【ウルトラマン】古谷敏【アマギ隊員】at RSFX【ウルトラマン】古谷敏【アマギ隊員】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト754:どこの誰かは知らないけれど 10/05/06 20:30:55 xgo/J4Lu 19年前のGWに朝日に載った記事(5回連載の5回目) 古谷氏は当時47歳 91/05/03 俳優からぬいぐるみショーの世界に踏み出した古谷敏は、アマギ隊員の衣装を着て、 デパートの屋上に立った。1968年の秋だった。怪獣は円谷プロなどから借りてきた。 5体あれば、そこそこの実演に仕上がる。アルバイトの学生に振り付けを教えた。 古谷は司会をやった。 番組放映時にコネのできていた遊園地、商店会などに声をかけた。日当をもらい、 ショーをやらせてもらった。 古谷の頭には、東北へ行ったときの情景が残っていた。開演直前、はなを垂らした 少年が一人、入り口の前で待っていた。「金を忘れた」という。当時は有料が多かった。 「じゃあ、一緒に入ろう」と手を引いた。少年の目を見ながら、金がなくても見せてやる 方法はないものかと思った。 そのころ、スーパーの出店ラッシュが続いていた。開店の客寄せにショーをやれば、 無料でできる。一石二鳥だ、と考える。イトーヨーカ堂に話を持ちかけた。以来、 開店の催しをいっさい引き受けるようになる。 独立して3年後の71年、会社組織にし、古谷は経営に徹する。株式会社「ビン・プロモーション」 の社長である。時代とともに催しの質は変わり、年間の生活行事に合わせて商品を 宣伝していく形になっている。流通イベントと呼ぶ。社員は10人、年商はざっと4億円という。 ぬいぐるみを使ったショーは、今では半分に減った。 流通イベント業界での核になるのが、今の目標だ。だが、かつての情熱はないという。 「それは、目標であって、夢ではない。撮影をしていた時代が、人生の記念碑に思えます」 全身にみなぎっていた力を懐かしんで、ウルトラマンのビデオを見る。力がふつふつ わいてくるのを覚える。高校2年生の息子は、父親が素顔で出るウルトラセブンの方をよく見る。 ピンチに陥ることの多いアマギ隊員に「なんだ、父さんやられてばかりだな」という。 「おれがやられなければ、ダン(主人公)の出番がないだろう」と笑いながら言い返す。 人と人とは支えあっている。主役がいれば、わき役も裏方も必要だ。黒衣の人生でいい。 そう思っている。 先月、円谷プロが主催してウルトラマン放映25周年の記念パーティーが開かれた。 が、会場に古谷の姿はなかった。 カラオケが好きだ、という。それを聞いて「表舞台への思いが残ってはいませんか」 と尋ねてみた。「あれば、いまの自分はありません」と答えた。 いきつけのスナックで、歌を聞かせてもらった。「北の旅人」「別れの夜明け」。 好きだったスター、石原裕次郎の歌を何曲も歌った。すらっと伸びた背が、 カラオケの舞台では窮屈そうだった。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch