと格上の主人に仕えることができたようですが
(それが誰なのか、もちろん覚えていませんw)、とにかくそれからだいぶ経って
また戦乱が激しくなった頃にも色々活躍していたようです。
ところが最後にはまた主が負けてしまって、でも今度は彼の武勇を惜しんだ
その敵方の大将に気に入られたような形で、そっちに仕えることになったような…。
とにかく、その時にも自分なりの筋を通したような豪気な逸話があって、
その、彼の頑固な様子ばかりを覚えています。
名前が途中で変わって(改名した?)、その中に特徴ある字があったような
気がするので、複数の名があればあわせてどうかお願いします。
553:人間七七四年
10/10/27 01:51:47 R7svpXlN
>>552
その御館様っていうのは大宝寺義氏のことじゃないかと思うんだが、
家臣の息子の方は思い出せないな…
554:547
10/10/27 02:20:51 nBCjQWSM
女装の話は知らんが
なんとなく話のストーリーが
鮭延秀綱のことを指してるような気がする。
555:人間七七四年
10/10/27 02:22:59 QEwEFRZY
>>550
一番多く使われた敵への侮辱は、敵の「諱」をそのまま使って呼ぶこと。
諱を勝手に呼ぶことは当時最大級の無礼だった。
556:剣恒光@Free Tibet ◆yl213OWCWU
10/10/27 04:07:37 xJcdDOeh BE:221130566-2BP(3200)
>>555
なるほど、ありがとうございました。
557:人間七七四年
10/10/27 16:43:35 ni3/EhDU
時代劇などで戦国大名は「お館様」と呼ばれていますが、
全国どこの戦国大名もその様に呼ばれていたのですか?
558:人間七七四年
10/10/27 16:46:21 fJgeEETX
>>557
「お屋形様」と呼ばれるためには室町幕府の許可が必要。
559:人間七七四年
10/10/27 18:05:08 w2ZUoG+C
>>557
北条だとご本城様って呼ばれてたみたいだな
560:人間七七四年
10/10/27 18:19:24 VkaU9NFA
>>557
一応は守護でないと呼べないんじゃないかな?
北条だと御本城様で、
守護扱いだけど守護でなかった謙信とかは御実城様
561:人間七七四年
10/10/27 18:22:18 hdNmvMdz
長尾は屋形号貰ってるだろ
562:539
10/10/27 20:46:00 oQxF7tsm
>>553
ありがとうございます。早速調べてみました、大宝寺義氏。これきっと当たりです!
「悪屋形」という言葉、まるで一揆のような反乱で家臣にも挙って裏切られた点、
叛いた側にも名前に「寺」が付いていて僧侶を連想、僧坊とも無関係ではなさそう、
よみがえった記憶の中にある、裏山で自害した点等も合っています。
確実になった大宝寺義氏から、本にあった大崎氏あたりの周辺をさらに探してみます。
信念の人のようでいて、何となく論理的なところもあった気がする謎の人物の正体を。
1583年の時点でおそらく10代中~後半でしょうが、マイナーな人だと生没年は不詳かなあ…
563:539
10/10/27 21:03:23 oQxF7tsm
>>554
ありがとうございます。鮭延秀綱、この人も地域と時期が合致しますね!
1581年に最上義光による城攻めにあい逃げ延びたけど、実は最初から義光に
気に入られていて、後に家臣になったという話ですね?なるほど。
ただ、謎の彼はその1581年にはまだ「悪屋形」のところにいたはずなので、別人かと。
それにしてもこの鮭延秀綱も、最後までドラマチックな人ですね~。
564:539
10/10/27 21:07:23 oQxF7tsm
>>557
お屋形樣、例えば私が検索したてホカホカの大宝寺義氏は、
足利将軍が滅んだ後に織田信長から「屋形号」を許された人のようです。
565:人間七七四年
10/10/27 21:28:04 JeCfsyKB
もし大阪の陣で豊臣方が守りきる、というか長州征伐のように家康が死んで講和に持ち込まれた場合、
このころは福島や加藤など有力外様も幕末より多く残っており
江戸幕府が幕末のように破綻する可能性はあると思います。
このころの譜代や旗本は幕末のように出兵拒否するようなことはないでしょうが
軍役は自腹だったのでしょうか?
566:人間七七四年
10/10/27 22:13:46 w2ZUoG+C
×軍役は自腹
◯自腹だから軍役
この時代、外様はともかく譜代で出兵拒否はないと思う。
567:人間七七四年
10/10/28 02:19:01 o/OsdCA0
>>561
なのに何で屋形号使わなかったんだろうな
568:人間七七四年
10/10/28 05:17:21 RR/PZsZw
大宝寺義氏は信長から公認されてるので
悪屋形ってのは滅ぼした側の最上の情報操作と言われてますね。
>>女装姿
これが一番の謎
>>奥州探題という単語
奥州探題斯波家兼を祖にしてるのが大崎氏で最上は支流
それなんで出羽探題自称が最上であり、最上義光の甥が伊達政宗
>>極悪人
大宝寺義氏
>>家臣の息子
鮭延秀綱?
>>最初の主よりもずっと格上の主人
旧主にあたる雄勝屋形の小野寺氏?
>>彼の武勇を惜しんだその敵方の大将
最上義光
>>叛いた側にも名前に「寺」
東禅寺義長
>>筋を通したような豪気な逸話
天童氏を裏切る条件として最上側への条件に
天童頼澄の助命を願い出た延沢満延と混同してる?
569:人間七七四年
10/10/28 15:35:50 4pHbKYG6
>>558>>559>>560>>561>>564
みなさんありがとうございました。
地域は関係なく 家格で言ってたのですね。
勉強になりました。
570:人間七七四年
10/10/28 20:32:58 kFalVdj0
足利は北条氏滅亡後誰の領地だったのですか、やっぱり家康?
571:人間七七四年
10/10/28 20:40:36 jMdOby3K
>>570
そう
572:人間七七四年
10/10/28 21:02:29 kFalVdj0
>>571
家康の直轄領ということでヨロシ?
573:人間七七四年
10/10/28 21:07:14 jMdOby3K
>>572
おそらく。家康は足利学校の再建もしてるな
574:人間七七四年
10/10/28 21:23:45 FAvsMLLr
>>572
ウィキ情報だが、足利は綱吉の時代に母方の実家である本庄氏が封じられて以後、明治時代まで領主を変えながら藩が続いたらしいから、それ以前は天領だったのかも。
575:人間七七四年
10/10/28 21:23:58 nfM3qxPz
足利長尾氏
576:人間七七四年
10/10/28 21:51:56 FAvsMLLr
>>575
いや、足利長尾氏が北条に連座して放逐された後の話だから。
577:人間七七四年
10/10/29 00:09:35 9+HW+xyv
バッカ
それ後北条だから
578:537,539,551,552,562-564
10/10/29 01:09:07 lHcS0vM6
>>568
細かな回答をありがとうございます。
女装で逃げた誰かの孫については私の記憶も少なく、全く見当がつきませんが、
もう一人の方は、何となく探す当てが見えてきたような気がします。
鮭延秀綱については、大宝寺義氏の自害が1583年とあるので可能性は低いかと。
延沢満延も年齢が違いますが、仰る通り私の記憶が何よりあやふやな状態ですしね。
他はだいたい私も調べてみた内容と同じだったので、何だか安心できました。
こうなったら、原本を探して読み直すしかないかと考えています。
地元仙台で読んでいたのなら何とかなりますが、もし山形や岩手に行った時に
時間潰しに(よく図書館に行くので)読んでいた物だとすると、うーん…
579:人間七七四年
10/10/29 05:55:49 yueuxKp8
>>577
おいおい、この板で北条と言えば後北条のことじゃないかいwww
580:人間七七四年
10/10/29 07:51:54 y01bc3cV
戦国時代風に辞表を書きたいんだが、良いのが思い浮かばない。
どうか御教授お願い申す。
581:人間七七四年
10/10/29 10:14:02 NAo0Zfzf
>>580
辞世の句でいいじゃん
582:人間七七四年
10/10/29 11:30:10 4QJyzayn
>>580
「お暇請い願い候申上候」と入れとけばおk
583:人間七七四年
10/10/29 12:12:20 diPRvoVL
戦国時代の正式な公文書だと漢文になっちまうからな
584:人間七七四年
10/10/29 12:25:41 y01bc3cV
忝のう御座る。
完成した辞表は
「十一月末日を以て、御暇請い御願い申上げ候。
平成十三年の御取立て以後、過分な御配慮感謝の言葉も御座いませぬ。
会社の更なる発展を御祈り申上げ候。
平成二十二年十月吉日」
585:人間七七四年
10/10/29 12:29:58 diPRvoVL
>>584
恐惶謹言
て最後に付けないと
586:人間七七四年
10/10/29 12:33:35 y01bc3cV
意味は?
587:人間七七四年
10/10/29 12:37:12 diPRvoVL
おそれながらもうしあげます
候文なのに2行目の文末が口語なのも変
URLリンク(homepage1.nifty.com)
588:人間七七四年
10/10/29 12:38:02 4QJyzayn
>>586
「おそれつつしんで申しあげました」って事。
戦国期の書状、特に下のものが上に出すものにはほぼ見られる。
589:人間七七四年
10/10/29 12:38:23 p9gIHmcE
おそれつつしんで申しあげる
あと花押も忘れるなよ
590:人間七七四年
10/10/29 12:38:41 diPRvoVL
花押ワロス
591:人間七七四年
10/10/29 12:42:13 4QJyzayn
添削
「十一月末日を以て、御暇請い御願い申上げ候。
平成十三年に御取立て下され候、過分なる御配慮言葉事無にて候。
御社の更なる発展を御祈り申上げ候。
恐惶謹言
平成二十二年十月吉日
名前(花押)」
592:人間七七四年
10/10/29 12:47:35 y01bc3cV
皆様忝ない。
明日、糞野郎に叩き付けてくるわ。
593:人間七七四年
10/10/29 14:24:12 MCEnAJpy
>>579
この板の人間なら誤解を回避するために伊勢氏って書くだろ…
594:人間七七四年
10/10/29 15:34:24 LzpG0FwC
それは日本史板だな
595:人間七七四年
10/10/29 18:29:46 9+HW+xyv
戦国板なら常識として
大江姓越後毛利氏の厩橋城主北条高広との
混同を避けるためにも
他国の凶徒伊勢とか伊勢北条とか偽北条とか
北条と僭称した逆徒とか小田原北条とか後北条とか書くだろうね。
ただ北条と書いたら
鎌倉執権北条氏のことを指すだろ。
596:人間七七四年
10/10/29 18:57:12 MCEnAJpy
中央政権に征伐された鬼高利貸しビジネスをやっていた小田原広域暴力団って正確に書けば誤解が生じなかったよね。
597:人間七七四年
10/10/29 19:13:27 9aBb5P9U
ほんとに自作自演好きだなお前。
それなんて病気?
598:仙台藩百姓
10/10/29 19:19:46 fgtVQPGt
Sub症候群( ^ω^)
599:人間七七四年
10/10/30 16:27:59 x9M7tjuO
このスレならオタスケマンやシェーラの1匹か2匹紛れこんでいてもおかしくは無いな。
600:人間七七四年
10/10/30 17:11:35 OZRGcXeR
お分かりになられる方が見えましたら、お願いします。
大きな戰というのは、前もって両軍が「○月○日にやりましょう」と打ち合わせを
していたんでしょうか? 関ヶ原なんかはどちらも大軍で、あんな広い場所にちゃんと
集まっているので事前に「○月○日はいかがですか?」「ちょっと都合が悪いです。
×日ではいけませんか?」「一度相談してみます」みたいなやり取りがあったのかなと。
あと家康には兄弟がいなかったんでしょうか。あの時代に一人っ子は珍しいなと
思うのですが。
601:人間七七四年
10/10/30 17:34:36 dZrgSghk
>>600
> 大きな戰というのは、前もって両軍が「○月○日にやりましょう」と打ち合わせを
> していたんでしょうか?
そんなものはない。基本既に布陣している敵に対し一方が攻めかかることにより合戦が起こる。
> あと家康には兄弟がいなかったんでしょうか。
異父兄弟はけっこういるが、松平広忠が早くに死んだためもあって、広忠の子という意味では
家康一人。
一応家康双子説と言うのもあるにはあるが、大変胡散臭い。
602:人間七七四年
10/10/30 17:40:43 OZRGcXeR
>601
早速のレスをありがとうございました。
じゃあ、いつ戦が始まるか分からなかったんですね。緊張が長く続きそうで大変だったんですね。
兵糧とかも多めに準備したり……お金がかかりそうです
異母兄弟ではなく、異父兄弟なんですね。初めて知りました。ありがとうございます。
あとさらに質問ですいませんが、昔って双子を畜生腹と呼んで忌み嫌ってるんですが、
母子共に相当危険だった時代に1度のお産で2人子供が授かるのはすごく効率が良いと思うんですが
そうは考えられなかったのが不思議だなと思ってます。
どうして忌み嫌われていたのかを御存知の方はいらっしゃいますか?
603:人間七七四年
10/10/30 17:51:34 dZrgSghk
>>602
> じゃあ、いつ戦が始まるか分からなかったんですね。緊張が長く続きそうで大変だったんですね。
相手との距離や姿勢から、合戦を狙っているかどうかはだいたい分かるので、
ある程度は解ったと思われる。
後中世における双子の忌避は日本に限ったことじゃなく世界中でそう。
当時双子を産むことは母体に過度の負担をかけ、産死しやすいことが原因だったのでは
なかろうか。
604:人間七七四年
10/10/30 18:39:27 2UdZZtcg
>>601
>そんなものはない。基本既に布陣している敵に対し一方が攻めかかることにより合戦が起こる。
そうでもないよ
打ち合わせをすることもある
有名なところでは織田が朝倉に決戦を申し込んだけど拒否られていたりしている
605:人間七七四年
10/10/30 18:49:00 tvni0t9O
>>604
あれは挑発の一種だろ。
606:人間七七四年
10/10/30 23:04:56 3s2c0v98
奇襲のときも事前にアポ取るの?
607:人間七七四年
10/10/30 23:40:16 kBKquj6J
当然じゃん
608:人間七七四年
10/10/31 16:24:29 Wj39KxkI
海道の五郡一揆や仙道一揆、上総本一揆、武蔵上野白旗一揆の地域が戦国時代を通してどう興亡してたのか教えてください。
609:人間七七四年
10/10/31 16:32:51 jz34I2id
出兵拒否云々の話だが、
朝倉景鏡と魚住景固は出兵拒否をしていたような
610:人間七七四年
10/10/31 17:50:39 D7oXCVRT
>>608
ここは「スレ立てるまでもない質問」スレです。
611:人間七七四年
10/10/31 18:24:25 Wj39KxkI
これ単体でスレ立てても盛り上がらんだろ?
612:人間七七四年
10/10/31 20:42:39 jkM/SsK5
直江兼続がパンチラを奨励したという話(逸話)を聞きましたが、
これのソースが分かる方いらっしゃいますか?
613:人間七七四年
10/10/31 21:08:08 armrq3Hc
>>612
戦国ランスですか?
614:人間七七四年
10/10/31 21:15:00 /w10P4Bl
>>612
兼続の書いた「四季農戒書」って本
615:人間七七四年
10/10/31 21:23:15 /w10P4Bl
ちなみにパンチラ推奨の部分
>田植えの時期には、女は化粧をし赤い腰巻をちらちらさせながら田の中で働いておる男に
>弁当を届けろ、そうすると男たちはその赤い腰巻を見てますます張り切って働くぞ
616:人間七七四年
10/10/31 22:46:30 PefAkVTo
化粧までやる余裕があるなんて
米沢は豊かそうですね
617:人間七七四年
10/10/31 23:15:59 jkM/SsK5
>>614-615
ありがとうございます!
こんな質問に即答してもらえるなんて、思ってもみませんでした
618:人間七七四年
10/11/01 02:23:38 ZbyOTrUm
質問です。
本願寺の東西分裂についてなのですが、
教如が退けられ准如が法主となった時に根拠になった顕如の遺言ですが、
これは准如側の偽作であるという説を聞きました。
私が読んだこの話を書いているのが東本願寺の僧侶なので何とも言えないのですが、
実際にこういった説は現在の史学では定説とまではいかなくても、
それなりに支持されているのでしょうか?
619:人間七七四年
10/11/01 11:57:53 AZdkiygh
>617
「四季農戒書」は兼続が書いたのじゃないみたいだけどね
農政にも力を入れたのも確かだろうけど
620:人間七七四年
10/11/02 02:01:00 jYYeSpNj
宇喜多家のマイナーな騒動を語るスレ
621:人間七七四年
10/11/02 02:02:07 jYYeSpNj
誤爆
622:578
10/11/02 23:23:25 7rACABDN
>>537 について、大崎(斯波)氏三代 斯波詮持の孫の大崎満詮(初名定詮)と分かりました。
私の記憶で正しかったのは、“戦国より前”“福島県で当主が戦死(≒敵に追われて自害)”
“(当主たる)祖父と孫の組合せ”“女房姿で逃げる”という点だけでした。情けなや。
「奥州探題大崎十二代史/佐々木慶市/今野出版企画/1999年」
大崎氏については、伊達家に伝わる記録(伊達族譜)ですら四代と五代が逆になっている、
という指摘と、詳しい研究も、この本で紹介されていました。
>>552 についてはやはり、複数の人物が何となくゴッチャになっているような気がします。
それならまだしも、もはや記憶に創作が混ざってしまっているかも…。スミマセンです。
623:人間七七四年
10/11/03 01:13:47 6reVIzSc
>>602
双子は、誤解を恐れずに言うと、そもそも育ちにくかったり、障害が出やすかったりしやすい。
母体にも影響が強く、早産になったり、負担が大きくなったりする。故に死産や産褥で母体が亡くなる事もある。
更には、一番大事な事だが、長幼の序が分かりにくいので家が割れやすくなる。
信雄と信孝は別腹なのに、あんなに揉めたわけで、同腹の双子なんて、御家にとっちゃ害悪に過ぎない。
だから、双子は嫌がられる。
ただ、上記の理由もあって忌避されてたせいで双子が希少になったのと、双子独特の雰囲気から神話、伝承なんかでもよく題材になってるが。
624:人間七七四年
10/11/03 01:29:56 sPKVQW+F
>>601
家康は竹千代と次郎三郎と恵最の3つ子
625:人間七七四年
10/11/03 10:23:55 6u8abJFa
>>624
はいはい妄想はよそでしてね
626:人間七七四年
10/11/03 13:05:10 7Iw875NT
秀康が疎んじられたのは双子だったからという話もあるね。
そういや忠輝も双子説があったっけか。
家康の息子でほかに双子説があるのはいたっけ?
627:人間七七四年
10/11/07 03:55:03 oi8Sh0B+
藤堂高虎は築城の名手だと言われてますが、具体的にどういう所が名手なんですか?
縄張りに関するアイデアを出したぐらいだと思うんですが。
628:人間七七四年
10/11/07 08:52:08 fIBKoMcV
現代の建築現場も現場監督は現場には滅多に来ないから問題ない
629:人間七七四年
10/11/07 09:38:30 M4hXjupi
加藤清正もそうだよな。
築城の名手って言われても、ピンとこない。
建築や設計の知識があったからなのか、優秀な大工を雇っていたからとか、
意味がぜんぜん違ってくる。
630:人間七七四年
10/11/07 10:10:44 qvUwjqt+
>>627
若い頃は、現場に出て穴太衆から石垣構築の技術を盗む。大工連中とも交流して技術を盗む。
南蛮人とも交流して西洋の築城技術を学ぶ。文字はひらがなくらいしか書けないから、もっぱら
耳学問と現場で身体にしみこませてたそうだ。
清正や如水のことはわからないが、ドカタで雇われた餓鬼が現場からたたき上げて一級建築士
になって都市設計を任されるまでになったのが高虎だと考えれば良い。
631:人間七七四年
10/11/07 10:51:16 6YyyDNVm
>>627
高虎の築城の特徴は伊賀上野城などに見られる高石垣、正確な測量と高度な土木技術が
必要とされる方形縄張り、そしてなにより、それまでの建物を単純に重ねたに過ぎない望楼型天守を
タワーとしての構造物に一変させた層塔型天守。
日本の築城概念は高虎前と高虎後ではっきりと異なった様相を見せる。
632:人間七七四年
10/11/07 11:13:50 LLp9UuGA
層塔型は高虎以前に家康や忠興が建てています
633:人間七七四年
10/11/07 11:14:56 +I4rOz5g
高虎の築城はコスト面も非常に優秀。これも重要ね。
634:人間七七四年
10/11/07 13:08:09 yADPS1zy
それら一次史料じゃなくね?
635:仙台藩百姓
10/11/07 14:59:13 KLJ1SaXb
殿様自身の技術なのではなく
どれだけ優秀な技師を雇用又は育成しているか、と言う事なのだお( ^ω^)
636:人間七七四年
10/11/07 15:07:26 W5gVwUF/
羽柴長吉って何者だかわかる人いますか?
637:人間七七四年
10/11/07 15:14:14 6YyyDNVm
>>636
池田輝政の弟の池田長吉だろうな。
638:人間七七四年
10/11/07 16:55:55 Ok9frXZg
城なんかつくるよりも安くて守りやすい要塞みたいなものはつくれないものでしょうか?
ほとんどの天守閣のある城は戦乱が終わった後に作られているのでただの金食い虫に思えます。
639:人間七七四年
10/11/07 16:59:57 2X0y9itF
>>638
天守のある城は要塞というより政庁と考えたほうがいい。
そして城というのは目的に応じて多種多様なものがある。
はっきり言えば戦国期の城に無駄なものは一つもない。
640:人間七七四年
10/11/07 18:08:34 LstpdJmF
天守は防衛的な意味も一応兼ねてはいますが
ぶっちゃけ権威を誇示する意味が強いです。
戦乱後は権威付けの為に○層天守とか作りたがった訳ですが
江戸に入ると財政が苦しいから実質本位志向で
焼失したりしても再建しなくなったりする訳ですね。
ちなみにそういう城は>>639氏の言うとおり基本的に政庁です。
戦国期には砦に毛の生えたような城から
普段住まいに用いてない詰城のような物までさまざまです。
また新しく城を作る際に別の城を廃して資材を流用したり
意外とリサイクルしてたりもします。
641:人間七七四年
10/11/07 18:28:32 P8yL43WG
>>639
>天守のある城は要塞というより政庁と考えたほうがいい。
防衛機能を実戦で証明したのが熊本城
炎上したけど籠城戦で見事撃退したのも有名な話
>>640
>また新しく城を作る際に別の城を廃して資材を流用したり
>意外とリサイクルしてたりもします。
まあ有名所だと安土城なんかそうだね
城の廃材で言えば観音寺城の資材を流用
リサイクルで言えば地蔵とか使用
642:人間七七四年
10/11/07 18:35:51 LstpdJmF
地蔵や墓石はそれ単体で意味があるものを
石垣等に徴用してる訳だからリサイクルとはちょっと違うような。
643:人間七七四年
10/11/07 18:46:36 P8yL43WG
>>642
仰るとおりでこちらもリサイクルに入れるのは迷った
ただ織田信長に信心深さがあることに否定的だったのでリサイクルに入れた
644:人間七七四年
10/11/07 18:54:38 LstpdJmF
地蔵等の徴用は信長に限った話じゃなかったと思います
まぁ一般的な行為だったかどうかは判りかねますが。
信長の信心とかについても異議がある所ですが
そういう話はスレ違いなのでやめておきましょうか。
645:人間七七四年
10/11/07 19:10:14 P8yL43WG
>>644
>地蔵等の徴用は信長に限った話じゃなかったと思います
それくらいはみんな知っているだろう
646:人間七七四年
10/11/07 20:37:31 6YyyDNVm
ちなみに織田系の城の中で地蔵、石像などからの転用石が特段に多いのが明智光秀の福知山城。
647:人間七七四年
10/11/13 16:10:55 YubMKa0u
上杉謙信は難敵のいる関東や信濃にこだわっていたイメージがあります。
越中の貧乏とか能登の畠山とか、東北に弱小がいたのになぜ難敵にこだわっていたのでしょうか?
