11/06/18 01:05:32.71 shHxZn1o0
>>200
東西線は、30年以上も前から、烏丸御池で烏丸線と連絡をすることが決まっていた。
だから、烏丸線が開業(京都⇔北大路)したときから、御池(現・烏丸御池)だけは
他の駅の島式ホームとは異なり、近い将来、東西線と乗り換えが出来るように、
相対式の2面2線だった。
話は変わるが(以下うろ覚え)、東西線の具体的なルートを検討する際、旧京阪京津線より
北側を走って山科にいたるルートだったらしく、京阪が、「両線が両立できるだけの需要が無い」
として当時の東西線ルートに反対し、協議の結果、京津線が地下鉄に乗り入れるということで
決着したらしい。
もし、今でも三条通の併用軌道を京阪京津線が走っていて、なおかつ京津線より北側に平行して
地下鉄東西線が開業していたら、一体どうなっていたのだろうか。