10/08/23 19:17:22
故糸川博士の資料、枚方に眠る 108箱分、模型や写真
「日本のロケット開発の父」と呼ばれる故糸川英夫博士(1912~99)。6月に帰還した探査機「はやぶさ」が
目指した小惑星にも名前が冠された博士の足跡をたどる大量の資料が大阪府枚方市の公民館に眠っている。
はやぶさの偉業を契機に、地元では記念館設立や展示の構想も持ち上がっている。
糸川博士の資料は段ボール箱で108箱分にのぼり、同市の穂谷公民館の一室に保管されている。日本で初めて
発射に成功したペンシルロケットの模型や50~60年代に試作されたロケットの部品、博士所蔵の写真など様々。
東大生産技術研究所教授時代に考案したとみられる宇宙基地のイメージ図もある。
関係者によると、大量の資料が枚方で保管されるまでには曲折があった。「過去に執着しない性格だった」という博士。
晩年に捨てられそうだった資料を弟子の研究者らがあわてて引き取ったという。
ただ大量すぎて保管場所に困り、一時は博士の記念施設をつくる計画があった愛知県武豊町で保管。しかし計画は
実現せず、99年2月に博士が死去すると、元東大技官の林紀幸さん(70)=東京都墨田区=が預かり、
三重県伊勢市の資料館に置いた。
4年前に引き取りを申し出たのが枚方市穂谷区の前区長重村庄一さん(75)。長年、宇宙に興味を抱いていた重村さんは
資料の存在を聞き、「子供たちが宇宙に夢を抱くきっかけになれば」と譲り受けたという。
重村さんは「糸川英夫記念館」の開設を目指してNPO法人を設立。資金のめどは立っていないが、
「約60億キロを旅して帰還したはやぶさの活躍で再び博士の偉業に注目が集まれば」と期待を寄せる。
枚方市の幹部も「はやぶさの話題もあって関心は高い。貴重な資料があれば展示に協力したい」と話す。
〈糸川英夫博士〉 東大生産技術研究所教授として1955年、長さ23センチ、直径1.8センチのペンシルロケットを開発。
日本のロケット開発の出発点とされ、宇宙科学研究の基礎を築いた。退官後は組織工学研究所を設立し、
著作に「逆転の発想」などのベストセラーもある。バイオリン製作やバレエにも挑戦し、多彩な才能を発揮した。
▽ ソース アサヒ・コム
URLリンク(www.asahi.com)
▽ 画像 1955年に発射実験を成功させたペンシルロケットの実物大の模型。
講演会で見本として示すため作ったとみられる
URLリンク(www2.asahi.com)
ロケットの発射実験や組み立て時の写真
URLリンク(www2.asahi.com)
依頼を受けて立てました。