648:人間七七四年
10/11/13 16:21:29 kaHhLc63
越中も東北も豪雪地帯なので
出兵や維持が難しいという点もあります。
関東や信濃に出る方が利はあったと思われます。
領土欲が無いとか義の為要請を受けての出兵みたいな
いかにもな要素を除いても
やはり東北北陸は選択肢に入ってこなかったんでしょう。
649:人間七七四年
10/11/13 16:43:30 YubMKa0u
ありがとうございます
当時の東北は出兵にみあうほど得るものが少ない=土地が貧しかったのでしょうか?
650:人間七七四年
10/11/13 16:58:59 pDLhKeRl
まず戦国時代の越後は今の新潟県よりかなり西よりに中心がある。
北信濃は本拠地春日山城の目と鼻の先で、
北信濃を武田家に取られると夜もおちおち眠れない。
富山へ行くには難所の親不知がある。
今の新潟市付近には独立志向の強い新発田氏などおり
東北方面侵攻の地盤として不安がある。
651:人間七七四年
10/11/13 18:32:05 qM1EwzdK
正直貧しかったようですね
国土は広い国が多いとはいえ基本的に山がちですし
652:人間七七四年
10/11/13 19:50:04 YubMKa0u
わかりやすいご解説ありがとうございます。
国防面のリスクや難所や領内事情などを考慮すると
優先順位が武田や北条>雑魚大名になってしまうのも納得できます
653:人間七七四年
10/11/14 04:59:49 t9RDdf0q
北陸には信仰を背景にした最強とも言える一向衆がいて
謙信の祖父も殺されている。
越中がなかなか安定しなかったのも一向宗が背後にいたから。
東北に関しては庄内地域までは上杉の影響下に入っている。
葦名領には上杉と葦名の両属国人が多くいた。
そして謙信にはそれ以上に北を目指す興味はない。
謙信の領内は服の材料になる布が作れる青芋の京での売却や塩田経営や金山開発や日本海貿易での船舶に運上金という税をとっており
越後領内は非常に豊かだった。
当時、朝倉領では橋にも通行税をかけたが越後では無料だった。
さらに越後領内に武田や北条や一向衆を攻め入らせてない。
654:人間七七四年
10/11/14 05:32:27 3OOM5vnX
ゲームセンターに戦国大戦というゲームが入ったのでプレイするか迷っています。
それで質問なのですが名字が舟越の戦国武将はいますか?
自分で調べた限り船越はいるようでしたが
655:人間七七四年
10/11/14 16:27:18 mBAnxpro
先代から越中には一応ちょっかい出してるよね
椎名は長尾の属国だし
それでも関東側に行かざるを得なかったのは
やっぱり関東管領家を継いだことが関係してるんだろうか
上杉に所属する国人達を見捨てると示しが付かないとか
656:人間七七四年
10/11/14 16:43:35 CqYcEXsX
親不知のような難所を固められると侵攻は難しそう
今川なんか清水の由比を固めて武田に抵抗したそうですね。
657:人間七七四年
10/11/14 19:01:06 Q/Po82U9
北陸の根強い本願寺勢力を考えると
本格的に統治や介入する気は無かったんじゃないですかね。
658:人間七七四年
10/11/14 20:56:46 c5KxuBx2
現地の親上杉勢力をある程度固めてから
出兵するのが謙信の戦略
659:人間七七四年
10/11/15 21:54:57 R2YJHuOn
殿、垣内、城山、堀の内、本城の地名は、昔に城があった場所と思って良いですか?
660:人間七七四年
10/11/15 22:15:52 6ql0DmmU
>>659
ほぼそう考えていい
661:半角ゆとり小僧
10/11/16 00:30:24 eMLATKJk
戦国武将でサッカーチーム作るならスタメンは誰が良いかな?サイドバックぽい武将って誰だい??
662:人間七七四年
10/11/16 00:43:23 lm1+183e
南蛮人の従えている土人でチーム作ったらいいんじゃね?
663:人間七七四年
10/11/16 01:01:38 VmzfPimX
斉藤道三A・B
664:半角ゆとり小僧
10/11/16 01:35:37 eMLATKJk
立花宗茂 井伊直政はポジションどこ良いかな?
665:人間七七四年
10/11/16 03:18:22 lm1+183e
いい加減スレ違いだということに気づけ
これだから空気よめないスポーツ馬鹿は嫌われる
666:人間七七四年
10/11/16 19:25:25 bIYuNc1n
>>661
森蘭丸
667:人間七七四年
10/11/19 13:55:59 X1LfAhzU
戦国時代の作戦や戦術について(特に島津氏)の本を探してます
出来れば雑誌ではない方がいいのですが、こういう研究ってあんまり盛んではないんですかね?
668:人間七七四年
10/11/19 15:43:55 PxBFlupY
島津は相手を油断させるのが上手だね。
もし今のように島津=強いという先入観をもたれていたら警戒されて成功しないとおもう。
669:人間七七四年
10/11/19 17:45:11 4a5suRdh
>>667
そういうの探すなら鹿児島の県立図書館か歴史民俗資料館あたりに、電話でいいから
直接に尋ねるのが一番だと思うぞ
670:人間七七四年
10/11/19 18:12:57 F+DoX1cJ
『歴史群像アーカイブVOL.6/戦国合戦入門』とか。
求めてるものとはちょっと違うかな?
>こういう研究ってあんまり盛んではないんですかね?
うん、盛んじゃないね。
671:人間七七四年
10/11/19 20:18:10 l4Ej42hX
日本は軍事学・軍事史学は学問と見なされていませんので
まぁ当時の人も操典とかはなしで、勘と経験でしたけどね
672:人間七七四年
10/11/19 22:45:24 vWsMHEJb
竹千代が尾張に送られた時って
信秀は三奉行の一人に過ぎなかったんですよね?勢力は最大でも。
信友や信光に送られていたら信長との運命の出会いは無かったってことですよね。
その辺の真相はどうなんでしょう。
673:人間七七四年
10/11/19 23:44:24 4hRlTBN5
自己完結してるように思えるのは気のせいでしょうか。
だって〇〇だったらどうなったんだろう?
という事に対して真相も何もありませんよね。
674:人間七七四年
10/11/20 19:48:22 Wa/+QxFi
>>673
文章を読むには想像力も必要です。
竹千代が送られた織田氏とはどこの織田氏かを聞いているのです。
675:人間七七四年
10/11/20 20:07:05 Yvq3my9o
つーか、仮定の話に真相とかないだろうwww
676:人間七七四年
10/11/20 21:30:03 RyPlF0gX
間違って小田氏の元に届けられたとする。
小田政治「わしにどうしろと」
677:人間七七四年
10/11/20 21:33:07 ucqWrv6w
小田さんの所なら有能な家臣の操縦法を教えてもらえる
678:タンタン
10/11/24 19:16:59 k+KFzo0O
愛月
679:人間七七四年
10/11/24 20:51:56 gplQsXhS
間違って小田氏の元に届けられたとする。
小田政光「ようこそ九州へ」
680:人間七七四年
10/11/25 01:17:49 P9bll7/c
羊羹でもどうぞ
質問です。
ゲームをつくろうかと画策してるんですが、戦国時代後期~江戸時代最初期で、浪人を経験した武将や傭兵で有名な人って、誰が居るでしょうか。
以下に現在浮かんでいる人間を列挙します。
結構な有名人で、なおかつ下の人間と同等以上に「浪人」というイメージが強い人間がいたら、挙げていただけるとありがたいです。
(特に関ヶ原合戦以前の浪人で)
藤堂高虎、後藤又兵衛、木下藤吉郎、前田慶次郎、可児才蔵、蜂須賀小六
島左近、山内一豊、柳生宗矩、宮本武蔵、水野勝成、本多元信、立花宗茂、渡辺勘兵衛
雑賀孫市、小幡景憲、山上道及、塙団右衛門、薄田隼人
681:人間七七四年
10/11/25 01:18:46 P9bll7/c
あげ忘れ……
682:人間七七四年
10/11/25 01:31:40 +Uv50toi
とりあえず思いついたのを適当に
明智光秀、前田利家、滝川一益、長宗我部盛親、真田信繁、毛利勝永、高山右近、荒木村重、仙石秀久
683:人間七七四年
10/11/25 02:12:48 qfNwHzX4
真田は蟄居からトンズラして大坂入りしてるから無職状態ではあったけど
就職活動はしてないし浪人という感じはしないな
684:人間七七四年
10/11/25 02:43:28 jtaRxaoB
三年寝太郎のモデルの人
685:人間七七四年
10/11/25 14:04:09 jtaRxaoB
・兵に武器を両手に持たせる
・兵に北斗の拳みたいなトゲつき防具を着せる
・足にも仕込み刀をつけて蹴りながら斬りつける
・水砲部隊を用意して鉄砲を封じるために水をまく
こんな感じで武装させたり、鉄砲封じをすれば強そうですが
試みたチャレンジャーは戦国当時いましたか?
686:人間七七四年
10/11/25 14:20:24 W9QPvrLZ
いません。次の方どうぞ
687:仙台藩百姓
10/11/25 17:33:43 rqg60Ddd
>>685
確かに片手武器を二刀流した方がつおいお( ^ω^)
初心者は一発のダメが大きい槍や大剣などを持つ傾向にあるけど
両手武器は最大攻撃力は高いが最小攻撃力が低くダメにばらつきがあるのだお┐ (´ω`) ┌
その点、片手武器は最大攻撃力と最小攻撃力の幅が小さいから平均ダメでは片手武器の方が高いのだお( ^ω^)
加えて片手武器は攻撃速度が速いからトータルでは両手武器を大きく上回るお( ^ω^)
そして攻撃時間が長い程その差が顕著になるお( ^ω^)
しかし片手武器は価格が高いという難点があるお┐ (´ω`) ┌
一口でも両手武器を上回る場合が多く、二刀流するには当然二口必要であるから非常にコストがかかるお┐ (´ω`) ┌
そういう点から兵士の両手に武器持たせる大名がいなかったのだと思うお( ^ω^)
688:人間七七四年
10/11/25 17:36:25 7ynoXSPz
モンハン?
