10/10/04 01:12:43 MPuikpVq0
>>241
筑豊は元々農村地帯でこれといった産業がなかった。
江戸時、燃える石、石炭が発掘され採炭が始まった。
明治時代から石炭需要も増え大手資本も参入し住友、三菱、麻生
といった大ヤマはより安い労働力を求め罪人や部落民、朝鮮人らを全国から集めた。
その石炭産業も昭和のエネルギー転換で斜陽し炭坑が次々と閉山し街は寂れ
筑豊は行くあてのない失業者、ならず者であふれ貧困を極めた。
しかし石炭六法で国から失対や鉱害の莫大な補助金が流れこむと、その利権をめぐり血で血を洗う
抗争が頻発、町議会にマシンガンや手榴弾が飛び交うという始末。
利権を手にした者は鯱の豪邸に住み朝鮮人などは未だボタ山の麓でバラック住んでいるのが筑豊の現状。
そしてナマホや利権で働かずして生きてきた部落民はギャンブルやアル中、シャブ中で廃人と化し町は無法地帯となっている。