08/05/04 13:11:24 Thxhlcp7
>>135
創作じゃないだろう。
実際書状に書いてある事項と軍記に記された事項が一致しているのだから。
北条の軍記は北条遺臣として参戦者もしくは口伝を聞き、それを参考にしてまとめあげたが
その過程で日付に混同が起きたか、もしくは簡略化されたか。
どっちにしろ内容が一致しているのに日付だけでつついてそれを全部無視する方が異常だろう。
だから、前日に北条は優勢で押したけど次の日に武田に逆襲されただけの話だろう。
なぜここでこじれる。
軍鑑では内藤はよい小荷駄をえりすぐって進撃に専念させていたはずだ。
戦闘において小荷駄の運搬が苦しくなったという傍証にはなるだろう。
前日の氏照の活躍を軍鑑が~というなら、そもそもそんなものは北条側の軍記にも
書かれていないではないか。
だから峠道を移動しながら戦っているのだから複数の山を移動しているはずだろう。
山を移動し峠道に下って移動し、また先に進んだ所に山があっただけの話だろう。
峠道なんだからひとつしか山や隆起がないわけじゃないだろう。
山県隊は志田沢上の山を伝って沼へ向かいにろねを目指したとされる。
このにろねが韮尾根なら三増峠に陣している氏照勢の後方に回り込める。
文字通り絶好の体勢で後方につける形になるな。山県5千どころか2万の武田主力にこれをやられたら
悲惨な事になるはずだが。