689:人間七七四年
10/11/25 17:36:40 YqZTvPlO
>>687
兵士に二刀流させたなんて大名どころか世界中の軍隊探したって無いわ。
690:人間七七四年
10/11/25 18:16:41 vfc23hc/
>>685
・トゲつき防具
移動が困難、敵の武器にひっかかりやすい、製造・手入れが大変
・足に仕込み武器
常時足元から刃物が出てたら味方集団に入れない
個人戦なら仕込み武器として使えなくもないだろうが集団戦では邪魔なだけ
・水砲部隊
水は貴重品です。鉄砲を封じる前に他に使用する目的が飲料含めてたくさんあります。
水撒くくらいなら雨待った方が効率的。
691:人間七七四年
10/11/25 18:32:22 qfNwHzX4
数が多いほうが強いんだから指に刀装着して十刀流にしたほうがええんちゃう
692:人間七七四年
10/11/25 18:58:02 llfbNwDt
おいおい、
口と耳の穴と鼻の穴とケツの穴にもさして17刀流にしたほうが強いに決まってるだろ。
693:人間七七四年
10/11/25 19:50:31 gZSgzJhk
>>685
日本の武器は両手で扱うのが基本。戦国時代で片手武器って何だ?石つぶてとか手裏剣しか思い浮かばん
が両手同時に投げる事は出来ないし、そもそも利き手でない方で上手く投げるのは難しいだろ。
武蔵の二刀流をイメージしてるかもしれないけど、アレは元々戦闘中に片手を怪我しても戦闘を継続出来るように
片手で刀を扱えるように訓練しようというのが原点。結果的に二刀流を編み出したけど時代的には戦国の終わりだし、
現代の剣道界で活躍出来てないのが凡人には真似出来ない証拠。
694:人間七七四年
10/11/25 19:59:21 llfbNwDt
>>693
室町期の打刀の柄は片手で持てるくらい短いものも少なくなかったそうな。
剣術なんて室町後期以降にならないと発展しないし、正しい使い方なんてまだ無いよ。
695:人間七七四年
10/11/25 20:04:47 YqZTvPlO
>>694
「片手で持てる」と「片手で扱える」を一緒にするな。
696:人間七七四年
10/11/25 20:15:38 llfbNwDt
>>694
両手で扱うには柄が短すぎる打刀も少なくなかったそうな。
これでいいかい?
697:人間七七四年
10/11/25 20:18:10 YqZTvPlO
>>696
それが主流にならなかった以上、特定の人物、もしくは特殊な用途にしか
そういうものは使われなかった、ということだ。
698:人間七七四年
10/11/25 22:08:10 llfbNwDt
何が言いたいのかがわからんな。
特定の人物にせよ、特定の用途にせよ、歴史上使用されてるなら問題ないだろ。
手裏剣とかいう特定の集団(流派)が特定の用途に使わないような武器を挙げてる人もいるんだしね。
699:人間七七四年
10/11/25 23:26:50 Kxhco+U5
>>698
集団戦での運用性が問題なんだから
歴史上誰かが使ったなら問題無いは暴論だろ。
誰か使ったなら問題ないっつーなら
真柄十郎左衛門の大太刀や源為朝の強弓もアリだと?
700:人間七七四年
10/11/25 23:49:20 P9bll7/c
>>682
>>683
サンクス。
参考にさせてもらいます。
701:人間七七四年
10/11/25 23:50:13 P9bll7/c
>>684
ありがとう、これも浪人の話だったのね。
702:人間七七四年
10/11/26 00:45:25 D2tiUBai
_
\ヽ, ,、
`''|/ノ
.|
_ |
\`ヽ、|
\, V
`L,,_
|ヽ、) ,、
.| ヽYノ
/ r''ヽ、.|
/ ,.. -─- .、 `ー-ヽ|ヮ
.| , ‐'´ __ `ヽ、 `|
| / , ‐'"´ ``''‐、 \ |
| / / \ ヽ |
ヽ, y' /` ‐ 、 ,.. -'ヘ ヽ. }ノ
ヽ,' / /`,ゝ' ´ ヽ Y.
. i ,' { { ヽ `、
l ,イ─- 、.._ ヽ ,, _,.. -─:} ! チンポにビームサーベル仕込んでみました
. | r‐i| ー=ェェ:ゝ ,.∠ィェェ=ー' |r 、. l
| {ト」l|. : | " ``: |!トリ |
. │ ヽ、| ;.」_ |'ソ !
. │ ヽ r─ッ /ノ |
| lヽ  ̄ ̄ / イ │
. ! 丶ヾヽ ~ , ' ノ │ !
ト. ミ.ゝ ヽ.____./ / l /
ヽ ヽ イ ,' / , ' ┼ヽ -|r‐、. レ |
\. ノレ'/ d⌒) ./| _ノ __ノ
703:人間七七四年
10/11/26 02:23:33 kE7yEIMU
>>692
万個ないと7にならなくね?
704:人間七七四年
10/11/26 04:34:03 LnlNSwxc
>>698
ちなみに手裏剣を挙げたのは俺だが忍者を想定した訳では無い。その手の道具はあり得るかなと思った
だけで根拠は無い。石つぶての方がコストパフォーマンスが良さそうかもね。
いずれにしても片手武器を両手に持つのが現実的でないのは異論無かろう?
705:人間七七四年
10/11/26 08:53:15 WfcgGSyz
いろんな考えがあるだろうが異論はないよ
706:仙台藩百姓
10/11/26 12:27:55 igglbOUs
正確に言うと
・両手武器を片手で使うのは難しい
・防具を着けた相手を片手打ちで倒すのは難しい
という事だお( ^ω^)
状況によっては二刀流とか投擲も役に立つから非現実的とまでは言えまいお( ^ω^)
707:人間七七四年
10/11/26 12:57:34 qIzEfw1J
>>706
もちろん状況によるけど防具を着けた相手を片手打ちで倒すのが難しいから結果的に片手武器が
発達しなかったって事でしょう?
708:人間七七四年
10/11/26 15:26:36 WfcgGSyz
片手武器について語ってみようか
709:仙台藩百姓
10/11/26 17:23:06 igglbOUs
>>707
うむ( ^ω^)
合戦で殆ど役に立たないのは間違いないお
片手で太刀振り回せるぐらい腕力あるなら普通に槍とか棒でも使った方が殺傷力つおいし( ^ω^)
片手で使うなら短筒とかどおだお( ^ω^)
710:人間七七四年
10/11/26 17:53:37 jT8rGxIL
そろそろ該当スレ池
711:人間七七四年
10/11/26 20:15:40 D2tiUBai
オフレッサー上級大将みたいに体を鍛えて
斧を振り回すのが一番強いかも知れない。
712:人間七七四年
10/11/27 09:45:13 xELtvz/7
肥前って、何気に九州探題渋川家、筑前少弐家、千葉家と落ち目の名門が勢力を張って、
結局滅んでいくことが多かったようだが、他にはあまり見られない特性と思う。
そんなに権威に弱い人が多かったのかねえ?
713:人間七七四年
10/11/27 09:52:31 tE13QuhJ
>>712
少弐に関しては大内義隆と大宰大弐の位を得るまで攻略しきれなかったんだから
権威は大いに通用したと考えるべきだろ。
714:人間七七四年
10/11/27 10:53:51 lAKmdBZt
>>712
各個の勢力がどれも似たり寄ったりだから、
少しでも他と差をつけようとして名門・旧家の権威を借りようとしたってのもあるかと。
715:人間七七四年
10/11/27 15:25:19 S/XFJMhm
>>711
各々の兵士が斧を使いこなせたら敵も恐れ慄くだろうな
716:人間七七四年
10/11/27 15:30:18 kOGVRylh
野戦築城に役立ちそうだ
717:人間七七四年
10/11/29 02:45:32 Ava4ModB
友人の先祖が守護大名の家来で、小さな山城を任されてて、現在もその山の麓に住んで、城のあった山も、その周りの広大な土地も自分の家のものだそうです。
明治になって、先祖伝来の土地など取り上げられそうなものですけど、どのようにして土地の所有を認められたのですか? ただ単にほったらかしだったのですか?
718:人間七七四年
10/11/29 03:13:59 R7Dg7DyI
>>717
その土地が農地だったら農地解放で小作農が買い取る事が出来たが、買い取る金が無ければそのままになる。
農地でなければ取り上げる法的根拠が無い。
719:人間七七四年
10/11/29 03:17:44 R7Dg7DyI
>>718
ア、思いっきり間違えちゃったんで誰か正解を頼む!
720:人間七七四年
10/11/29 12:04:53 e6K6IK2Q
>>717
その土地を江戸末期まで大名家の家来として管理していたのならともかく、
君の家はおそらく近世初期に帰農した家なのだろう。
その場合あくまで君の家の土地は私有財産であり、明治維新で接収されるようなことはなかった
(明治維新の時国有財産化されたのは大名の資産)
721:人間七七四年
10/11/29 16:51:45 fY9IweWT
農民って国が滅びるたびに(゚д゚)ウマーだったんだな
722:人間七七四年
10/11/29 16:58:55 XxrKycC9
この場合元から私有地だが?
723:仙台藩百姓
10/11/29 17:28:09 J7NJ4Xtp
江戸時代は山林の所有権が曖昧だったから地租改正時に近くに住んでいる人の土地になった場合が多いお( ^ω^)
逆に現金収入が少なかった時代だから税金払うのを嫌って国や自治体に譲渡するケースも多かったみたいだお
だから明治以後は所有者がだいぶ違っている可能性が高いお( ^ω^)
それに旧城主が城跡の近くに住んでいるには攻め滅ぼされずに帰農し
百姓や郷士などの身分で廃城から明治まで居住していなくてはならないから
土地によっては限られて来るのだおね( ^ω^)
陸奥は惣無事令で改易された家が多いから結構いそうだお( ^ω^)
漏れの地元も5つ城跡があるけど3ヶ所は今でも旧領主が所有しているお( ^ω^)
724:人間七七四年
10/11/29 17:46:35 EnY810U8
実際の忍者の実力は詳しく分からんが、何で戦国時代に忍者使って敵の大将暗殺しなかったの?
725:人間七七四年
10/11/29 18:08:46 XxrKycC9
暗殺されないように24時間護衛されてるから
726:人間七七四年
10/11/29 19:14:26 kvwo4ODS
忍者以外の暗殺ならいくつも記録残ってるぞ
手討ち、毒殺、狙撃などなど
要するに陣中や城に忍び込んで暗殺なんて夢物語だってこった
727:人間七七四年
10/11/29 19:24:23 leP6P1pf
>>724
忍者ってのは潜入工作のエキスパートではあっても、
ガチの戦闘とか暗殺とかは門外漢。
728:人間七七四年
10/11/29 20:25:19 Ava4ModB
>>718>>720>>721>>722>>723
ありがとうございます。
大名はお金はあるけど、本当の意味の自分の土地を持っていなくて、百姓は自分の土地を持っているということでしょうか。
国敗れて山河あり に通じるものを感じました。
729:人間七七四年
10/11/29 20:33:14 e6K6IK2Q
>>728
江戸期の大名権力は私権力ではなく公権力である、ってこと。
730:人間七七四年
10/11/29 22:21:54 2q4Q+oPM
>>723
お前の地元ってどこ?名前のごとく仙台藩領だったら、割と納得なんだが。
731:人間七七四年
10/11/29 22:45:31 x6aDMtyh
歴史上最も多彩な武器を使えた武将って誰ですか?
732:人間七七四年
10/11/29 23:16:36 y/AiN8hy
>>731
まず使うの定義を定めなければ判別不能です。
まぁそもそも武芸者じゃないんだから
武将といえる存在はそんな変な武器を使ったり
ましてや修行したりはしてませんけどね。
それに素人剣(槍)法でやってた人も大勢ですが
それを使えるに入れるか入れないかで全然違います。
733:人間七七四年
10/11/30 10:30:40 FkPhGE19
>>725
>>726
>>727
なるほど、自分が知ってる忍者はドラマで脚色されてる忍者なのね
734:人間七七四年
10/11/30 11:33:56 wkHQ393M
>>733
結構、wikiの「忍者」の項目に虚像と実像について詳しく書いてあるから一度読んでみるといいよ。
要するにフリーランスの傭兵に近い忍者に暗殺を頼むより
敵大将の側近とか小者(小姓・料理人等)とかを寝返らせて、
毒殺とか謀反とかそういう形で殺させる方がはるかに可能性も現実性も高いって事。
忍者の主な仕事は情報収集と情報操作。そんなもん。
735:仙台藩百姓
10/11/30 15:11:17 79Tgexef
要人の暗殺というのは昔から結構ある事はあるけどね( ^ω^)
忍者というと伊賀者や甲賀者が有名だけど実際は全国各地の宗教関係者なども同じような活動をしていたお
伊賀者も身分で言えば武士であったり百姓であったりするわけだし
忍者という明確な職業があるわけではなく現代のスパイ活動のような事をする者の総称と言えるお( ^ω^)
つまり主人の命令、又は金品で雇われて要人に毒を盛ったりした女中や小者の類いも忍者と言えなくはないお( ^ω^)
>>730
もちろん実家は仙台藩の領内だお( ^ω^)
>>731
多技といえば飯篠長威斎とか有名だけど( ^ω^)
まあ、武芸で有名な人は大抵の武器は使えたみたいだお( ^ω^)
736:人間七七四年
10/11/30 16:57:12 WDEeF/ey
>>735
ハットリ君とかケムマキさんって何が目的で忍者やってるんですか?
