11/12/04 16:50:47.85 YR5nFJPt0
朝鮮に唐辛子が伝来したのは、秀吉の朝鮮攻めの時に薬として持ち込まれた
赤唐辛子が始まりだとされてるね。その時に2回の朝鮮攻めの際に
朝鮮でも最低階級の白丁(ぺクチョン)の人々が秀吉側に付いて
そのまま、日本に亡命したと何かで読んだ。1000人くらいだと
524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/06 20:21:55.90 g02jGQjI0
>>523
>朝鮮でも最低階級の白丁(ぺクチョン)の人々が秀吉側に付いて
>そのまま、日本に亡命したと何かで読んだ。1000人くらいだと
甲斐国に移住した白丁(ぺクチョン)は約10万人です。
525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 10:13:43.09 bZcCqrXs0
>>524
それは初耳だな~ソースはどこですか?大学ではそんなこと言ってなかった。
1000人ぐらいの移住者のうちの400~500名は山梨県東部に移住とは
習った。
ただ、秀吉の朝鮮侵攻後に挑戦の情勢が悪化して、境港などに難民として
移り住んだのが数万人とかって話は知ってる。
526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 14:43:10.07 KXtojqiJ0
ソースは私ですが?
図書館やフィールドワークに頻繁に行った経験から弾き出しましたよ
527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 16:43:15.98 bZcCqrXs0
>>526
>ソースは私ですが?
それを「脳内持論」と言う。当時の手段で甲斐に10万人移住はありえません。
聖徳太子の時代の大陸亡命者で甲斐に入ったのは2000~3000名と言われている。
数10年後には人口が10万人規模になったって話は聞いたことある。