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歴史・迷宮解:アイヌ・沖縄同系論 研究進む祖先の歩み
日本列島の南と北に分かれた、沖縄(琉球)人と北海道のアイヌが遺伝的に同系統かどうかという
100年越しの議論が、新たな展開を見せている。今月初め、沖縄で初めて開かれた日本人類学会の
大会(第65回)で、沖縄と本州の出土人骨から縄文人の顔つきを比較した、興味深い発表があった。
アイヌと沖縄人には、縦方向に短い顔、大きく丸い目、二重まぶた、湿った耳あか、毛深さなど共通
する身体特徴がある。
これは明治時代に日本に招かれたドイツの病理学者ベルツが1911年の論文で指摘し、「アイヌ・
沖縄(琉球)同系論」と呼ばれている。その後、日本人研究者から「沖縄人に最も近いのは本州・
九州人」と批判されたが、80年後の91年に故埴原和郎さん(当時、国際日本文化研究センター
教授)が発表した「二重構造モデル」で再評価された。
日本人の形成史について最も有力なこの仮説によると、後期旧石器時代に日本列島にやってきた
東南アジア系の集団の子孫が縄文人で、弥生時代以降、中国大陸、朝鮮半島から渡来した北東
アジア系と混血した。この過程は現在も続いている。アイヌと沖縄人はともに縄文人を祖先とし、中央
から遠く離れていたために渡来系の影響をあまり受けなかった。
一方、アイヌと沖縄人の違いを強調する研究もある。琉球諸島(奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島)
の近世風葬墓で出土した人骨を93年から調査した百々幸雄(どどゆきお)・東北大名誉教授らは、
身体機能に影響しない頭蓋骨(とうがいこつ)の小さな差異(頭蓋形態小変異)、顔の彫りの深さ
(顔面平坦(へいたん)度)、頭や顔の大きさ・形(頭蓋計測値)を比較した。沖縄人はアイヌや縄文人
より本州現代人などに近いと、98~2001年の論文で主張している。
また、埴原さんが東南アジアとした縄文人の祖先の故郷についても、北東アジアとする批判がある。
ただ、いずれの研究も、沖縄人については近世人骨や現代人のデータをもとにしており、沖縄人が
アイヌと同様、縄文人の遺伝的特徴をより濃く残しているかどうかは沖縄の縄文人骨を調べる必要が
あった。
ここに着目した深瀬均・北海道大特任講師は、沖縄の縄文後期~晩期(一部、弥生時代を含む)
と近世・近代(1700~1900年ごろ)、本州の縄文中期~晩期と近代(1890~1910年ごろ)の
頭蓋骨を比較した。
その結果、沖縄の縄文人と本州の縄文人の顔つきは、ほとんどの計測項目で大きな差がみられな
かった。
面長か丸顔かを示す上顔高(前歯の生え際から鼻根までの長さ)では、縄文人は沖縄、本州とも
低顔(丸顔)だ。近世・近代の沖縄人も低顔(丸顔)だが、本州近代人は渡来系弥生人と同様、
高顔(面長)だ。沖縄人の鼻根部がへこんで彫りが深くなっていることも、本州縄文人、アイヌに共通
し、「二重構造モデル」を支持する結果となった。
ところが、細かくみると、沖縄人には縄文、近世・近代とも、本州縄文人やアイヌにはない特徴が
ある。眼窩(がんか)(眼球が入っている穴)の間の幅が広く、鼻が座っていて低いのだ。ゴルフの宮里
藍選手のように横方向に平らに広がった顔が、縄文時代も今も典型的な沖縄顔だ。
縄文時代に既に見られたアイヌの祖先と沖縄人の違いは、何によるのだろうか。約3万年前の旧
石器時代に日本列島にやって来た人たちの故郷が北と南で違ったのか、それとも日本列島に住み
着いてから北と南の環境の違いで地域差が生まれたのか。
いずれにしても、アイヌ、沖縄人を含め私たち日本人の祖先が、地域ごとに異なる歩みをたどり、
それぞれ独自の文化を育ててきたことは間違いない。【佐々木泰造】
毎日新聞 2011年11月23日 東京朝刊
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