11/05/10 22:48:03.79 gcuZDAZF0
>>490
近世の刑罰の1つに腕に入れ墨というのがあります。当時の人にとっては相当不名誉だったと思う。
厚木の大ボスをそんなチンピラ扱いしては困る。
菊池本によると、最後の太郎右衛門は50余歳で失明、非常の学者であった、という。
さらに、正月のトンド焼きには太郎右衛門が裃をつけ帯刀して火をつけた、とあるから髪型も推して知るべし。
どこの部落もこういう知識人が1人くらいはいるものです。
秦野だと森○和三郎さんがその1人。明治6年に5000番地区で生まれ、
15歳にして自宅で夜学を始め、漢学・南宗画・俳諧の素養も身につけていた。
昭和12年に御夫婦で園遊会に招かれたってのがスゴイ。一般人はどんな思いだったろう。
2人の共通点は、資産家であったこと、戦後末裔が解放運動に参加しなかったこと。
これはおそらく神奈川に限ったことではなかろうと思う。
>>492
連続性があるのは厚木だけですね。
>>493
○○屋ってたいてい創業者の出身地から取ることが多いので名字の可能性は低いと思う。