737:人間七七四年
10/11/30 19:50:48 WvxA7df4
ハットリくんは口減らし
738:人間七七四年
10/11/30 20:10:53 X99GUtrF
>>736
伊賀や甲賀のは、特殊部隊的技能を持った傭兵と考えたほうがいい。
739:人間七七四年
10/11/30 22:33:29 WDEeF/ey
やっぱり、戦国の頃も子供向けの忍者や天狗のお面ってあったんですかね。
紙芝居屋とか。
740:人間七七四年
10/12/01 02:23:27 W8jMBJ/G
>>739
天狗の面はあっただろうが忍者は無い。
後当時の面はかなり高い。子どもが簡単におもちゃにできるようなもんじゃない。
741:人間七七四年
10/12/01 02:30:17 LxwluDu+
それは能の面とか伎楽面とか獅子頭とかの事?
742:人間七七四年
10/12/01 02:33:39 UcdVhyO9
そもそも今の縁日とかで売ってるような奴みたいに
プラスチックで形成してる?ように安価に供給出来無いだろ。
紙製にしろ木彫りにしろ結構なコストかかるだろうし
購買層もそんな金そうそう無いだろ。
743:人間七七四年
10/12/01 13:47:48 W8jMBJ/G
面が、庶民が子どもに買い与えられるほど安くなったのは江戸時代中期以降。
安価になった紙を使った、紙を貼りあわせた面が出現してから。
744:人間七七四年
10/12/01 17:10:08 5T7/xxfU
でも、朝鮮征伐の時に秀吉、家康達がコントみたいなことをやってますよね。
あれって、子供の遊びを大人が大真面目にやってるから馬鹿馬鹿しくて楽しいって事なんですよね?
子供の遊びも結構、凝ったことをしていたのではないでしょうか。チャンバラだけじゃ飽きるし。
745:人間七七四年
10/12/01 18:26:21 W8jMBJ/G
>>744
何に対しての「でも」なのか文脈をはっきりさせてくれ。
746:人間七七四年
10/12/01 20:02:27 ecCg9+uS
かなりこのスレや板とは脱線なのですが質問させてください
スカパーの例えばよくばりパック内で安土桃山織田豊臣徳川関ヶ原等々マイナー戦国武将でもおkです
そのくらいの時代の大名や大河や映画や歴史検証番組等々を教え合うスレやらホームページ等々ありますか?
戦国大名に興味ありのものです、もしよかったらお教えくださいorz
いつの間にか見逃してる事が多くてCSよくばりパックで
747:人間七七四年
10/12/01 21:15:02 iORlLvsA
ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネルは外国ネタばかりで参考にならない。
テレ朝チャンネルなど民放系CS局だけど
NHKみたいな歴史ドキュメンタリーをほとんど扱ってないせいか再放送もあてにならない。
748:人間七七四年
10/12/01 22:06:08 ecCg9+uS
>>747レスありがとうそれに時専chは戦国系やってないですからねー探すのも難しいですし
746です
749:人間七七四年
10/12/01 22:44:25 k2UC51Un
地名を苗字にするには誰かの許可が必要だったのですか?
(源氏の足利家や、石田村出身の石田家等)
また、元々は苗字を地名にしたのか、地名を苗字にしたのか、色んなパターンがあると思いますが、なにか事例があれば教えて下さい。
750:人間七七四年
10/12/01 23:07:51 KanyRw22
多くの大名が源氏や平氏などの氏を事実かは別として持っていますが
こういったものは朝廷などに「私の出自はどこどこです」といった
形式上の届け出のようなものは存在したのでしょうか?
一介の武将ならともかく大名クラスになると体面もありますし
それなりの形式的なお墨付きは貰ってそうな気もするのですが
751:人間七七四年
10/12/01 23:26:07 KZotdPn7
>>749
親戚のおじさんとかおばさんとか、何処どこのって呼び方するでしょ?正式の苗字として名乗る前に
そういう風にして領地の地名で呼ぶ習慣が出来て、それからだんだん地名を苗字とするようになった。
名前ってのは他人から見て区別する為の物だから誰の許可もいらんと思うけど、藤姓足利氏と
源姓足利氏みたいな場合はことわる必要が有るかもね。
苗字とは関係ないけど福島県の磐梯熱海温泉は頼朝の奥州征伐の後にこの地を与えられた伊東祐長が
出身地である伊豆の熱海温泉に因んで名付けたといわれ、近くには上伊豆・下伊豆の地名も有る。
752:人間七七四年
10/12/01 23:31:24 KZotdPn7
>>750
そんな物は存在しない。それを証明するのはその家に伝わる家系図くらいだが、無いから嘘とも指摘しがたい。
江戸時代くらいになるとそういうのが大事になってくるから偽系図とか流行りだす。
753:人間七七四年
10/12/01 23:56:13 W8jMBJ/G
平安期には、庶民も普通に源平籐橘を名乗っていた。これは僭称ではなく、
その荘園の持ち主の氏を名乗る慣例が出来ていたため。
そのため鎌倉以降の武士の氏の名乗りも、怪しくても必ずしも嘘とは言いがたいのだ。
754:人間七七四年
10/12/02 00:04:20 IDErXt/U
>>752
>>753
ありがとうございます。
つまり戦国時代は事実上、社会的に認められるかは別として、
誰でも好きな出自を名乗ることは可能だったのですね。
755:人間七七四年
10/12/02 00:06:19 f++rEg1P
今でもそうじゃん
756:人間七七四年
10/12/02 00:16:13 b6QVJn0y
>>751
わかりやすいご説明ありがとうございます。
やはり地名から苗字にしていることが多いんですね。
757:人間七七四年
10/12/02 00:31:34 oj0ahwlj
>>756
念の為に書いておくけど、苗字の由来は地名だけとは限らない。例えば先に書いた伊東氏は元は工藤氏だが、
これは先祖の藤原為憲が官職の「木工助」に因んで「工藤大夫」と称し、その子孫が工藤を苗字とした。
その一部が伊豆の伊東を領有して伊東氏となった。
758:人間七七四年
10/12/02 00:44:59 b6QVJn0y
>>757
ありがとうございます。
元の苗字から新しい苗字に変えることは、当人にとっては複雑な気持ちなのか、新しい家を起こした気分で晴々としたのか、色々考えると面白いです。
759:人間七七四年
10/12/02 01:16:04 oj0ahwlj
>>758
別に新しい土地に行ったら新しい苗字にしなきゃいけない訳じゃない。嫌なら変えなくても良い。
伊東氏は福島県と宮崎県に別れたがどっちでも伊東氏を名乗ってる。
でも偉い人に変えるように言われる事も有る。伊達政宗の家来の鬼庭綱元は豊臣秀吉に
言われて茂庭に変えた。直江兼続の弟も秀吉に言われて小国から大国に変えた。こういうのは
多分迷惑だったろう。江戸時代の御三家も幕府から徳川の使用を禁止されかけたらしい。
760:人間七七四年
10/12/02 01:16:54 YKZLm19V
>>754
> つまり戦国時代は事実上、社会的に認められるかは別として、
> 誰でも好きな出自を名乗ることは可能だったのですね。
ちがう。
庶民であってもそれぞれの家に代々継承される氏を持っていたってこと。
761:人間七七四年
10/12/02 01:21:27 YKZLm19V
>>759
「苗字」の定着は南北朝期。それ以前は苗字は通称に近い、あくまでかりそめのものだった。
家を表すものとして苗字が定着して以降苗字は特別なものとなる。
今川氏など家中統制の手段の一つとして、今川の苗字を宋家に限定させる
「天下一苗字」という政策をとったりした。
徳川の苗字制限も同じ発想からの物。
762:人間七七四年
10/12/02 02:01:25 oj0ahwlj
>>761
伊東氏の例で言うと宮崎や福島に領地を貰った工藤祐経の子供か孫の代に移ってる訳で、
頼朝からそう遠くない鎌倉時代になると思われますが、「伊東」にこだわりが有ったようです。
既に特別なものだったのでしょうか?ちなみに祐経自身は工藤で通したようですが。
徳川の件は承知してます。今川は知らんかった。
763:人間七七四年
10/12/02 09:30:22 pmjLBxb/
>>705
>>708
>>715
764:人間七七四年
10/12/02 13:04:37 YKZLm19V
>>762
伊東や島津などがそれらの苗字を書状などで使い始めたのは南北朝以降。
それまでは「荘園名+〇〇(名乗り・官位など)ですましている。
南北朝の社会の変貌の中で過去の苗字が特別なものとなった。
765:人間七七四年
10/12/02 22:14:19 Y/oCwkao
質問
代々武田家当主は名前の最初に「信」の字を使っていた
信成─信春─信満─信重─信守─信昌─信縄─信虎・・・
しかし晴信とその子義信は「信」の字を後ろに使った
信繁や信廉ら弟たちは「信」の字を最初に使っている
義信の場合は今川家との力関係のため「義」の字を最初に使ったことはわかる
晴信は何で後ろに使ったの?
廃嫡の予定だからかな?
法名では「信玄」と名乗り「信」の字を最初に使うけどこれって意地なのかな?
お手数ですがよろしくお願いします
766:人間七七四年
10/12/02 22:17:01 skxtHIsZ
>>765
足利義晴からもらったイミナな
767:人間七七四年
10/12/02 22:32:12 f8jsyo14
義信の義も将軍家からの偏諱だね
将軍家からもらった字を下にするのは普通失礼に当たる
768:人間七七四年
10/12/02 22:38:05 Y/oCwkao
>>766-767
ありがとうございました
大変勉強になりました
769:人間七七四年
10/12/03 00:40:26 7by2c00G
>>767
それ本当か。通字である義の方を与えるなんて他に例があるのか?
770:人間七七四年
10/12/03 00:47:31 g0+vgdHD
>>769
島津義久、大友義鎮、三好義興など結構いるよ
771:人間七七四年
10/12/03 01:01:09 eHZmAF/0
>>769
朝倉義景、赤松義祐、尼子義久、有馬義純、伊東義祐、今川義元、大内義隆
大友義鑑、大友義鎮、相良義滋、相良義陽、島津義久(義辰)、島津義弘(義珍)、武田義統
二本松義継、三好義興(義長)、三好義継(義重)、最上義光
772:人間七七四年
10/12/03 01:05:33 U8x8UkZd
義晴と義輝は偏諱の大盤振る舞いだからな
773:人間七七四年
10/12/03 01:08:24 45nVvrU/
>>772
むしろ押し売り状態です
774:人間七七四年
10/12/03 01:49:42 4ya/YoVs
小野寺義道は?
775:人間七七四年
10/12/03 11:31:38 v/9ufmqg
義道もそうだよ
776:人間七七四年
10/12/03 11:40:25 yuKU8WgH
まさに義兄弟
777:人間七七四年
10/12/03 11:45:38 Ak3SScx4
お通字だけに穴だったら大変なことになってたわけなんだな
778:人間七七四年
10/12/03 19:53:04 +TiReZDk
そういうのって室町幕府がなくなったり権威がどんどん失墜していく中で
改名したような武将っているんですか?
