08/04/26 23:22:31 qjVOcr4z
>>117
そっちのほうが根拠不明でわけわからん。
①に関しては書いてあるとおり、氏照勢の兵力と消耗の度合いから。
氏照勢は滝山で武田と戦い消耗した後、6、7千もいるわけがない。
周囲の兵力を集めてそれだけの兵力にするには時間がかかる。
②に関しては上に書いたとおり。氏照達はある程度の兵力を集めなければそもそも
戦いにならないため、兵力を集める時間が必要だった。甲斐に戻るために直進して
急行している武田勢のほうが三増峠に入るのは早いだろう。
挟み撃ちを狙いたくてもその前提である兵力の集結に氏照は手間取っただろう。
講談では甲陽軍鑑は北条が前に布陣するが、北条5代記や北条記では後方から北条が
追跡する形だが。
その割にはそちらが浅利を討ち取った時と設定している後半戦で全然描写がなく、
前半では意気揚々と戦果を書いているのは不自然に過ぎる。宗の者数多討ち取ったと
言っているのも前半だ。実際は浅利くらいしか討ち取ってないし名前もあげてないが。
北条がそうしたと誇張できるだけの下地があったのはこの場面と考えるべきだろう。
小田原本軍を待ち前面に展開するという氏照勢に対して浅利だけぶつけてそれよりはるかに多い
信玄本隊はどうやってどこから逃げられる。無理があるな。
殿軍討ち取って名誉じゃないから詳細書かないというなら、そちらが言う所の先衆同士のぶつかりあいである前半あれだけ意気揚々と書き、
敵が押しなだれてきたというそちらの言う所の殿軍討ち取った後半では口を閉ざしているのは不自然に過ぎる。
それから武田の勝ちとしているのは甲陽軍鑑だけではなく、北条5代記も北条記もそう。
甲陽軍鑑と北条側の軍記では武田の勝ち方はまるで違う。
甲陽軍鑑では深追いできず終了に尾ひれをつけたわけではなく、山上の北条勢を突破して撃破している。
仮に前にいる北条勢に対して3倍の武田勢が押しなだれたとし、突破されているならそれこそ北条側としては突き崩されている
状況だとしかいいようがないと思うが。