10/09/15 20:42:41 nis2nSXD0
>>328
穢多村は「草場」という縄張りを持っています
縄張り内の百姓村の死牛馬を処分して
皮革やニカワなどを生産する権利がありました
(百姓村が死牛馬を捨てる村外れの場所も草場と呼ばれました)
穢多村と穢多村の間では草場の境界を定めて
相手の縄張りを侵さない慣行でしたが
境界が曖昧な場合は曖昧ゾーンの死牛馬を巡って
トラブルになることがあったようです
駒池と放上の草場争いの詳細は知りませんが
「草場境界争論」らしいので
草場境界線の取り決めでモメたのでしょう