779:人間七七四年
10/12/03 20:33:35 uz3A0pPb
改名とかじゃないけど
毛利輝元は「義」の字では「義元」になるから嫌だとか言って「輝」の字をお願いしたとか
780:人間七七四年
10/12/03 22:17:12 gsiYezwB
>>778
室町幕府じゃないけど秀吉の弟の秀長は
信長在世時:長秀→信長死語:秀長
781:人間七七四年
10/12/04 08:12:20 EuOq9Zcy
>>779
そりゃ小説の話だ
782:人間七七四年
10/12/04 10:38:40 aTyA9cyW
>>778
細川昭元とか
義昭追放後に信元→信良と改名してる
783:仙台藩百姓
10/12/04 19:16:05 yi4iJjlA
正確には権威が失墜したから改名したと言うより
新しい権力者から一字貰ったから改名したのだお( ^ω^)
784:人間七七四年
10/12/04 20:40:37 Pb2Qw4PW
将軍から貰ったほうの名前を家臣にあげたら
追加料金を取られるのでしょうか?
785:人間七七四年
10/12/04 22:17:26 PtJK1R0q
そう言えば、浅野さんも長吉から長政に改名してた気がする。
786:人間七七四年
10/12/05 18:37:59 lNj+j3qz
「~家臣団人名事典」みたいのでお勧めありますが?
索引別にその大名に属した武将の簡略履歴みたいのが載ってるやつ
織田・豊臣・徳川・武田・上杉・北条辺りの有名どこは良いのを見つけたんだけど
他にありますかね?
三好とか龍造寺とか長宗我部とか尼子とか、その辺が知りたいが
まだマイナーの部類なのかな
787:人間七七四年
10/12/05 20:02:51 W2aG6wxi
>>786
>織田・豊臣・徳川・武田・上杉・北条辺りの有名どこは良いのを見つけたんだけど
それってどんな本?
歴史読本特別増刊'93-05スペシャル42 織田信長家臣団 裸のデータファイル
歴史読本特別増刊'93-11スペシャル44 戦国関東の覇権を賭けた三つ巴の戦い 武田信玄・上杉謙信・北条氏康 戦国データファイル
歴史読本特別増刊'94-01スペシャル45 特集・天下統一秀吉軍団の野望
こんな感じのやつ?
788:人間七七四年
10/12/05 20:33:02 lNj+j3qz
上杉謙信大事典(新人物往来社)
豊臣秀吉大事典(新人物往来社)
武田信玄大事典(新人物往来社)
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)
後北条氏家臣団人名辞典(東京堂出版)
こんなのです
789:人間七七四年
10/12/05 20:35:30 W2aG6wxi
>>788
返レスあり
徳川さんが抜けているような希ガス
790:人間七七四年
10/12/06 17:45:12 5JxVVSid
後北条氏なんて言ってるけど実際は無印北条氏の方がマイナーでイメージ悪いよね
791:人間七七四年
10/12/08 19:31:26 G7ypHt/5
豊臣秀頼のお父さんて秀吉じゃないんですか?
792:人間七七四年
10/12/08 19:32:36 RReOphV0
>>791
それを否定する証拠は一切無い
793:人間七七四年
10/12/08 20:21:29 G7ypHt/5
>>792やはり大野治長が父親なんでしょうか?
794:人間七七四年
10/12/08 23:59:20 ViUnNH8A
当時は生物学的な父親かどうかよりも
誰が養育したかの方がはるかに重要だった。
養育した人が父であり主。
795:人間七七四年
10/12/08 23:59:25 RReOphV0
>>793
やはりと言われても困る。主観で言うならどうとでも成るわ。
796:人間七七四年
10/12/09 00:00:15 d0vy9Htu
>>793
それを肯定する証拠は一切無い。
797:人間七七四年
10/12/09 12:58:44 HBIa9YK/
秀頼は私生児なんですか。
798:人間七七四年
10/12/09 16:47:22 E5fXw7SP
>>797
私生児という言葉の意味を100万回勉強しなおせ
799:人間七七四年
10/12/09 18:02:57 HBIa9YK/
よく考えたら側室も妻ですよね。お叱りあんがたくてふだいしまつた。
800:人間七七四年
10/12/10 07:51:01 QhbdL8yu
信長の父の織田信秀の「秀」って名を信長は功をあげた家臣達に褒美として下賜しまくってたんか?
それとも織田家で「秀」を付けるのが流行ってたのか?
801:人間七七四年
10/12/10 10:17:09 Pi+Sv3SS
ある話で上司がもう御臨終の際、
家臣か部下か仲のいい人を呼んで「わしはもう駄目だ、今まで不甲斐なくてすまん。
いつ裏切ってくれても構わん」と言った。
けど家臣か仲のいい人がそれを否定して「なんでそんなこと言うの!今まで自分が頑張って尽くしてきたのは
誰だと思ってんですか!あんた以外いないよ」って泣く泣く言った。
上司は「それが聞きたかっただけじゃ」っつって笑ったってな話なんだけど。
これの上司、部下をわかる人いる? 上司が徳川家康かと思って調べたけど、部下が思い出せない
802:人間七七四年
10/12/10 10:17:17 24+x9RR3
流行ってるも何も
現当主の名前から一字を拝領したり
自ら許しを得て子供に名前をつけたり、解明したりするのは
織田に限らずどこでもあるが。
803:人間七七四年
10/12/10 10:26:18 QhbdL8yu
>>802
父の名をやるのは聞いた事ないが?誰か他にもそんなやついたのか?
804:人間七七四年
10/12/10 11:32:18 EnVdOmkG
>>801
家康と藤堂高虎じゃなかったっけ?
805:人間七七四年
10/12/10 12:09:41 Pi+Sv3SS
>>804
自己解決した!家康と正則だったよ!
806:人間七七四年
10/12/10 17:36:51 0F67lizs
>>804
高虎さんは宗教を改宗して死後また戻した話だったかも
807:人間七七四年
10/12/10 18:26:05 3zk24tVW
>>801
どう見ても三国志ネタだろ。
808:人間七七四年
10/12/11 21:38:09 1zSVnVjw
こんばんは。エロい方教えてください。
30騎+足軽の軍役を課されている小名の場合、足軽はどれくらい連れて行くものでしょうか?
また、一つの舘に住んでいる場合、一族郎党全部で何人くらいの人間がいるものでしょうか(すごくいい加減でいいです)。
もう一つ、これくらいの規模の一族の場合、使用人や足軽たちは当主のことを何と呼ぶのでしょう?
大名の少し離れた親戚で、ちょっとした官職をもらっている江呂助兵衛さんとします。
809:人間七七四年
10/12/11 23:56:27 g81+Qrvw
殿
810:人間七七四年
10/12/12 00:20:54 yvxLDWhz
騎馬武者1人に対し徒士、足軽は6~7人が多い
軍役でぐぐれ
811:人間七七四年
10/12/12 01:07:29 FKxORDkx
>>808
> もう一つ、これくらいの規模の一族の場合、使用人や足軽たちは当主のことを何と呼ぶのでしょう?
大体は慣習的に「〇〇の殿様」「ご当主様」などだろう。
812:808
10/12/12 12:07:00 lIdVatT/
ありがとうございました。
813:人間七七四年
10/12/12 20:33:42 RjFUJnQm
今川義元と足利将軍家の関係はどのようなものだったのでしょうか?
御連枝だし義晴から偏偉を貰っているので元々関係は悪くなかったとおもいますが
後に今川仮名目録に守護使不入地の廃止を追加しています。
なにか関係をこじらせる出来事があったのでしょうか?
814:人間七七四年
10/12/12 21:09:30 FKxORDkx
>>813
そのへんは将軍家との関係というより、当時三好長慶によって将軍も細川管領も
京から追い出され長慶は独自の政務を取り出し、一時的ながら室町幕府が滅亡状態に
なっていたことが大きいと思うぞ。
815:人間七七四年
10/12/12 21:20:31 RjFUJnQm
なるほど。当時幕府≠足利だから
今川も幕府に背く分国法を制定しても問題ないと判断したわけですね。
816:人間七七四年
10/12/14 19:48:23 PHeGGRmU
本家に対しての質問ですが、例えば、長男が先祖代々の領地を継いでて、弟の方が出世し、大名等に取り立てられた場合、弟の方が本家になってしまうのですか?
817:人間七七四年
10/12/14 19:52:03 S1SBfOqb
>>816
長男が宗家の座を譲る場合もあるし、弟のほうが新たな家として独立する場合もある。
818:人間七七四年
10/12/14 19:54:15 6rSkLYxW
>>816
リアルだと、江戸時代の朽木家がその典型だな。
819:人間七七四年
10/12/14 20:02:50 PHeGGRmU
>>817 >>818
ありがとうございます。
本家の定義って何でしょうか? 先祖の位牌を管理してるとか、土地を沢山持っているからということなんでしょうか?
820:人間七七四年
10/12/14 20:10:38 S1SBfOqb
>>819
様々あるが、基本的には系図と先祖より家長に伝来された家宝の所持が宗家の最低条件。
821:仙台藩百姓
10/12/14 20:57:15 qI4o4eeZ
物や血筋は関係ないお( ^ω^)
家勢が強い所が宗家だお( ^ω^)
要は周りが認めれば宗家であり
逆にいくら我が家が宗家だと主張しても周りが認めなければ宗家ではないという事だお( ^ω^)
822:人間七七四年
10/12/14 20:59:34 U2QPsCkH
徳川と言うか松平の宗家って別にあったはず
823:人間七七四年
10/12/14 21:02:31 S1SBfOqb
松平の場合そもそもの宗家は岩津松平だったが、伊勢宗瑞の三河侵攻で滅びた。
そのため安城松平の松平長忠が宗家を継承した。
824:人間七七四年
10/12/14 22:13:04 NXhdlcd9
>>816
三戸南部氏と根城南部氏みたいなもんか
825:人間七七四年
10/12/15 01:54:06 G31jXIog
上総と千葉、千葉と馬加
地元だと相続争いはこんなところがあるな
826:人間七七四年
10/12/15 03:30:46 GlHRMr6s
織田とか島津だって分家の出だよな
827:人間七七四年
10/12/15 11:19:28 ITwhMrPH
弟が出世した有名所の鍋島、前田、井伊辺りは弟に家督を譲って兄が別家立ててるね
828:人間七七四年
10/12/15 13:03:52 jwSfoOpZ
うちは分家だが、親が商売やってて、長男は商売人は嫌だとサラリーマンになり結婚して家を出た。
多分俺が後を継ぐことになると思うが、後々は俺や俺の子孫が分家の本家になるのかなぁ
スレ違いだw
829:人間七七四年
10/12/15 21:50:44 HhVeEd5k
>>828
あなた自身が書いているように、
長男が「家を出た」んだから、あなたが家業を継げばあなたが本家。
830:人間七七四年
10/12/15 22:06:09 XvXApRm9
そもそも本来的に「家」とは、「家業」を運営、継承する共同企業体のことだ。
831:人間七七四年
10/12/16 01:12:59 xl0fXxK5
一族の祭祀をとりしきるのが本家だろ。
つまり葬式を828が出せば828が本家
832:人間七七四年
10/12/16 03:21:05 QE+Q5UG0
ちょっと皇室の……不敬だな、二階堂さんの葬儀を主催してくる!
833:人間七七四年
10/12/16 23:20:19 YrfcLROa
戦国大名について質問です
応仁の乱以前は武力によって自国を広げる事はなかった
乱以降、「あれ?幕府って怖くねんじゃね?」って感じで隣国に攻め込む輩が出てきた
またそれを抑える事も幕府にはできなかったって事でよろしいですか?
834:人間七七四年
10/12/16 23:41:32 xl0fXxK5
単に領土欲しいから攻め込むといった無法なことは中世ではできなかった。
何かしらの名分は必要です。
この土地は爺さんの代まで自分の家のものだったとか、
同盟関係の○○が助けてと言ってきたから救援するとか、
将軍に逆らう××を討伐するとか、
△が攻めて来たので報復しましたとか、
そうやって権威を利用して、介入して領土を増やしていくのです。
835:人間七七四年
10/12/16 23:45:45 NxzU8Gfu
>>833
完全に勘違いしているようだから一応言っておくが、戦国大名も大義名分があり合法性を
まとわないと領地なんて一歩も広げることは出来なかったぞ。
836:人間七七四年
10/12/17 00:45:11 9W/fLbpD
>>833
大内なんか応仁の乱の前から家督争いや討伐名目で近隣に侵攻して勝手に戦国時代やってたからなあ
837:人間七七四年
10/12/17 00:50:25 L5q7gGw+
関東もいち早く戦国入りしますた。
まあデキレースのくじ引きで選定された将軍なんて笑わせる…鎌倉公方にもそういう正義はあったんですw
838:人間七七四年
10/12/18 01:12:37 RC4j/MMH
そうなるとますます解からん
戦国大名とそれ以前の大名
839:人間七七四年
10/12/18 01:14:51 hbhQuGOE
パンパカパーン♪
おめでとうございます!今日からあなたも戦国大名です!
ってわけじゃないからな。
840:人間七七四年
10/12/18 01:29:48 37SNsXV4
>>838
守護大名というのは一種の役職であって、支配者とは少し違ったわけだ。
守護国の武士に対し一種の命令を下す権限はあったものの、守護国の武士達は必ずしも
守護大名の家臣ではなく、彼らは自由に、将軍や様々な有力守護大名の被官となり
その後ろ盾を持って守護大名の権力に対峙していた。
対して戦国大名というのは家中を中核としてその領国の武士は全て、戦国大名の
家臣またはその系列に位置づけられた。
そういうピラミッド型の機構を持った、もしくはその方向を志向した大名を
戦国大名と呼ぶ。
841:人間七七四年
10/12/18 18:43:06 JM7tD425
麻呂が戦国以前
ヒゲ兄貴が戦国武将
842:人間七七四年
10/12/18 20:18:45 yQDzX8T6
元を糺せば
そもそも家の相続争いだからな~。
それがいよいよ将軍家本体まで相続争いを始めるから
正統性を巡って双方が軍勢を集めてしまうと
下々の武家にとってどっちに付くかに善悪は関係なく、
自分の置かれた不遇な立場逆転や対立者と争う人達は自分を認めてくれる陣営に付くだけの話。
こうして全国に下克上の雰囲気が拡大した。
843:人間七七四年
10/12/18 21:53:28 MGce7drF
>>839の言う通り明確な区別なんて存在しない。
『守護大名』『戦国大名』『国人』『国衆』なんて用語は
全て後世の学者が区別のために便宜的に作った言葉に過ぎない。
多くの地域権力は上述の用語の複数の特性を併せ持つ。
北条家は戦国大名としての側面が濃く、
上杉家は国人連合としての側面が強いその程度のことは言えるけどね。
844:人間七七四年
10/12/18 22:08:04 BTJzkbNZ
歴史学者の鈴木真哉や藤本正行についてどう思いますか?
845:人間七七四年
10/12/18 22:10:55 BTJzkbNZ
>>844鈴木、藤本は歴史(武功夜話、織田鉄砲隊など)に対して否定的な立場でアプローチしすぎ
資料とかのあら捜しばっかせずに、歴史学者たるもの正確な史実がどういったものだったかを研究すべき
真実を突き止めるより消極的な物の見方した方が無難だと言う気持ちも分かるが卑怯だな
846:人間七七四年
10/12/18 22:19:11 MGce7drF
>>844-845
何だこいつw
237 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/18(土) 22:05:52 ID:BTJzkbNZ
鈴木、藤本は歴史(武功夜話、織田鉄砲隊など)に対して否定的な立場でアプローチしすぎ
資料とかのあら捜しばっかせずに、歴史学者たるもの正確な史実がどういったものだったかを研究すべき
真実を突き止めるより消極的な物の見方した方が無難だと言う気持ちも分かるが卑怯だな
847:人間七七四年
10/12/18 23:49:51 p/BPCSh/
自演きめえ
IDって知らないんだなw
848:人間七七四年
10/12/19 01:03:53 uoYQJMH1
南蛮胴はただのかざりですか?
ヨーロッパでは鉄砲が開発されて時間が経っており、
「いくら鎧厚くしても防げないJAN!だったらいらないJAN!」
となったはずですが。
849:人間七七四年
10/12/19 01:18:32 PFbf9Bvw
気休めです
850:人間七七四年
10/12/19 01:23:10 wkVRU89L
西欧諸国の技術と生産力では鎧が高価過ぎて効果に見合わなかっただけ
指揮官や王侯は鎧着てたよ
851:人間七七四年
10/12/19 22:54:56 QCcZBu19
戦国歴史に関しては無知なのですが質問させて下さい。
本能寺の変で徳川家康の決死の伊賀越えってありますよね?
光秀の追手は分かるんですが、その他の土民達ってそんなに早く情報が伝わるんですか?
まぁ実際に別ルートとった穴山は殺されてますが・・。
また光秀の追手云々の前に光秀にその気があるならば(計画的ならば)
その前(本能寺討ち入りと同時)に家康も殺害手配整えてないですかね?
それがないって事は変自体が突発的であり、家康まで手が回ってないのならば
家康や配下の武将もそれは予測がつくでしょうし、家康側は30人ぐらいいた様ですし
いずれも名の知れた武将達で、土民達に情報が伝わって召集掛けてもとっくに
通り過ぎてる様な・・。
そこまで決死の・・って感じがしないんですが。 全員徒歩何でしょうか?
あと最後に光秀が家康に追手をかけた様な事実はあったのでしょうか?
852:人間七七四年
10/12/19 23:23:04 41aspXZt
>>851
>家康や配下の武将もそれは予測がつくでしょうし
そんなお気楽思考では戦国の世は生きていけない。最悪の事態を想定して行動するのが当然である。
信長の恐怖政治を恨みに思う者は何処にでも居たであろう。であれば信長が死んだのを機に何処で
反逆の狼煙が上がってもおかしくない。特に大和郡山の筒井順慶は光秀と親しいから示し合わせて
いる可能性がある。さらに伊賀の地は天正伊賀の乱で信長に酷くやられた恨むもある。光秀がその
残党に声を掛けていても不思議では無い。
さらに言えば土民どもは金目の物を持ってそうで且つ殺しても後腐れ無さそうならいつでも襲いかかる。
853:人間七七四年
10/12/20 00:42:07 UOrtuXIJ
家康自身が当日のうちに信長の変死を知っているくらいです
当然、京に何らかの伝手がある国人なら同じ程度の情報は得ているはずでしょう
少ない不正確な情報で「家康を殺す」結論は出しにくいと思いますが、
時間が経つにつれ、彼らが明確な行動指針を出す可能性が高まります
明智の軍勢が京周辺を完全に制圧した事がわかれば逆らう事は避けようとしますから
そうなれば徳川に非協力的になり、少なくとも通行の妨害くらいはされます
「足止めした方がいいかな?」と思われた時点でもうダメです
金目当ての落ち武者狩りは「何かあった」時点で動き出してるでしょうねぇ
854:人間七七四年
10/12/20 01:23:29 n2y5dJB0
まあ家康は苦労した話シリーズとして
誇張してる可能性はあるかもね。
855:人間七七四年
10/12/20 01:29:10 h8ZkJf7S
関ヶ原の時の島津義弘の退き口をみても、「狙われる側」の移動が
どれだけ過酷なものか容易に想像がつく。
856:人間七七四年
10/12/20 01:37:39 vnp5y9Pn
映画や小説と違って、矢玉が降り注いだり、追っ手がすぐそこまで迫って来る状況になったら、
それはピンチというレベルを通り越して、確実に殺されちゃいます。
疲れや睡眠不足、空腹や足の痛み、暑さ寒さ、敵に襲われる恐怖、
そういうものは地味ですが、人間を追い詰めて頭を働かせなくする効果があります。
納得いかないかもしれませんが、合戦よりはるかに大ピンチでした。
家康一行はパニックを起こさず最善の対応をとり、幸運にも恵まれて領地に戻ることができました。
ちなみに全員徒歩で、一目につかないよう険しい山道を通って行動しました。
857:人間七七四年
10/12/20 01:44:36 arsXuBo8
まず地理が全然判らないし
それに判りやすい道を使ってもアウトだからな。
土地勘がまるで無い場所で、人に見つからないように
道無き道を極めて迅速に行かなければならないときたもんだ。
敵地からの敗走に成功した家康・島津・秀家なんかは
全員地元の土地勘のある人間を確保して先導して貰ってるから
地元民が見つからなきゃまずアウトだろうな。
それに地元民にしても結託しての落ち武者狩りだとそれもアウトだし
戦場で戦うよりも困難だよな。トドメに死んだら惨め極まりないし。
858:人間七七四年
10/12/20 02:15:20 brXh7ZUZ
まともな武将なら、そういう場合はちゃんと近くの村を襲って道案内役を拉致しておく
859:人間七七四年
10/12/20 07:39:12 gIA3aBwm
>>852-858
有難うございました。
実際に襲われる事はなくとも一歩手前であらゆる可能性考えて
迅速に動かなければいけない状況で必死に行動したとの事ですね。
地元民の感情とか動き一つで危なかったんですね
騙されたらOUTでしたか・・
てっきり馬で駆け抜けたとばかり思ってました。漫画の世界でしたね
860:人間七七四年
10/12/20 13:31:10 5kXTah0c
>>859
村を襲うって言ったって、村は自衛のための武装をしてる時代だから、
そう簡単に行くわけ無いだろ。
まとまった軍事力があるならともかく、家康や義弘みたいに十数人での逃亡劇では無理。
861:人間七七四年
10/12/20 14:54:04 6vGsp+Dj
戦場で何十人も討ち取ってきた武将たちなら村の一つや二つ・・・・
ユニット単位の戦果で数十人だから無理かw
862:人間七七四年
10/12/20 17:24:01 2irkOZaN
伊賀の山村なんて先祖代々からの追いはぎ業だったんじゃないの?
863:人間七七四年
10/12/20 17:32:09 6vGsp+Dj
,.――-、
ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、 山賊トンファーパーマン惨状
| | (・)。(・)|
| |@_,.--、_,> 俺が着たからにはもう色々と駄目だ
ヽヽ___ノ
/:::::::::::::::::l /77
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l:::/::::::::i:i:::、:::/ / |
l;;ノ:::::::::::::::l l;.,.,.! |
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/:::::::;へ:::::::l~ |ヌ|
/:::::/´ ヽ:::l .|ヌ|
.〔:::::l l:::l 凵
ヽ;;;> \;;>
864:人間七七四年
10/12/20 18:13:26 arsXuBo8
大体村襲うっつったって人口数人の村じゃあるまいし
高確率で誰かしらが逃げるだろう。
その場合どうなるかは言うまでも無い。
865:人間七七四年
10/12/20 18:38:18 6vGsp+Dj
頼むけん、こらえてつかあさい
866:人間七七四年
10/12/20 19:23:51 b/w2Mt3b
伊賀の小さい城の城主が家康御一行を歓迎したけど信用出来ないから入らんよって
エピソードあるじゃん
関ヶ原敗残兵ほどの悲惨で隠密な逃避行ではなかったよ
867:人間七七四年
10/12/20 20:17:41 h8ZkJf7S
>>866
なぜその、しかも真偽不明のエピソードでそんなことが言い切れるのか
君の頭の構造の方に興味がある。
868:人間七七四年
10/12/20 22:29:36 NSvx0U7c
>>860>>864
それこそ今の街みたいに人口密度が高いわけじゃなし
庄屋の家とか大屋敷でなければ、十数人もいれば入り口の1つか2つを封鎖すればいいんだから
村人の拉致なんか簡単だろ。特に夜間とかなら。
実際に村人拉致して道案内させたってエピもたくさんあったと思うが。
869:人間七七四年
10/12/20 22:41:40 n2y5dJB0
別に危険なことはなかっただろ
もしヤバい状況下の脱出劇だったら
完全封鎖されて絶対に逃げ切れないわ。
家康の接待役だった明智の罷免で何らかの空気を知ってたからふつうに無事だったんだろ
870:人間七七四年
10/12/20 22:46:27 bmJDmBXd
>明智の罷免
単に中国出陣のためだと思うけど?
