11/03/27 23:57:02.42 0kYQkAjT
>>123
釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった
(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。
そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、
そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。
釈迦が悟った上記のような内容を縁起という。その教えを学問上「縁起説」と呼ぶこともある。
仏教で通俗的に因果と言う場合には、業(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことも多い。
「善因楽果・悪因苦果」と言うように、人間や天人として生まれる善の結果や、
地獄・餓鬼・畜生として生まれる悪の結果を得るのは、前世の自己の善業あるいは悪業を原因とするという
方便(本来の教説に導くための一種の方法)としてしばしば使われる。
この因果は、われわれの行為に関するものである。
すなわち、自分のやった善は善果を生み、また悪を行えば悪果が返ってくる、と教える。
因果応報とも言われ、人間の行為を倫理的に規定する教説として言われたものであろう。
また、因果を植物にたとえ善因を善根(ぜんこん)ということがある。
なお、無貪・無瞋・無癡のことを三善根ということもある。