10/08/01 22:25:07
>>725
確かにパクリと言うのは可哀想だよね。
次郎長伝は松廼家太琉って人が次郎長の身内として荒神山の喧嘩等に参加してまとめた話を
>>727の言ってた3代目神田伯山と初代玉川勝太郎に譲って2人が有名にした話。
伯山はそれに天田愚庵(この人も次郎長の身内になった人)の書いた次郎長の半世紀「東海遊侠伝」の内容や
各方面の取材を行って更に値打ちを付けて次郎長伝と言えば伯山と呼ばれる存在になる。
虎造はその伯山の次郎長伝から司馬龍生や神田ろ山のアドバイスと自身の工夫であそこまでの話にしたのと、
ラジオやマイクなどの文明の利器の登場との相乗効果だと思う。
>>720の江戸っ子のやりとりでも、オチの「馬鹿は死ななきゃ治らない」は虎造の旅興行の移動中の
青函連絡船の中でそばに乗っていた旅興行一座の人が怒られていた際のセリフだそうだし、
その文言を聞いて虎造がお礼にその旅興行の一座に酒をごちそうした際にたまたま相手が
神田生まれの江戸っ子で、その時のやりとりが三十石船のあの場面に取り入れられているらしい。
浪曲オリジナルと言えばなんだろうね?
俺は虎造の次郎長伝が好きなだけだから、わからないや。ゴメン