家康接待に粗相があったためというのは俗説。
一次史料にも「もってのほか(素晴らしい)」と書かれてる。
仮に粗相があったとしてそれが原因で光秀が謀反を起こすなんて
家康が予想してたら、超能力者だよ。
871:人間七七四年
10/12/20 22:58:38 h8ZkJf7S
ID:n2y5dJB0みたいなのが正体不明の「徳川史観」なるものの存在を信じて疑わない信者なのだろうな
872:人間七七四年
10/12/21 20:43:09 PEdhLYSD
答
明智に多額の報償付きで指名手配されてたら間違いなく死んでた。
よってウンコ漏らし小物家康は大したやつじゃ無いから指名手配も無く完全スルーされて、逆に寂しかったからウソついた。
873:人間七七四年
10/12/21 20:44:49 eOqZj02M
>>872
よそで遊べ。
874:人間七七四年
10/12/21 20:59:35 ws+W0O88
>>869
家康が何かが起こるとか思ってたら、
堺で茶会なんかやらずに本国へ逃げることを考えたはず。
急病を装うとか、いくらでも方法はある。
875:人間七七四年
10/12/21 22:26:35 PEdhLYSD
>>874
信玄に続いてびびってまた逃げるのか臆病者とか呼ばれるだろw
しかも光秀が暗殺に失敗したらあからさまに怪しい家康w
876:人間七七四年
10/12/21 23:39:27 eOqZj02M
ID:PEdhLYSDみたいな知的障害がどうやったら生まれるのか興味深くはある。
877:人間七七四年
10/12/22 00:04:13 bqyJNV88
かわいそうな子なんだよ
878:人間七七四年
10/12/22 00:37:35 WVI8AU8C
ID:PEdhLYSDはこっちでキチガイ書き込みして暴れるのやめてくれ
スレリンク(sengoku板)
879:人間七七四年
10/12/22 18:50:49 MPb91WXJ
三好三人衆っていっつも三人で語られてますけどソロ活動ってしてなかったんですか?
あと三人の間の仲って良かったんですか?悪かったけど利害で一致してたんですか?
880:人間七七四年
10/12/22 19:14:48 ifstQfq4
そうだね、プロテインだね。
881:人間七七四年
10/12/28 12:53:22 bAMhgVMn
侍女や近習、小姓の仕事って何なんですか?
また、そういったことが書かれている本がありましたら、宜しければご教授ください
882:人間七七四年
10/12/28 12:58:38 ozPPXdd8
>>881
『中世の女の一生』
こりゃ滅茶苦茶面白いぞ
883:人間七七四年
10/12/31 01:17:29 z9VALTIx
BSで黒澤監督の乱見たんですけど
あれ毛利の事ですよね
あの状況からそれなりに復興させた輝元って再評価されてもいいと思う
884:人間七七四年
10/12/31 01:24:24 7+0yu5Jb
違うよ
885:人間七七四年
10/12/31 11:29:17 GX/+BvqW
あれリア王だろ
三本の矢の話はとっかかりに過ぎない
886:人間七七四年
11/01/02 02:16:20 VWJjXmvA
戦国時代を通史的に書いた小説ってないものでしょうか?
各家や個人を中心とした小説ばかりで、なんとなく全体を統一的につかむことが難しいです。
たとえば三国志のような戦国時代小説があれば最高だと思うのですが。
と、今これを書いて気がつきましたが、三国志も通史的といえば通史的ですけど、
よく考えたら官渡のときも赤壁のときも、曹操や袁紹や劉備にスポットライトを当てて描いているというだけで、
その裏では(当たり前ですけど)他の勢力も普通に動いていて普通に物語があるんですよね。
それを考えると、やはり戦国時代全体を小説で時系列的に描くのはとても難しいですね。
なんだか勝手に結論を出してしまいましたが、これを読めば戦国時代がおおよそわかるといった感じの、
時代の流れがつかみやすい、なるべく全体を満遍なく書いたような小説があればお教えください。
文章が下手なのでとりとめがなくてすみませんが、だいたいの意味はお伝えできたかと思います。
よろしくお願いします。
887:人間七七四年
11/01/02 02:18:13 VWJjXmvA
すみません。
あるいはこのスレではなく、もっと適切なスレはありましたでしょうか。
もしスレ違いだったとしたら申し訳ないです。
888:人間七七四年
11/01/02 02:33:42 usrkETK7
ここかなぁ?
戦国時代を舞台にした歴史小説 第参話
スレリンク(sengoku板)
889:人間七七四年
11/01/02 13:13:05 JdT/PQJV
>>886
無い、数多くの集団がそれなりの規模や高度さを持って割拠してたから
通史は不可能でしょ
890:886
11/01/02 17:29:34 VWJjXmvA
どうもありがとうございます。
小説専用のスレがあったんですね。
全部を網羅する通史のような小説というのはやっぱり難しそうですが、
教えていただいたスレでお薦めを伺ってみます。
891:人間七七四年
11/01/07 14:04:30 riTJGMcI
各地の戦国大名の家督継承時石高と最大石高を調べたいのですが、
後世に行われた太閤検地では指出検地なので過小に申告し、格式に影響する検地では過大に申告されていたと聞きます。
各律令国(できれば大名領)における推定の実高がどのくらいかわかる資料はありませんか?
また、戦国の動乱時に純粋に増やした実績が分かりにくくなっています。
例えば有馬豊氏や小笠原秀政はもらった土地が多いものの自分で切り取った土地ではありません。
仙台藩は100万石と言われていますが最大で200万石という説もあり伊達政宗自身も戦国時代を生き抜いた英傑ですが
その最大版図には惣無事令を無視した蘆名の領土を加えた瞬間最大(領国経営が安定していない一時的な状態)だったり、仙台開発による内政的なものまで加味されています。
このあたりを戦国時代の純粋な拡大版図に加味するのは厳しいと思います。
これらもらった土地や自力で開発した土地を加味せず、純粋によそから奪った土地がどの程度かわかる資料もありませんか?
892:人間七七四年
11/01/07 18:44:35 vC7SO8QW
んなもんない
893:人間七七四年
11/01/07 20:44:16 Iv6zbnl1
冗談抜きに自分で戦国時代の農村行って聞いて来いってレベルの要望
894:人間七七四年
11/01/07 22:24:46 HAfVyUXj
自分で○○町史、○○村史を当たって突き合わせたら。
895:人間七七四年
11/01/08 01:28:36 9pYg7dWO
まあ、>>891の要望に応えたら学会で発表して本出せるよ、ってレベル
896:人間七七四年
11/01/08 01:32:50 JFhUWZ0g
ひとつ言えるのは信長厨は無益有害ということ
奴等は何一つソースを出さず連投で荒らすから害にしかならん
897:人間七七四年
11/01/08 08:04:05 PjsfQnt+
そもそも伊達の100万石ってのも誇張が強く表高は60万程度。幕末実高で90万程度。
仙台藩は見栄っ張りで70万の人口に対して士族の比率も全体の2割超で
幕末には17万人もの「士族」を有していたことになっているが、4分の3は明治政府から士族と認められなかった。
898:人間七七四年
11/01/08 13:15:40 JFhUWZ0g
それは単に明治政府が節約するためだろw
899:人間七七四年
11/01/08 14:20:52 50AfToIE
歴史人口学者速水融が算出した推定国別人口が、
国力という意味で求めてるものに近いんじゃない。
数十年前の物でとても最新のものとは言えないけど、
根拠がそれなりでまとまってるのって俺はこのくらいしか見たこと無い。
もっと言えば従属同盟と直接支配の比率とか支配力の強弱が全く違うから
単純に版図やら支配影響圏とやらを単純に比較しても何の意味も無いと思うけどな
900:人間七七四年
11/01/09 11:06:41 YDUdJinc
龍造寺は耳川の敗戦までは大友の傘下だったのでしょうか?
901:人間七七四年
11/01/09 11:56:56 G9XzNxf7
>>900
いや、その前に龍造寺は大友と何度も戦っている。
蒲池鑑盛という大友方の不思議な武将を介してくっ付いたり離れたり。
902:人間七七四年
11/01/11 21:06:41 NDqkrDv1
2番目が京極に嫁がされたのは名門ということがポイントだったのでしょうか?
903:人間七七四年
11/01/11 21:14:38 NDqkrDv1
すみません江スレとニアミスでかなり簡易書きしてしまいました
申し訳りません
904:人間七七四年
11/01/12 13:27:00 CA3lwdIj
>>902
畿内の要衝である近江を円滑に支配したいことが第一で、
初に安定した生活を送らせたいと願った茶々や竜子へのご機嫌取りが第二。
905:人間七七四年
11/01/14 14:21:56 OaG2Ewnf
先日NHKでウフィツィ美術館とメディチ家の特集をしていました。
イタリアのメディチ家と日本の大内氏は経済面を支配し、
芸術を奨励しパトロンになるという似たような政策をしていましたが
メディチ家は成功し、大内氏は没落しました。
両者にはどのような差があったのでしょうか?
906:人間七七四年
11/01/14 14:36:09 6I1Kx7Oy
大事な戦いで負けた
907:人間七七四年
11/01/14 14:44:40 SGANpZPX
メディチ家と大内家の支配体制の決定的違いは、
前者はローマ教皇まで支配したが、大内は皇室支配などできる立場ではなかったこと。
繁栄の基盤や財力がけた違い。
メディチ家は何度も没落しかけたが、優秀な当主が現れては、しぶとく復活している。
人材の豊富さもけた違いと言える。
908:人間七七四年
11/01/14 14:51:42 q1IAfuRd
メディチ家と大友氏は「似てない」と言った方がいいレベル
909:人間七七四年
11/01/14 18:29:29 gqvdiOW2
そもそも安易に「〇〇と××は似ている」というのは非学問的行為以外の何者でもない。
910:人間七七四年
11/01/14 20:24:55 V71J0Tb0
メディチ家はライバルが雑魚しかいなかったよ
没落しかけても再浮上する余裕がたっぷりあった
911:人間七七四年
11/01/14 20:59:13 A+mroZEo
戦国大名の嫡男に対する養育の力の入れようの半端ないことは衆目一致するところ
その期待の嫡男に先立たれたら落胆甚だしいことも察するところ
大内家は勿論、三好家、長曾我部家、尼子家、朝倉家、蘆名家・・・本当に不運だな
注、嫡男を死に至らしめた武田家はこの範疇ではない
912:人間七七四年
11/01/14 21:53:21 R29GKk9H
>>911
真田昌幸は三男だぞ。
それと朝倉家の期待の嫡男て誰?
913:人間七七四年
11/01/14 21:56:08 arUBxFL3
源太が戦死した頃には幸隆も死んでたから関係ないよ
914:人間七七四年
11/01/14 22:37:55 9egdpjcB
昌幸は養育が行き届いてなかったからそのときお徳な方へ
うろうろしてるうちに終わっちゃったんじゃないか