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三島由紀夫が兵庫県という自らのルーツを殊更に無視しようとした背景には、夫(
平岡定太郎、兵庫県出身)を忌み嫌っていた祖母夏子の影響も考えられてい
るが、差別問題が関係しているとする説もある[37][38]。 それによると平岡
家の本来の居住地は志方村ではなく、西神吉村だった。そして、志方村に移
住したそもそもの理由は、三島の曽祖父太吉が領主から禁じられている鶴を
射るという不祥事を起こし、“所払い”にされたためだというのである。
『月刊 噂 八月号 三島由紀夫の無視された家系』52頁によれば、「岡住職は
過去帳から平岡家の祖をたどった結果、およそ二百五十年間つづいた家だと
判明したという。真福寺で明らかにされた平岡家の先代はまず元禄時代の“
孫左衛門”から始まっている。しばらくは姓がなく(…中略…)以後はじめ
て平岡太左衛門、平岡太吉とつづくのである。過去帳には名前のそばに"非人
"、"非人の子"、"番人"、"水番"という汚名の肩書もついているが、平岡家の
初代である“孫左衛門”の肩にはもちろんそんな濁点は付されていない。記
されているものは“しおや”という屋号のようなものである。(…中略…)
初代の“孫左衛門”の俗名に“しおや”の肩書きが付されている以外は、太
左衛門にいたるまでの戒名はすべて一般の農民と同程度の身分を示している
。“